第5話 湯けむり

「うわぁ……凄い、大きい……」


 シアンは体をタオルで隠しながら、ぽかんと呟く。

 じゃばじゃばと鳴る水音。視界を曇らせる湯けむり。そこは、つるりとした石材で作られた浴場だった。

 中央には大きな浴槽。さらに浴槽の中心では、噴水のように湯船が湧き出ていた。


 前の主人から解放されたシアンは、レイラの元でお世話になることになった。

 そしてグレイシア家の屋敷へと帰って来たシアンは、軽い食事を終えた後に浴場へと放り込まれた。

 数日間の逃亡生活によって体が汚れていたためである。


 シアンは石鹸で体を洗った後に、ゆっくりと湯船に足を入れた。

 湯加減は丁度いい。

 肩まで浸かると、体に熱が染み込んで疲れた体をほぐしてくれる。


「ふわぁー」


 あまりの気持ちよさに、シアンの口から声が漏れた。

 疲れていたせいもあって、気を抜けばこのまま眠ってしまいそうだ。


 そうして、シアンが眠気と死闘を繰り広げていた時だった。

 ガラガラガラ!!

 勢いよく浴場の扉が開かれる音がした。

 誰かが入って来たのかとシアンは振り向いて――即座に目を逸らし、噴水のようなオブジェへと隠れた。


「わぁ、本当にシアン様がいらっしゃいますわ!!」

「お嬢様、走らないでください。滑りますよ」


 浴場へと入って来たのは、まだ幼さの残る銀髪縦ロールの少女と、その後ろに付き従う黒髪の少女だった。

 二人ともタオルで体を隠しているだけ、普通に湯船に入るつもりである。

 そして、その二人の姿には見覚えがあった。


(怪鳥に襲われてた――レイラ様の妹とメイドさん!? どうして、当たり前のように入って来てるの!?)


 シアンたちが住むヴォルゼオス帝国には、混浴の文化などは無い。

 当たり前のように入って来た二人に、シアンは頭の中がパニックである。


「ゆっくりしていた所、ごめんなさい。妹のリーシャがどうしてもシアンに会いたいと騒いでしまって」

「れ、レイラ様まで……!?」


 二人の後ろからはレイラまで入って来た。

 当たり前のように衣服は脱いでいる。


「だって、私たちを助けてくれたシアン様に早くお会いしたかったんですもの。怪物を切り裂いた時の姿は、とっても素敵でしたわ……」

「お風呂くらいは待ってもいいじゃない」

「そう言って、どうせお姉さまがシアン様を独り占めするつもりでしょう? 私は見ていましたわ。私の誕生日会で、シアン様とイチャイチャしているお姉さまを!!」

「い、イチャイチャなんて、していないわよ!?」

「嘘ですわ! 普段は氷みたいに冷ややかなお姉さまが、シアン様には真夏のアイスみたいにデレデレ甘々でしたわ!!」

「この……いくら妹でも嘘をまき散らすなら容赦しないわよ……」

「わー⁉ お風呂で氷魔法は反則ですわ!? 風邪をひいてしまいます!!」


 騒がしく湯船へと入って来る姉妹だが、シアンには二人の喧騒など聞こえていなかった。

 なぜか当たり前のように混浴を始めている三人に混乱していた。


(な、なんで三人とも平気な顔をしてるの!? 普通に考えて男のボクとお風呂に入って良いはずが――はっ!?)


 グルグルと思考を巡らせている内に気づいてしまう。

 そういえば、レイラはシアンのことを『彼女』と呼んでいた。

 そもそも、シアンはレイラと出会った時からずっとメイド服を着ていた。

 少なくともグレイシア家の使用人を騙してメイドとして雇って貰える程度には、シアンのメイド姿には違和感がない。

 初見でシアンのメイド姿を見れば、女性だと思い込むのが当然である。

 そして、今の今までその誤解は解けていないのだ。


(あわわわわわ……やってしまった。早く男だって伝えないと……!!)


 今なら、まだ土下座で許して貰えるかもしれない。

 過ちはさっさと認めて謝る方が被害が少ないのだ。

 シアンは罪の告白をしようと口を開き――。


「シアン様はずっと噴水の影に隠れて……カッコいいのに照屋さんなのですね? せっかくなのですから、ロイヤルレディーの裸を見ておいた方が良いですわ」

「ろ、ろいやるれでぃー?」

「リーシャ、私はまだ皇室の人間はないから、ロイヤルレディーでは無いわ。皇子と婚約しているだけよ」

「同じようなモノですわ。さぁ、シアン様、お姉さまの裸体なんて貴重ですわ。だって、男が見たら死刑になるくらいですもの!」


 ピシ!!

 シアンの動きが石のように固まった。

 温かい湯船に浸かっているはずなのに、ぶるぶると体が震える。

 たった今、リーシャはなんと言っただろうか――男が見たら死刑?


「シ、シケイ? ドウイウイミデスカ?」

「あら、なんだか錆びついた喋り方ですわ?」

「私は皇子と婚約しているから、私を辱めるような行為は皇族への不敬行為と受け取られるのよ。具体的な罪状を言えば『不敬罪』……リーシャが言うように最悪の場合は死刑になるわね」

「ト、トッテモベンキョウニナリマシタ」

「やっぱり錆びついてますわ……」


 マズいマズいマズいマズい!!

 シアンは噴水の影であわあわと頭を抱える。知らない間に大罪人となっていた。

 もしも、男だと話したらこうなるかもしれない。


『実はボクって男なんですよー。あははー』

『死刑』

『うわぁぁぁぁ!?』


 こうなったら素直に『男です』とは言えない。

 なんとか、グレイシア家から出ていくまでごまかして生きていくしかない。

 だって、死にたくないもの。

 しかし、性別をごまかすのも苦しい。命の恩人であるレイラに性別を偽るのは気が引ける。

 死刑への恐怖と、恩人への罪悪感にシアンは頭を抱えて悩む。


「キミ、どうかしたの?」

「ぴぃ!?」


 急に声をかけられて、シアンは咄嗟に手で体を隠した。

 気がつけば、すぐ隣に黒髪のメイドさん(今はメイド服は着ていないが……)が座っていた。

 彼女は驚いたシアンに首をかしげたが、すぐにニコリと微笑んだ。


「……私はエリシア。キミとは同僚になるわ。これからよろしく」


 エリシアは笑顔のまま手を差し出してきた。

 挨拶なのだろうと、シアンも手を出して握り返す。


「あ、はい。よろしくお願いしま――わっ!?」


 しかし、シアンが手を握り返すと、グイッとエリシアに引っ張られた。

 二人は密着するような体勢になる。エリシアの柔らかい肌の感触が伝わって来た。

 シアンの心臓がドキドキと高鳴る。

 しかし、エリシアはシアンの様子など気にせずに耳元でささやいた。


「キミ、隠してることがあるでしょう?」


 ドキリ。

 シアンの胸が痛いほど悲鳴を上げた。


(男だってバレてる!?)


 シアンが顔を青白くしていると、エリシアは体を離す。

 エリシアは変わらず笑顔を浮かべていたが、先ほどまでの微笑みとはグルリと変わって小悪魔のように意地悪な笑みを浮かべていた。

 そのニヤニヤ笑いは、まさに弱みを握った人の笑みである。


「ま、詳しい話は次の機会にしましょうか」

「は、はい……」


 弱みを握られてカツアゲとかされるパターンである。

 しかし、シアンはエリシアに逆らうことはできないだろう。

 バレたら死刑だもの。


「あ、エリシアが抜け駆けしていますわ!」

「していません。同僚として親交を深めていただけです」


 エリシアは先ほどまでのニヤニヤ笑いを消して、澄ました顔でリーシャに応えた。

 どうやら、公私で表情を分けれるタイプらしい。


「言いわけは無用ですわ! シアン様、次は私とお話しましょう!」

「お嬢様。先に髪を洗いましょう。ご自慢の縦ロールがくすんでしまいますよ?」

「はっ!? それはいけませんわ!!」


 その後、シアンがお風呂を出れたのは全員が出た後だった。

 なぜなら先に湯船から出ると体を見られてしまうから。

 ちょっとのぼせたシアンであった。

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