第2話

 小学生になった七海は、他の子供達より圧倒的に美しい少女だった。


 親馬鹿のそしりを受けようとも構わないと胸を張れるくらい、聡明で快活で、それでいて子供ならではの愛らしさも併せ持った、完璧なる美少女だったのだ。顔のパーツは所々明らかに俺の遺伝子を受け継いでいるのに、なんでこんなにも整っているんだよと訝しみたい気持ちもあるけれど、多分俺と妻の良いところを全て受け継いだ挙げ句、更にそれを限界まで昇華させたのは彼女自身というか、生まれ持った才能なのかもしれない。


 六歳の美少女の父親である俺は、自慢の娘を自慢したい気持ちは十二分にあったけれど、でも同時に独り占めしたいような気持ちもあって、職場の同僚や友人に会わせることはなかったものの、片親だからって寂しい思いをさせないようにと、とにかく色んな場所へ七海を連れて行った。


 ディズニーランドは毎年最低ニ回は行っていたし、夏になると湘南や江の島に、冬には新潟まで行ってスキーを楽しんだ。足がもつれて初心者コースですら何度も転んでしまう俺を笑いながらも一緒に滑ってくれる七海は、一日目で上級者コースを綺麗なパラレルターンで滑り降りてくるほどにまで上達し俺を驚かせる。


 運動神経にまで恵まれている我が娘の弱点が知りたくもあったけれど、俺は娘が完璧超人であることをどこかで望んでいて、俺自身が何の取り柄もない人間だからこそ、才能に満ち溢れた娘に期待を寄せたくなったのかもしれない。


 しかし、俺は娘が将来どんな仕事に就こうとどうでもいいとも思う。

 オリンピック選手だろうが、モデルだろうが科学者だろうが公務員だろうが、やりたいことをやればいい。俺は勝手に期待はするが、彼女の目指す未来を全力でサポートするだけだ。余計な口出しは一切するつもりはない。


 そんなひそやかな決意が功を奏したのか、七海は文武両道、才色兼備を地で行く『選ばれし者』的人生を邁進していく。

 十歳になる頃には、朗らかで明るい性格な七海の周りには常にたくさんの笑顔があった。友達が多いけれど、仲の良さにランクをつけることもなく、みんなと平等に付き合っていた。


 社交性まで手に入れてしまった七海はまさに無敵で、そんな七海に対して嫉妬心からの敵愾心をむき出しにしていじめてやろうなんていう不埒ふらちな輩も出てくるけれど、七海の人徳は七海の預かり知らないところでそいつらを蹴散らしてしまう。


 圧倒的な魅力と能力で全てを手に入れた七海は、中学一年生になると、どこか大人びた表情をする女性へと変貌していた。


 七海はやっぱり友達が多くて、別の小学校だった子ともすぐに仲良くなってしまう。更に、バスケ部に入って一年の五月にはレギュラーになり、またも嫉妬から今度は先輩に目をつけられてしまうが、彼女の運動神経は後輩イビリなんかではどうしようもできないほどの圧倒さで、最終的にはその『可愛がり』を仕掛けてきた先輩すら魅了し、全国大会で準優勝に終わった時にはベンチ入りしていたその先輩と抱き合いながら涙を流していた。


 勉学も当然のように全ての教科でほぼ満点を連発し、中三で行われた三者面談では担任が俺に見せた高校のパンフレットは全て偏差値が七十以上の高校だった。

 スポーツ推薦だって余裕だからそれでもいいですよみたいな軽い感じで言われて俺は少しムッとしてしまう。


 そんな簡単に人の娘の人生を決めるなよ。お前らは少しでも偏差値の高いとことか有名校に入れたいんだろうけど、俺の娘の人生は俺の娘が決めるんだ。


 俺でもお前でもない。七海が決めるんだ。

 そう啖呵を切りたくなった俺を遮るように、七海はうちから二駅ほどの距離にある、何の変哲もない都立高校に行くつもりだと俺と教師に告げた。


 それまで全く進路の話なんてしたこともなかったから、ああまあ七海の中で決まってるなら別にそれでいいよとか、俺こそ軽く考えてた感もあるけれど、でもその高校は偏差値は五十位だったし、スポーツが有名でもなくて、至って普通の学校だったので少しだけ意外ではあったけれど。


 ――思えば小さい時から七海は不思議なくらいに無欲な子供だった。

 誕生日プレゼントはなにがほしいかと訊くと、必ず「なんでもいい」と言って俺を困らせるんだけど、でも彼女のなんでもいいは本当になんでもよかったみたいで、何をあげてもめちゃくちゃ喜んでくれるので、彼女の誕生日に毎年俺は泣いてしまう。


 七海にありがとうと言われると、俺は父親としての義務やら責務を果たせているという自己肯定感に浸ることができて、そしてそれは俺が無意識に最も望んでいた感情でもあって、しかも俺は七海がそれに気付いていて、敢えて俺が欲しい言葉を言ってくれていることを知っているので余計に涙が止まらない。


 こんなに幸せでいいのかってくらい幸せを噛み締めながら、七海は特に苦労することもなく淡々と高校入試をクリアし、晴れて女子高生となる。

 なんで七海が家から近い都立でしかも女子校を選んだのかという理由は、中学の卒業式の帰り道に彼女が教えてくれた。


「だって授業料安いし。自転車で通えるから電車代もかからないし」


 なんだよそれ俺に気を使ってたのかよ馬鹿野郎なんて思うわけもなくて、やっぱりそうだよなという感想しかない。


「ちなみに女子校の理由は?」と尋ねると「安心でしょ」と笑った。


 まあ、正直世の中に何人父親がいるからは知らないが、ほぼ全ての父親は娘の彼氏なんて見たくもないはずだし、まして結婚なんてことになったら卒倒してしまうか、もしくは相手の男を殴り倒してしまうかのどちらかしか選択肢はないし、でも、とはいえ一生独身でいろだなんて言えないし、やっぱり娘には幸せになってほしいからなんだかんだで結婚を許して祝福してやるしかなんだよなみたいなジレンマを抱えているはずで、七海の結婚式で泣きながら下手くそなスピーチをしている自分を思い浮かべながらふと、妻の両親を思い出す。


 きっと義父はあの時こんな感じで俺をぶん殴ったんだろうな。


 そう考えるとあの蛮行だって許してしまいたくもなるけれど、俺はとっくに許していて、というかもう離婚してしまったんだし今更許すもなにもなくて、というかそもそも娘を幸せにしないとぶっ殺すからなと言われてたのにあっさりと離婚してしまったので、むしろ許さないは向こうのセリフなんじゃないだろうか。


「おじいちゃんのこと思い出してるの?」と、さとすぎる七海は俺の顔を覗く。

「なんでわかった?」

「なんとなく。遠い目してたから」


 そんなことで俺の脳裏に浮かんでいた相手が誰であるかを看破かんぱした七海は更に読心術までも身につけているのかと、最早戦慄するしかなかったけれど、「いや、普通わかるでしょ。親子なんだし」という、科学的な根拠は全くなさそうな理由で俺の心を読んだ種明かしをする。


「俺は七海の考えてることわかんないよ」

「そりゃあそうだよ」


 俺はちょっとショックを受けそうになるけれど、それは七海が許さない。


「私はわからないようにしてるから。でも、わかってほしいことは全部わかってくれてることを私はわかってるから、それでいいの」


 んん……? わかってほしいことを俺がわかってて、でもそれを七海がわかってて……早口で言われたせいもあっていまいち理解できていない俺を見て「ま、気にしない気にしない」と思考を遮った七海は、卒業祝いに俺の得意料理であるジャンバラヤとラム肉の香草焼きをリクエストした。

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