第2話 つい、うっかり

「あ、あははー……お姉さん、ちょっと用事思い出しちゃった!」


 ばひゅん!!

 シアンをナンパしていた女性は、音を置き去りにしてレイラから逃げて行った。


「……まったく、あの人は」


 レイラは逃げた女性を目で追うと、呆れたようにため息を吐いた。

 残されたのはシアンとレイラ。

 パーティー会場の隅に居るため周りに人気は少ない――と言うか、シアンが女性に追い込まれて人気の少ない所へと追い詰められていた。


(あれ、もしかしてコレってチャンス?)


 暗殺対象であるレイラは目の前に居て、周りには護衛などの邪魔になる人が居ない。

 『棚からぼた餅』どころか、『棚からクレープ』である。

 まぁ、衛生状況が悪そうなので棚から出てきたクレープは食べたくないが――ともかく、千載一遇のチャンスだ。


(武装の類は無し。動きから武芸を習ってることは分かるけど……たぶん足づかいからすると魔法使いみたいな後衛タイプ。この距離の攻撃は避けられないはず――うっ)


 シアンがレイラを観察していると、ふと目が合ってしまった。

 レイラは一瞬だけ目を見開いた。しかし、すぐに何事もなかったように首をかしげた。


「……あなた、以前にも会ったことがあるかしら?」

「えっと……数日前からこちらの別邸でお世話になっておりますので、お嬢様とは初めてお会いしました」

「……そう」


 レイラは残念そうにため息を吐いた。

 しかし、目線だけは逸らすこともなく、ジッとシアンのことを見つめ続けている。


(な、なんか凄い見られてる! もしかして、疑われるようなこと言っちゃったかな……)


 なぜか、シアンから目を離さないレイラ。

 なにか怪しまれるような言動をしたかと、シアンの内心では大騒ぎで緊急会議の真っ盛りだ。

 暗殺者としての修行のおかげで顔にこそ出ていないのが幸いだった。

 しかし、トラブルはトラブルを呼び寄せるのが世の常である。

 

 くぅー。

 だが、頭がパニックになったせいで別の部分の集中が抜けていたらしい。

 シアンのお腹が小さく声を上げた。


「……お腹が空いてるの?」

「ご、ごめんなさい。パーティーの準備で忙しくて食べてなくて……」

「あなた、好きな食べ物は?」

「え? えっと、お肉とか」

「じゃあ、これなんてどうかしら」


 レイラは近くのテーブルから食器を取ると、並べられていた料理を取り分けた。


「はい。あーん」

「え、いや、お仕事中ですし……」

「あら、ご主人様に食べさせてもらうのは嫌なの?」

「い、嫌じゃないですけど……」

「じゃあ、大人しく食べなさい」

「は、はい」


 レイラがフォークに刺した料理を差し出してくる。ゴロッとしたお肉の揚げ物だ。見た目は唐揚げに近い。

 あーん。と口に放り込まれると肉汁が口に広がった。


「とっても美味しいです!」

「それは良かった。他にも食べたい物はあるかしら?」


 どうやら、他にも食べて良いらしい。

 ここ最近、食事と言えばボソボソのパンと具無しスープぐらいしか食べてなかったシアンに、レイラは女神のように見えた。


(こ、こんなに善い人、殺せない……)


 美味しい物をくれる人=善い人という子どももビックリな単純さだが、暗殺者の修行中にも『お菓子をくれる不審者に付いて行かないように!』なんて教育は受けていないので仕方がない。

 ……本当に仕方がないかは諸説あると思うが、ともかく仕方が無いのだ。


「あら、他に食べたい物は無いの?」

「い、いえ、あります! 甘い物でも良いですか?」

「ふふ、別に構わないわよ?」

「そ、それじゃあ――」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 シアンが侯爵令嬢に落とされてスイーツの注文をしようとした時だった。

 パーティー会場を甲高い悲鳴が突き刺した。

 なに事かと見回すと――シアンは屋敷の外に大きな気配を感じた。


「この感じ……来る!!」


 ガシャガシャガシャガシャ!!

 大きななガラス窓を突き破って、巨大な怪鳥が飛び込んできた。

 グズグズになった腐りかけの体。取れて空洞になった目。そして鼻につく死臭。

 飛び込んできた怪鳥は死んでいた。死んでいるのに動いていた。


(死体が動いてる……死霊術師!?)


 死霊術とは死体を操る魔法のことだ。

 倫理的な観点からシアンたちが住む国では禁止されている。

 それでも死霊術を使うのは法に従わない犯罪者だ。例えば、暗殺者とか。


(もしかすると、ボクが失敗した時の保険かも……)


 ありえる話だ。

 シアンが暗殺を渋っていたことは主人にも伝わっているはずだ。

 ならば、シアンがしくじった時のために保険を用意しておくのはおかしな話ではない。


「きゃぁぁぁぁぁ!?」

「な、なんだ。あの怪物は、どうして帝都にモンスターが入ってこれる!?」

「速く逃げるんだ!! 踏みつぶされるぞ!!」


 飛び込んできた怪鳥に会場はパニックになった。

 怪鳥から逃げようと、賓客たちは会場の出口へと殺到する。

 しかし、賓客たちに怪鳥は興味もないらしい。


「GYABIIIIIIIIII!!」


 怪鳥は腐りかけの喉でびちゃびちゃとした叫び声を上げながら首を振った。

 まるでパーティー会場を見渡すように首を動かすと、ピタリと視線を止めた。


「GYAAAAAAAAAAA!!」

「ッ!? させない!!」


 どこかに狙いを定めて走り出した怪鳥。同時に何かを察したレイラも走り出した。

 怪鳥とレイラ、二人が交差するであろう場所にシアンも目を向ける。


「うぐっ!!」

「お嬢様、大丈夫ですか!? しっかりしてください!!」


 ぐったりとした銀髪の少女と、それを介抱しているメイドの姿があった。

 少女は逃げる賓客にぶつかって頭を打っていた。命に別状はないだろうが、動けないようだ。

 あのままでは怪鳥に潰されるだろう。

 そして銀髪の少女には見覚えがある。レイラの妹――今日のパーティーの主役だ。


(どうして妹さんが狙われてるのか分からないけど……ボクにはどうしようもないよね……)


 シアンは自身の首を触る。

 メイドのフリルの下には、変わらず首輪が付けられている。

 生かすも殺すも、その権限はシアンには無いのだ。邪魔をすれば殺される。

 だから、シアンには何も出来ない。


 シアンにとって一番賢い選択は、ただ事態を傍観することだ。

 知らない少女と知らないメイドが死ぬだけだ。別にシアンが殺すわけでもない。

 ただ、成り行きを見守って、混乱に乗じてレイラを殺すのが最良だ。


 だから、シアンはただ見つめていた。

 怪鳥によって少女とメイドが踏みつぶされるまでの瞬間を。

 ふと、メイドと目が合った。彼女は涙を浮かべながら手を伸ばしてきた。

 そして彼女の口元が動いた。


『助けて』


 ズドン!!

 会場に雷鳴が響いた。

 なに事かと逃げていた賓客たちが振り向いた時には――怪鳥が真っ二つに切り裂かれていた。


「やってしまった……」


 切り裂かれた怪鳥の死体がばたりと倒れる。

 死体の前には返り血でエプロンを赤く染めたシアンが立っていた。


「あなた、どうして……」


 駆け寄ったレイラが目を見開いてシアンを見つめる。

 しかし、シアンは何も答えることができない。

 『レイラ様を殺しに来た暗殺者ですが、ついうっかり人助けをしてしまいました!』なんて言えるわけが無い。


「……ごめんなさい!」


 なにも言えないシアンが選んだ道は逃走。

 怪鳥が割ったガラスから夜の街へと逃げ出して行った。

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