第3話 逃避

「はぁ……はぁ……」


 グレイシア家の屋敷から逃げ出して数日後。

 シアンは街中を走っていた。

 顔を隠すようにフードを深くかぶり、黒い外套の下にはメイド服を着たままだ。

 メイド服は走りやすいように膝ほどで切られている。薄汚れた様子からは、あちこちを走り回ったことが分かるだろう。


 シアンが必死になって走り回っているのは理由がある。

 様子を見るように、チラリと背後に目を向けると。


「いい加減、大人しく捕まれや!!」

「テメェがしくじった詫び入れろ!!」


 スーツ姿の男たちがシアンを追いかけている。

 彼らはシアンの主人が放った追手だ。

 どうやら主人は、レイラの暗殺を放棄したことにお怒りらしい。

 捕まれば何をされることか……殺される可能性も低くない。


(せめて、首輪が無ければ何とかなるんだけど……)


 シアンは苦しそうに、首に付けられた首輪を動かす。

 この首輪はかつて奴隷に使われていた首輪だ。

 シアンの住む『ヴォルゼオス帝国』では奴隷制度は廃止となっており、この首輪も使用が禁じられているのだが……一部の権力者は隠れて使っている。


 奴隷に使われていたことから分かるように、この首輪は人を管理するための道具だ。

 人の人権を剥ぎ取り、命でさえも容易く奪う。

 無理に外そうとすれば魔法が発動し奴隷を絞め殺す。さらに、主人が決めた範囲から出ても殺される。

 今は帝都から出ることを禁じられているため、遠くに逃げることもできない。

 シアンに残された道は、帝都をグルグルと逃げ回る事だけだった。


「死に晒せ、ガキィ!!」


 バン! バン!

 立て続けに二発の銃声が鳴り響く。追手の一人がシアンに銃口を向けていた。

 しかし、シアンはくるりと体をひるがえすと腕を振った。その手には黒いナイフが握られている。

 銃弾はシアンに届くことは無く、甲高い音を鳴らしながらナイフに防がれた。

 切られた弾丸がカラカラと地面に転がる。


「クソが! 曲芸みたいに銃弾を切り裂きやがって……!!」

「おい、ガキが曲がったぞ! 追え!!」


 シアンは角を曲がり追手の視界から外れると、陰に隠れた。

 息を潜めながら追手の声に耳をすませる。


「クソ。ドコに行った!?」

「ガキはどっちに逃げた!?」

「分からねぇ! 二手に分かれるぞ!!」


 男たちの足音が遠ざかっていく。

 完全に音が聞こえなくなると、シアンは小さく息を吐いた。

 シアンが隠れていたのは男たちの足元だ。下水路へと繋がるトンネルに隠れていた。


(よし、後はこの先に……)


 シアンはトンネルの出口に背を向けると、下水路へと入って行った。

 ここ数日ほど帝都を逃げ回っていたシアンだが、ただ逃げ回っていたわけじゃない。

 あちこち逃げ回りながら、シアンは首輪の外し方を探っていた。


 シアンが付ける首輪は、複雑な魔法によって特定の人物しか操作できなくなっている。

 当たり前なのだが、誰でも操作できたら奴隷が逃げ出してしまう。

 シアンの首輪も付け外しが出来るのは、シアンの主人だけだ。


 しかし、なに事にも例外は居る。

 この首輪も、専門的な知識と技術を持っている人ならば、外すことは不可能ではない。

 もっとも、本来であれば禁止されている道具の専門家なんて、その辺に転がっているわけが無い。

 だから、シアンは帝都のもっと深くに潜る必要があるのだ。


 帝都の地下には汚水や雨水を処理するための下水路が広がっている。

 しかし、その下水路には不思議な点が一つある。なぜか、点々と広い空間が掘られているのだ。

 『当時の皇族が資産を隠すために作らせた』とか、『軍部がクーデターの準備のために掘った』とか言われているが真相は誰も知らない。


 理由はともかく、無駄に広がっている地下空間はお日様の元を歩けない人たちにとって都合の良い逃げ場所だった。

 いつしか地下空間には人が住み着き、住み着いた人々が勝手に住居を用意して、いつの間にやら店まで出し始めた。

 そうして出来上がったのが――。


(ここが帝都のスラム街……思ったより栄えてるんだ……)


 下水路をしばらく歩いたシアンは、ぽっかりと大きな空間に出た。

 そこにはガチャガチャとした建物が立ち並んでいた。

 廃材を利用して建てているせいで、建材にまとまりがない。それが理由ででガチャッと感じるのだろう。

 看板や建物を魔法でライトアップしているおかげで、地下の悲壮感は感じない。

 むしろ、ちょっとした歓楽街のような賑やかさだ。

 もしかしたら、こうして無理にでも明るくしていないと、地下での暗い生活に耐えられないのかもしれない。


(首輪を外せる人はドコに居るのかな……)


 シアンはキョロキョロと顔を動かしながらスラムへと入っていく。

 その姿は初めて街にやって来た田舎者。あきらかにスラムに慣れていないことが見て取れる。

 スラムに巣食う小悪党たちにとっては、まさにカモがネギを背負っているように見えただろう。


「やぁやぁ、お嬢さん!! イグァナの串焼き食って行かないかい?」

「わわ!?」


 シアンの前に薄汚れた男が飛び出してきた。

 どうやら食べ物を売っているらしい。香ばしい匂いを漂わせた串焼きを、押し付けるように差し出してくる。


「い、イグァナ?」

「知らないのか? 下水路に住み着いてるトカゲだ。ネズミなんかを食って生きてんだよ。うめぇぞ?」

「い、いえ、先を急いでるので……」


 そう言って断ろうとしたシアンだったが――くぅ……。

 なんだか、数日前にも見た展開である。シアンのお腹が小さく自己主張をした。

 ここ数日間、追手から逃げてばかりでまともに食べれなかったせいだろう。串焼きの匂いで食欲が爆発したらしい。


「なんだ、嬢ちゃん腹が減ってるのか? しょうがねぇなぁ。こっちに来い。たらふく食わせてやるよ!」

「だ、大丈夫ですから……」


 と、口では断りながらもシアンは男に手を引かれても抵抗しない。

 だってお腹が空いたから。

 やはり、お菓子に釣られるガキンチョである。


「ほらほら、入った入った」


 シアンが連れられて来たのは、今にも崩れそうな手作り感がある小屋だった。

 男はグイグイと背中を押して、シアンを小屋へと押し込む。 


「お、お邪魔しま――ッ!?」

「逃げるな!!」


 シアンが入ったとたん、小屋に怒号が響いた。

 同時に首輪の宝石が赤く光ると、シアンの首に激痛が走った。

 引き裂かれるような痛みに悶え、シアンは床に転がる。


 痛みに耐えながら顔を上げると、スラムに似つかわしくない黒いスーツを着た男が居た。

 でっぷりと太った体は彼の裕福さを象徴しているようだ。

 片手に持った杖は上品な木目を輝かせている。きっと高級な物なのだろう。

 見るからに金持ちだと分かる男が、シアンを忌々し気に見降ろしていた。


「奴隷ごときが……本気で私から逃げられると思ったのか?」

「うぐ……」


 その男はシアンの主人だった。

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