干戈迫る 2

「そうか。ありがとう」

「うん、じゃあね! ジューンさん!」

 ジューンの同業者――異種間調停士のレッドローズ・キャシィは明るく手を振って事務所を出ていった。


 シヴァルが目を覚ました、その翌日になっている。

 きのうジューンは自宅兼事務所に戻ってすぐ、猛烈な勢いで情報を集めはじめた。

 近所の若者を使い走りにしていろんな方面に手紙を届け、返事をもらってくる。なかには今のキャシィのようにみずからやってくる者も多かった。


 その日のうちに一〇人をこえる来客があり、手紙の返事は卓上にうずたかくなった。

 仕事の補佐や生活の世話をしている黄丹は、自分の上司がここまで顔が広いことをはじめて知って、その大きな単眼をさらに見開いた。


 訪ねてきた者の中には平和門の警備責任者や、タナガー商会が小さく見えるほどの大商人の使いの者、賭けニュース屋、不良少年グループのボスなどがいた。それもキャシィは妖精、門の警備は双角人、商人の使いは樹精……と種族的にも多種多様である。


 手紙にいたってはさらにバラエティに富んだ方面から返ってきている。

「まるでドラグニールのあらゆる階層を網羅しているような……」

 秘書になって三年、黄丹は、いまさらながらスペクタクル・ジューンという存在の大きさと奥深さに触れたような気がして感嘆した。


「あらゆるは言いすぎだ」

「それでも、食事のたびに口のまわりを汚しているようなかたとは思えません」

「キミはほめているのか、けなしているのかどちらかね」

「わたしが先生をけなすわけがないじゃないですか」


「からかいはするがな。ともかく、ディントの軍がドラグニールに向かっていることはほぼ疑いない。規模は、一〇〇万人という噂があるがそれはありえないとして……」

 ディント王国の全軍隊を合わせても、その半数にも届かないはずである。


「多くて五、少なくて一万といったところか。いずれにせよ、ろくな軍隊のないドラグニールを征服するのに不足はしない数だ」

 ディント王国軍の動きは迅速である。すでにドラグニールから数日のところまで来ている。マイザーン王子は首都から軍を率いてきたのではない。もともとドラグニールに近い南部の軍を集めたのである。


 ライマンが嗅ぎつけたように、少し前から軍を動かしていたのは、このための準備だったのだ。

 黄丹は昼食を並べるためにテーブルの上をきれいにしはじめた。


「街にはかなり動揺が広がっているようです」

 テーブルの上の手紙のなかから一枚を取りあげ、それに目を通して黄丹は言った。そこにはドラグニールからすでに脱出した者が何人もいるということが書いてある。特に樹精商人の動きが早い。


 別の手紙には、人族が言いがかりをつけられて殴られた事件や、人族の経営する店が武装をはじめた、などということが書いてある。人族に対する態度が悪化している。

 今の時点でこれなのだ。ディント軍が近づくにつれいったいどうなってしまうのか。


 今日のお昼はパンと、野菜とベーコンのスープだ。パンはきのう買った物の残り、スープもきのう作ったものの残りだ。いそがしいから手の込んだものは作っても食べてもいられない。


 パンをもぐもぐしながら、ジューンは手紙を読む手を止めない。

 民間の過敏な動きと対照的に、ドラグニール自治評議会の反応はにぶい。議会は開催されているが、まだなんの方針も決定されていないらしい。


「ほんとうにドラグニールに攻め込むのか疑っているのだろう。評議会は老人が多い。竜の姿を実際に見た者もいるはずだ」

 五〇年前の衝撃を知る者からすれば、平和山の上半分を吹き飛ばした竜に守られているはずの都市を、まさか剣と弓で奪いとりに来るとは信じられないのだ。彼らにすれば、ディント軍の動きも、ドラグニールには関係ない軍事行動か、単なる示威行動に見えているのだろう。


 ジューンだってシヴァルのことがなければそう考えていたかもしれない。ジューンがスープを飲み終えてスプーンを置くと、すかさず黄丹が彼女の口周りをハンカチでぬぐう。

「とはいえ、評議会はドラグニールを導く機関の責任として、最悪の事態を想定しておくべきではないですか?」


「おそらく単眼人の評議員はキミと同じ主張をしているだろう。道理にのっとってな。だが五〇年のあいだ、ずっとベッドの中にいたのだ。急に起きろと言われても、なかなかふんぎりがつくまい」

 それが致命的な遅れにならなければいいが、とジューンは気遣わしげにつぶやいた。


   (@_@)


 おなじ時刻、シヴァルも食事をとっていた。

 ベッドの上で上半身だけ起こした姿勢だ。脇に座ったエナが器とスプーンを持ち、熱いスープを吹いてさましている。

「どうぞ……はい、あーん」


「あの……自分で食べられると思うんだけど」

「いいえ、昨日の夜みたいになったら大変ですから」

 昨晩は、手に力が入らなくて皿をひっくり返してしまったのだ。


「一日たって力ももどったから……」

「大事をとってです。どうぞ」

 エナは、物腰は控えめなのに意外と頑固なところがあることがだんだんわかってきた。自分からなにか言い出すことは少ないが、言い出したら曲げない。


「シヴァルさんの看病は私にまかされてますのでっ……」

 眉毛をへにょんとさせながらも決意いっぱいの顔でそう言われては、抵抗する気もそがれるというものだ。

「じゃあお願いしようか」

「はい」


 食べさせてもらうシヴァル。

「赤ちゃんかな」

「いえ、シヴァルさんは赤ちゃんではないです!」

 ごく真面目な顔でいうもので笑ってしまった。


 エナもよくわかってないようすながらつられて笑う。

 食べさせてもらった。食べるのに時間がかかったが、そのゆっくりさが今のシヴァルには珍重すべきものに思えた。


 こんなにゆっくりしたのは久しぶりだ。単純に寝ているからというだけでなく、エナがシヴァルをリラックスさせる雰囲気を持っているのだろう。


 食器をまとめて立ち上がるエナ。袖がまくれてちらりと腕が見えた。どうやら二の腕の一部が変色しているようであった。

 あざかな? どこかで打ったのか。心配だが、痛がっているそぶりもないし、まあ聞くほどでもないだろう。

 そのときのシヴァルはそう思った。


「おやすみなさい」

 エナの言葉に送られてシヴァルは目を閉じた。


   (@_@)


 翌日。

「ここの雰囲気は慣れませんね。まるで遺跡です」

「実際、ここは遺跡ではないか」


 ここはドラグニール旧市街。

 ジューンと黄丹、彼女たちが歩いている街並みは、ドラグニールのほかの区域とはあきらかに異質であった。


 継ぎ目がわからないほど精密なレンガが敷きつめられた舗装道が延びている。道路と同じレンガ製の壁に、信じられないほどなめらかなガラス窓がはまっている、そんな建物が立ち並ぶ。


 この旧市街こそがもともとのドラグニールなのである。


 封印が解かれて以来、この都市は旧ドラグニールを取り囲むように発展を続け、もとの何倍も大きな都市に成長していった。今のドラグニールは、古代都市を腹に抱え込んだ新興都市なのだ。


 現在、旧市街の建物のうち、中に入ることができるのはほんの数軒。その他ほとんどの建物は、いまだ効果が残っている魔法の封印によって、扉も窓も開けることができない。


 利用できる数件の建物は、おもに官公庁として利用されている。たとえば事実上の政府であるドラグニール自治評議会がそうだ。

 今ジューンたちが向かっているのも、そのうちのひとつだ。

 ドラグニールの司法の総元締め、六国法院である。


 六国法院の周囲は騒然としていた。いつになく人が多い。調停士たちを管轄しているのもこの六国法院なので、ジューンや黄丹は何度も来たことがあるのだが、ここまでの人出というのは記憶になかった。


「やはり進軍の影響でしょうか」

「おそらくは」

 訴訟手続きの順番待ちといったところか。


 人族の姿が多い。人族とそれ以外の種族とのトラブルが増えているのだ。

 それにしても、この場の雰囲気は険悪であった。衛兵に怒鳴っている者がいる。別件どうしで、今ここで出会ったばかりだというのに口論になっている者たちがいる。だれもかれもが冷静さを失っているようだ。


 ディント軍が迫っていることによって、住民の不安の内圧が上昇している。ここに来ている者たちは法に則った解決を望んでいるわけで、最低限の理性は保っている。だが、このまま圧力が上がり続けたらどうなることか。

 七族のあいだに修復不能な亀裂が入る前に、なんとかしなくては。


 顔見知りなので衛兵にとがめられることはない。

 ジューンはまっすぐ奥へ向かう。いつもは調停事務局という、調停士関係の手続きをしたり資料が集まっている部局に行くのだが、今日は方向がちがう。

 まだジューンの目的を知らない黄丹はとまどう。

「そっちですか?」


 こちらへ来るのははじめてで黄丹は不安顔だ。法院としてはこちらのほうがメインの場所といえる。こっちにあるのは、各国の法律にもとづいて裁判が行なわれる六つの法廷だ。


 こっちも常に似ず、裁判の関係者らしき市民が廊下にごったがえしている。

 それぞれの扉の前に衛兵が立っていて、油断なく周囲に視線を向けている。それらのあいだを通り、六つの扉をすぎてさらに奥へと歩いていくジューン。


 ……まさか? と、この時点でようやく黄丹にも見当がついた。この先には部屋はひとつしかない。

 それは長い廊下の突き当たりであった。このあたりまでくると市民の姿もない。


 ひときわ重厚な扉が前をふさぐ。通ってきた法廷の扉もそうだが、竜族の遺跡であるこの建物には装飾というものが欠落しているようで、扉面は平らである。普通だったら浮き彫りのひとつもありそうなところだ。扉の材質は木にも石にも思える謎の素材でできている。


 その扉の前には例によって左右に衛兵が立っている。ここへ来る者は多くないだろうに、姿勢といい、目配りといい、まったく弛緩していないのがわかる。


 ジューンはためらいなく近づいていく。

「なにか御用ですか?」

 丁寧な物腰だ。もっとも暴漢に対しては容赦はないだろう。実力も折り紙付きなのはまちがいない。


「ボクは異種間調停士のスペクタクル・ジューンだ。最高大法官にお目にかかりたい」

「面会のお約束は」

「ない、が、ドラグニール存亡にかかわる重大事だ」


「申し訳ありませんが、それでは取り次ぐことはできません」

 衛兵は威圧こそしてこないが、岩のように堅牢だ。

「スペクタクル・ジューンが会いたがっている、とだけ伝えてみていただけないか。聞いてみるだけでいい。それで無理なら引き下がろう」


 ジューンは自分よりはるか高いところにある衛兵の顔を見上げる。自分の要求を小さいもののように思わせ、譲歩したように感じさせる話しかたであった。相手に譲られると、無意識的にこちらも譲ろうと感じてしまう心理を使った技術である。


 こういうとき、ジューンはまったく子供のようではなくなる。黄丹にお世話されているときとは別人のように鋭く思慮深い目をして、衛兵を見やっている。この顔と相対して彼女をあなどることができる者はいないだろう。


 だが衛兵は首を振った。

「大法官殿は約束のない方とはお会いになりません。ここ数日のさわぎについて、落ち着いて黙考したいとのことですので」

 会わない理由を教えてくれたことが、無意識の譲歩なのかもしれなかった。


「そうか」

 しかたない、とジューンは息をついた。

 その息を、衛兵はあきらめの吐息だと思っただろう。しかし黄丹にはそうではないとわかった。なにをする気かは知らないが、ジューンはまだあきらめていない。


 いちど息を吐いたジューンは、次に大きく息を吸った。

 閉ざされた扉に向かってジューンは、

「ライトロウ! スペクタクル・ジューンが会いたいと言っているのだぞ!」

 最高大法官を呼び捨てにして、腹の底から声をあげた。廊下に反響してこだまが聞こえる。


「こら、やめなさい」

 衛兵がさすがに制止する。

「無駄だ。声はとどきませんよ」


 千年前のこの建物は、部屋の扉を閉じるとほぼ完全に防音となる。さっき通ってきた六法廷の扉だって、前をよぎるときにもまったくの無音だったが、中では丁々発止のやりとりが行われていたにちがいないのだ。


「さあ、もういいかげんに……」

 これ以上わめかれてはたまらないと、衛兵はジューンらを追い返しにかかる。


 扉が開いた。衛兵たちは驚いて振りかえる。黄丹もまさかという顔でジューンを見た。ジューンはにやりと笑っている。


 中から姿を見せた禿頭の老人は、まるで全速力で走ってきたみたいに浅い息で腹を揺らしている。急いで廊下を見回し、視線をジューンに留めた。

「ジューンさん! ああ、きみたち、この人は私の古い知人でね。恩人と言ってもいい。粗略なあつかいはしなかったろうね」


「は、はっ」

 衛兵は直立した。その伸ばした背筋には冷や汗がつたっているにちがいない。

「それでジューンさん、なんのご用です?」


「少しキミに頼みがあってね。入ってもいいかな」

「もちろんです。どうぞこちらへ」

 最高大法官はジューンらを招き入れる。


 ジューンはあっけに取られた衛兵の前を通るさいに、

「キミたちは職務に忠実だった。あれでいい」

 励ましの言葉を残していった。

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