第5話

 「先ずは首都ガーデルンを目指します。ここからは馬で8日程の距離です。アリス、貴女はガムルーを通じて奴らに顔を見られている。途中最低限の補給に村や街に立ち寄る事はあっても基本野宿する事になります。よろしいですか」

「ええ。できるだけ皆さんの足を引っ張らないよう頑張ります」

 大きな木のテーブルに地図を広げて騎士達が集まっている。今は鎧をつけている者はいない。アリスはカサンの隣の椅子に座って地図を覗きこんでいた。国全土の地図を見るのは初めてだった。丘の村を探したが見つけられなかった。この国にはこんなにも多くの村や街があるのかと驚く。今いる屋敷の場所に丸く印が付いている。カサンは首都ガーデルンにも同じ印をつけた。

「首都で数十名の部下と合流。協力者と落ち合い情報を得ます。扉は首都から更に北上した場所にあるケムル山脈の中腹にあるといいます。王や敵はそこまでの道のりに何かしら妨害を仕掛けているでしょう」

「他の聖騎士団の連中と鉢合わせになったらどうしますか」

 立派な顎鬚を蓄えた大柄な騎士がカサンに聞いた。

「王が我々騎士に周辺を警備させている可能性は大きい。しかし仲間同士で戦い合うのは避けたい。手間ではあるが出来るだけ迂回した道を歩み、今は使われていない坑道も使おうと思う。ケムル山脈は元々鉱石の発掘が盛んだった場所。数えきれない程の坑道が放置されている。その全てを警備するのは不可能だ。それでも万が一鉢合わせてしまった場合は戦うしかない」

「第4と第2階梯聖騎士団のやつらなら蹴散らす自信はありますが、第1階梯のやつらはちょっと面倒ですなぁ」

「なあに、今のうちらには聖女様がついてらっしゃる。全団がかかって来ようが負けませんよ」

 その通りだ!とあちらこちらから声が上がる。アリスはどういう顔をしていればいいのか居た堪れなくなる。未だ自分にどのくらいの事ができるのかわかっていない。賜りの儀式から4年間密かに色々力を試したりしたが、リナを追って行った夜にまだまだ自分の中に未知の力が眠っていた事を知った。あの時は激しい感情に任せて聖女の力を暴発させたが、冷静に使いこなせるかと言われるとわからない。

「大丈夫です。我々は強い。無事に扉まで辿り着いてみせます」

 カサンが安心させるようにアリスを見ながら言った。

「そうそう。団長は特に普段以上の力が出るでしょうね。それが男ってもんです」

 カサンより一回りくらい歳上に見える騎士がうんうんと頷きながらそう言った。

 カサンは咳払いをしながら「煩いぞエド」と返す。

 こうやって鎧の着ていないカサン以外の騎士達を見るのは初めてで新鮮だった。20代から40代くらいの屈強な男の人達。村では鍛冶屋のバヤダおじさんが1番の力持ちと言われていたが、目の前の騎士達は比べものにならないほど立派な筋肉を覗かせている。

 これが国を守る騎士なのね。剣を持って戦う人達。アリスにとってついこの前までは噂でしか聞いた事の無い存在だった。

「我々の動きが王に伝わると面倒だ。首都を出るまでは鎧はつけない。村や街には少人数で立ち寄り、野獣を倒す生業の者という体にする。各自それらしい服装を用意してくれ。剣の鞘や柄は布で包み、国から支給された物とわからなくするように」

 カサンが淀みなく指示を出してゆく。

「私も男の人の格好をするのはどうかしら。この際バッサリ髪を切ってもいいし、少年みたく見せれないかしら」

 アリスの言葉に一瞬部屋がシンとなった。なぜか周りの騎士達がカサンの方を見る。

 カサンは呆然とした顔でアリスの方を見ていた。

 私そんなに変な事言った?

 アリスが不安そうな顔をすると、カサンが我に返った。

「男装をするのは良い思いつきだと思います。アンヌに言って用意させましょう。ただし髪は切らなくて……切らないで頂きたい。布や帽子を被れば必要ありません」

 何故か最後の方は少し強い口調で言われた。

「わ、わかりました」

 アンヌが返事をすると周りの騎士達がホッとしたようにうんうんと頷く。どうしてそんな反応になるのかいまいちわからないが、髪は切らない方が良さそうだ。

「出立は3日後。各自準備の上鍛錬を怠らないように。必ずや扉に辿り着きこの国を救う。命を賭した旅になる。それを心に刻み残りの日々を過ごすように」

 以上。というカサンの言葉で騎士達は各々の持ち場へ戻って行った。

「アリス、何か質問はありませんか」

 2人きりになった部屋でカサンは体をアリスの方に向けて聞いてきた。

「そうね、私は移動中またカサンの馬に乗せてもらうの?それだと長旅で馬にも負担じゃないかしら。数日あれば一人で乗って歩くくらいならできる様になると思うのだけど」

「ダメです。途中危険な野獣が出ないとも限らない。全速力で走らなければいけない場面で付け焼き刃の乗馬では危険すぎる」

 カサンの意見はもっともだった。

「私は貴女が馬の首にしがみついて爆走したり、鹿の首にしがみついてぴょんぴょん去って行く腕前は知っていますが、今回の旅ではそれは披露しないで頂けると有難い」

 笑いながら言うカサンは絶対からかっている。アリスは顔が赤くなるのを感じた。

「しがみついているのだって大変なのよ。カサンは馬には詳しくても鹿の乗り心地なんてしらないでしょ」

 アリスがむくれてそう言うと「確かに鹿には乗った事がないな」と更に笑った。アリスもつられて笑う。

 ひとしきり笑い終えたあと、カサンは真面目な顔で言った。

「アリス。貴女は自分の命を守る事を最優先で考えて欲しい。我々騎士は戦いのプロだ。だから危険な場面では決して私から離れず、聖女の力を使ったりなどと考えなくていい。扉で何が起きるかわからないが、万が一貴女の力が必要になるまで貴女は自分自身を守る事だけを考えて下さい」

 カサンは手を伸ばしてアリスの片手をそっととった。

 じっとその手を見た後顔をあげてアリスの目を見て言った。

「絶対に守ります」

 まるで自分自身に誓うような言い方だった。


 3日後の夜明け前アリスはアンヌが用意してくれた服に袖を通した。ズボンとゆったりめのチェニック。厚めの生地で出来ていて一見地味だが肌触りがとてもいい。サイズは測ったかのようにどこもアリスにぴったりだった。

「大急ぎで私とファリアとメル、3人で縫ったのです。もう一着荷物に入れてあります。襟元には見えない様に幸運のパヤの葉の刺繍を入れました。アリス様が無事に戻られる事を私達3人とも毎日神に祈ります。ですからどうか、ご無事で」

 そう言うアンヌの瞳は潤んでいた。アリスは思いもしなかった贈り物とアンヌの言葉に、胸が詰まってうまく返事が出来なかった。

 それからこれを、と小さな白い袋を渡された。中を開けてみると白い木に緑の宝石のついたあの髪飾りだった。

「口止めされていたのですが、その宝石はカサン様の誕生石なんです。男性が誕生石を女性に贈る意味はご存知ですか」

 知っている。村の女の人達もよくうっとりした瞳で話していた。それは男性が好意を抱く女性に貴女と特別な関係になりたいという意思表示。都会の富裕層や貴族達の習慣だ。女性達の憧れだから、宝石が買えない平民の男性などは河原で自分の誕生石に色見の似た綺麗な石を探してきて渡したりする。アリスの父さんも母さんに渡す石を探す為に三日三晩かけて遠くの大きな川に行って探してきたと聞いた事がある。

「アリス様はこちらの屋敷に運ばれてしばらくは凄くうなされていらっしゃいました。よく涙を流し、お辛そうにしていらしたのです。私がアリス様のお顔の汗などを拭いていると、たまにカサン様がいらっしゃいました。カサン様はアリス様が流す涙をご自分の指で拭きとり、頬を撫でられました。私はお止めする立場ではあるのですが、アリス様はカサン様にそうされると表情が安らかになり涙も止まったのです。アリス様以上に、カサン様は苦しむアリス様を見てお辛そうでした」

 ぼんやりとした意識の中で、頬を撫でてくれた硬くて長い指を覚えている。ふわふわと漂うアリスが奥底に沈んでしまいそうになるたびに、その指はアリスをその場に留めてくれた。あれはカサンの指だったのか。温かくて優しい感覚。

「アリス様がこちらのお屋敷に来て二つの月が経った頃、カサン様はこの髪飾りをご注文なさいました」

 アンヌは白い袋を持ったアリスの手を両手で包み込んだ。

「身分に合わないご無礼な事を申します。私はカサン様の乳母でした。あの方は早くにお母様を無くされて厳しいお父上に育てられ、どこか子供らしくいられない環境の中ご成長なさりました。人の何倍も努力し、なにより自分に厳しい方です。女性とお付き合いする事はあっても、どこか家の為、上に命じられたからとカサン様は割り切っておいででした。ですから上手くいくはずもありません。その方が初めて自分の誕生石を自ら女性に贈る事を決めたのです。眠り続けるアリス様を見るカサン様は、私の知らない顔をしておいででした。私はそんなカサン様を見られた事が本当に嬉しかったのです。どうか、どうかカサン様をよろしく願いします。あの方の為にもご無事でお戻り下さい」

 アンヌはアリスの手から自分の手を離すと、床に片膝をついて頭を垂れた。

「アンヌ」

 アリスはなんと言えばよいか分からなかった。カサンに村の男の子には感じた事のない感情を抱いていると自覚している自分と、それがどういう事なのか、はっきりその気持ちを認めるとどんな事になるのかわからなくて少し怖い自分がいる。カサンに触れられるのは嫌じゃない。先日滝を見に行った時アリスも彼の手に触れたいと思った。そっと重ねた手は大きくて温かくて、拒否される事はなかった。ずっとこのまま時が止まればいいのにとも思った。男性に触れてそんな事を思うのは初めてだった。この気持ちに名前をつけなければいけないのだろうか。

 アンヌはそんなアリスの気持ちをわかっているかのように顔を上げて微笑んだ。

「アリス様がご無事でいて頂けるだけで良いのです」

 あとはあの方の努力次第ですね、といたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ありがとう。大切に持っていくわ」

 アンヌの手をひいて立ち上がらせ、髪飾りが入った小さな袋を服のポケットにしまいアリスはそう言った。今はそれしか言えない。

「よろしくお願いします」

 アンヌは優しい眼差しをアリスに向けていた。


 屋敷の前には狩人のような格好をした騎士達が馬を引き連れて集まっていた。馬の嘶きと地面を踏み締める音がまだ少し薄暗い早朝の空気に響く。

 カサンはアリスを見ると「準備はよいですか」と聞いてきた。馬には荷物が括られ、馬上には二人乗り用の鞍がつけられている。

「アリス様、お帰りお待ちしております」

 ファリアとメルも屋敷から出てきて涙目でアリスに挨拶をした。

「ありがとう。この服とても心地が良いわ。このお屋敷に来てからあなた達には本当にお世話になったわね。私が元気になれたのも、アンヌ、ファリア、メル、3人が支えてくれたおかげ。本当にありがとう」

 アリスは心から礼を言った。眠り続けている日々を入れれば半年近く面倒を見てもらった事になる。目覚めてからも知らない環境にも関わらず3人のおかげで孤独はそれほど感じなかった。

「行ってくるわ」

 アリスは3人の体を順番に抱きしめて離れた。

 すでに馬上にカサンがいてアリスの体を持ち上げて乗せてくれる。

 カサンは馬を操ると後ろを向いて同じく馬上にいる部下達に言った。

「出立する。これよりどんな困難が待ち受けているかはわからない。しかし我々はそれを退けるだけの力と意志がある。共に剣を携えこの国を救う。覚悟はよいか」

 カサンの言葉に騎士達は「おお!」と声を張り上げた。

 馬が一歩一歩進み出す。後ろを振り返るとアンヌ達が手を振っていた。アリスも振り返す。

 屋敷の門から出る時アリスは大きく深呼吸した。

 これから運命を賭けた旅が始まる。ずっとどうして自分が聖女の力を授かったのかわからなかった。リナを助けられなかったと思った時、こんな力なんて持っていたって意味がないと涙を流した。12歳の誕生日から聖女の力はアリスの一部として確かに存在していた。もしこの旅でアリスが聖女の力で愛する人達を救う事ができたなら、アリスは初めて自分の運命に感謝するのかもしれない。

 アリスは後ろから体を支えてくれるカサンの温もりを感じた。

 朝日が遠い地平線を明るく照らし出す。

 アリスは400年前に存在した聖女の事を思った。彼女はどんな気持ちで扉に向かったのだろう。力を出し尽くし扉を閉める時、心にはどんな感情が溢れていただろう。

 今、アリスは彼女の元に向かう。

 待っていて。きっとやり遂げてみせるから。

 アリスは地平線を見ながら心の中で自分の前に選ばれた遠い昔の聖女にそう語りかけた。

 

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