第14話 死体

 視界に広がるのは巨大なクレーターだ。一つの城が丸ごと入るほどに大きい。

 クレーターの内部には、びっしりと赤紫色の花が生えていた。

 花は薄っすらと発光しているらしく、あたりは妖しげな燐光に包まれていた。


 古ぼけた石畳の道から続くように、クレーターには石階段が伸びていた。

 ノアたちは階段を下りて、クレーターへと侵入する。


「お気をつけください。絶竜蘭ぜつりゅうらんは強力な毒を持っております。触れてはいけませんよ」

「……気を付けます」


 ノアは転ばないように気を付けながら、急な階段を降りる。

 階段が伸びる先はクレーターの底へ繋がっている。

 そこには、名状しがたい木のようなものがそびえていた。


 全体は黒曜石のように黒い。しかし、表面はぬるりと肉感的でドクドクと脈打っている。

 枝葉のように見える部分は、触手のようにうねうねと揺れていた。

 そして機械的なシグナルのように、白い光が全体を走っている。


「これが……龍の残骸なのですか……?」

「はい。尻尾にあたる部分と伝えられております」


 ノアが家に出た虫でも見るように警戒していると、司祭が説明をしてくれた。


 それは『帝国の建国伝説』にも伝えられる悪龍の亡骸だった。

 死した龍は完全に滅ぼせたわけでは無い。

 悪龍の亡骸は一部が残存し、帝国の各地で封印をされている。


「空を舞う悪龍の尾を聖女は切り落とした。その尾は星のように空を流れ、地響きを震わせ大地を沈めた……そう伝承には記されております」

「大聖女様のとんでも伝説は色々と聞いたことがありますが……まさか本当だとは思いませんでした」 

「もちろん真偽の不明な伝承も多いですが……意外と証拠が揃っている伝承も多いのですよ」


 それだけトンデモない人なら、それを崇める宗教ができたのも当然なのかもしれない。


「それで……私はこれの力を抑えれば良いんですね?」

「はい。放っておけば龍の力が侵食を続けて、この周辺は人が住めない土地となってしまいますから」

「分かりました」


 階段から尻尾に近づくと、その周りにはステージのように台が広がっている。

 そこまで降りると、ノアは尻尾に近づいた。

 尻尾に向かって手を伸ばすと、ノアの体から白い炎が巻き起こる。

 白い炎が包み込むように尻尾を書こうと、尻尾のドクドクとした脈が弱まり、うねっていた触手がシナシナと力なく垂れさがる。


「……これで終わりですか?」

「はい。これで儀式は終わりになります」

「なんだか、ずいぶんとあっさりなような……」

「苦労をしないように、毎年欠かさず力を抑えていますからな」


 「もっとも」と司祭は続ける。


「例年の聖女なら、もっと疲労を感じているようでした。それだけノア様の力が強いのでしょう」

「……そうですか」


 別に欲しくも無い聖女の力だ。それを褒められてもノアは嬉しくは無かった。

 聖女となって良かったことと言えば、シアンに出会えたことくらいだろう。

 それよりも早く帰りたいと、ノアが振り返った時だった。


「だからこそ、目障りなのでしょうね」

「……え?」


 ノアが気づいた時には遅かった。

 視界を染めたのは赤い鮮血。護衛としてついてきた騎士たちの首が飛んだ。

 力なく倒れる騎士たち。その背後から現れたのは黒いフードを被った四人の襲撃者たちだ。


「ど、どうして……どこから……」


 ノアたちが居るクレーターは見晴らしが良い。

 降りて来る道も階段の一本だけ。

 人が近付いて来ていれば分かったはずだった。


「ああ、申し訳ありません」


 血だまりに一人立つ司祭がにやりと笑った。


「絶竜蘭に毒がるのは本当ですが、触れた程度なら問題ないのです。せいぜい、かぶれるくらいですね」


 ノアはハッとクレーターに広がる花畑を見た。

 絶竜蘭の花は背が高くないが、寝転べば人を隠せるくらいには大きい。

 襲撃者たちは、ノアたちが入って来るのをジッと待っていたのだろう。

 さらに、『花畑に人が隠れている』ことを気づかせないために、司祭は嘘の情報を教えて花畑から意識を逸らしたのだ。


 ノアは司祭を睨みつける。


「あなたが、この襲撃を企てたんですか?」

「いえいえ、私はただお手伝いをしただけですよ。少なくないお礼を頂きましたので」

「……そのために司祭の地位を捨てるのですか? こんなことをして、ごまかしきれませんよ!?」


 もしも、聖女のノアが帰らなければ問題になるに決まっている。

 その責任は今回の儀式を主導した司祭に押し付けられるだろう。

 そうなったら、もう司祭の地位には居られないはずだ。

 しかし、司祭はそれを指摘されてもへらへらとした余裕の態度を崩さない。


「実は以前から寄付金の一部を拝借していたのですが、それがバレそうな雰囲気がありまして……いっそのこと他国に逃げてしまおうかと」

「……思っていた以上に、腐り切った聖職者だったんですね」


 寄付金を着服し、バレそうになったから聖女を売って海外に高飛び。

 とても聖職者とは思えないゲスの計画だ。

 せめて顔面に蹴りの一発でも入れてやりたいが、司祭の周りには襲撃者たちが居る。

 ノアはうかつに動くことができない。


「さぁ、さっさと片付けてください。こんな空気の悪い所からさっさと帰りた――ぐふっ!?」


 にやにやと笑っていた司祭の背中から刃が飛び出た。


「……」

「な……んで……?」


 ぬるりと刃が抜かれると、司祭は騎士たちの血だまりに倒れた。

 べしゃり。見開いた白い目が赤い血に濡れた。


「目撃者は少ない方が良い」


 襲撃者の一人は呟くと、黒いナイフをノアに向ける。


「……容赦がありませんね」

「……」

「大聖女様へのお土産話として、あなたたちが誰なのか教えて頂けませんか?」

「……」

「女性を無視するのは……紳士的じゃありませんね!」


 ダッ!

 ノアは駆け出すと、騎士の死体から剣を引き抜いた。

 襲撃者たちも動きを察するとノアに飛び掛かったが、ノアの体から白い炎が燃え上がり襲撃者たちを遠ざける。


「ッ!? やはり、聖女は厄介だな」

「あら、お話しする気になりましたか?」

「我らに口は無い。あるのは貴様を殺す刃のみだ」


 襲撃者たちはノアに迫る。

 まるで舞踏でも踊るようにナイフを振るうが、ノアは刃を剣で受け流す。

 しかし、襲撃者たちは代わる代わるにナイフを振るった。四人で一人の生き物のように、次々に剣劇を繰り出す。


「口が無い割にはお喋りですけどね……!!」


 隙の無い刃の嵐。しかし、ノアはその全てを受け流すと、大きく後ろに跳んだ。


(なぜかは分かりませんが、この人たちの剣筋は対応しやすいです。シアンと手合わせをしていたおかげかもしれませんね)


 ノアは花畑に舞い降りると、剣先を襲撃者たちに向ける。

 剣先から白い炎が巻き起こると、炎は渦を巻きながら襲撃者たちへ迫る。

 炎の軌跡に従い、赤紫の花びらが舞い散る。


「散らばれ!」


 声と共に襲撃者たちが散らばる。

 炎は尻尾の周りに広がるステージに着弾し小さな爆発を起こした。


「このまま燃やし尽くして――ッ!?」


 ノアは背後を振り向いて剣を振るった。

 ガキン!!

 剣が黒いナイフを弾く。しかし、不完全に弾かれたナイフがノアの頬をかすめた。

 白い頬に赤い線が走る。


「まさか、五人目が居るとは思いませんでした。隠れて隙をうかがうとは、姑息ですね」

「我々は暗殺者だ。手段は選ばない」

「それでも私に刃は届きませんでしたね。残念でした」

「……それはどうだろうか」

「なに……を……?」


 ふらり。

 ノアの体から力が抜ける。からりと音を立てて剣が転がった。

 どさりとノアも倒れ込んだ。


「力が……入らない……」

「投げた刃には毒を塗っていた。致死性は無いが、ほんの少しでもかすれば動きを鈍らせる」

「っ!?」


 ノアは立ち上がろうともがくが、力が入らない。

 広がる花のせいで、倒れると視界が埋まる。

 地面を踏む音が、焦らす様にゆっくりとノアに近づく。

 それはノアの少ない命を追いかける死神のようだ。


「……これで終わりだ」


 襲撃者が見えた。黒いナイフを振り上げる。赤紫の燐光を浴びて、刃は妖しく光っていた。

 ギロチンのように刃が下ろされる。


(……シアン)

 

 最後の瞬間くらいは、大好きな人を思っていたかった。

 ただ、それだけだった。

 別にシアンに助けて欲しいなんて期待していなかった――なのに。


「止めてください」


 聞きなれた声が聞こえた。

 思わず目を開けると、黒い刃を見慣れた手が掴んでいた。

 ぽたぽたと赤い血が垂れる。

 見上げると、見たことが無いほどに目を尖らせたシアンが襲撃者を睨んでいた。


「どうして……」

「遅れちゃって、ごめんね」


 そう言って、シアンは微笑んだ。

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