第6話 静寂の部屋

自宅。


 あやが他界してから、一週間が過ぎる。


 淡いクリーム色を基調とした彩の部屋は、まるで彼女そのものを映し出しているかのように、毎日一ミリも変化することなくそこにあった。その静けさが、じんの心に重くのしかかる。


『幽霊でもいいから、姿を見せてくれ……』

 彼は一人で部屋の中を歩きながら、ふとそんな思いに駆られる。いままで霊など信じていなかったのに、今は信じたいと思ってしまう。彼女の存在を感じられない現実が、あまりに耐え難いのだ。

 彩の骨壺は、そっと彼女のベッドの上に置かれている。

『両親の墓に入れた方がいいのか……』そう考えたこともあったが、寂しさに勝てず、骨壺を手放すことができない。毎日、テリヤキバーガーを買ってきては、古くなったものと交換し、骨壺の前に置く。まるで彩が生きているかのように感じたかった。

 しかし、それでも彼女の死を完全に受け入れることができていない自分がいた。日々、誰とも話さず、一人で部屋に閉じこもっていると、あの暴行魔と病院の医者の顔が、何度も何度も頭に浮かんでくる。


『……殺してやりたい……』


 心の奥底から湧き上がる復讐の感情。それが、彼の内側で燃え上がっていた。被害届を出さなかったため、暴行事件は公式には存在しないものとなっている。病院での彩の死も、病院側からの一方的な説明で片付けられた。それに何より、自分が彩の痛みに何もできず、ただ見ているしかなかった無力さに、猛烈な怒りと自己嫌悪が湧いてくる。


 冷静に自問自答を繰り返し、彼がたどり着いた答えは一つだ。

『自分が強くならないと、復讐なんてできるはずがない……』


 ふと、彩の言葉が頭をよぎる。彼が落ち込んでいるとき、彩はいつも「俊敏性がすごい」と褒めてくれていたのだ。『もしかして、俺には才能があるのか……?』

 俊敏性という点では、自分に特別な才能があるのかもしれない、と迅は思った。もちろん、才能を開花させるためには努力が必要だ。しかし、才能があるなら、それを磨けば超越した結果を出せるかもしれないと感じ始めていた。


『俊敏性を極限まで磨いて、まずは株で金を作ろう』


 迅は新たな目標に向かって意識を切り替え、株式トレードに全力で取り組むことを決意する。株式トレードでも、とりわけスキャルピングという瞬時の判断が求められる取引方法に、自分の俊敏性を活かせるはずだと考えたのだ。

『損切りは早ければ早いほどいい……』迅は、株価が下落するサインを察知し、他の投資家よりも早く損失を最小限に抑えることが勝利の鍵だと確信する。そして、投資家の心理を読み解き、最適なタイミングで行動することが成功への道だと理解した。


『まずは、手元の一千万円を一億円に増やす』


 迅はその目標を胸に、家から出ることなくトレードに没頭することにした。そして、一週間ぶりにトレードデスクに向かう。


 朝九時から十五時までの日本市場の間に千回の売買を繰り返し、夜は米国市場の動向も調査する。食事はパンや冷凍食品で済ませ、相場と向き合うことに全身全霊を注ぎ込んだ。


『集中しないと、彩の顔が浮かんできてしまう……』相場に没頭している間だけが、彼が現実の痛みから逃れられる唯一の時間だった。寝ることさえ恐れた彼は、深夜三時まで調査を続けた。


 結果として、わずか一週間で一千万円は一億円に増えていた。迅は驚異的なスピードで資産を築き上げ、自分の手で金を増やせるという実感を得る。これで、資金を元手に復讐を実行できるかもしれない。


『金さえあれば……』


 彼の心には、復讐の炎が静かに燃え続けていた。


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