第13話 聖女はクッキーモンスター
それはシアンがレイラに拾われるよりも前の話だ――。
「はい。あーん♡」
「あ、あーん」
教会の礼拝堂に、甘ったるい少女の声が響いた。
並べられたベンチの最前列に座っているのはシアンと亜麻色の髪の少女だ。
ちなみにシアンはメイド姿ではない。ピシッとした黒い執事服を着ていた。
少女の膝にはハンカチにクッキーが広げられている。そのクッキーを摘まんで、シアンの口元に差し出していた。
まるでひな鳥にエサを与える親鳥――もっと直接的に表現するならバカップルである。
シアンはモグモグと口を動かしながら、その状況に眉をひそめた。
「あの、ノア様? 礼拝堂でお菓子って食べても良いんですか?」
「つーん……」
「ノア様?」
「聞こえませんねー」
質問をしたものの、ノアはつんとそっぽを向いてしまう。
シアンの言葉など聞こえないと、ぐりぐりとほっぺにクッキーを押し付けられた。
汚れるので止めて欲しい。
「……の、ノア、答えてくれないかな?」
「ふふ、それで良いんですよ。二人っきりの時は、様なんて付けちゃ駄目ですからね?」
「はい……」
呼び捨てにすると、ノアはにこりと笑った。
何度かノアから敬称は付けるなと怒られている。特に二人だけの時は、呼び捨てで呼ばれたいらしい。
「それで、礼拝堂で飲食をしても良いの?」
「良いんですよ。聖女の私が許します」
「それって職権乱用というか……聖女として良いのかな……?」
「心配性ですね。ほら、大聖女様も微笑んでますよ?」
ノアは礼拝堂の正面奥――つまり祭壇には女性の像が飾られていた。
それは『ウェルキウス教』で崇拝されている大聖女の像だ。
大聖女は『帝国の建国伝説』にも語られる龍殺しの英雄である。
聖女の伝説は次のような内容だ。
初代皇帝と共に悪龍を倒したが、龍は絶命の寸前に呪いをバラまこうとした。
呪いが拡散すれば、その土地は人の住めない荒野と変わる。大聖女は呪いの拡散を防ぐために、一人で呪いを受け止めた。
しかし、強力な龍の呪いは一人の人間に受け止めきれるものではなく、大聖女は呪いによって亡くなった。
その献身と勇気を称えて、初代皇帝が立ち上げたのが『ウェルキウス教』である。
そして現代では大聖女は『救世主』のように崇められている。
なんやかんやで伝説なども盛られて、今では死後の世界でも帝国民を救ってくれるとか言われている。
そんな大聖女は、ノアの言うように慈愛に満ちた表情で微笑んではいるが……。
「いや、あれは、あの顔に彫られてるだけじゃ……」
「ごちゃごちゃうるさいです。口にクッキー詰め込みますよ?」
「ごめんなさい。美味しく頂きます」
「もう……せっかく私が作ったんですから、私と味に集中してください」
『どうしてノアにまで集中する必要があるの?』とは思ったシアンだが、これ以上余計なことを言うとマジで口にクッキーを詰め込まれそうだったので黙った。
差し出されるクッキーをおとなしく食べると、バターの香りと柔らかい甘さが口に広がる。
「はぁ……本当は今日の『お仕事』にもシアンと一緒に行きたいのに……」
「しょうがないですよ。大事な儀式で、一部の人間しか立ち入れないんですから……」
シアンたちは、帝都から離れた地方の村へとやってきている。
そこは小さな特色の無い村だが、唯一の特徴として大きな礼拝堂が作られていた。
不釣り合いなほどに大きな礼拝堂が建てられた理由は、近くの山奥で聖女による儀式が行われるためだ。
この儀式は毎年あるため、その拠点として礼拝堂が使われているのである。
「それでも……半日もシアンと離れるんですよ?」
「えっと、たった半日ですよ?」
「むー!!」
「わわ!? 口にクッキーを詰め込もうとしないでください!?」
いきなり怒り出したノアは、クッキーを両手に掴んでシアンの口にねじ込もうとしてくる。
恐ろしいクッキーモンスターが誕生した。
口にクッキーを詰め込まれたら、口の中がパッサパサになってしまう。恐ろしいモンスターだ。
……まぁ、傍から見たらただ喧嘩風にイチャついてるバカップルなのだが。
「シアンは私の気持ちを何も分かっていません!!」
「ご、ごめん……あの、そろそろ儀式の時間が……」
「また、そうやって水を差して……! 帰ったらお説教ですからね!!」
ノアはぷりぷりと怒りながら礼拝堂から去って行った。
帰ったらお説教が待っているらしい。
「……なんで怒ったんだろう?」
なにも分かっていないクソボケの呟きは、誰に聞かれることも無かった。
聞かれていたら、もっと怒られただろう。運の良いやつである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『ノア・セラフィエル』は聖女である。
もっとも、聖女とは生まれながらに与えられる称号ではない。
ノアは地方の小さな村出身だ。
しかし、幼いころに龍災によって故郷を失い。運よく助かったノアは、帝都の孤児院で育てられることになった。
孤児院での暮らしは裕福ではなかったが、それなりに平穏だった。
だが、その暮らしはある日ひっくり返った。
ノアに聖女としての力が宿っていることが分かったのだ。
龍の呪いによって死した大聖女だが、その力だけは残り帝国に生まれた一部の少女たちに受け継がれている。
聖女の力は生まれながらに宿っている。なんて言われているが、その力が発現するのは十代になってからだ。
ノアも十三のころに聖女の力が発現し、聖女を管理しているウェルキウス教会によって引き取られることになった。
教会での暮らしは、あまり良いものでは無かった。
礼儀作法の教育、聖女としての訓練、忙しく繰り返される日々の公務。どれも厳しいばかりで、楽しいモノでは無い。
しかも運の悪いことに、ノアに宿った聖女の力は強力だったらしい。
ノアを守るためと言って、人との接触は最低限に制限され、自由な時間も与えられない。ほんの少し庭に出て呼吸をするだけでも許しが要るほどだった。
そんな、息苦しい籠を変えてくれたのがシアンだ。
シアンはノアの世話役として雇われた使用人だった。
始めは暗く頼りない男の子だと思ったが、その印象は少しずつ変わった。
勉強や訓練が上手くいかない時には、一緒に頭を悩ませてくれた。
ノアが公務で疲れた時には、人気のお店に何時間も並んで美味しいスイーツを買ってきてくれた。
聖女の生活が息苦しくてつぶれそうな時には、夜にこっそり連れ出して星空を見せてくれた。
やっぱりシアンは暗くて頼りない、それどころか人の気持ちも分からないクソボケだったが、それ以上に優しくて精一杯な男の子だった。
相変わらず生活は籠の中だが、一人ぼっちと二人では大きく違ったのだ。
(はぁ、早く帰ってシアンに甘えたいです……)
白いローブを着たノアは、鬱蒼とした森を歩いていた。
道は石畳で舗装されているが、あまり利用はされていないようで隙間から雑草が顔を覗かせている。
正面には通せんぼをするように小枝が飛び出しているため、戦闘を歩く騎士が剣を振って切り落としていた。
「……あと、どれくらいでしょうか?」
「もう少しで到着いたします」
そう答えたのは、ノアの前を歩く司祭だった。
今回の儀式を主導している責任者だ。この儀式も経験しているらしく、一番事情にも詳しい。
彼が言うのであれば、もう少しなのだろう。
ノアたちは全員で五人の、小さな集団で森に入ってた。
一列に並んで細い道を歩く。
ノアと司祭を、護衛の騎士たちが挟むような隊列だ。
普段の儀式なら、これほどまでの少人数で行うのは珍しい。
そもそも、大抵の儀式は人に見せるための物なのだから、こんな森の深くでやるのもおかしい。
だが、今回の儀式の事情を考えると、それも仕方のないことなのだろう。
「見えてきました」
司祭が緊張したように呟いた。
背の高い司祭の横からノアは覗き込む。
「これは……想像以上に巨大な穴ですね……」
森の木々を断ち切るように視界が開けた。
その先に広がるのは巨大なクレーターだった。
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