【06-2】ヒ素(2)

食事を早々に済ませ、一行は蘭花の講師室に移動した。

そして席に着いた早々に、田村薫が口を開く。

「天宮さん、次はヒ素中毒に関する質問だったと思うんですけど、もし差し支えなければ、事件の状況といいますか、被害者の方の殺害状況を詳しく教えて頂けませんか?」


その言葉に天宮は一瞬躊躇したが、他には口外しないという約束で、事件の詳細について話すことにした。

三人は彼女の話を真剣な表情で聞き終わると、誰とはなしに溜息をつく。

そして口火を開いたのは、緑川蘭花みどりかわらんかだった。


「今の話を聞く限り、被害者は大量のヒ素化合物を浴びた可能性が高いんだと思うけど。

薫ちゃん、どお?

方法はこの際置いとくとして、人にヒ素の粉末を浴びせて、それを吸い込んだりさせられるんだろうか?」


その言葉に田村は、「うーん」と考え込んだ。

「結論から言えば、かなり難しいでしょうね。

露出している皮膚の部分は分かるんですけど、気道や食道まで入り込むとなると、ちょっと無理なんじゃないでしょうか。


そもそも短時間に急性中毒を起こすくらいのヒ素となると、相当な量ですからね。

それを浴びせられたら、被害者の方も顔を背けるなりして、抵抗するでしょうし」


それを聞いた弓岡が口を挟む。

「単なる思い付きですけど、少し離れたところから、徐々に吹き付けて、持続的に吸い込ませるとか出来ないんですかね」


しかしその案は、蘭花によって即座に否定された。

「それは駄目そうね。

粉末だと拡散するだろうから、離れた場所から一人に集中して浴びせるのは、物理的に無理でしょうね」


三人の会話を必死でメモに取っていた天宮に、田村が声を掛ける。

「天宮さん。被害者の方は屋外で突然倒れたということなんですけど、それ以前はどうされていたんでしょうか?」

天宮が、「どうしてですか?」と訊くと、田村は慎重な言い回しで彼女に答える。


「状況をお聴きする限り、被害者の方に二段階でヒ素を投与すれば可能なのかなと思ったんです。

先ず別の場所で、ヒ素入りの食べ物か飲み物を密かに与えて、その後路上でヒ素を振りかけるような方法だったら、被害者の方がお聞きしたような状態になるんじゃないかと。

まあ、これもかなり可能性の低い方法ではあるんですが」


それを聞いた天宮は、少し考えながら答えた。

「被害者は、路上で倒れる直前に、ある方の元を訪れていたようです。

ただ、その方が被害者に害意を抱いたかどうかは、ちょっと」


そう言って天宮が口籠るのを見た田村は、慌ててフォローする。

「あまり気にしないで下さい。

単なる思い付きですから。

それに、そんなことをする意味もないですし」


田村はそう言ったが、天宮は何か引っかかるものを感じた。

――果たして桜子さんを、心底信じていいんだろうか?

――彼女は事件の話をした時、直ぐにスーツ姿の男のことを訊いていた。あれは偶然だったんだろうか?


彼女がそんなことを考えていると、緑川蘭花みどりかわらんかが突拍子もないことを言い始めた。

「そう言えばさ、10年位前に、微生物がヒ素を蓄えるって話がなかった?」


「ああ、GFAJ-1ですね。

リンの少ない環境下で、ヒ素を与えて培養したら、リンの替わりにヒ素がDNAに取り込まれたとかいう。

あれって、ガセじゃなかった?」


弓岡恵子ゆみおかけいこが隣の田村薫たむらかおるに訊くと、彼女も肯く。

「確か<Science*>誌上で明確に否定されたと思う(*著名な科学雑誌)。

でもあの系統のバクテリアが、ヒ素を利用して光合成を行ったりするのは事実でしょう」


天宮は話が科学的になってきたので、ついていけない。

それを見かねたように、蘭花が補足する。

「ヒ素というのは生物にとって有害なんだけど、一部のバクテリアなんかはヒ素に抵抗性があって、逆にヒ素を利用して生きてる微生物もあるってことね。

於兎子ちゃん、分かるかな?」


その言葉に曖昧に頷く天宮を見て微笑を浮かべた田村が、蘭花に訊いた。

「それで蘭花先生。その微生物がどうしたんですか?」

「いやあ、高ヒ素環境でバクテリアを培養して、ヒ素をたっぷり採り込ませてから、それを被害者にぶっかけたらどうかなと思ったのよ」


蘭花が苦笑いとともに答えると、弓岡は爆笑し、田村は目を丸くする。

「さっすが蘭花先生。考えることがぶっ飛んでるう」

「先生、それはさすがに無理かも」


「やっぱり無理か。だよねえ」

そう言って舌を出した後、蘭花は天宮に向き直った。

「多分、私たちに答えられることって、これくらいなんだけど。

あんまり役に立たなかったわよね。

ごめんね、於兎子ちゃん」


それを聞いた天宮は、慌てて首を振った。

「とんでもないです。

とても参考になりました。

ありがとうございます」

そう言って頭をぺこりと下げる天宮に、三人が笑顔を向ける。


「それと女子会の件だけど。

於兎子ちゃん、今忙しそうだから、今の事件が落ち着いたら連絡ちょうだい」

天宮がその言葉に頷くと、弓岡が食いついてきた。

「女子会って何ですか?」


蘭花が弓岡に経緯を話すと、

「私も参加します。

いいですよね?」

と言い出した。

隣で田村まで、「私も」と手を挙げる。


「でも、議題が私の元旦那の件なんだけど。

あなたたち知らないから、参加しても面白くないんじゃないの?」

しかし蘭花のその言葉にも、二人はまったくめげない。

「蘭花先生の元旦那の話ですか?

それは是が非でも参加しないと」

「純子さんにも声掛けておきますね」


結局最後は女子会の話で盛り上がり、天宮が蘭花たちに礼を述べて大学を辞したのは、それから30分以上も後だった。

帰庁した天宮は、女子会の話を除いて、蘭花たちから聞いた意見を鏡堂に伝える。


「六壬桜子の犯行の可能性があるということか」

話を聞き終わった鏡堂は、そう言って考え込んだ。

予断を除いて、すべての可能性について検討する必要があると考えたからだ。


「でも、桜子さんがガイシャにヒ素を飲ませたとして、どうして手や顔にまでヒ素をかける必要があったんでしょうか?」

天宮が疑問を口にすると、鏡堂は言った。

「それはともかく、彼女が犯人という説は、可能性としては排除すべきではないだろう」

その言葉に天宮も肯いて同意した。


「これからの捜査はどうしますか?」

「ヒ素の件は一旦置いて、まずはガイシャの死亡前の行動を当たろう。

リゾート開発関係者への訊き込みから始めるから、関係者の洗い出しをしてくれ」


その言葉に天宮が頷くのを見ながら、鏡堂は考えた。

――高遠純也たかとうじゅんやの事件は、もしかしたら前の二件とは別なんじゃないだろうか。

その疑問が、彼の中でじわじわと広がっていくのだった。

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