竜は動かず 4
スペクタクル・ジューンは妖精族だと思われている。
だが彼女が自分からそう言ったことはない。なぜなら妖精じゃないからだ。子供の姿のまま年をとる妖精の生態が、成長が異常に遅い自分の種族の特徴に似ているために、妖精と思われることが多いのだ。
なぜ自分の種族を名乗らないのか……それはもう自明であろう。
現在いるはずのない存在だからだ。
……竜族!
ジューンは子供のころから疑問に思っていた。
――なぜ竜族は他の種族を奴隷にしているのだろう?
けんかはいけない、という両親は、少しミスをした奴隷を鞭打つことをなんとも思っていないようであった。
「なぜって、わたしたち竜族がもっとも優れているからだよ。他の七種族を使役するのは当然のことじゃないか」
「人族たちは奴隷として生まれてきたのよ」
両親はそう言った。だが納得できなかった。ジューンは食事係のように料理することはできないし、掃除係のように整理整頓することもできない。優れているというのならばその分野では彼らのほうが優れているといえるのではないか。
みんな同じじゃないのか。
すべての種族がなかよく暮らす世の中を、幼い彼女は夢想した。それこそが美しい光景だと思った。
だが彼女は子供だった。正面切って親がおかしいと言うこともできなかった。ジューンにできたのは、鞭打たれた人たちの傷を魔法で治すことくらいしかなかった。
七族の反乱が起こったときも、驚愕し激怒する大人たちとちがって、幼いジューンは意外に思わなかった。あれだけひどいことをしていたのだから、やりかえされるのも自然だろう。
「ごめんなさいして、仲直りしようよ」
というジューンの言葉は無視され、竜族と反乱者たちとの戦は激しく続き、続くほど戦況は竜族に不利になっていった。
竜族だけにそなわった力……巨大な竜に変身する能力もあって抵抗は激しかったが、竜族はやがてじりじりと追いつめられていった。
残された拠点はドラグニールだけになり、もともと一〇〇〇人に満たなかった竜族もすでに数十名まで数を減らしていた。
ドラグニールを魔法で封鎖し、反乱軍が入ってこられないようにしたが、このままでは食料もなく、ただ滅びを待つだけの状態になってしまった。
そこで大人たちはある決断をした。
もはや敗北は避けられない。が、竜族の全滅だけは避けなければならない。
残っていた子供たちを封印して、将来の復活に賭ける……。
子供たちは六つの塔にそれぞれ封印されることになった。そのなかにジューンもいた。ジューンたちは塔の中で眠りについた。
一〇〇〇年の眠りに……。
なぜ彼女が七族共栄を望むのか、それは子供時代の夢だからだ。
ただしそこに彼女の居場所はない。竜は七族にふくまれない。千年の眠りからさめたスペクタクル・ジューンは、この世の部外者なのであった。
話し合いにおける調停士と同じく、主役になってはいけないポジションなのだ。ジューン自身がそう信じていた。
だが、せめて……、子供のころ夢みた理想の社会が実現されるところが見たい。たとえおのれの居場所はなかったとしても。
それがジューンのわがままだ。
(@_@)
悲鳴が飛びかう。突然の竜の出現に周囲はパニック状態だ。見上げてへたり込む者、逃げ出して転ぶ者、その場で泣き出す者……そこにはすでに規律正しいディント軍の姿はない。
シヴァルはそのなかに立っていた。正面には視界いっぱいに巨大な竜の姿がある。
竜は首を巡らせて周囲を睥睨する。竜の顔が動くたびに、その方向にいる兵士たちが先を争って逃げ出す。竜の前脚に押さえ込まれるように、意識を失った日陰が倒れていることにはだれも気づいていない。
やがて竜の視線がシヴァルをとらえた。シヴァルは動かない。恐怖に身がすくんだのではない。……いや、正直にいえばそれもあったが……、それだけではなかった。
竜の目に知性と意思を感じた。すくなくともただの怪物ではない、と思ったのだ。
とはいえ竜の顔がぐっと近づいてきたときには、ものすごい圧力を感じてあとずさってしまった。尻餅をつかなかっただけましだ。
こちらを見る竜から、声ならぬ声がシヴァルの耳ではなく頭蓋の中にひびいた。
〈シヴァル。ボクだ〉
その声音……音といっていいのなら……には、聞き覚えがあった。シヴァルは目を見開く。
「……先生!? まさか……なんでそんな姿に……?」
〈ボクのことはいい〉
どうやら竜の言葉はシヴァルだけに聞こえているようだった。
〈キミはなにしにここへ来たのか憶えているか。王子の天幕はすぐそこだ〉
その言葉にシヴァルが振り返れば、立ち並ぶテントの群れの先に、周囲よりひとまわり大きく、華美な天幕の先端が見えている。
「でも、先生は……?」
〈ドラグニールとディント王国の行く末はキミにかかっている。ボクではなくてね〉
竜はぐっと首を高く伸ばした。それだけで悲鳴があがる。
シヴァルはごくりと唾を飲んだ。ここから先は彼ひとりということなのだ。ジューンは同行できない。
ひとりで兄を説得しなければならない。
できるのか?
出発前はえらそうなことを言ったが、ほんとうにできるのだろうか?
いや、やるしかない。
「わかりました……!」
ぐっと拳を握りしめ、シヴァルは駆けだした。
〈そうだ、それでいい〉
ジューンは彼を見送る。
彼女には、この竜の姿、そして力を見せつけて、ディント軍を撤退させるという選択肢があった。
五〇年前にはそうした。山を吹きとばして、和平を結ばせた。
ジューンは、そのことをずっと後悔していた。
このままディント軍が止まらなければ、貴重なドラグニールが失われる。だがそのために竜の力でねじ伏せるようなまねをすべきなのか、どうか。
迷っていた。
だが黄丹、そしてシヴァルの言葉で、決めたのだ。
竜の力は使わない。あくまで調停士という第三者として振る舞うと。
毒を受けて変身せざるをえなくなったのは誤算だったが、この姿になってしまったからといって力を振るう気はなかった。
ただ、少しばかりシヴァルのサポートをするくらいはゆるされるだろう……。
天幕の中にいたマイザーンにも、まわりの騒ぎは聞こえていた。けげんそうに腰を上げる。
天幕の入り口の外から、側近リギのあわてた声がした。
「王子! 大変です!」
マイザーンの許可がなければ天幕に入ってはいけないため、何があっても外から言上するのだ。それはむろん帽子の下を見られないための用心である。
それにしてもリギの声音が尋常ではないため、返事を聞くより前にマイザーン自身で天幕入り口の布を跳ね上げて外に出た。
「どうした?」
「あ、あ……あれを!」
頬ひげを震わせながらリギが指差す先を見て、さすがのマイザーンも冷静さを保つことはできなかった。
「なんだあれは!?」
「竜です……!」
少し離れたところで首を伸ばしているそれには、幻覚や作り物とは思えない存在感があった。
「……まさか、本当に存在したのか」
「どどどうしましょう」
竜はこちらへゆっくりと歩いてくる。テントや人をよけてゆっくりとした進み方だ。
「どうやらわれわれを攻撃しにきたわけではなさそうだ……今のところは」
さすがは歴戦のマイザーンだけあって、驚愕から立ち直るやしっかりと相手の行動を観察していた。
「ほんとうにあれが五〇年前に出現したといわれるような竜であるなら、言葉が通じるはずだ」
「王子、あれを刺激するのは危険です!」
「竜よ!」
マイザーンはその場で声を張りあげた。
竜の首がゆっくりとめぐり、こちらを見る。リギが、ひっ、とひきつった息を漏らした。
「われわれは盟約にそむいたわけではない! むしろドラグニールのほうが違反したといえる! かの都市はわが弟を殺したのだ!」
堂々たる物腰であった。
王子やリギは息を呑んで竜の反応をうかがう。ほかまわりにいる全員の視線が竜に集中した。だから気づけなかった。
走ってくる者の存在に。
シヴァルが王子に横からタックルした! 組みついたままそのままの勢いで天幕の中へ転がり入る。机や椅子を弾き倒す。シヴァルは兄の頭から帽子を奪いとった。
マイザーンがシヴァルを蹴りとばし、ふたりは距離をおいて対峙する。
「兄上!」
「シヴァルだと……!」
マイザーンの驚愕、それは竜を見たとき以上かもしれなかった。死んだはずの弟が、軍を動かすための大義名分が、よりにもよって自陣の真ん中に突如あらわれたのだ。
天幕の外からリギが呼びかける。
「王子!」
「入るな! ここは私ひとりで対応する」
マイザーンの髪の間から、切り落としたあとの角が出ている。ほかの者にこれを見られるわけにはいかない。
「お前たちは竜の出方をうかがえ。状況に応じて対処せよ」
「は、はい」
天幕の外で返事をしたリギは竜のほうへ向かっていった。
あらためてマイザーンは目の前にいる少年に意識をもどした。
「兄上」
(@_@)
「帽子を返せ。いまは外のほうが喫緊だ」
いろいろ混乱しているだろうが、優先順位をまちがえないマイザーンは弟に向けて片手をのばした。このままでは外に出られないからだ。
もちろんシヴァルはそれをねらったのである。帽子がなければ一対一で話せる。
「このまま踏みつぶされてもいいのか?」
「外はたぶん大丈夫……と思う」
シヴァルも事態を完全に理解しているわけではない。しかしあの竜にはジューンの意思が介在していた。
ならば破滅的なことにはならないだろう。
「なにを知っている?」
マイザーンの観察眼はするどい。
「あの竜らしきさわぎは、おまえのしわざか」
「ちがう、けど」
「けど、なんだ。おまえがかかわっているのは確かだということか」
射抜くような兄の目。シヴァルは内心で少なからずひるんだ。
「ぼくだってなにも知らない」
竜のことについてはそれは本当だ。いまからジューンに聞いてみたいくらいだ。
だが彼が今すべきことはそれではない。
シヴァルは声を励ました。
「それよりも、ぼ、ぼくはドラグニールの使者だ。マイザーン王子と交渉をしにきた!」
「会うとは言ったが交渉に応じると伝えたおぼえはないが……そうか、今になってドラグニールがなんの用事かと思えば、おまえの生存を交渉の材料にするつもりで来たのだな」
日陰め、しくじったな、と声に出さずマイザーンは言った。心のなかではすでに彼を切る計算をはじめていたが、問題は目の前の生きたシヴァルだ。
「おまえは生きているから攻撃すればこちらの盟約やぶりになる……といったところか。だがそれなら失敗したな」
マイザーンは腰の剣を抜いた。眼光が冷たい。刃先がシヴァルを向く。シヴァルの表情がこわばった。
「おまえがここで死ねば同じこと。のこのこ出てきたのが失敗だ」
シヴァルは呼吸をととのえたい。目の前に兄がいる。天幕の中にふたりきりだ。
「ぼくはそんな計算はしていない。していたら兄上の言うとおりここには来なかった。ぼくは、兄上、あなたに話したいことがあるんだ」
「こちらにはない」
剣が閃いた!
「ひいっ」
シヴァルがそれを避けられたのはまぐれだ。剣術の腕前でも、兄は弟よりはるかに上なのだ。
あわてて逃げるシヴァル。倒れた机の裏に避難する。隠れながら言葉を継いだ。
「ぼ、ぼくは王位を継ぐ気はない」
「命乞いか?」
「ちがう!」
マイザーンが机を蹴飛ばし、隠れていたシヴァルの姿をあらわにする。恐怖の表情。シヴァルは刃が落ちてくるのをぶざまに転がってかわし、そこにあった椅子を持って防ぐ体勢をとった。
「ぼくは、ずっと兄上が王にふさわしいと思っていた。はじめて会った、あのときからずっと」
「ぬけぬけと!」
マイザーンはシヴァルから鋭い剣先を離さないまま、もう一方の手をみずからの頭にやった。そこにあるのは根元ちかくから切り落とされた、角の残りだ。
「私は――角が父に露見し、切除させられたときには、譲ってもいいと思った……おまえに、王位を。王としてではなくとも国を支えることはできる。そう思ったのだ」
弟に炎のような視線を浴びせる。
「父上に命じられて北征を行ない、帰ってきた。そうしたら、なにごとだ」
ぎりりと歯噛みするマイザーン。
「おまえは、次代の王として政治の勉強にはげむどころか、遊びほうけていた!」
「あ、あれは……、たしかにまちがっていた。いまならわかる」
ジューンにも指摘されたし自分でも痛感している。
「でもそのときはそうするしかないと思ったんだ。そうすれば不肖の子ってことで父上がぼくを後継者からはずすかもしれないと」
「ゆかいな言い訳だな」
マイザーンはシヴァルの弁明に冷笑を返した。信じていない。
無理もない。マイザーンの怒りも当然だと、シヴァルにも思えた。
「ほんとうに後継者から外されるつもりなら、遊びはもっと乱脈をきわめていたはずだ。それをおまえは、こざかしくも父上の逆鱗に触れないていどの範囲で遊んでいた」
「それはまったく兄上の言うとおり」
くり出される剣をどうにか椅子ではじいて、
「ですがそれには理由があったのです」
とうったえる。
「スターバロウ太守に任命されたときの話、あのままでは公式に王太子になってしまうと思った。だから逃げたんです」
「殺されそうだと思って、逆襲の機会をうかがうつもりでだな」
「ちがう、ほんとうに一市民として暮らすつもりだった!」
何度目かの攻撃で椅子が壊れた。シヴァルは残った椅子の脚を剣のようにかまえるしかない。息があがっている。必死で動いたぶん疲労も大きい。
いっぽうのマイザーンは余裕がある。実戦できたえた体力の差は、そのまま王子として努力してきた差にひとしい。
「兄上が誤解するのも当然です、ぼくは黙っていなくなったから」
荒い息の合間から話をつづける。
「なんでひとりで勝手に決めて急に逃げ出したのか。それも遊んでいたときと同じ理由があった」
「ほんとうに王位を欲さないのならば、ほかにやりようがあったはずだ!」
言葉とともにマイザーンが剣を突き出す。
「それもそのとおり!」
両手で持った椅子の脚で、片手の攻撃をはじく。はじきそこねてうっすら頬に血が流れる。
「兄上のおっしゃるとおりだ。ほかにやりようはあった」
「ならば、この場でおとなしく命を差し出せ! それが誤りを正す道だ!」
さらなる攻撃がシヴァルを襲う。
激しい手ごたえとともに、攻撃を受けた椅子の脚が音をたてて砕けた。
ジューンはなるべく周囲の被害を出さないようゆっくりと歩く。シヴァルとマイザーンの天幕から人々の注意をそらすように少し離れたところまでいって止まった。
周囲でディント軍の将兵が騒いでいる。マイザーンの人心掌握は大したものだ。巨大な竜を前にしても逃げだそうとしない者がこんなに数多く残っている。
「弓を貸せ!」
さきほどうろたえていたリギも我を取り戻し、悠然と居座る竜に戦意ある視線を向けている。部下から弓矢を受けとる。強弓だ。それをたやすく引いた。リギ自身も武芸の達者であることがわかる。
ジューンに向けて矢を射る。
しかし竜の鱗には刺さらない。矢はむなしく落ちた。
「どうしますか」
部下が聞く。矢を射かけられても竜は反応を見せない。言葉での呼びかけも通じなかった。竜は動かずにいる。
だが、このまま何もしないで見ているだけでは王子から対処を任された意味がない、とリギは、決然として顔を上げた。
「攻城兵器の用意だ」
「まさか、竜に攻撃を?」
うろたえる部下たちを睨みつけるようにして、
「あれが竜ならばなんらかの意志を示すはずだ。五〇年前のようにな。あいつは怪物だ。正体はわからんが、ただの怪物なんだ。竜ではない」
その気迫に部下たちは圧された。
「わかりました」
外の声の様子が変わっているのにふたりとも気づいた。逃げまどう悲鳴ではなく、戦場の声になっている。マイザーンは外の状況が気になるようだが、今のままでは天幕の外には出られない。
シヴァルの左腕に新しい傷ができた。血が服の下をつたい、手の甲から指先へ赤い蛇のように降りていく。爪の先に至った蛇がしずくとなって、床に敷かれた毛氈のうえに紅色の点を描いた。
痛みに顔をゆがめ、脂汗をにじませながら、それでもシヴァルは言葉を止めない。
「どうせ遊ぶならなぜ思い切って遊ばなかったのか。逃げ出すくらいならなぜスターバロウ太守の座を拒否しなかったのか。なぜ兄上と話し合うことなく勝手に行動したのか。そもそも後継者の地位をなぜ断らなかったのか! ぜんぶ同じ理由によるものです」
「なんだその、さっきから理由というのは」
「ぼくが臆病だったから」
「そう、ぼくのせいだ。遊びがひかえめだったのは父上に叱られたくなかったからだ。太守を拒否しなかったのもおもてだって父上に反対できなかったから。兄上と話をしなかったのは父上に止められていたからだし、後継者を断らなかったのもおなじだ」
たいそうな秘密ではない。どこの家庭でも起こっていることかもしれない。だが、それが一国の王家となれば、そしてここまでこじれてしまえば、大きな災禍を生む火種になってしまう。
そんな理由だ。
「――ぼくは父上がこわかったんだ!」
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