竜は動かず 2

 野を渡る風がふたりに吹きつけた。ジューンのショートボブの髪をなぶる。シヴァルの衣服の端がはためいた。

「奇しくも、といったところか」

 視界に広がる平野を見てジューンはつぶやいた。


「なにがですか?」

「五〇年前、人族のジャント王国と人狼のマガティーア国の両軍が対峙した場所だ」

 それを見下ろす地点にジューンとシヴァルは立っている。竜の盟約が成ってから五〇年たった今では、平野の中央をつっきるように舗装された街道が南北に延びている。


 眼鏡の奥の目を細めてジューンはさらに遠くに目を放った。ななめむこうに、上半分がこそげ落とされた平和山が見える。木々が高く伸びて、それと知っていなければただ小高くなった森としか見えないだろう。


 視線を正面に戻す。

 ジャント軍が街道をさえぎって陣立てしていた。都市ひとつがまるまる移動してきたような規模。無数の刀槍が日光を反射して、さざなみだった明河のように細かく砕けたきらめきが目を射る。


「三万といったところか」

 ここからドラグニールまでは一日の距離がある。ディント軍は今日ここで野営し、明朝早く行軍を開始すれば、ちょうど明日中にドラグニールに到着する。


 ここから見ただけで圧迫されているように思える、恐るべき人の数だ。尋常な人間なら、敵対するしないにかかわらず、なるべく近づくまいと思うだろう。


 ――三〇〇〇〇の軍隊、対、ふたり。



 黄丹はこの場にいない。

 ジューンがシヴァルを副使に誘ったとき、彼女は言った。

「わたしもおともさせてください! わたしは先生の秘書です。格闘の心得もあります」


 同行を求めて食い下がる黄丹。彼女にしてみれば、ドラグニールの命運が決まるような重大なときにはジューンのそばにいたいのだろう。


「黄丹、キミにはここに残ってもらう」

「わたしはいらないということでしょうか」


「いや、やってもらう仕事がある。重要なことだ。いいかね、ボクたちが調停して軍を引かせるあいだ、死人を出すな。ドラグニールにいる全調停士にボクの名前で連絡をとりたまえ。種族間の争いをできるかぎり未然にふせぐのだ。ほかの人物も使ってよい。ボクの人脈はここ最近でキミも知ったはずだな」


 全力で人族と他種族との衝突を回避せよと言っているのだ。それはマイザーンと直接対峙するよりもあるいは困難なことかもしれない。

「こちらの仕事が終わっても内訌で帰るところがないということにはならないように」


 黄丹は顔をゆがめた。ほんとうならジューンについていきたいのだ。だが彼女は単眼人で、合理的という言葉の意味を知っている。

 やがて黄丹はうなずく。

「わかりました。先生の帰る場所は絶対守ります! ですから――ご無事で」



「多いですね……」

 シヴァルがひきつった顔でおよび腰の声をあげる。彼の膝が小さく震えているのをジューンは見逃さなかった。


「落ち着きたまえ」

 ゆったりとした口調で声をかける。

「ボクが守ってあげるよ。キミは君のすべきことに集中していてよい。ボクが勝手にキミに賭けただけなのだからな」


「そう言われると、よけいプレッシャーがかかる気がするんですけど」

 言い返せるなら十分だ。

 ジューンは一歩を踏み出し、シヴァルをうながす。

「では行こうか」


 恐れげもなくジューンは坂道をくだってディント軍へ近づいていく。小さな彼女をまるで風よけにするように前に立ててシヴァルがそろそろとうしろに続く。


 やがて兵士がふたりに気づいた。数名が駆けてきて行く手をふさぐ。

「何者だ!」


 その剣幕だけでシヴァルは一歩しりぞいてしまったが、ジューンは動じず、

「ドラグニール自治評議会よりの使者である。マイザーン王子に目通り願いたい」

「ドラグニールだぁ?」


 兵士はうさんくさそうにジューンらをじろじろ見る。旗も持っておらず書記の姿もない彼女たちがほんとうに使者かどうか疑っているのだ。

 ジューンは堂々と胸を張って兵士の視線を受け止めている。


 いっぽうシヴァルはジューンのうしろに隠れるように身をちぢめている。顔がバレていないかこわいのだ。それに気づいてジューンは彼をひじでつついた。

「普通に立っていたまえ」

「は、はい……」


「ドラグニールの使者って、子供のお使いか?」

「ガキを使者に送って大人はベッドで震えてるってわけか」

 下品にゲラゲラ笑う兵士たち。


 兵士たちの下品さに辟易するのと同時に、多少の安堵もあった。兵士がからかったのはジューンであって、シヴァルに気づいたようすはなかったからだ。第二王子の顔を知らない南部地方軍であるということがこの場合にはシヴァルたちの有利にはたらいたわけだ。


「それが正式な使者を遇するディントのやりかたというわけか?」

 冷ややかな声でジューンは返し、自治評議会からの委任状を取り出してみせた。


 それを受けとって、兵士たちは向こうでひそひそ話をはじめた。ジューンには内容の見当がつく。この連中を追い返すのか、上におうかがいを立てるのか言い合っているのだ。


「待っていろ」

 やがて馬に乗っている上官らしきひとりが言い置いて陣へ戻っていった。上に話を通すことに決まったらしい。

 ジューンとシヴァルは残りの兵士とともにその場に放置された。


   (@_@)


「使者が?」

 ディント軍の陣中、ひときわ大きく張られた天幕のなかで、報告を聞いた青年はマントを脱ぐ手を止めた。


 報告した者は委任状をうやうやしく彼に手渡す。

「……ですが子供のような女と少年のふたりだそうで」


 受けとった書状を広げて見る、彼こそがディント王国の第一王子、ヴュルキンの息子、この軍の指揮官であり、シヴァルの兄たるマイザーンである。


 特筆すべきは彼の肌だ。浅黒く日焼けし、しなやかで強靱な革のような皮膚。それは一目で、王宮の奥で美食にふけりながら指一本で兵士たちに死を命じるようなやからではないと思わせる説得力がある。兵士たちとともに風雨戦塵にきたえられた肌だ。兵士たちの信望をつなぐのに十分であった。


 マイザーンの指揮下の兵士たちにとっては、その肌こそが重要なのであり、屋内でも帽子を取らないという奇妙な癖も、王子の評判を下げることにはなっていない。


「子供なのか? それとも異種族か?」

「そこまでは……」

「この世にいるのは人族ばかりではないぞ」

 報告者を恐縮させておいて、マイザーンは話を進める。


「降伏の申し出か?」

「交渉のようでしたが」


 マイザーンと話しているのは、リギという男である。左右に張った頬ひげが特徴の、いかにもたたき上げといった風貌だ。南方地方軍の一部隊長だったのをマイザーンが側近に抜擢した。見た目に反して細かい事務処理に長けているところを買ったのだ。


「余地がないことは知らしめたはずだが、それさえ理解できない奴らだったのか?」

 苛立ったように彼の眉が動いた。無能は嫌いだ。


「追い返しますか」

「いや、立場をわきまえぬというなら噛んで含めるように教えてやろう。会う」


 意向を伝えるべくリギが出ていくと、マイザーンひとりになったと思われた天幕のなかに人影がひとつにじむように現れた。あるいははじめからいたのかもしれないが、報告者に悟られないほど気配が薄かった。


 日陰であった。

 シヴァルを殺した報告をし、指輪を届けたあと、ひそかにマイザーンのもとで軍と同行している。


「なにか言いたいことがあるのか?」

 聞くと、日陰は下を向いてぼそぼそとなにかつぶやいた。この男は会話が成立しづらくて困る、とマイザーンが聞き耳を立てると、使者をよそおった刺客である可能性について話しているようだった。


「なるほどな。いちおう刺客の可能性がないか見てこい。刺客だったら殺せ」

 日陰の姿は天幕の中から消えた。マイザーンはようやくひとりになり、マントを外してくつろいだ。


 彼はふところから指輪を取り出した。馬の彫刻がほどこされた真鍮製の指輪は、日陰が奪ってきたシヴァルのものである。シヴァルの死の証拠として使うつもりで持ってこさせたのだ。


 マイザーンは指輪を手の内でいじりながら、

「私が王になるためだ……」

 とひとりごとを口にした。それを聞く者はだれもいない。


   (@_@)


 こう無遠慮に照らされては、まだ春先の太陽とはいえ、汗ばんできてしまう。


 ジューンはまだ陣の外で待たされている。風はすっかりやんでしまった。彼女は息をついて、周囲の兵士たちに目をやった。

 彼らは完全武装でないとはいえ、金属の鎧を身につけ、厚手の服を着込んでいる。暑そうな顔をするのも当然だ。


「キミたちもつらいだろう。木陰へ移動しないか」

 さんざんからかった相手からそんなことを言われて、兵士たちは迷ったような顔をした。


「ここで待機との命令なので」

 断ったが、さっきとは口調や態度が微妙に異なっている。

 するとジューンはふところから水の入った袋を取り出し、一口飲んだあとで兵士に差し出した。


「どうかな」

「いや、命令は――」

「飲むなという命令は出ていないだろう」

 ジューンはとまどう兵士に向けてにやりと笑った。



 しばらくして、馬に乗って戻ってきた上官は、目の前の光景に言葉を失った。使者の少女と残した兵士たちが路上で車座になって談笑している。


「この者はシヴァルといってな、実はディントの王子なのだ」

 ジューンの暴露にシヴァルはぎょっとして、彼女の服をつかんで口を閉じさせようとする。


「や、やめてください!」

 必死なシヴァルのようすが滑稽に見えて兵士たちの笑いをさそう。

「ははは、そりゃいいや。おい、おめえも言ってやれ」


「おう、おれもシヴァルって名前なんだ。おれのほうが王子さまっぽいだろ?」

 一同、どっと笑う。ひげづらでクマみたいな男が王子と同名だというのはこの兵士たちのあいだでは定番の笑いなのだ。


 そこへひづめの音がして、兵士たちはあわてて立ち上がった。上官は直立不動になった部下たちの顔を不審そうに見てまわった。こんなに打ち解けるとは、何があったのか。


 視線を眼鏡の使者に移す。この女にそれだけの話術があるということだろう。だてにドラグニールを代表してやってきたのではないというところか。


「マイザーン王子がお会いになる」

「それはよかった」

「こちらだ」

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