干戈迫る 4

 ドラグニールの北側にある平和門。


 騒然としていた。市壁の上まで人でいっぱいだ。口々に不安を言い交わしている。各種族がその場に集まっているが、人族は隅のほうでかたまっている。それに向けられる冷たい視線。人族がひとりでこの場にいたら、たちどころにリンチがはじまりそうな、不穏な空気が充満していた。


「どけ! 評議員のお通りだ!」

 住民を蹴散らすように衛兵が人ごみを割っていく。ジューンは評議員の一団にまぎれこんで、いっしょに市壁の階段を上った。


 衛兵が轟くような大声をあげた。

「ドラグニール自治評議会全二〇名、到着!」

 壁上に二〇名の自治評議会がそろった。


 どさくさにまぎれてその隣を確保したジューンは、門の外を見下ろす。平和門からまっすぐ伸びる石畳の街道は、荷馬車が三台ずつ並んですれちがえるほどの広さがある。


 その道のど真ん中に、鎧をきっちり着込んだディント王国の軍使が立っている。右脇では書記がペンと紙をかまえ、左では副使がディントの旗を高く掲げている。全員の馬をあずかる従者は少し離れたところにいた。


「ディント王国第一王子にして、ディント王国軍開府将軍とディント王国政府国務卿を兼ね、栄光ある人族を統べる王たるヴュルキン・カイザーの名代、マイザーン・カイザーの名において宣告する!」


 軍使は朗々と声を張りあげる。その内容は、この場にひしめくドラグニール市民のほとんどにとっては寝耳に水であり、ジューンらごく少数の者にとってはすでに予測していたことであった。


 第二王子であるシヴァル・カイザーが行方不明になり、捜索した結果、ドラグニールにいることが判明した。ところがシヴァルはドラグニールの中で殺されてしまった。一国の王子がドラグニールの住民によって殺害されたのは由々しき事態であり、ドラグニール側が竜の盟約を破ったものと判断せざるをえない。よってディント王国はドラグニールに対して軍を送り、シヴァル王子の遺体を捜索、回収する。


 人でごった返しているはずの平和門周辺は静まりかえった。遺体を求めてドラグニール市内をディントの兵士が捜索するということは、つまりドラグニールを占領するという意思表示に他ならない。


 ドラグニール市民が蒼い顔で押し黙るなか、軍使の言葉だけが響きわたっていた。


「貴市の選択はふたつである。われらを受け入れるか、しからずんば抗戦か。そのどちらを選ぶか、返答の必要はない。わが軍の本隊が到着した際に行動で示していただく。いずれにせよ、到着のあかつきにはドラグニールにディント王国の旗が翻ることになるだろう。できうれば無用の血で市街を洗うようなことのない賢明な選択を期待する。以上」


 軍使は礼法どおりに鞘に入ったままの剣を高く掲げる。二度、大きく旗が振られた。



 異常な緊張に包まれた平和門近辺は、もはや一触即発の状態にあった。この場に長く留まるのは危険である。評議員たちはなかば緊急避難的に、もといた自治評議会までもどった。


「どうするのだ」

 全員顔色が悪い。寝床からたたき起こされたと思ったら剣を突きつけられたような気分なのだろう。

 その中でも沈着さをいくらかたもっている双角人の評議員が重々しく言う。

「抗戦だ」


「いや、勝てまい。無駄に人命が損なわれるのみだ」

 ほかの者が反論した。それにしたがってまた別の評議員が続く。

「こうなっては降伏するしかない」


「勝てずとも勇気を示すのだ われわれは臆病者ではないと」

「双角人の独善にほかの種族を巻き込むな!」

 しだいに、おのおのが口を開いて収拾のつかない言い合いになっていく。


 そんな中、

「シヴァル王子は生きている」

 というしずかな一言に、評議員たちは口を閉じて発言者のほうを向いた。


「なんだって?」

「生きていると言ったのだ」

 ジューンであった。さほど大きくもない声でその場の注目を集めてみせた。

「ボクが保護している」


 一気に室内がまたざわつく。

「ほんとうか!」

「なぜそれを言わなかった?」


「言おうとしたところに使者が来たからね」

「それは本物の王子なのか? 確証は?」

「少なくとも彼が言ったことと、さっきの使者の言葉は合致している。これでニセモノだったらそのほうがこわい」


「で、ではそのむねを早急に先方に知らせれば……!」

 そうすればディント軍がドラグニールを攻める理由がなくなる。闇夜に希望の光を見たような顔で評議員のひとりが言った。そうだ、そうだと盛りあがる。


「むだだ」

 その盛りあがりをジューンは切って捨てた。

「急になにを……」


「いいかね、マイザーン王子は弟が殺されたからドラグニールを攻めることにしたのではない。ドラグニールを攻めたいから弟を殺そうとしたのだ」

「どういうことだ? まさか、マイザーン王子の手の者がシヴァル王子を狙ったとでもいうのか?」


「そのとおり。だからシヴァルが生きていると公表したらどうなるか? マイザーンはもちろん否定する。そして我々を責めるだろう。ドラグニールの代表は、シヴァルが死んだと聞かされてあわててニセモノを代役に仕立てた、なんと姑息で卑怯なやつらだ、とね。そしてドラグニール占拠後に、王子を騙ったとしてシヴァルは処刑。あとあとの禍根も断たれる」


 さっきからジューンに反論する役目は人族のヨーセングが受け持っている。

「いや、王子だぞ。シヴァル王子の顔を知っている者は多いはず。かんたんにニセモノあつかいはできないだろう」


「ところが今回マイザーンが率いているのは中央の兵ではなく南部の地方軍だ。あまり表舞台に出ないシヴァル王子の顔を見知った者はごく少ないだろう。実の兄がニセモノと断じたものを否定できるほどの者もいまい」


 ざわめきが評議員の中に広がる。

「そこまでマイザーン王子は考えて南部の軍を連れてきたということか……」

「いや、さすがにシヴァルを仕損じたことは知らないわけだから、偶然だろう。そこまで見通すのは無理だ」

 相手を見くびってはいけないが、むやみに過大評価する必要もない。


「どうあれ、こちらから大々的にシヴァルの生存を喧伝しても状況は好転しないと思う」

「ではどうすればいいのかね」

 線の細い樹精の評議員が不安そうにたずねる。


 ほかの評議員たちもジューンの返答を待っている。いつのまにか部外者のジューンがこの場の主導権をにぎっていた。

「使者を送る。マイザーン王子個人に話をするしかない」

 とジューンは言い切った。


「シヴァルが生存しているとこちらが公表するなら、シヴァルが姿を見せないわけにはいかない。だが姿を表せばニセモノとレッテルを貼られる」

 だからおおっぴらにシヴァルが生きていると発表はしないほうがいいとジューンは言う。


「逆に、シヴァルの生存を告げなければ、向こうも表立ってシヴァルをニセモノということにはできない。発表されていないものに反論はできないからだ。そこに取引する余地が生まれるのではないか」

 たとえば、時間をかせいでシヴァルの顔を知る名士を用意する、とか。


 とはいえ、それが至難なことには変わりない。逆に、時間をかせがせないために、攻撃の手が強まる可能性すらあった。

 使者の責任と危険はどちらもきわめて大きい。


「だれが行く……?」

 おたがいが視線を交わしたが、その重い任務を果たそうと手を挙げる者はいない。それも無理はなかった。なにせかかっているのは自らの命のみならず、ドラグニールまるごとの命運だ。しかも相手は数万の兵を率いる傑物マイザーン。それを相手に圧倒的不利な状況で、受けてもらえるかもわからない交渉にのぞまねばならない。


 誰もそんな役を引き受けたがるわけがない。


 いや、ここにひとりいる。

「ボクが使者にたつ」

 ジューン。スペクタクル・ジューンだ。


 彼女はメガネを光らせ、胸を張った。

「これはいわば調停だ。マイザーンとドラグニールの異種間調停なのだ。……ならば、ボクの出番ということだ」

 と、大きく見得を切った。


 ちょうどそのとき、食糧が補給されないことに不満を抱いたジューンの胃袋が、抗議の鳴き声を高々とあげた。

 ジューンは赤面した。

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