第7話

 夜明け前のピリリとした空気にアリスは背筋を伸ばした。

 首都ガーデルンから少し離れた草原に馬に乗った騎士達が集まっている。皆都を出てすぐに鎧に着替えていた。

「これから村や街を迂回しながらケムル山脈に向かいます。明日の昼過ぎには麓に着くでしょう」

 隣に馬を構える副団長のリハミルがアリスの方を見てそう言った。

 カサン率いる騎士団は総勢52名。鎧を着て剣を携えた姿は壮観だった。

「こんなに大勢で移動して怪しまれないかしら」

 アリスの質問にカサンが答えた。

「この辺りの民は騎士達を見慣れています。訓練だとでも思うでしょう。危険なのは麓に近くなってからです。王から命を受けた兵などが辺り一体を見張っているでしょうから。アリスの顔が描かれて手配書の件もあります。人と行き合った時などはできるだけ顔が見えないようにして下さい」

 アリスはまた布を頭からすっぽり被っている。「わかりました」と頷いた。

「出立!」

 カサンの掛け声で騎士達は馬を歩かせ始めた。

 アリスは腰を支えてくれる彼の腕を意識してしまう。昨夜抱きしめられた彼の腕は、逞しくて優しかった。布団に入ってからもカサンの腕や唇を思い出しなかなか寝付けなかった。

「愛しています」自分の口からスルリと出てきた言葉。気づけばアリスは17歳になっていた。母さんがアリスを産んだのが19歳だから、そんなに離れていない。もし無事に帰れたら、彼との未来が待っているのだろうか。胸元のポケットに入れてある小さな袋にはカサンの誕生石が付いた髪飾りが入っている。アリスは服の上からそっとそれを触った。

 今は扉の事に集中しないと。

 深呼吸をしてまだ薄暗い前を見つめた。


「あの遠くに山が連なっているのがケムル山脈です」

 次の日、朝日が昇り周りが明るくなると遠くの方に山が見えた。

「日が高いうちに麓に着けるでしょう」

 馬の足は順調に進み、たまに行商人の馬車とすれ違うくらいしか人にも会わなかった。

 朝方などは長袖を着ていても少し肌寒く感じる。カサンが裏地に獣の毛がつけられた厚めの外套を貸してくれた。

「我々は鎧の中にも着込んでいますので。山脈の途中からは雪があるかもしれません」

「雪は本で読んだことしかないわ」

「この国にはほとんど降りませんからね。私は昔違う国で一面の雪景色を見た事があります」

「やっぱり寒いの?」

 アリスの質問にカサンは少し笑った。

「そうですね。確かにとても寒かったが、それ以上に見える限り白い大地は美しかった」

 アリスは見渡す限りの白い世界を想像しようとしたが、うまく思い描けなかった。

「世界は広いわね」

 そう呟くと「貴女にもいつか見せてあげたい」とカサンが小さな声で言った。

 昼過ぎ山脈の麓に着いたアリス達は馬を降りた。

「ここから少し歩き今は使われていない坑道に入ります」

「他の騎士団の人達と鉢合わせしない為ね」

「そうです。それでも万が一の事がある。決して私の近くを離れないで下さい」

 所々傾斜のキツいゴツゴツした岩肌が続く。アリスはすぐに呼吸が乱れたが、重い鎧を身に付けているはずの騎士達に疲れた様子は全く無かった。

 周りに生えている木々はアリスの知らないものも多い。産まれ育った村からとても遠くに来た事を否応なく感じた。

「あそこです」

 近くにいた騎士が前の方を指差した。

 岩肌にぽっかりと暗い闇が覗いている。

「この辺の坑道は複雑に入り組んでいます。一応昔鉱夫が使っていた地図はありますがはぐれないよう細心の注意して進みましょう」

 騎士達が荷物から松明を出し火をつけた。

 坑道の入り口は木の根が垂れ下がり、湿気った土の臭いが奥から漂っている。

「行きましょう」

 何名かの騎士達が垂れ下がる木の根を炎で焼くように松明を揺らしながら中に入って行った。

 アリス達もそれに続く。

 大人2人くらいなら並んで進めそうな程の広さの坑道が奥へ奥へと続いている。たまに横の壁から細い湧き水がチョロチョロと流れていた。

「ここは使われなくなってどのくらい経つの?」

 アリスは隣を歩くカサンに聞いた。

「多分30年近くは経つでしょう。私が子供の頃にはケムル山脈の鉱石は掘り尽くされたと聞いた事があります」

「そう」

 昔はこの暗い坑道の中で大勢の人が働いていたのだと思うと不思議な感じがした。今は騎士達とアリスの足音だけが中に響いている。

 ぬかるんだ岩肌に足を滑らせないように注意深く進む。途中2度ほど休憩を挟み、ある程度の大きさの空間に出た。上を見上げると高い位置に外と繋がる小さな隙間があるらしく、そこからぼんやりと光が差している。

「少し早いですが軽食にしましょう。次いつ開けた場所に出られるかわかりません」

 リハミルの合図で騎士達は荷物を下ろした。

「デュード、数名連れてこの先の偵察に行ってくれ」カサンが近くにいた騎士に指示を出す。

 それぞれが場所をみつけて腰を下ろすと広間は一気に手狭になった。

 ウサギの燻製肉と硬いチーズが配られる。アリスは自分の水筒から少しずつ水を含みながらそれをお腹に流し込んだ。

 その時だった。遠くの方から大声が聞こえた。何かを叫びながらこちらに走ってくる。周りの騎士達は一斉に剣をとり立ち上がった。

 だんだんと声がはっきりしてくる。

「アローワンだ!アローワンの群れが来るぞ!」

 声を聞き取った騎士達が松明を構えて声がする方へ駆け出した。

「早く来い!通り道を燃やす!」

 偵察に行った騎士達がアリス達のいる空間に駆け込んで来るのと、騎士達がその後ろめがけて松明を放り投げるのはほぼ同時だった。

 何かに引火したかのように松明が投げ込まれた辺りに激しい炎が噴き上がる。

「下がれ!下がって燃え尽きるまで待てば大丈夫だ!」

 カサンがアリスを背に庇いながら叫んだ。

 あっという間に広間の三分の一くらいが炎に包まれる。チリチリとものが焼ける音と酸っぱい臭いが坑道に充満した。

 しばらくしてだんだんと火は小さくなってきたが黒く焼け焦げた跡がまだ燻っている。

「アリス、大丈夫ですか」

 カサンが顔を覗きこんで聞いてきた。

「ええ。あれは何?姿が見えなかった」

「アローワンは小指の爪程の虫です。数千匹が群れになり、酸性の唾液で獲物を溶かします。体内に巣を作る為の油を溜め込んでいるので、一旦群れに火を放てばみるみる燃え尽きます。狭い場所で襲われてなくて幸運でした」

 無理に燃やそうとすれば我々が大火傷を負ってしまいますから、とカサンは言った。

「しかし隊長」

 横からネルが口を挟んだ。

「アローワンは湿気のあるこういった場所は好みません。それに今は新しい巣を作る時期です。巣の材料になる鳥の糞などもこんな場所では調達できない」

「わかっている」

 カサンはアリスの方をチラリと見て眉を顰めて言った。

「これも奴らが仕込んだ罠の可能性がある」

「動物だけでなく虫も操るのでしょうか」

「確証はないが」

 アリスはその会話を聞いてあの夜のガムルーを思い出した。腕に鳥肌が立つ。

「もしそうだとしたら早くこの場を去った方がいい」

 カサンは部下達にすぐに出発すると指示を出した。

 焼け焦げたアローワンの上を歩くと、ザリっという感触が足の裏を伝わって気持ちが悪い。アリスは出来るだけ爪先立ちでそこを超えた。

 どのくらい歩いただろう。太ももがピクピクと痙攣している。アリスは頬を掠める新鮮な外の空気を感じて顔をあげた。

 前の方が坑道の暗闇とは違うぼんやりとした明かりに照らされている。そこは月明かりに照らされた外だった。

 坑道の出口からまた更に歩き、ある程度離れた場所に騎士達は荷物を下ろした。

 アリスも近くの木の根元に腰を下ろす。もう少しも歩ける自信がない。

 カサンが荷物の中から毛布を渡してくれた。

「疲れたでしょう。何か食べれそうですか」

 アリスは力なく首を振った。カサンは部下から小さな器に入った液体を受け取ってアリスの元に持ってきた。

「薬草と発酵酒を合わせたものです。決して美味いものではありませんが身体が温まります」

 一口含むと咽そうになる程強烈な味がしたがアリスは一気に喉に流し込んだ。

 カサンに礼を言って器を返すと木に背を預けて目を閉じる。先程の液体のせいか疲れのせいか頭の中がフワフワとしている。騎士達の動く音を聞きながらアリスの意識は沈んで行った。


 肩を揺すられる感覚で目を開けた。

「アリス。ビルビルが近くにいる。急いで出発します」

 その言葉に一気に目が覚める。

「坑道の周りをウロウロしています。動きがおかしい。多分操られているとみて間違いないでしょう」

 思ったより深く眠っていたらしく、辺りはもうぼんやり明るかった。

「なるべく音を立てないで下さい」

 騎士の半数近くはもう歩き出していた。アリスも素早く荷物をまとめてカサンと並んで歩きだす。

 しばらく歩くと岩場に枯れた木が密集した場所に出た。

「本来なら今日も坑道を行く予定でしたが計画を変えました。奴らが虫の群れも操ってこちらの情報を得ているとすれば逃げ場の少ない場所は返って危険ですから」

「どうするの」

「最短を行きます。奴らは昨日の経験から我々は坑道を進むと思っているでしょう。しかし今日は川沿いに歩き、途中橋を渡って扉のある山脈の中腹に向かいます。うまくいけば一気に距離を稼げます」

 うまくいけば。その一言が怖く感じたが考えてもしょうがない。アリスは頷いた。

 川沿いは大きな岩がゴツゴツと飛び出し、進むには昨日とは違う辛さがあった。どんな地形でも鎧を着たまま身軽に動く騎士達がアリスには信じられない。

「鎧って意外と重くないのかしら」

 アリスのそんな呟きに前を歩いていたリハミルか笑った。

「そう見えるのでしたら日々の訓練の甲斐もあるというものです」

 アリスは顔が赤くなった。

「ごめんなさい。騎士の皆さんがあまりに身軽に動くものだから」

「いえいえ。我々も兵士になってしばらくは鎧を着たまま剣を振り回す事さえ碌にできません。こんな物着けない方がうまく戦えるのにとよく愚痴を言い合っていましたよ」

「リハミルさんは騎士になって長いの?」

「私は騎士は6年目になります。それまでは首都周辺の警備隊に所属していて、27歳の時試験に通り騎士になりました。カサン団長は史上最年少の若さで騎士になりましたから、騎士歴は私より長いのですよ」

「リハミル、前を向いて歩かないと舌を噛むぞ」

 隣を歩いていたカサンがぶっきらぼうに注意をした。

 リハミルはそんなカサンに臆する事もなく前を向いたまま話し続ける。

「カサン団長は最年少で騎士の試験に受かり、最年少で団長に任命された方です。凄いんですよ。剣の腕では全騎士団の中でも勝てる人間はまずいません。まぁ男前で言えば私の方が紙一重勝っているかもしれませんが」

「リハミル!」

 カサンが前を歩くリハミルの尻の辺りを軽く蹴った。

 おお怖い、という笑い声が前から聞こえてくる。

「カサンは何故騎士になったの?」

「……私の家は代々騎士の家系なのです。祖父も騎士団長を勤めていました。私は小さな時から騎士になるべく父親から手解きを受けて育ちましたから。良くも悪くも騎士を目指す事以外選択肢はありませんでした」

 アリスはアンヌの言葉を思い出した。カサンのお母さんは早くに亡くなり、厳しい父親に育てられたと話していた。子供らしくいられない環境の中成長したと。きっと、色々な葛藤を抱きながらも努力を重ねて今の騎士団長という地位についたのだろう。

 アリスはカサンの横顔をそっと見上げた。兜から少し出た紺色の髪の毛と前を見据える空色の瞳。アリスの胸がトキリと鳴る。いつか、もっと彼の事を沢山聞きたい。アリスはそう思った。


 その日の夕方、アリス達は大きな橋がある場所にでた。

 川幅は広く流れも早い。

「ここを渡れば明日の日暮れ前には扉までたどり着けるはずです」

「いよいよそんな近くまで来たのね」

「もう少しです。大丈夫、ここまで順調に来ています」

 励ますようにカサンはアリスに微笑んだ。

「5組に分かれて順番に橋を渡る。先に渡った者は周辺の警戒を怠らないように」

 最初の組みが橋を渡っていく。対岸に渡り切ったのを確認してまた次の組みが続いた。アリス達は3組目に渡る事になっている。

 2組目が渡り切った時だった。後ろから「ビルビルだ!」という大声がした。振り返ると騎士達が2匹のビルビルと剣を抜いて向き合っていた。灰色の体をウロウロと動かし牙を剥き出して威嚇している。

「アリス!急いで橋を渡るんだ!」カサンがアリスの手を掴み走り出す。橋の中腹まで来た時、対岸にも動きがあった。どこからか鎧を着けた騎士達が躍り出て先に橋を渡ったカサンの部下と剣を交えだす。

「第一階梯聖騎士団です!」

 カサンの部下の騎士の声が響いた。

「待ち構えていたな」

 カサンが舌打ちとともに走りながら呟いた。

「アリス、突っ切るしかない。私から決して離れないで下さい」

 アリスは剣を抜いて走るカサンの後ろに懸命に付いて行った。もう少しで渡り切るかという時、橋が大きく揺れた。後ろを見ると1匹のビルビルが跳躍し騎士を乗り越えて橋に着地したのがわかった。

「団長!行って下さい!」

 アリスを守るように後ろを走っていた数名の騎士がビルビルの方にとって返した。

「アリス!こっちだ!」

 カサンが剣を混じり合う騎士達の中を縫うように進む。時折り向けられる剣は片手で防いだ。

「あそこの林に走ります」

 カサンはアリスの腕を掴んで走る速さを上げた。

 その時2人の前に1人の騎士が躍り出た。カサンはアリスを背に庇い剣を構える。

「サザバル騎士団長」

「カサン。どういう事だ」

 カサンに名前を呼ばれた騎士は鋭い眼光を彼に向けた。

「そこにいるのは国を危険に晒すという女だな」

「違う。彼女は神に選ばれた聖女だ。王は操られている」

 剣先をカサンから逸らさずにサザバルは鼻で笑った。

「聖女はもうすぐこの山脈にある扉から現れる。今まで悪しき力にそのお姿を隠されていたのだ」

「王がそう仰ったのか」

「そうだ。そこにいる女はそれを妨げる悪しき力の化身。決して扉に行かせる訳にはゆかぬ」

 サザバルの剣が閃きカサンの剣と鋭い音を響かせてぶつかり合った。

「アリス、あの林に走って下さい。貴女は私と初めて会った夜お友達を呼びましたね。その力を使って安全な場所にいて下さい。絶対に見つけ出します」

「行かせるか!」

 角度を変えてまた剣がぶつかり合う。

「アリス!行くんだ!」

 カサンのその声を背にアリスは走り出した。

「女が逃げるぞ!追え!」

 部下に怒鳴るサザバルの声が聞こえる。

 アリスは前だけを見てがむしゃらに走った。木々の中に転がり込む。アリスは立ち上がってなおも走り続けながら祈った。

 お願い、来て。来て。お願い!

「来て!」

 近くを動物の走る音がする。アリスが音の方をみると真っ白い大きな鹿が隣を並走するように走っていた。アリスは迷わず鹿の首にしがみついた。鹿はそのままアリスの体をグイッと持ち上げ走るスピードを上げた。

 一時でいい。安全な場所で匿って。追っ手の来ない場所へ。お願い。

 アリスのそんな心を読むように鹿はぴょんぴょんと木々の合間を走って行った。


 日が沈む。小さな洞窟の中でアリスは白い鹿と身を寄せ合っていた。ずいぶん冷える。鹿は首を上げたまま地面に座り目を閉じている。アリスは体を出来るだけ鹿にくっつかせるように座った。

 どのくらいの時間が経っただろう。カサン達は無事だろうか。追っ手がどのくらい迫っているかもわからずカサンの絶対に見つけ出すという言葉を信じて待つしかない。薄暗い林の中に時折り鳥の声のようなものが聞こえた。心なしか吐き出す息が白い。

「貸してもらった外套がなかったら凍えていたわね」

 アリスは呟いた。

 外はどんどん暗くなり、洞窟から覗く遠くの空には星が瞬いている。

 その時鹿がピクリと動いた。

 頭を動かし耳をそば立てている。

 追っ手が来たのかとアリスの鼓動が早くなった。

 鹿は立ち上がって洞窟の入り口に向かうと、そのままどこかに走って行ってしまった。

「待って!」

 急に1人になってしまった心細さがアリスを襲う。洞窟から出て辺りを見渡しても月は雲で隠れ暗闇ばかりで何も見えない。

 アリスは洞窟の奥に戻って膝を抱えて座った。

 頭の中に父さんと母さんの顔が浮かぶ。カサンは2人にアリスは行方知れずだと話したと言っていた。まさかこんな村から遠く離れた山奥にいるなんて思ってもいないだろう。ガムルーに襲われてもう生きてはいないと諦めているだろうか。

 いや、きっと父さんと母さんはずっとアリスを待っている。どんな事があっても無事を信じて毎日祈ってくれているはずだ。

 リナの意識は戻っただろうか。元気になって今頃村で過ごしていてほしい。

 アリスの頬を涙がつたった。

 皆んなに会いたい。

 カサンには全てが終わったら胸を張って会いたいと言ったが、1人ぼっちで暗闇に囲まれていると弱い気持ちが溢れてくる。

 涙をかじかむ手のひらで拭った時だった。

 パキパキと大勢の何かが近づいてくる音がする。

 アリスはハッとして洞窟から顔だけ出して辺りを伺った。

 木々の合間に松明の光が揺れている。

 緊張したも束の間「アリス!アリス!」と囁くように呼ぶ声が聞こえてアリスは洞窟を飛び出した。

 それはカサンの声だった。

「カサン!」

「アリス!無事でしたか!よかった。相手が手強い上に騎士達を撒くのに時間がかかってしまった。すまない」

 カサンの後ろには20人程の部下がいた。立派な髭を蓄えたネルの姿もある。

「リハミルさん達は」

「はぐれました。ビルビルを倒した後第一階梯聖騎士団との戦いを引き受けて我々に貴女を追わせてくれました。今はこれで全部です」

 リハミル達に戦いを託して林の中に入ったがアリスの姿はどこにもない。サザバルの部下達の追っ手を撒きながら闇雲に探すうちに暗くなってきてしまった。どうしたものかと考えていると、どこからともなく真っ白い鹿がカサン達の前に現れた。誘導するような鹿の後に付いてアリスがいた洞窟の近くまで来たらしい。

「鹿は貴女を我々が見つける直前にどこかへ去って行きました」

「その鹿が私をここまで乗せてきてくれたの」

「やはりそうですか」

 アリスは心の中で鹿にありがとう、とお礼を言った。

「これ以上暗闇の中を歩くのは危険です。今夜はこのままこの場で朝まで過ごしましょう」

 騎士達についた細かい身体の傷をアリスは率先して癒した。話を聞けばビルビルと戦った際川に落ちてしまった仲間の騎士もいるらしい。どこかに無事に流れ着いていればいいのですが、とカサンは顔を曇らせた。

 追っ手も警戒し松明は消して火は洞窟の中で最小限にして眠った。カサン含め数人の騎士達が寒そうなアリスに気を遣って自分の毛布を貸してくれようとしたが遠慮した。火の近くで休めるだけで充分有り難かった。隣にカサンの温もりを感じながら小さな焚き火を見ていると、先程まで洞窟の中に1人でいた時感じた強い孤独感が少し和らぐ。

 周りの騎士達も無駄口を叩く者はいなかった。それぞれが物思いに耽っている。

 気がつくと見た事もない程の濃い橙色の月が夜空で淡い光を放っていた。

 

 

 

 

 

 

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