第6話 別れ
布団に潜った。潜っても、声は聞こえてくる。
「だいたいね、そうやってああすればいい、こうすればいいって言うけど。全部私がやるんじゃない。ネットで調べて協力した気になってるのかもしれないけど、余計にストレスなのよ!」
「君がゆいとの事をもっと理解してくれと言うから、私は色々調べて職場の同僚にも話を聞いたりしたんだ」
「酒飲みながら、さも自分は可哀想な旦那として話したんでしょうね」
「そんな事一言も言ってないだろう!」
「あなたは、理解のある夫のふりして全部私に押し付ける!私だって働いて、母親の前に1人の人間になりたい!毎日朝からゆいとの相手して、学校からはダメ出しばかりされて、気が狂いそうなのよ!」
「ゆいとの為に仕事を辞めると決めたのは君だろう!私は続けた方がいいって何度も言ったぞ!」
「そうするしかなかったじゃない!」
父さんと母さんが喧嘩をしている。
僕のせいで。
僕がいるから。
父さんは優しい。母さんも、きっと本当は優しい。
でも僕のせいで、2人は喧嘩ばかりだ。
上手くやりたい。ちゃんと言われた通りやりたい。
部屋片付け。明日の準備。ご飯を食べて、お風呂に入って。できる事なら一度も怒られず、母さんをイライラさせないでちゃんとやりたい。「すごいじゃない、頑張ったね」って褒められたい。
でも、できない。僕の頭の中には邪魔ばかりするモンスターがいる。そいつは僕の身体と心を好きなように支配して、気づいたらボーッとしてしまうし、身体がムズムズして変な事してしまう。ベッドの上で正座したままジャンプしていると落ち着くけど、母さんに「うるさい!」って怒られる。母さんは、ベッドでジャンプしたいと思わないらしい。
学校に行くと、キモ、って言われる。キモの意味はわかる。キモチワルイ。僕はそう言われると嫌な気持ちになるから、できるだけ皆んなと同じようにできるよう頑張る。でも、僕は同じようにしているつもりでも、皆んなからすると違うらしい。やっぱり、キモって言われる。
僕は病院でお医者さんと話す。病気だからだ。
母さんは、僕がベッドの上で跳ねることや、時間割りをちゃんと揃えられないこと、あとこの前ミニ児童館で歳下の子と喧嘩したことをお医者さんに話している。
薬が合わないんでしょうか?って聞いているけど、僕はなんで分かってくれないのかなって思う。
僕は、話しかけただけなんだ。でも、僕がキモチワルイのは下級生まで知れ渡ってるから、すごく嫌な態度をとられた。キモチワルイから、どっか行ってって足を蹴られた。だから僕は、大きい声を出してしまった。なんでそんな事言うのって。周りの皆んなにも分かって欲しかったから。僕が小さな声で何か言ったって、誰も聞いてくれないから。でも僕が大きな声を出すと、迎えに来た母さんが、ミニ児の先生とたまに担任の先生も来てなんか言われている。そんな時母さんは僕を庇ってくれるけれど、後から泣くんだ。僕は母さんに泣いてほしくない。話しかけただけなんだ、知らない子に話しかけてごめんなさい、って言えば、母さんは笑ってくれるのかな。あの子には、僕にはできない事が沢山できるのに、僕が歳上なだけで大きい声で文句を言ったら全て僕が悪いって言われる。大きい声出さなかったら、僕の言う事なんて皆んな無視するのに。正しい自分以外の人との距離感がわからない。僕は、仲よくしたいだけなのに。
今日も公園に来ていた。
母さんが学校に行かなくていいと言ってから、もう1ヶ月くらい経つ。一日中家にいると僕のせいで母さんがイライラしてしまうから、朝ごはんを食べたら家を出る。最近は、朝ごはんと一緒に千円くれるようになった。ポケットに千円を入れて、とりあえず公園に行く。朝の早い時間は誰も居なくて、貸し切りだ。もう低学年ではないからブランコに乗ろうとは思わない。でもたまに、ちょっと乗ってみる事はあるけれど。
ゆいとは昨夜、父さんに「父さんと一緒に、ばあちゃん家で暮らすのどう思う?」と聞かれた。
ばあちゃんはキュウシュウに暮らしていて、たまに会うけれど楽しくて優しくて大好きだ。
僕が「楽しそう。いいんじゃない?」と言うと、父さんは「そっか。じゃあそう言っておくな。絶対楽しいぞ」と笑ってゆいとの頭を撫でた。
「今日は晴馬さんくるかな」
ここしばらく雨続きで、晴馬さんは来なかった。雨の日の公園はいつもにまして人が来ない。コンビニで買った漫画雑誌を東屋で何度も繰り返し読んだり、お気に入りの作者の絵を漫画に直接描き込んで練習した。母さんはこういう雑誌を「バカになる」と嫌がるから、家に持って帰る事はできない。帰る時にゴミ箱に捨てた。東屋に置いておけば、他の子が読めるかなって思ったけれど、大人に見つかって怒られたら嫌なのでやめた。僕が思いついた事は、なぜか大抵怒られる事だから。
晴馬さんが前寝ていたベンチに座って、顔を上に上げて目を瞑った。強い日差しが、閉じた目にもオレンジ色の光になって伝わる。前に母さんと行ったスーパーで、同じクラスの勇輝君のお母さんと偶然会った。勇輝君のお母さんは「うちの子野球ばっかりで。真っ黒になってるんですよ」みたいな事を言っていた。母さんは「羨ましいわあ。子供ってそうあるべきよね。うちの子なんて運動も勉強もからっきしだから」と言い、ため息をついて僕を見た。
「やけろーやけろー」顔を上にあげて呟く。勇輝君みたく黒くなりたい。別にそれでスポーツが得意になるとかは思わないけれど、黒いだけでカッコいいと思う。できる事ならもっと太陽に近づいて、ガンガン黒くしたい。
「何やってんの?瞑想?」
横から知った声が聞こえた。目を開けると、ボヤッと輪郭が見える。「はー、疲れた疲れた疲れた、お疲れマンモス」その人は隣にドカッと座った。
「晴馬さん今日も仕事だったの」
「そうだよー。あがろうとしたら変なクレーマーおばさんに捕まってさ」手に持っていたコンビニの袋から缶ジュースを取り出してゆいとに渡してきた。
「この前の菓子のお返し」
「ありがと」
「なぁ知ってるか?世の中には、コンビニの弁当が不味かったらバイトのせいにしてくるヤツがいるんだぜ」
「えー、何それ」思わず笑う。
「笑っちゃうだろ?俺作ってねーからって」
「実際不味いの?それ」
「そんなもん人それぞれだろ。俺はけっこう好きでたまに買うし。不味い美味いなんてさ、それってあなたの感想ですよね?って話しよ」晴馬さんは有名YouTuberの真似をした。
「色んな人いるね」
「ほんとそう。接客なんてしてると、俺ってまだ常識的な人間なんだなってある意味安心するわ」
晴馬さんは靴を脱いで足の裏を揉み始めた。
「臭いよ」
「え、マジ?」
「ウソ」
このヤロー、と上半身をぶつけてきた。
「ずーっと立ちっぱなしだと足攣っちゃってさ。辛いのよ」そう言って握り拳で足の裏をグリグリしている。
「ゆいと、あれからまだ学校行ってないの」
「うん。母さんが学校行かなくていいって」
「そっか。ゆいとはどうしたいの」
「どうって?」
「学校行きたいのか行きたくないのか。ゆいとだってこうしたいって気持ちはあるだろ」
「うーん。わかんない。行っても行かなくても別に楽しくないし。そんな変わんないかな」
「そっか」晴馬さんは足揉みをやめて靴を履いた。ポケットから財布を取り出して、中から四つ折りにされた白い紙を取り出した。
「これ」ゆいとに差し出す。
「この前さ、帰りにゆいと連絡先聞いてくれただろ。でも俺教えれなくて。だから」
紙を開くと、名前、住所、電話番号、LINEのIDがパソコンで打ち込まれていた。
「LINEのIDだけでいいのに」笑ってそう言うと、「なぬ。じゃあ返せー!」と取り上げられそうになったので、慌ててポケットに閉まった。
「ボクさ、キュウシュウ行くかもしれない」
「九州?また遠いな」
「うん。おばあちゃん家でお父さんと暮らすかも」
晴馬さんは黙って聞いていた。
「多分、お母さんもうボクと一緒にいたくないんだと思う」
もらったジュースを開ける。ナタデココ入りヨーグルト風味飲料と書いてある。普通あまり好みの知らない相手に買ってくる物じゃないだろ。しかもよく見たら振ってから飲んで下さいと書いてある。もう手遅れなんですけど。
「ボクのせいで父さんも母さんも喧嘩ばっかだし。父さんははっきりとは言わなかったけど、母さんは行かないんだと思う」
「そっか」
「きっと僕はどこに行ってもうまくいかない。キモい転校生が来たって噂になって、皆んなをガッカリさせるんだ。どこに行ったって変わらない。母さんは、ボクと離れられたら嬉しいだろうけど」
「皆んなって誰だよ」
「皆んなは皆んなだよ。転校先のクラスメイトとか」
「お前は転校先のクラスメイトともう知り合いなのか?」
「なわけないじゃん」
「お前は預言者かエスパーか?」
「晴馬さんバカなの?あとさ、お前ってやめてよ。失礼だからね、人にお前って呼ぶの」
「バカって言う奴がバカなんだよ」
「小学生じゃん」
「立派な大人だバカ」
晴馬さんは、足元にあった小石を拾って座ったまま前方に投げた。
「ゆいと」
「何?」
「俺はさ、字がうまく書けない」
意味がわからなくて、晴馬さんの横顔をみた。別にふざけた感じでも、深刻そうな感じでもなく、晴馬さんは穏やかな顔で前を見ていた。
「ディスグラフィアって知ってるか?」
「知らない」
「だよな。ゆいとはさ、エジプトのファラオの棺に書かれている古代の文字とか見た事ある?別にエジプトじゃなくてもいいんだけど。なんか記号みたいな昔の文字」
「あー、あるよ。テレビとかで」
「うん。あれをさ、何十文字も正しい書き順、書き方で書けって言われたらどうする?」
「いや無理でしょ」
「だよな。俺それ」
よくわからない。
「読むのはだいたい大丈夫なんだ。キーボードで入力もできる。でも、書けない。平仮名も漢字も、俺にとっては見たこともない古代文字と変わらない。どこから線を引いて書くのかわからない。頑張って何度も書いて覚えればいいってもんじゃないんだ。何度書いても、文字が毎回新しい記号に見えるんだ。俺にとっては文字じゃなくて記号。努力うんぬんじゃないんだよな。脳みそがバグってるから」
「だからさ、ゆいとの気持ちちょっとはわかるよ」晴馬さんは苦笑いを浮かべてボクを見た。
「自分が周りよりできない事は、ゆいとが1番わかってるんだよな。ゆいとは利口な子だから、周りの気持ちにも敏感で、自分のせいでって自分を責めてるんだよな」
だろ?と晴馬さんは俺の顔をじっと見た。
オレは何も言えない。だって、自分のせいなのはその通りだから。
「俺の母さんもさ、俺がこんなんなのは育て方が悪かったんだって周りからめちゃくちゃ言われたみたい。幸い姉ちゃんのデキが良かったから、それにはかなり救われたって言ってた」
「お姉ちゃんいるんだ」ゆいとがそう言うと、晴馬さんは東京の超有名大学の名前をあげて、塾にも行かないで受かったんだぞ、すげーだろと自慢した。
「前に言ったろ。どうしていいかわかんなくなったら、周りの大人に手当たり次第相談してみろ。助けてくれる人がどこかに絶対いるから。いいか、ゆいとはチビでガキなんだ。両親が喧嘩するのだって、それは両親の問題だ。もしゆいとがいなくたって、また違う事でお父さんとお母さんは喧嘩してたと思うぞ」
「そうかな」
「そうだよ。世の中には喧嘩の題材なんて腐るほどあるからな。喧嘩の内容が問題じゃないんだ。何かを言い訳にして、お互いの不満をぶつけ合ってるだけだ。だからゆいとは気にしなくていい」
ゆいとがいなくたって、2人は喧嘩した。本当にそうかどうかはわからないけれど、そう言われると少し気持ちが楽になった。
「昨日ね、逢坂先生が家に来たんだって」
「逢坂先生?ああ、あの可愛くて美人な先生な」
「会った事あるみたいな言い方」
「会いたいぞ」晴馬さんがめちゃくちゃ真面目な顔で言うから笑ってしまう。
「ボクは家に居なかったから会えなかったんだけど、手紙をもらった」
ゆいとはポケットから便箋を取り出して晴馬に渡した。
「読んでいいの」
「うん」ゆいとは頷いた。
唯斗くんへ
お元気ですか?
しばらくお話ししていないね。
先生は、唯斗くん今頃何してるかなってよく考えてるよ。
唯斗くんが前に話してくれたマンガ、先生も今読んでいます。先生は主人公の弟子の女の子が好きだな。めちゃくちゃ強いのに、ちょっとドジなところでいつも笑っちゃうよ。
続きが気になって、どんどん読んじゃうね。
また、面白いマンガがあったら教えてね。
唯斗くんが先生のお部屋に来てくれるのはいつでもかんげいだからね。
おしゃべりしに、いつでも来てね。
唯斗くんの元気な顔が見れるだけで、先生は嬉しいです。
逢坂先生より
「いい先生だな。わざわざ家にも来てくれて」
晴馬さんはゆいとに手紙を返してそう言った。
「美人で可愛くて優しくて、最高かよ」
「別に学校には行きたいとかは思わないけど、逢坂先生には少し会いたい」
「オレ保護者ですって付いてっちゃダメかな」
「ダメでしょ」
2人で笑う。
「いるじゃん。ゆいとを気にかけてくれる人。これからも、どこに行ってもきっといるよ。力になろうとしてくれる人」
「そうかな」
「そうだよ。あーだこーだ嫌な事言ってくるやつなんか無視して、ゆいとがやりたいようにやってみろよ。大丈夫だから。うまく行かない事も沢山あるけど、そのうちいい事も絶対あるぞ。俺が保証する」
晴馬さんはゆいとの頭をわしゃわしゃ撫でた。
「しんどい時はいつだってLINEしろ。すぐ返信できるかはわかんないけど、絶対するから」
「うん」
ありがとう。唯斗は小さく呟いた。
ナタデココのジュースは、飲んでみるとめちゃくちゃ美味しかった。
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