竜は動かず 3

 案内されながら、ジューンはディント軍の陣立てを観察する。士気が高く規律が守られているのが見てとれる。南部各地から寄せ集めたはずなのに、もとからひとつの軍のように機能している。さすがマイザーン王子の統率力といったところか。


「なんであんなこと言ったんですか……!」

 歩きながらシヴァルが抗議してきた。ほかの誰にも聞こえないような小声で、

「バレたらどうするんですか」

 彼の声が震えている。ほんとうに肝が冷えたのだろう。


「すまなかったな。だがあれでいくつかわかったことがある」

「なんですか」

「キミの顔はやはり知られていない。というのと、今回の出兵の名目である、シヴァル王子が殺されたということも兵士たちは知らない」


 出兵目的が兵卒に知らされないというのはよくあることだが、それでもうわさや何かでそれとなく感づくものだ。今回はそれもなかった。ということはあえて秘密にしていると考えられる。


「キミの兄君が秘密主義だというのは本当のようだな」

「ぼくもです。ぼくらは似ている。同じだ」

「……ああ、そうだな」



 シヴァルのことは誰にもバレていないと、ジューンもシヴァルも思っていた。

 しかし、

「あれは――おいおい、どういうことだ? どういうことだと思う?」

 日陰だ。日陰が、陣中を歩くふたりの姿を確認したのだ。


「あれはシヴァル王子……まさか、死んだはずじゃあ……あの毒から生還なんかできるはずない……そっくりさんか? そんなわけないか……」

 ぶつぶついう独り言に焦りがにじんでいる。


 日陰が考えていることは、このままマイザーンに会わせるわけにはいかない、ということだった。

 しくじったことがバレたら――それも不可抗力なんかではなく、死にゆく相手と会話する趣味のためにしくじったと知られたら――始末される。


 その結論に至って日陰は戦慄した。もはやマイザーン王子は日陰の毒を信用しないだろうし、穏便にお払い箱にするには裏の事情を知りすぎている。

 それに自作の毒が効かなかったなどと、毒使いの沽券にかかわる。


 シヴァルが生きていたということ自体を、マイザーンにバレないようにしなくてはならない。ぜひとももういちど毒で殺し、今度こそとどめを刺す。マイザーンには刺客だったと言えばいい。


 ただ、眼鏡の娘……達人が同行しているのが難点だが、

「やってやるさ……なあ、本気でやれば誰にだって防げやしないよな」

 日陰は自分に向けてそう言った。


   (@_@)


 連れられて陣の中をゆくジューンたち。そろそろ中陣にさしかかるというとき、ふたりの士官が前をふさいだ。

「何か御用でしょうか。失礼ですが、王子に呼ばれていますので……」

 先導する兵がとまどったように言う。


「ここからはわれらが連れていく。おまえは持ち場にもどれ」

「しかし…」

「なんだ? おれたちが信用ならないというのか?」

「……わかりました。よろしくおねがいします」


 いままでふたりを連れてきた男はそのまま去っていった。なぜだろう、事態が悪化したような気が、ジューンはした。登場したふたりの士官の、粘りつくような不快な視線のせいだろうか。それともさっきから口元に浮かんでいる意地悪な笑いのせいか。


 そのふたりが身につけている服装は、兵卒や一般の士官にくらべてもだいぶ上等なものだ。見た感じわがままいっぱいにすくすく育った地方貴族の子弟といったところか。


 ジューンとシヴァルは近くのテントに通された。物置き用のようだ。隅のほうに物資の箱や袋が積んである。

「ここがなにか?」


「王子との面会の前に身体検査を受けていただく」

「凶器でも持ち込まれちゃたまらんからな」

「さあ、脱いでもらおう」


 おもしろい遊びを考えついた幼児のように、ふたりの士官は目を輝かせている。もっとも幼児にしては邪気と欲望が多すぎるが。


 シヴァルがジューンをかばうように前に出た。

「か、仮にも一都市の使者に対し礼がないのでは。兄う……マイザーン王子の指示か」


「もちろん!」

 力強い返答がかえってわざとらしい。


「うそだ、マイザーン王子はそんなことを命令する人じゃない」

「失礼ながら、われらディントの王子のことを知ったような口で、貴殿はさぞ高い身分の出なのだろうな?」

「踏みつぶされる運命にある一都市の使いごときが」


「あ、あなたたちの態度はとうてい正気とは思えない。案内はけっこう、ぼくたちだけで王子のもとへ行きましょう」

 ジューンをうながしてテントから出ようとするシヴァル。出口をふさぐ士官。


 ふたりの士官が登場してからここまでジューンは一言も口をきいていないが、それは胡の男たちを見極めるためであった。ここまであからさまに神経を逆撫でしてくる態度を取るというのは、なんらかの罠なのではないかという懸念があったからだ。


 だが、結論が出た。このふたりは単なる愚者だ。身分をかさにきて、使者をはずかしめてやろうと考えているだけだ。どうせほろぼす都市の使いなど、どうあつかってもかまわない、というわけである。


 およそまともとも思えないが、士官ふたりを観察してみれば、顔も赤いし口には独特の臭いがかすかにただよう。昼間から酒が入っているらしい。そのせいで、もともと乏しかった良識がさらにすり減ってしまい、このような蛮行に至ったものと思われた。


 ジューンはシヴァルの腕を軽く叩いて、彼の横に出た。士官と相対する。

「恥をかかせたいだけか? 性欲が介在しているのか? 脱げというなら脱いでもいいが、すべてを王子に報告させてもらうぞ。王子の指示だとキミらが言ったこともふくめてな」

 その眼光。眼鏡ごしにも相手を冷たく刺すような目で見上げている。


 士官たちはそれに怖じ気づいたというより酔いをさまされたといった、興が失せた顔になった。

「ちっ、ちょっとした冗談じゃねえか」

「つまんねえな」

 地面に唾を吐いてテントを出ていってしまった。


「なんですか? あれ……」

「勝手なことをしたがるやつはどこにでもいる。国でいちばん優秀な指揮官の下でもだ。大きな集団というのはそういうものなのだな」

 ジューンの声音はむしろしみじみしていた。



「バカなやつらがいるもんだな」

 声には出さずに日陰はひとりごちた。シヴァルを殺すために尾行し、テントに忍び込んでいた彼は、今の茶番を全部見聞きしていたのだ。


 だがそのバカのおかげで機会がおとずれた。ターゲットふたりだけがテントに残っている今なら、誰にも殺しを見られることはない。


 日陰が取り出したナイフ。この前とは別の毒が塗布されている。顔が黒くふくれて判別がつかなくなるという、死者の身元をわからなくするために使用するものだ。楽しい会話をする用のものとはちがって、毒の効きも迅速だ。かすれば必殺。


 相手は気づいておらず、テントを出ようとして日陰に背を向けている。

 絶好の機会だ!



 けっして油断していたのではないが、日陰の存在はたしかにジューンの意表をついた。おろかな士官が消えてひと息ついたタイミングということもあったろう。


 それでもジューンはシヴァルに向けて放たれたナイフから彼を守った。一本めを以前のようにつかみ取る。

 だがナイフは二本投げられていた。その二本めが彼女の腕をかすめ、皮膚を切り傷をつけた。


「しまった!」

「え?」

 シヴァルはまだ事態に気づいていない。


「伏せていたまえ!」

 ジューンは彼の頭を下げさせた。同時にナイフの投擲元を探す。すぐに日陰は見つかった。

「あの男か」

 日陰に向き直ろうとした。


 そのときにきた。耳鳴りがする。視界が回る。平衡感覚がおかしくなって、力が入らず、ジューンはその場にぶっ倒れた。

 急激に視界が暗くなる。


「……毒……!」

 倒れたままジューンはシヴァルを見上げた。動かなくなっている腕を無理に上げて、テントの入り口を指差す。

「行きたまえ……はやく……!」


 シヴァルは一瞬彼女に駆けよりかけたが、意を決してきびすを返し、日陰は物陰から飛び上がるようにしてシヴァルに襲いかかろうとする。もうあの女は動けない。シヴァルは素人だ。今度こそトドメを入れる。


 と、その動けないはずのジューンの体がびくりと跳ねた。日陰は動きを止めたが、どうやらただの痙攣のようだと、ふたたびシヴァルを狙う。

 もういちどジューンが跳ねる。おかしい、とけげんに思った日陰はナイフを投げる。ジューンの体にまちがいなく突き刺さった。万が一死んでいなかったとしても、これでおしまいだ。


 奇妙なことが起こった。刺さったナイフが、内側から押されるように抜け落ちたのだ。ジューンの体が震えている。

 日陰がそれを見ているあいだにシヴァルはテントの外へ逃げ出したが、それを追っている場合ではない。なにかがおかしい。日陰の本能が危険を叫んでいる。


 次の瞬間、ジューンの体が爆発した。いや、日陰にはそのように思えた。彼の体は後方に吹き飛ばされ、テントの支柱に激突した。さらにその体が圧迫されていく。



 テントから外に出たシヴァルはそのままその場から走って離れようとしたが、背後で異常なことが起こっているという雰囲気に足を止め振り返った。


「おまえ、何者だ?」

 部外者を見とがめた兵が近づいてくる。しかしシヴァルの目は今自分が出てきたテントに向けられたままだった。


 突然、テントが内側から吹き飛んだ。巨大ななにかがそこに出現していた。


 天幕を見おろす巨体。頑丈な四肢……するどい鉤爪……硬質の鱗……長い首、恐るべきあぎと。

 シヴァルはそれを見るのははじめてだったが、それがなんであるかは知っていた。


「な、なななな……」

 シヴァルを呼び止めた兵士も、それを見上げてわなわなと震えている。


 誰でも知っている。

 伝説上の生物。

 一〇〇〇年前にほろびたはずの――

 シヴァルの唇がひとりでにほどけて、その名を呼んだ。


「――竜だ」

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