第7話 バイト初日って緊張する
「ほら、起きなさい。仕事の時間よ」
「ふぁ!?」
体を揺さぶられる感触でシアンは目を覚ました。
重たい眼を持ち上げると、視界に入ったのはメイド姿のエリシアだった。
長い髪の一部だけを両方で結んでおり、ウサギのたれ耳に似た髪形をしている。
「さっさとベッドから出て着替えなさい。間に合わないわよ?」
そう言われて、シアンは壁にかけられた時計を見た。
時計の針は、無慈悲にもシアンの寝坊を指し示していた。
朝の六時。始業時間ギリギリだ。
「ごめんなさい。寝坊しちゃいました……」
「まったく、あんなに長風呂をしたからのぼせて寝付けなかったんじゃないの? ちゃんと体調管理しないと駄目よ?」
「今日から気を付けます……」
「それじゃ、外で待ってるから、ちゃっちゃと準備しなさい」
部屋からエリシアが出て行くのを見送って、シアンはベッドから飛び起きた。
そこはシアンに与えられた自室だ。シアンは慌ててクローゼットを開けると、新しく支給されたメイド服に袖を通した。
「お待たせしました」
シアンが部屋から出ると、エリシアが壁にもたれながら待っていた。
エリシアはジトリとシアンを睨むと、なぜかシアンの頭を撫でた。
「な、なんでしょうか……」
「……寝ぐせ付いてる」
「……ごめんなさい」
「まぁ、自然に直るでしょう。明日からはもうちょっと早く起き準備してよね」
「はい……」
シアンがしゅんと頭を下げると、ぽんぽんと慰めるように頭を撫でられた。
そしてエリシアは『付いて来て』と歩き始めた。
「昨日もちょっと話したけど、今日からは私と一緒に、レイラ様のお付きのメイドとして働いてもらうわ。新しく覚えることも多いから、ちゃんと話を聞いてよね」
「はい。よろしくお願いします。エリシアさん」
「あぁ、別に私への敬語は要らないわ。名前も呼び捨てで良いから」
「あ、はい」
エリシアの後を付いて行くと、どこからかガツンガツンと音が聞こえた。
なに事かと視線を動かすと、エリシアが窓から外を眺めた。
つられて外を覗くと、屋敷の中庭に動きやすそうな運動服を着たレイラが出ていた。
軽快に走り回りながら、的に向かって氷柱の魔法を飛ばしている。
「あんな風に、レイラ様は朝早くから訓練をしているのよ」
「……貴族の人ってあんな風に朝から訓練をするものなの?」
シアンのイメージでは、貴族はゆっくりと起床して優雅に朝食を楽しむものだと思っていた。
しかし、朝から汗を流して運動しているレイラはイメージと真逆だ。
「人に寄るんじゃない。まぁ、ヴォルゼオス帝国だと『武』を尊ぶ文化があるから、高位の貴族ほど頑張ってるでしょうけど」
「そうなの?」
「『そうなの?』って……ほら、帝国の建国伝説では『初代皇帝が龍を倒して、この地を切り開いた』って語られるでしょ?」
その伝説ならシアンも知っている。
夏の終わりごろには『滅龍祭』として国全体がお祭りムードになるのだ。
もっとも、自由の無い生活だったシアンは滅龍祭を楽しんだこともないので、噂として聞いたことがあるだけだが。
ともかく、初代皇帝が龍を倒した伝説は、帝国の人間なら誰でも聞いたことがあるだろう。
「だから、『帝国貴族なら皇帝のように強くありなさい』って貴族は教育されるのよ」
「へー」
「ま、本当に頑張ってるのは高位の貴族だけね。私も貴族だけど、小さい領地の貧乏男爵家だから武術も魔術もダメダメね」
「え!? エリシアって貴族だったの……?」
「いちおう……ね。経済が発展してきた帝国じゃ、その辺の商人のほうがお金持ってるから、貴族なんて飾りだけの身分よ。現にメイドとしてバイトしてるわけだし……」
「バイトだったんだ……」
なんと、先輩メイドはバイト中の貧乏貴族だったらしい。
エリシアは遠い目をしながら、ギリギリと拳を握る。
「学費稼いで、学園では金持ち男子を捕まえて玉の輿に乗ってやるんだから……!!」
どうやら、エリシアなりの人生設計があるらしい。
切羽詰まったエリシアの気迫に、シアンは気まずくなって目をそらす。
外ではまだレイラが走り回っていた。だが一段落がついたのか、立ち止まってタオルで汗をぬぐった。
汗をぬぐうレイラと目が合う。
レイラはにこりと微笑むと、シアンに向けて小さく手を振った。
シアンが手を振り返すと、レイラは訓練へと戻って行った。
「……シアンって、なんでかレイラ様に好かれてるわよね」
まるで部活中の彼氏と彼女みたいな甘酸っぱい動作をしていた二人。
その一部始終を見ていたエリシアは、ジトリとした疑うような目でシアンを見る。
「もしかして、昔からの知り合いだったりするの?」
「え、いや、屋敷で会ったのが始めましてだよ」
「それにしてはレイラ様の態度が甘すぎるけど……」
「ボクのイメージでは、冷たいようで優しい人なんだけけど、普段は違うの?」
「全然違うわよ。下手に触ると凍傷を起こすくらい冷たい人よ。『氷のお姫様』なんて呼ばれてるんだから」
『氷のお姫様』なんて言われても、シアンにはピンと来ない。
たしかにレイラはクールな人なので似あっている称号だが、冷たい人のイメージは無い。
「まぁ、家族や身内には優しいけど……シアンへの甘さは異常よ。砂糖ドバドバ入れた腎臓ぶち殺しアイスを、炎天下でデレデレに溶かしたみたいになってるわ」
「そ、そうなんだ……?」
「ま、シアンに理由が分からないなら、当人に聞かなきゃ分からないでしょうけど……私には無理ね」
エリシアは、やれやれと首を振って歩き出した。
シアンもその後を追う。
「さ、そんなことよりも仕事よ。エリシア様の部屋は三階にあるから、ちゃっちゃと片付けちゃうわよ」
「あ、はい」
シアンはエリシアの後を追いながら階段を上る。
目の前ではエリシアのメイド服が、長いスカートをひらひらと揺らす。
「このお屋敷、大きいよね。流石は侯爵家って感じ……」
侯爵家はヴォルゼオス帝国に四家しか存在しない。
皇族に次ぐ権力を有した貴族家であり、辺境の統治を任されている。
辺境と言うと印象が悪いかもしれないが、要は皇族の威光が届きにくい国の端っこのことだ。
別に田舎という意味ではない。
「ま、帝都に作られた別荘だから、これでも小さい方だけどね。領地にある本邸は冗談じゃなくお城みたいに大きいわよ」
「へー」
二人は雑談をしながら階段を上る。
三階に到着すると、少し奥に行った場所でエリシアが止まった。
「ここがレイラ様の部屋ね。まずは寝間着や下着が脱ぎ散らかしてあるから、それを片付けましょうか」
「……抜き散らかしてあるの?」
レイラはまさに『仕事ができる美少女』風の見た目だ。
当然ながら整理整頓もしっかりとしているものだと思っていたシアンだが、現実は違ったらしい。
「ま、メイドを雇えるくらいの貴族なら普通なんじゃない? 散らかしても勝手に片づけて貰えるわけだし」
「そう言われると……」
他人が勝手に片づけてくれるなら、片付けの習慣も付かないだろう。
ずぼらになっても仕方がないのかもしれない。
「さ、それじゃ部屋に入る――」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
ダダダダダ!!
レイラが階段を駆け上がって来ると、絶叫を上げながら迫って来た。
ガッ! レイラは扉を開けようとしていたエリシアに割り込むと、部屋に入らないように通せんぼをする。
「あの、レイラ様? お掃除がしたいんですけど……」
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい。ちょっとだけ部屋が散らかってるから!」
「いや、レイラ様の部屋が散らかってるのはいつも……むぐぐぐぐ」
「ちょ、ちょっとエリシアは静かにしなさい!」
レイラは顔を真っ赤にしながら、エリシアの口を塞いだ。
そして必死に笑顔を取り繕いながらシアンに語り掛ける。
「いつもは整理されているのだけど、昨日はちょっと忙しかったから散らかってるの。ちょ、ちょっとだけ掃除は待ってて!」
そう言って、部屋を見せないようにドアへと滑り込むと、中からバタバタと音が響きだした。
「……シアンにだらしない所を見せたくなかったのかもしれないわね」
「……?」
数分してから、ようやく掃除の許可が下りた。
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