干戈迫る 3

 あっけに取られているのは黄丹も同じだ。室内に入ってからも、単眼を大きく開きっぱなしだ。

 最高大法官といえば都市の司法のトップに座す存在である。そんな雲の上の存在に対して、しがない一異種間調停士が気安い口を利いている。


 この二日でジューンのコネクションの幅広さについては思い知らされたはずだった。だが、まさか最高大法官とまで知り合いだったなんて。

 驚きはやがて黄丹の中で、更なる尊敬に変わっていく。――やっぱり、うちの先生はすごい人だ。


 さてそのすごい先生は、

「ひとつキミに紹介状を書いてもらいたいのだ」

 すすめられた椅子にも座らず、単刀直入に切り出した。

「自治評議会に出席できるようにしてほしい」

「それは、いま話題のディント軍に関することですかな?」


「もちろん」

「評議会に出席してなにをするおつもりです?」

「きまっている。ドラグニールを救うのだ」

 ジューンの声はゆるぎなかった。


 いくらなんでも説明不足なように黄丹には思えた。えらい人を動かすにはもっと説得の材料や話術を駆使するべきではないだろうか。

 しかし、

「わかりました。ほかならぬジューンさんのたのみだ。書きましょう」


 くわしいことを聞くまでもなく最高大法官のライトロウはそう請け負った。

「い、いいんですか?」

 思わず黄丹はそう口にしてしまった。困惑を見てとって、ライトロウは年ににあわずいたずら心のあるような笑みを浮かべた。

「きみはジューンさんの……?」


「ボクの秘書だ」

「黄丹です。よろしくおねがいします」

「黄丹くん、いまのところ評議会は膠着状態でな。このままでは座して軍を迎えることになりかねん。私としては異物をぶつけてでも評議会という車輪が回るようにしたいのだよ」


「異物とはひどいな」

「いえいえ、ジューンさんならどう転んでもドラグニールにとって悪いようにはならんでしょう」

 快活に笑って、ライトロウは自分の席に座る。紙を用意しペンをとって紹介状を書きはじめた。


 そのあいだに、黄丹はジューンにこっそり囁いた。

「先生ってすごいですね。最高大法官とお知り合いだなんて」

 ライトロウは耳ざとくそれを聞きつけて、ペンを走らせながら言う。

「黄丹くんよ。それは話が逆なのだ」

「はあ……」


 内緒話を聞かれた気まずさと、言っていることの意味がよくつかめなかったのとで、黄丹は中途半端な返事しかできなかった。

「ジューンさんが私と知り合いなのがすごいのではない。私がジューンさんと知り合いなのがすごいのだよ。きみの先生はそれほどの人物だと憶えておきなさい」


 視線を向けると、ジューンはしれっとしていた。

「ボクは知らないよ」

 最高大法官にそこまで言わせるスペクタクル・ジューンという人物は、どれほどの存在なのか。

 黄丹はまたあっけにとられるしかなかった。


 ライトロウは書いたものを封筒に入れ、蝋を垂らして封印した。封蝋に刻まれたのはまぎれもない最高大法官の印だ。これなら門前払いを受けることはないだろう。


 ジューンは礼を言ってすぐに退出した。部屋の出口の衛兵は直立不動で去っていく彼女を見送った。

「まだ昼までには少々時間があるな? ではこのまま評議会に行くとしようか」


   (@_@)


 うとうとしたまどろみからシヴァルは浮上した。

 窓の外の太陽はすでに高くのぼり、昼に近いことがわかる。


「お目覚めですか……?」

 エナが顔を覗き込んできた。彼女はずっとつきっきりでシヴァルの面倒をみてくれている。

「ああ、ありがとう」

 エナの差し出した水差しから水を飲ませてもらった。


 まだシヴァルはベッドの上から動けないが、徐々に力がもどってきているのを感じる。立ち上がれるようになるのもそう遠くはないだろう。


 焦りは少しある。まずエナがあまりに献身的なので、早く解放してあげないと、という思い。

 それから、軍が来ていることについて、自分も何かしなくてはいけないのではないかという思いもある。


 でもそれについてはジューンがなんとかしてくれるだろう。プロだし、シヴァルが下手に口出すよりうまくやってくれるはずだ。無理をすることはない。シヴァルはあらためて頭を枕に沈ませた。


「あのっ、果物……食べますか?」

 エナが手にしたボウルには桜桃が入っている。食欲はなかったが、その目を見ると断るのも悪い気がして、

「じゃあひとつだけ」


 食べさせてもらった。甘酸っぱい果実の風味が口の中に広がる。

 それをエナが食い入るように見ているので、

「きみも食べたら?」


 その誘いに彼女はそうとう心動かされたようだったが、ぎゅっと目を閉じて首を振った。

「いえっ……これは……シヴァルさんのための……」

「ぼくがきみに食べてもらいたいと言ったら?」


「ほ……ほんとうにいいんですか?」

 なんども確認して、

「じゃあ、わたしもひとつだけ……」

 えへへ、と笑ってエナはおそるおそるその紅色の玉を取り、大事そうに口に入れた。幸せそうにその顔が崩れる。


 と、彼女の腕、きのうとはちがう場所にあざがあるのを見つけた。あたらしいケガ……? シヴァルはエナの顔をうかがうが、彼女に変わったようすはないように見える。

「その手は……?」


 エナははっとして手を引っ込めた。

「別になんでも……わたし、おっちょこちょいだから」

 ごまかすような愛想笑いをしてみせる。なにか隠しているような気がして、シヴァルは体を起こそうとしたが、うまく力が入らなかった。


「だ、大丈夫ですか……?」

 エナはシヴァルの姿勢を直してくれた。

 そのまま、あざのことを聞く前に、彼女は部屋を出ていってしまった。

「なんだ……いったい……?」


   (@_@)


 ドラグニール自治評議会は、六国法院からほど近い場所に建っている。

 さすがに最高大法官の威光はすごく、衛兵に紹介状を渡したジューンはすぐさま中へ通された。ただしジューンひとりで、黄丹は入ることができなかった。


「しかたあるまい。キミは事務所に戻っていたまえ」

「わかりました……」

 ジューンと引き離されて不服そうだったが、黄丹は素直に言うことを聞いて去っていった。


 ジューンは扉を開けて会議室に足を踏み入れた。評議員二〇名の視線がジューンひとりに集中する。


 会議室は机を二重の同心円状にならべただけのシンプルな空間だ。窓はないが、古代の魔法により部屋の壁自体が発光している。奥の壁にはドラグニールの市旗が飾られている。中央にドラゴン、背景に七芒星が描かれたデザインだ。


 持ち回りの議長を本日つとめている双角人の評議員が、衛兵から渡ってきた紹介状を見て、

「えー、情報提供のためにひとり市民を陪席させる。これは、えー、最高大法官ライトロウの紹介によるものだ」

 とジューンを紹介した。


 ゲストが来ることは知らされているのだろうが、ジューンのことを見知った者はだれもいないようだった。なかには露骨にうさんくさそうな視線を向けてくる評議員もいた。


「えー、さしつかえなければまず彼女の話を聞こうと思うが……えー、反対意見の者は」

 いなかった。ここ数日の会議で話がまったく進んでおらず、外部の刺激でもなければ前日までの繰り返しになってしまう、という閉塞感が室内にはただよっている。


 評議会は、基本的には着席したまま話し合うのだが、特にひとりが演説する必要があるときは円の中心に立って行なう。

 ジューンはそこに立った。ぐるりと見回す。

「ボクは異種間調停士スペクタクル・ジューンだ」


 ほとんどの者はその名を聞いても反応を見せなかったが、妖精の評議員……ジューンと同じくらいの年代の少女に見える評議員が意外そうに身を乗り出した。

「スペクタクル・ジューン? あの?」


「どの、かはわからないが、同名の者に出会ったことはないな」

 隣の席にいる樹精が、妖精の評議員にたずねる。

「彼女を知っているのかね」


「伝説中の人物よ。何十年も前にドラグニールの行政や司法のシステムを整備して、完成したと見るやすぐに下野して一市民に戻ったという……」

 いちばん幼く見える妖精の彼女が、実は評議会の中では最年長なのだ。だから半世紀も前、ドラグニール黎明期のことをよく知っているのである。


 つまり、そうなるとジューンの年齢もこの評議員に引けをとらないことになる。シヴァルなどが聞いたら驚愕するだろう。


 ジューンは少し笑った。

「それは過大評価だ。評議会や法院を作ったのはボクではないよ。ボクはずっと一市民のままだ。意見の相違があったときに調停を行なったくらいでね」


「その伝説上のご老体がわざわざのお運びとは、どのようなご用件かな」

 さっきからうさんくさそうな目を向けている人族の男が、さして感銘も受けていない口調で聞いた。


 ジューンはゆっくり、評議員たちの反応を見ながら語った。

「ディント王国軍がドラグニールに来ない、などと思っている人がいるとしたら、その考えをまず捨ててもらいたい」


 強い言葉に場がざわついた。彼女の言葉にうなずく者、不服そうな者、そっぽを向く者、考え込む者、反応はさまざまだ。ジューンはそれによって評議会がどう色分けされているかを見てとる。


 現在、ドラグニール自治評議会は二〇名で構成されている。人族が六名、人狼が四名、ほか五種族が二名ずつだ。人数に変動はあるものの、政治に意欲のある人族、人狼はいつも多めである。

 一番数の多い人族がもっとも、ディント王国の軍がドラグニールを攻めると信じていないようであった。


「急に何を言い出すのかと思えば。ご老体は竜の盟約を忘れてしまったとみえる」

 さきほどもジューンにつっかかった人族の評議員……名はヨーセングが、あきれた態度を隠しもせずに言った。


「盟約が絶対ということもなかろうよ」

 エラを開閉させて反論したのは鮫人の評議員だった。鮫人と、あと双角人は、人族とは対照的にディント軍が来ることを前提として考えているようだった。主戦派ともいえる。

 ほかの種族はその中間といったところ。


「ディントは来る。彼らの目的はドラグニールの併合なのだ」

 と、さらにジューンは断言した。

「ばかな!」

 すかさずヨーセングが反発する。


「さすがにそれは……」

「根拠がないですね」

 中立派の評議員からも、にわかには信じられないという不信の声があがる。断言したことによって、かえって疑心を生んだようだった。


「根拠はある――」

 ざわめきの中、ジューンはよく通る声で注目を引く。評議員ひとりひとりの顔を見て、おもむろにシヴァルから聞いた話を口にしようとした。

 瞬間!


 会議室の扉が大きな音をたてて開かれた。入ってきたのは衛兵だった。

「大変です!」


 あまりに慌てていたため、評議会がわの反応はかえって遅れた。ひと呼吸おいて議長がたずねる。

「えー、どうしたのかね」


 衛兵はあえぐようにして答えた。

「き……来ました! 平和門に、ディントの使者が!」

 その場の全員がいっせいに立ち上がった。


 ジューンも驚きの顔を隠せない。どうやら、ジューンが弁舌を振るうまえに、ディント軍のほうから根拠を提出しにきてくれたようだ。

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