第5話 家族
「北海道札幌市で夫を自殺に見せかけて殺害し、保険金をだまし取ったとして殺人と詐欺などの罪に問われた被害者の妻、伊里中知恵被告64歳の判決公判が28日に行われ、米田友紀裁判長は求刑通り無期懲役を言い渡しました。被告が殺害したかどうかが争点となりましたが、判決は被告は夫に隠れてギャンブルでの負債を溜め込み、それが夫の知ることとなり離婚を要求されており、殺害の動機があったと述べ、被告の犯行と認定しました。その上で事前に被害者に遺書を書かせるなど計画的な……」
「ねぇ、これって」
奈津子はご飯茶碗を落とさんばかりに傾けさせ、テレビを見つめた。
「いやまさか」私も妻が何を言いたいのかわかるからこそ、信じられない気持ちでテレビを観る。
「でも年齢も」
裁判中の被告人の似顔絵がテレビに写しだされる。夫婦で同時に息を飲んだ。
昔一階に住んでいた伊里中さん。風貌は当時の記憶と多少変わるが、かなり似ている。
「この事件知ってたか?」妻は茶碗と箸を持ったまま首を振った。「まさか」知ってたら話してるわよ、と呟いた。
「やっぱり、そうなのかしら。そんなに多い苗字じゃないわよね」
「どうなんだろう。わからない」
テレビのニュースはもう違う話題を流している。
「あれからご夫婦で北海道に越したのかしらね」
当時の妻の話が蘇る。確か、夜逃げみたいに居なくなったと言っていた。管理費を貰いに行って、そこで伊里中の奥さんは「バレたら夫に殺される」と言っていなかっただろうか。
「ご馳走様でした。風呂入ってくる。洗い物やるから、シンクに置いといてくれ」私は食器をシンクに下げると、リビングを出た。
奈津子は余程さっきのニュースが気になるのか、チャンネルをカチカチ変えている。こんな時はネットで検索した方が早いのだが、機械が苦手な妻は思い付かないらしい。だからと言って私も調べる気にはなれなかった。
「伊里中さんか。越してってもう何年になるんだ」
服を脱いで風呂場のドアを開けると、奈津子お気に入りのラベンダーオイルの匂いがした。身体を洗って湯船に浸かると、一日の疲れが湯船に溶けていった。
先日、長男の淳が実家に彼女を連れてきた。ショートヘアのモデルさんみたいにスタイルのいい子で、「若い時の母さんみたいだな」と言うと、「ね?本当男性って無神経よね?」と妻は長男の彼女に言って、彼女は苦笑いしていた。何が悪いのかわからないので、長男を見ると「若い時のっていらないんだと思うよ。例えそれが事実でも」と言ったものだから、長男は彼女に叩かれ、私は妻に睨まれた。彼女と妻はえらく意気投合したみたいだから、結果的に良かったではないか。
美穂は大学を卒業後そのまま大学院に進み、スクールカウンセラーとして小学校で働いている。我々世代にとって子供がカウンセリングを受けるのは、大事件が学内で起きた後であったりというイメージだったが、今はそうではないらしい。以前ご飯を食べながらそんな事を言うと「パパ古い。今はね、発達だったり家庭の事だったりもちろんイジメも。生徒もその親も、色々な内容でカウンセリングが受けれるの。一応予約制なんだけど、利用してくれる人毎日けっこういるんだよ」ま、私の評判がいいからかもしれないけど、と生意気に付け足した。
「でも彼氏とは上手くいかないもんなのねぇ」
「それとこれとは別なの!別に私あの人のカウンセラーじゃないし。だいたいね、あんなに人の話聞かない時点でカウンセリングも無理だわ。無理無理。ってかああいうタイプは自分は悩まないよ。相手を悩ませる事はあっても、自分は悩まないね。うん。」
先週彼氏と別れたばかりの娘の口からは、ツラツラと元彼の悪口が飛び出す。この子が職場でどんな風に他人の悩みに向き合ってるのか全く想像つかないが、親なんてそんなもんなのだろう。
「あ、パパさ、彼氏に買って貰ったワンピいらない?ゆったりめのやつだからパパ絶対着れるよ。ママは着ないでしょ?」
「あのブルーのやつ?ママには似合わないわぁ。いいじゃない、あなた貰っちゃいなさいよ」
「あー、じゃあパパのベッドの上に置いておいてくれるか?後で着てみるわ」
「はいはーい。もし着ないようなら雑巾にでもして」
そう言うと「ご馳走様ー」と部屋に戻って行った。その後ろ姿を見て、「あの子ももう28歳でしょう?いつまで実家にいるのかしら。子供部屋おばさんだっけ?ああいう風になんなきゃいいけど」とため息まじりに漏らした。
「美穂は美人だから一人暮らしは心配だよ。実家にいていい人見つけて嫁げばいいさ」
「もー、そんな事言ってたらあっという間に30代になっちゃうわよ。あなたの職場にいい人いないの?」
うーん、と私はしばらく考える。
「1人32歳独身彼女無しってやつなら知ってるけど、車オタクで給料全部車につぎ込んでるって噂だぞ」
「それは結婚向いて無さすぎね」妻は苦笑いをした。
「そうか、8年前か」ボーっと考え事をしていると、ふと思い出した。伊里中さんが越して行ったのは8年前だ。子供達が20歳の時だった。美穂がしょっちゅう車が欲しいだのなんだのと言っていた時期だ。
「もう8年も経つのか」ついこの前子供達の成人に合わせて家族写真を撮った気がする。今でもリビングの後ろの壁に飾られている。
子供達が成人した年のある夜、私は自分の女装癖を子供に打ち明けた。それまでは、子供達が寝静まった後に妻を相手に披露していた。妻はたまに私に似合いそうな女性服をプレゼントしてくれた。ある年の誕生日には、メイク道具一式をくれた事もある。「これ私のファンデより高いんだからね!」と自分からくれたのになぜかプスプスしていた。
子供達は私の話を黙って聞いたあと、顔を見合わせて吹き出した。冗談だと思ったのだろうかと、私がもう一度話そうとしたとき、美穂と淳は同時に口を開いた。
「とっくに知ってたよ」「うん」
「ごめんなさいねー。私も子供達知ってる事知ってました」妻が顔の前で手を合わせて言った。
「でも、あなたのタイミングで子供達に言うって大事な事だと思うし。お父さんが打ち明けるまで知らないフリしてようねって3人で決めてたの」
「高3の時かな。オレは美穂から聞いてさ。最初信じられなかったけど、今日なら鍵あるから父さんのクローゼットに入ってるキャリーケース見てみなって言われて」
驚いて美穂をみると多少気まずそうな顔をしている。
「いやだって、子供なんてこっそり色々見るものでしょ。ちなみに私は中2から知ってたよ」
まさか。嘘だろ。なんでカミングアウトした人間が1番衝撃受けてるんだ。
「父さんさー、手帳にキャリーの鍵入れてるじゃない?んでたまに手帳家に忘れてくし。用途不明な鍵を親が持ってたら、そりゃあ家探しするじゃなーい」
「あら、また手帳に鍵入れてたの?勉強しない人ねぇ」妻が心底呆れたように言った。
全くその通りすぎて返す言葉がございません。
キャリーケースに全ての女装グッズを隠していました。
「でさ、パパはどうしたいの?」
「どうって」
「だからね、今まで通りママに見せて満足なのか、私達に打ち明けたって事は普段から女装したいのか」
「いや、そのつもりはない」
私は別に日常生活でそういった事をしたいとは思わない。あくまで非日常で楽しみたいのだ。
「オレはさ、父さんが家の周りとかオレの知り合いの前でそういう格好するのは嫌だな」
「淳頭かたーい。私は別にいいよ。友達連れて来た時パパがボディコン来てテーブルの上で踊っててもぜんぜん」
「パパはそんな事をした事はない」
「ママはね、以前から思ってたのは旅先とかいいんじゃないかって」
妻からの以外な提案に驚く。
「旅先で女装するのか?」
「そうよー。いいじゃない、京都に行けば観光客が着物着て歩いてるでしょ?あんな感じよ」
「だいぶ違うと思うけど」淳が冷静につっこんだ。
「パパね、昔から比べるとすっごく上手く着こなすのよ。カツラなんかもこだわっちゃって。お化粧だって、学生風とか教師風とか、ママより上手いわよ。勿体無いじゃない。一生ママ相手にだけ披露するなんて」
「私賛成!旅の恥は掻き捨てって言うしね。私もパパの違う姿見てみたい!」
「オレはちょっと離れて歩くかも」
「なんなら淳も女装してさ、全員女の女子旅にしちゃってもいいんじゃない?」美穂の悪ノリに「なんでだよ!」と淳は手に持っていたクッションをぶつけた。
「まぁ、旅先だからってあんまり過激なのはお巡りさん来たら困るしダメよ?普通の女装くらいなら誰にも迷惑かけないし、いいと思うのよ」
「え、パパ普通じゃない女装もするの?」
「そうよー。ママが最初に見たやつなんてね」
私は「ありがとう!風呂に入ってくる!」とその場を逃げた。
それから8年。未だ旅行で女装は披露していないが、妻と娘からは「やればいいのに」と不満そうに言われる。キャリーケースに閉まってあった衣装は、今や堂々とクローゼットの半分以上を占拠していた。美穂がたまに「パパ!白のマキシワンピ借りる!」と私の返事を聞く気も無く持っていき、「彼氏に似合うって褒められちゃったー。パパこれ貰っていい?」と決定事項で言ってくる。彼氏も、まさか父親のワンピースを褒めたとは思っていないだろう。
「どうやっていけばいいか一緒に考える事はできる。まだ、具体的にはわからないけど、これから少しずつ考えていけばいい事だと思う。家族なんだから、少しずつでも理解していきたいよ。お願いだから、隠さないで」
あの夜、妻がそう言ってくれてから28年経った。妻はその通りに、受け入れて、一緒に考えて歩んでくれた。
私は、自分を世界一幸せな夫だと思っている。
これから残りの人生、妻も自分の事を世界一幸せだと思って生きて欲しい。私は後6年で仕事を定年退職する。そこから、新たな仕事が始まるのだ。とても幸せな仕事。世界中妻が行きたい場所に全て行って、妻がやりたい事を全て叶える。料理教室にも通って、毎日妻に料理を振る舞おう。自分の命ある限り、彼女の笑顔を絶やさないために生きる。
「あなたと結婚して良かった。産まれ変わってもまた一緒になりましょうね」どちらかが最後の時、もし妻にそう言ってもらえたら。私は文字通り天にも昇るだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます