第9話 隠し事

(うぅ……美味しそうだったのに味が分からなかった……)


 昼休憩の終わりごろ、シアンは項垂れながら裏庭へと向かっていた。

 出された昼食はとても美味しそうだったのだが、シアンは緊張から味が分からず楽しむことができなかった。

 エリシアによって裏庭へと呼び出されたが、彼女はどんな要求をしてくるのだろうか。

 『シアンが男である』という秘密は、バラされれば死刑もありうるクリティカル情報だ。

 もしかすると、莫大な金銭を要求されるかもしれない。


「……来たわね」

「ッ!?」


 裏庭では、すでにエリシアが待っていた。

 シアンも少し早めに来ていたのだが、エリシアはより早く来ていたらしい。

 マズい。

 このままだと、『ちょっと、お前なんで私より遅く来てるわけ? なめてんの?』と怒られるかもしれない。

 そこから、さらに金額を上乗せされる可能性がある。


(こ、こうなったら先手を打つしかない!!)


 素早く決断したシアンは、勢いよく地面に手を付けた。

 その間は僅か『0.1』秒。世界最速の土下座であった。


「すいませんでした!!」

「……は!? なんで土下座!?」


 決まった。

 流れるような土下座にエリシアは困惑している。

 今のうちにシアンは少しでも有利に交渉を進めようと口を開いた。


「今はお金が無いので払えませんが、お給料が出たらエリシア様にお支払いしますので、どうが許してください!!」

「キミ、なにを言ってるの!? なんで私がキミに金銭を要求してることになってるのよ!?」

「……え? 要求しないんですか?」

「するわけ無いでしょうが!!」


 『おや?』とシアンは顔を上げる。

 エリシアはシアンの奇行に困惑して、目をぐるぐるとさせていた。

 どうやら、本当に金銭を要求するつもりはないらしい。


「その、『秘密をバラされたくなければ金を払え』的な話で呼び出されたのでは……?」

「キミ、人のことなんだと思ってるの?」

「……美少女マフィア?」

「おっけー。一発ぶん殴るから、歯ぁ食いしばりなさい」

「ご、ごめんなさい!!」


 その後、なんとか謝り倒すと拳は許して貰えた。

 代わりにデコピンで許して貰えた。

 散々失礼な言動をしておいてデコピンで許してくれるのだがら女神みたいな人だった。


「あの、それじゃあ、どうしてボクを呼び出したの?」

「……これよ!」


 シアンが問いかけると、エリシアは顔を赤くしながら手を差し出してきた。

 その手にはピンク色の袋が握られている。


「えっと……?」

「察しが悪いわね。キミに上げるから、受け取って!」

「あ、はい」

「中身は……私が焼いたクッキーだから。良かったら食べて」


 袋からは香ばしいバターの香りが漂っている。

 たしかに、クッキーが入っているらしい。


「……どうして、ボクにくれるんですか?」

「それは……お礼をしてなかったから……」


 エリシアは顔を真っ赤に染めると、ごまかす様に前髪をいじる。

 チラチラとシアンを見るが、恥ずかしいのかすぐに目を逸らしてしまう。


「キミ、私が『助けて』って言ったら助けてくれたでしょ……」


 恥ずかしそうにしているエリシアと目が合った。

 少し上目遣いの瞳と見つめあう。


「ありがとう」


 その短い言葉に、エリシアの感謝が詰まっている気がした。


「うん。ボクもエリシアさんを助けられて良かった」

「ふーん……」

「クッキー、食べてみても良いかな?」

「キミに上げたんだから、好きにしなさいよ」

「それじゃあ、頂きます」

 

 袋を開けると小麦色のクッキーが入っていた。

 その一つを摘まんで口に入れると、優しい甘みが口に広がった。


「ど、どうかな……」


 エリシアは緊張した面持ちでシアンを見つめる。

 自分が作った物が、どう評価されるのか気になるのだろう。


「うん。とっても美味しい。毎日でも作って欲しいくらい」

「それなら良かった」


 なんて、そっけなく答えるエリシアだが、口元はピクピクと動いていた。

 嬉しさが隠しきれていない。

 もしも、尻尾でも生えていたら子犬のようにブンブンと振り回していただろう。


「さ、それじゃあ午後の仕事も頑張るわよ!」

「はい」


 エリシアはごまかす様に声を張り上げ、屋敷へと戻ろうとした。

 しかし、少しだけ進むと『そういえば』と振り向いた。


「私を助けてくれた時のシアンは、凄くカッコ良かったわよ……キミが男なら惚れてたかもね」


 エリシアは『にひっ』と悪戯をするように笑って、歩いて行った。


「……男なら?」


 最後の言葉に疑問を感じながらも、シアンはエリシアの後を追った。



  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 一日の仕事を無事に終えたシアンは、ゆっくりと湯船に浸かっていた。

 少し遅めの時間に入っているため、他の使用人たちは入浴を終えているはずだ。

 誰かとバッタリ出会う可能性も低いため、シアンはのんびりと立ち上る湯気を眺めていた。


「今日は一人でのんびり出来――えぇ……?」


 シアンが『のんびり出来る』と言おうとした瞬間に、カラカラと扉が開かれた。

 高速フラグ回収である。

 シアンはサッと噴水の影に隠れ、様子をうかがう。


「人気が無い時間に入ってくれるなんて、ちょうど良いじゃない」

「な、なんでエリシアさんが……」


 シアンは噴水の影で縮こまる。裸を見ても見られても気まずいからだ。


(エリシアさんはボクが男だって知ってるはずだよね!? どうして、一緒に入って来るの!?)


 困惑でシアンの頭がクラクラとする。

 しかし、混乱の元であるエリシアは気にした様子もなく湯船へ足を入れた。


「なによ。私が入っちゃいけないの?」

「い、いえ……お互いに気まずいかなと思って……」

「キミ、そんなに肌を見られたくないの?」

「肌というか……体というか……」

「ふーん」


 エリシアは興味も無さげに応えた。

 そしてシアンのことなど気にせずにシアンへと近づく。


「悪いけど、ちょっと内緒の話があるから近寄るわよ」

「そ、それは無理!!」

「あ、逃げないでよ!」


 ササッとシアンはエリシアから離れる。

 しかし、エリシアも逃がすつもりはないらしく、ザブザブとお湯をかき分けて走り出す。


「なんで逃げるのよ!?」

「は、恥ずかしいし気まずいから!」

「なにを恥ずかしがることが――きゃ!?」


 湯船で追いかけっこをしていた二人だが、エリシアがずっこけた事で終わりを告げた。

 顔面からお湯にダイブしたエリシアは、慌てているのか水しぶきを上げて溺れる。 

 水場で遊ぶときは注意しようね!


「だ、大丈夫!?」


 放っておいたらマジで溺れ死にそうなので、シアンはエリシアに駆け寄った。

 混乱してバシャバシャと暴れていたエリシアを救い上げる。


「はぁ……はぁ……」


 数秒ぶりに息をするエリシアは、苦しそうに呼吸を繰り返していた。

 しかし、その顔に浮かんでいるのは生きていることへの喜びでも、お風呂で転んで溺れかけたことへの羞恥でもない。

 ただ茫然と揺れる水面を眺めていた。


「あの、大丈夫? 頭でも打ったの?」

「……――ッ!?」


 シアンが声をかけると、エリシアはぽかんとシアンの顔を見つめた。

 そしてグラスにワインを注ぐように、じわじわと顔を赤く染める。やがて顔を真っ赤に染めると、バッとシアンから離れて噴水の影に隠れた。


「――男だったの!?」

「……え? 気づいてたんじゃないの?」

「あんなにメイド服が似合う男が居ると思わないわよ!!」


 エリシアの叫び声が浴場に響いた。

 ずっと男だとバレていると思っていた。シアンもぽかんと口を開けてしまう。


「なんで男なのにメイドしてるのよ!? レイラ様は知ってるの!?」

「そ、それが――」


 シアンはなぜ自分が女性に間違えられているかを話す。

 メイドとして潜入していたら、レイラに女性だと思われていて、訂正しようとした時には一緒にお風呂に入っていた。

 そして、男がレイラの裸を見たら死刑になると聞いて、ビビッて隠すことにしたのだと。


 話を聞き終えたエリシアは、頭を抱えて唸っていた。

 受け入れがたい現実に正気度が削られたらしい。


「なにがどうして、そんな意味の分からない状態になるの!? なにかに呪われてるんじゃないの!?」

「呪われて女装なの……?」

「きっと、ろくでもない邪神にでも好かれてるんでしょうね!!」


 散歩中の子犬みたいに興奮していたエリシアだが、ハッとなにかに気づいたように顔を上げた。


「そういえば、昼休みに余計なことを言った気がする……」

「あぁ……うん……」


 『キミが男なら惚れてたかもね』なんて言ったことを思い出したのだろう。

 言ったときはシアンへの冗談だったのが、ここにきて自分の墓穴だったことに気づいたのだ。

 棺桶に片足突っ込んでますよ。


「あ、あれは違うからね!? ただ、キミがカッコ良かったって伝えただけだから!! 全然惚れてないから!!」

「あ、ありがとう……?」

「ぐぁぁぁぁ!? また余計な事を!!」


 さらに墓穴を掘るエリシア。もはや葬儀屋の手配もバッチリである。

 もはや言い訳をしても余計に自爆するだけだと気づいたのか、うなだれて黙ってしまった。


「あの、ちょっとだけ聞きたいんだけど……」

「……なによ?」

「それなら、『ボクが隠してること』ってなんだったの?」


 エリシアは『シアンが何か隠している』ことを知ってるような口ぶりだった。

 シアンはその『隠し事』を『男である』ことだと思っていたのだが、事実は違った。

 それならば、エリシアが知っている『シアンの隠し事』とはなんなのだろうか。


「あぁ、それはね」


 エリシアはビシっとシアンを指差す。

 まるで、推理漫画の探偵のように自信たっぷりだ。


「あなたが転生者だってことよ」

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