第6話 対峙
雨戸を開けると、照明が取り外された部屋のなかにようやく光が差し込んだ。陽光によって鮮明に照らし出された室内の様子を、純悟と結子は改めて見つめる。
六畳一間のワンルームには、当たり前だが家具の類は配置されておらず、二人の目の前にはがらんどうになった部屋の空虚な光景が広がっていた。太陽光を受けたことでフローリングの上にうっすらと積もったほこりが可視化される。
純悟は思わずせき込んでしまい、口元を手で押さえながら目を細めた。
「随分と長い間、放置されていたみたいだなぁ。これは、掃除道具を持ってきて正解だったかもしれないな」
対し、結子は窓際から外の様子をうかがいつつ、「ふ~む」と唸っている。
「部屋自体はシンプルな作りだねぇ。窓からの景観も悪くないし、本来だったら買い手だってそこそこいそうなもんなのに。もったいないなぁ」
言いながら、彼女はつま先歩きで極力ほこりを踏まないように、純悟のすぐそばまで戻ってくる。純悟はそんな結子に気を遣い、持ってきたモップを使って手早く周囲の床だけでも積もったほこりを拭い、足場を確保した。
正直な所、純悟としては拍子抜けしてしまった、というのが本音だったりもする。
ここが問題の“事故物件”ということだが、見る限りではいたって普通のワンルームでしかない。てっきり、扉を開けた瞬間に“なにか”が襲い掛かってくるかと身構えていたのだが、まるで肩透かしを食ってしまった形である。
部屋自体の作りもかなりオーソドックスで、玄関から続く通路に風呂やトイレ、キッチンが隣接しており、その奥に正方形の六畳一間があるのみである。唯一、広めのクローゼットが設置されているのだが、結子がおもむろに開けると当然中には何も入っていない。
ほこりで汚れ切った部屋の真ん中で、なおも結子は部屋の隅々を眺め、なにかを考えているようだった。しばらくは純悟も彼女の邪魔をしないように黙っていたのだが、好奇心に耐え切れず問いかけてしまう。
「なあ。この部屋、本当に例の“事故物件”なのか? 見た感じ、なにもいないただの空き部屋に見えるけど……」
純悟の言葉を受け、結子は「う~ん」とこめかみをかき、なにかを悩んでいる。いつもの結子とは違う真剣な眼差しに、純悟も少しだけ圧倒されつつあった。
「いやぁ、確かに部屋の中には何もいないんだけどねぇ。けれど、なんだろう、これ。なんだか、“妙”な感じがするよ」
純悟が「妙な感じ」と繰り返すと、結子はこくりと頷く。
「この部屋自体には、変な“気配”はあるんだ。けれどそれが、どういうわけか酷くぼやけていて、はっきりとしないんだよ。間違いなく、“なにか”がいるみたいなんだけど」
「う~ん。けれど、これだけ簡単な作りだから、隠れられそうな場所もないと思うんだけどなぁ」
純悟の言葉を受けてもなお、結子はなんだか腑に落ちないらしい。すでに玄関近くにあるトイレや風呂場といった小さな空間も確認はしていたのだが、あいにく、そちらにも不穏な影を確認することはできなかった。
これまで幾度となく“怪異”相手に悠然と立ち振る舞ってきた結子を見ていただけに、純悟にとっても彼女のその困惑する姿が初めてで、どこか不安になってしまう。しかし、やがて結子は気持ちを切り替えるかのように、静かにため息をついた。
「まぁ、悩んでいてもしょうがないやね。ひとまず、私たちはやることをやろう。純ちゃんは手はず通り、とりあえずこの部屋の“掃除”をしておいてよ」
「ああ、分かった。あんたは、どうするんだ?」
「私はもう少し、色々な箇所を調べてみるよ。もしかしたら、秘密の抜け穴とかあるんじゃあないかなぁ」
急に荒唐無稽な内容を告げられ、純悟は目を丸くしてしまう。結子のその独特の緩急に相変わらず振り回されてしまうが、それでも彼は言われた通り、持ってきた道具を使って部屋の掃除を始める。
結子に告げられていた通り、彼女が“おまじない”をかけたという謎の液体でモップを濡らし、フローリングを拭いていった。床が終われば次は雑巾を使って壁を拭き、窓ガラスやサッシも丁寧に洗浄する。
純悟が作業を続けていると、窓の外からぽつり、ぽつりと雨粒の音が聞こえてきた。天気が怪しいとは思っていたのだが、どうやら本格的に降り始めてきたらしい。
相変わらず、気合を入れたいときに、これだよ――純悟は苦笑しながら、ひとまずは目の前の作業に集中していく。
結子はなおもあちらこちらと歩き回りながら部屋を眺めていたが、時折、純悟の手際を観察しては、まるで“監督員”のようにあれこれと指示を出していた。
「いいねいいねぇ。なんかこう、やっぱり“さま”になってるじゃあないのさ」
「そんな、大げさな……掃除なんて、誰がやっても大体おんなじだっての」
「そうはいかないよ。こういうのって、結構性格が出るもんだからね。純ちゃん、意外と几帳面でしょう?」
意外と、の一言が余計だったが、彼女の予測はおおよそ当たっている。純悟は苦笑いしながら、窓枠にこびりついていた油脂のような汚れをヘラで慎重に削っていった。
はじめはどうなる事かと思っていた純悟だったが、こうして“掃除”をやるだけで終わるというのなら、案外悪い仕事でもないような気がしてしまう。なんだかんだで、“怪異”と対峙しなくていいというならば、それが一番平穏に済むのかもしれない。
肩の力を抜き、角度を変えながらヘラでの作業に集中していた純悟だったが、不意に背後から聞こえてきた「カシュリ」という音に振り向いてしまう。飛び込んできたまさかの光景に、思わず手を止めて声を上げてしまった。
「おい、あんた――なに飲んでるんだよ」
目を丸くしてしまう純悟の前で、結子はいつの間にかどこかから取り出した“缶ビール”を開け、堂々と口をつけている。そのあまりにも場違いな姿に、思わず純悟は肩の力が抜けてしまった。
「なにって――ええと、『麦芽が香る、秋の採れたて生一番』だけど」
「商品名じゃねえよ! なんで、酒なんか持ってきてるんだってこと!」
うろたえる純悟の前で、結子は焦ることもなくきょとんとしている。だがやがて、彼女はいつも通りあっけらかんとした笑みを浮かべた。
「いやぁ、いつも一杯くらい引っかけておいた方が、調子が出るんだよね」
「いや、だからって……なにも、“事故現場”まで酒持ってこなくても……」
「大丈夫大丈夫、心配しないの。この前みたいに、泥酔するほど飲んだりしないからさぁ」
言いながら、結子はぐびぐびと缶ビールを飲み干していく。そのあまりにも傍若無人な立ち振る舞いに、純悟はため息をつくほかなかった。
しばらく、そんなでこぼことしたやり取りが続いたのだが、不意に結子が気付き、ポケットの中をまさぐる。見れば着信があったようで、彼女は缶ビールを片手にスマートフォンの画面を見つめていた。
「あれぇ、毛塚ちゃんからだ。なんだろうか?」
純悟が見つめる中、電話に応対する結子だったが、彼女はすぐに眉をしかめてしまう。「もしもーし?」と声を荒げる結子の姿に、純悟もなにか異変が起こったのだと悟ってしまった。
「どうしたんだ。毛塚さんからなにか?」
「ああ、いや。なんかこの部屋、妙に電波が悪いみたい。向こうの声がとぎれとぎれで、全然聞こえないよぉ」
しばらく通話を試みていた結子だったが、一向に状況は改善しないらしい。彼女はわずかに顔を紅潮させ、「ええい」と苛立ち始める。
「ああ~、やっぱり駄目だわ。ごめん、ちょっと外で通話できるか試してくるねぇ」
純悟の返答を待たずして、結子は足早に玄関へと歩き出す。だが、スマートフォンを見ながら歩いていたせいで、六畳一間と廊下を隔てる一枚のドアに頭から激突してしまった。
ずがんという鈍い音と、結子の「ぶへえ」という悲鳴が重なる。突然の事態に、純悟は目を丸くしてしまった。
「お、おい、大丈夫か? もしかして、もうかなり酔ってるんじゃあ――」
「だ、大丈夫だってぇ! この程度で飲まれるような、ちょろいお姉さんじゃあありませんからねぇ」
ろれつが回らなくなっているところを見ると、すでに十分、酒が体のなかを巡っているようだ。うすうす純悟も感づいていたが、おそらく結子は酒が好きでも、強い体質ではないのだろう。
激痛に額を押さえている結子だが、なんとか仕切り直し、去り際に純悟に告げた。
「このドアも、しっかり拭いておいてね。じゃあ、あとは任せたぁ」
「お、おう……」
結子が出ていった後も、しばし純悟はドアを見つめてしまう。あまりにも“いつもどおり”な結子の姿に、ここに来るまでに張り詰めていたはずの緊張の糸は、緩みきってしまっていた。
一人取り残された純悟は、彼女の言う通りドアも雑巾で拭き、隅々まで清掃していく。結子から渡された謎の“水”だが、特に変わった匂いがするわけでもなく、質感もいたって違和感はない。
案外、ただの水道水なのではないか――酔っ払いつつある結子の姿を思い浮かべると、自身が適当にあしらわれているだけなのではと、心配になってしまった。
邪推をしながらも雑巾を絞っていた純悟だったが、手元で滴り落ちる水の音とは別に、もう一つ、奇妙な“音”が響いていることに気付く。
不意に聞こえてきたそれに身動きを止め、思わず目を見開いてしまった。
しくしくと、誰かがすすり泣いている。純悟は呼吸を止めたまま慎重に、緩やかな動きでその音の方向へと視線を走らせた。
純悟の眼差しの先には、このワンルームに備え付けられた唯一の収納であるクローゼットが映りこんでいる。締め切られたその木製のドアの向こう側から、確かに泣き声が響いていた。
それは間違いなく、“女”の声である。
耳を澄ませると、より鮮明に、はっきりと女の嗚咽が漏れていることが分かった。
結子との何気ないやり取りで緩み切っていた体が、一気に戦慄する。電流のような衝撃が背筋を貫くなか、純悟は雑巾を慎重に手元に置きながら、丸眼鏡の奥を見つめてしまう。
気付くべきだったのか、あるいは気付かない方が幸せだったのか――とにもかくにも、純悟はそのクローゼットの扉を睨みつけたまま、腰を落とし気配を殺す。
先程、結子がクローゼットを開けた時、なかにはなにも入っていなかった。
だとすれば、今聞こえている、この声の主は――そこまで考えた時、ついに明確な“声”がドアの向こう側から響く。
「誰……今度は誰なの……なんで皆……そっとしておいてくれないの?」
甲高く、か細い女の声だった。純悟の鼓動が急加速をはじめ、全身が激しい熱を帯びていく。
結子はまだ電話をしているようで、帰ってくる気配はない。彼女を呼ぶべきかと思考を巡らせる純悟に、なおも“女”はすすり泣きながら、ぽつりぽつりと呟いていく。
「いや……いやだよぉ……怖い……怖いよ……」
その一言で、純悟のなかに湧き上がっていた恐怖という感情が、ほんのわずかに薄らいでしまう。部屋に響いていく微かな言葉を受け止め、思わずドアの向こう側にいる“彼女”について思いを巡らせた。
聞いている限りでは、この部屋で亡くなった“彼女”は、生前はどこにでもいる女子大生だったはずだ。大学に通いながら恋をし、そして手痛くふられたことに傷つき、この部屋で自ら命を絶ってしまったのだ。
きっと繊細な女性だったのだろう。その一度の失恋によってできた心の傷が、今もなおドアの向こう側にいる“彼女”に焼き付き、それが未練となってこの部屋に縛られ続けているのかもしれない。
純悟はここに来るまでに出会った、あの少年のことが忘れられない。
自分が死んだということに気付かず、生前と同じ思いに縛られ、ただただ彷徨い続ける小さな命と、今、クローゼットの奥で泣いている“彼女”に、なにか近しいものを感じてしまったのだ。
“霊”だからといって、そのすべてが悪しき者とは限らない。
そんな思いが、自然と純悟の体を突き動かしていく。気が付いた時には純悟は立ち上がり、意を決してクローゼットの向こう側に語りかけていた。
「あ、あの……あなたが、折笠梢さん――ですか?」
一瞬、すすり泣く声が止まる。だがすぐにまた、しくしくと悲しい音が響き、純悟へと問いが戻ってきてしまった。
「誰……誰なの? 怖いよ……もう、嫌だよぉ……」
「えっと――だ、大丈夫です。俺たち、あなたがここに縛られているって聞いて、やってきたんですよ。別に、あなたをどうこうしようってわけじゃあないんです」
純悟とて、結子が彼女を――“地縛霊”となった折笠梢をどうするのかは、分かりかねていた。だがそれでも、今はクローゼットの奥で怯え、悲しんでいる“彼女”を少しでも解きほぐそうと、慎重に言葉を選んでしまう。
純悟の語りかけに、静かに“彼女”は答えてくれた。心なしか、先程よりもその声色が弾んでいるかのようであった。
「本当に? あなたたちも……私を見て……怖がるんじゃあないの?」
「そんなことないですよ。俺たちは、あなたのことを知ってる。だから今更、怖がったりしませんから」
女の泣き声が勢いを失っていく。それが純悟にとってはなぜか少しだけ、嬉しく思えてしまった。
ふうと静かにため息を漏らす純悟に、なおも“彼女”は静かな波長で語りかけてくる。
「私……私、ここから出たい……この場所から……別の所に行きたい」
「そこから出られないんですか? 本当は、この部屋から出ていきたい、ってこと?」
無言ではあったが、なぜか純悟には向こう側にいる“彼女”が頷いたことが分かった。色々と状況が見えてきたことで、純悟は肩の力を抜き、自然体で接することができるようになっていく。
「ここから外に出たい……こんな部屋、もうたくさん……早く私、自由になりたいの……」
またもや“彼女”はしくしくと泣き出してしまい、思わず純悟も慌ててしまう。なぜか“彼女”が悲しんでいるということに、妙に胸が締め付けられてしまった。
なんとかせねば――純悟は妙な正義感に突き動かされ、気が付いた時にはゆっくりと目の前のクローゼットへと近付いていっていた。
一歩、また一歩と距離を詰めながら、彼はドアの向こう側にいる存在に優しく声を投げかける。
「大丈夫。それだったら、俺がなんとかするから。もう、なにも心配はしなくていいんだ」
純悟のその一言を受け、やはり向こう側の“彼女”の波長が揺らぐ。近付いてくる純悟に、どこか意外そうに“彼女”は問いかけてきた。
「本当? あなたが私を……助けてくれるの?」
「ああ、任せてくれ。俺、特別な力とかは持っていないけど、このドアを開けることくらいならできるよ。それに、外にはもう一人、ちゃんとした“力”を持ってるやつもいるんだ」
相変わらず結子は帰ってきていないが、もはや彼女の帰還を悠長に待つつもりもない。純悟は目の前にいる“彼女”の不安を少しでも取り除こうと、恐る恐る、ドアへと手を伸ばしていく。
純悟の言動が嬉しかったのか、ようやく“彼女”はすすり泣くのをやめた。クローゼットのドアに手をかける純悟に、至近距離から女の弾んだ声が響く。
「嬉しい……そんなこと言ってくれる人、初めて……だけれど、ドアは開けなくても大丈夫よ……」
「ええ、どうしてだい? ここから、出たいんだろう?」
「ありがとう……でもいいの……だって――」
すぐそばにいる“彼女”の意図するところが分からず、純悟は首をかしげてしまう。しかし、次の一言で“彼女”の真意が理解できた。
だからこそ純悟は――思わず、呼吸を止めてしまう。
「――ドアなら、私が開けられるもの」
純悟が「えっ」と声を上げた瞬間、クローゼットの隙間から“黒いなにか”が飛び出した。それは純悟の首に絡みつき、一気に体を突き飛ばす。
突然の事態に息をのむが、すでに“それ”は純悟の首をぎりぎりと締め上げつつあった。呼吸が遮られ、血流が遮断されたことで首に激痛が走る。純悟は両手で首に絡みつく“なにか”を掴み、必死に振りほどこうともがいた。
一瞬、なにが起こったのかを理解しかねていた純悟だったが、目の前に伸びる“黒”を見つめ、すぐに事態を把握する。
それは長い“髪の毛”だった。
クローゼットの隙間から伸びた髪の毛の束が、まるで長い“ツタ”のように純悟の首に絡みつき、凄まじい力で肉体を持ち上げている。純悟は反対側の壁へと叩きつけられ、身動きが取れなくなってしまった。
苦しそうにもがく純悟目掛けて、一つ、また一つと黒い髪の毛が伸びてくる。それらはあっという間に四肢にまで絡みつき、つなぎ姿の男を完璧に“磔”状態にしてしまった。
すでに鼓動は痛いほどに脈打っていたが、どれだけ肉体に力を込めようともまるでびくともしない。無数の髪の毛は純悟の肉体を完全に支配し、押さえ込んでいた。
苦しみ、もがく純悟の耳に、またしても“彼女”の声が響く。
これまでとはまるで違う、明るく、弾んだ波長で、はっきりと。
「随分と優しいのねぇ。あなたみたいな“馬鹿”な人――大好きよ」
純悟が目を見開くのと同時に、ついにクローゼットのドアがばたんと音を立てて開いた。その向こう側にいた“彼女”と、ようやく視線が交わる。
瞬間、純悟の全身を冷たい感覚が駆け抜けた。不意に対峙してしまった“それ”の姿に、呼吸を完全に止めてしまう。
クローゼットのなかはいつのまにか、おびただしい量の“黒”で埋め尽くされていた。それはぐねぐねとそれぞれのリズム、方向に動き、まるで無数の“蛇”が絡み合っているかのような、おぞましい姿で狭い空間に収まっている。
それがなんなのか、今の純悟にはすぐさま理解できた。自身を縛り上げる“それ”の正体を、嫌がおうにも汲み取ってしまう。
それは無数の髪の毛だ。
まるで触手のように意思を持ち動く髪の束が、ずるずるとクローゼットの中からフローリングの上に這い出てくる。
純悟はとっくの昔に、悲鳴を上げようと肉体を駆動させていた。しかし、髪の毛に縛り上げられているせいで、もはやまともに呼吸をすることすら叶わない。
そんな無力な純悟の目の前で、“彼女”はついに姿を現す。
無数の黒い髪の束のその中心から、ずずいと“顔”が迫り出してきた。実に整った顔立ちをしていたが、一方でその肌は異様に白く、まるで石膏人形のそれに見えてしまう。
生き物としての質感も、潤いも失った“彼女”――折笠梢は、かっと目を見開き純悟を見つめている。
その眼には、闇を塗りたくったかのような“黒”が大きく張り付き、こちらを覗き込んでいた。命を絶ち、なおもこの部屋にこびりついた彼女の魂そのものが、純悟を真っ向から見据えている。
苦しみもがく純悟を前に、彼女はにんまりと笑った。大きく開いたその口からは、まるで無遠慮な波長が漏れ、容赦なく純悟を責め立てる。
「随分と誰も来なくて、退屈してたの。大丈夫。すぐには壊さないよう、大切に遊んであげるからねぇ」
純悟はなおも力を込め、必死にあがく。だが奮闘むなしく、肉体はなおも壁の上に押し付けられ、身動きがとれない。
おびただしい量の汗を浮かべたまま、純悟は後悔してしまう。自身のなかに湧き上がったほんのわずかな正義感すら、目の前の“彼女”に利用されていたのだと、己が情けなくなってしまった。
なんとかしないと――なおも呼吸ができず、苦しそうにもがく純悟を、“彼女”は嬉しそうに眺めている。
自身の縄張りに迷い込んだ一人の男性を前に、折笠梢という“穢れ”はまた一つ、子供のような無邪気な笑い声をあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます