干戈迫る 1

「……っは!」

 悲鳴のような吐息とともにシヴァルは目覚めた。


 今見ていたものは夢だった。夢ではあるが、ほとんど過去にあった事実でもあった。今でも先生の首が転がって行くのを思い出す。処刑の日から、シヴァルはしばらく寝小便がやまなかったくらいだ。


 呼吸をととのえていると、知らない娘と目が合った。シヴァルをのぞきこんでいたみたいに顔が近い。娘はシヴァルが目を開けたのを見るや、小動物みたいにびくっとして跳びすさった。シヴァルと同年輩くらいに見える。彼女の手には濡れタオル。どうやら汗を拭いていてくれたらしい。


「きみは――?」

 シヴァルの呼びかけに目を泳がせると、一礼してあとずさるように部屋を出ていってしまった。


 部屋だ。知らない部屋のベッドにシヴァルは寝かされていた。首だけ動かして周囲を確認する。ベッドのほかは小さいテーブルがひとつと、高い位置に明かり取りの窓があるだけの、質素な部屋だ。


 だれなのか、どこなのか、いっぱい疑問が浮かんだが、それよりもっと重大なことに、シヴァルは遅れて気づいた。

 死んでいない。

 生きている。


 体はまだ起き上がれないくらいに弱っているが、命をとりとめていた。シヴァルは、みずからの体をふしぎなものでも見るかのようにながめた。

 たしかに毒の刃を受けたはずなのに。毒が弱かった? いや、夜の国に沈む寸前だったはずだ。あのまま何も起きなければ間違いなく死んでいたことはうたがいない。


 ドアが開いて、眼鏡をかけた少女の姿をした人物が姿を見せた。スペクタクル・ジューンだ。シヴァルが意識を失うとき、さいごに彼女が来たことはおぼえている。

 いったいなにがあったのか……?


 ジューンの陰に隠れるようにして、さっきの娘がこちらのようすをうかがっている。

 シヴァルは口を開いた。

「先生……」


 ジューンはシヴァルの口調が存外しっかりしていることに安堵の表情になりかけたが、あえて冷たい顔を作った。枕元に立ち、彼を見下ろす。

「勝手に出ていってまだ先生と呼ぶ気かね」


 返す言葉もなかった。

「……すみません」


「迷惑をかけたくないという、その心根はよろしい。だが、判断力が不足していたな。異種間調停士たるもの、つねに情熱と計算のバランスを取る必要がある。情熱ばかりで計算がなければ目隠しをした酔漢のように何も見えずどこへもたどりつけない。ちょうど今のキミだ」


 ジューンの手厳しい説教はまだ続く。

「おかげで、キミの居場所をつきとめるために星見を頼らざるをえなかった」

 竜族の滅亡とともに滅んだとされる魔法だが、樹精と妖精の中にはごくまれに魔法の力が発現する者がいる。樹精は植物に関する魔法、妖精は千里眼だ。星見とはその千里眼の持ち主のことである。


 ライマンのところを辞したジューンは、知り合いの星見にシヴァルの居場所を探ってもらったのだ。時間も対象も限定されていたので、割り増し料金がかなりの額になった。


 シヴァルが黙ってしまったのでジューンはいったん矛を収めた。

「……先生」

 しばらくしてやっと、シヴァルは目をジューンに向けた。

「なにかね」


「ありがとうございます」

 眼鏡のレンズのむこうでジューンの目が大きくなった。ここで礼を言われるとは思っていなかったのだ。次の言葉までのわずかな間は、ちょっとした動揺を隠すための時間だ。


「……礼はこちらの彼女に向けたまえ。キミの目が覚めるまで看病してくれたのだから」

「い、いいえ、わたしなんて」


 視線を向けられて、あわてたようすで手を振った人族の娘は、そばかすばかりが目立つ、素朴な顔立ちをしている。彼女の名はエナ。


 意識のないシヴァルの体をこの家まで運び、寝かせたのは、ジューンが呼んだライマンの手の者だという。エナはライマンの部下ではないが、以前ライマンに世話になったことがあって、自宅をシヴァルの養生場所にすることを了承したのである。


「ライマンの手を借りるのは避けたかったのだがな。やむをえまい」

 誰にも見られず、証拠も残さずにシヴァルを移動させるにはそれしかなかった。殺し屋はシヴァルを殺したと思っているだろうが、仮に疑いをいだいたとしても、この家を嗅ぎつけられることはまずない。


「それで、キミが出ていってからなにがあったのか話してもらおう」

 量があって正確な情報は判断の礎、と調停士の心得のようなことを言って、ジューンは腰に手を当てた。


 シヴァルはまだ頭がしゃっきりしていなかったため、ジューンの話をほとんど他人事のように聞いていたが、もういちど強くうながされてやっと我に返った。

「はい。実は……」


 言いかけたとき、足音が階段を駆けあがってきた。遠慮もなにもない、すごい速さだ。そのままの勢いで部屋のドアが開いた。

「大変です、先生!」


 入ってきたのは黄丹だった。どこから走ってきたのか、かなり息が荒い。痛がるようすもなく、昨晩のケガがまるっきりなかったかのようだ。

「人の家だぞ、黄丹」


 たしなめる言葉も聞かず、黄丹はあえぎながら言った。

「――ディントの軍がドラグニールに向かっている、という風聞が広がっています! 真偽は、まだ……!」


 ジューンはそれを聞いておどろいた。エナもびっくりした顔だ。

 だが一番表情を大きく変えたのはシヴァルであった。驚きというよりは、当たってほしくない予言が的中したときの絶望、無力感、そういった顔だ。


 その顔をジューンは見のがさなかった。

「シヴァル、キミ、なにを知っている?」


 なにを知っているのかと問われれば、毒で動けないなか、日陰に聞かされたことであった。


   (@_@)


 毒で動けないシヴァルに向かって、日陰はしゃべった。

「で、なんだっけ……そうそう、帽子のお方な。けっこう前からアンタのこと殺すつもりだったらしい……けど、まあ慎重なんだろうな。決行するかどうかってところで何度か踏みとどまってた」


 しかしシヴァルはスターバロウに赴任することになった。スターバロウ太守になってしまえば、もはやシヴァルは押しも押されもせぬ王太子だ。これ以上手をこまぬいて待っていることはできない。マイザーンはついに暗殺に踏み切った。


 首都からスターバロウに行く途中でシヴァルを殺すことにした。


 ところが、ちょうど同じタイミングでシヴァルはドラグニールに行くため脱走した。期せずして兄の攻撃をかわすことになったのである。

 シヴァルが消えてマイザーン王子はあせった。自分の殺意を察知されて身を隠したのだと思ったのだ。


「そんな……つもりはない……」

 シヴァルはうめいた。ほんとうにただ偶然に、タイミングが一致しただけなのだ。

「はは、だろうな……アンタ無防備だったしな」


 シヴァルのゆくえはすぐに知れた。本人は旅人に身をやつしているつもりでも、立ち居振る舞いに旅人の常識がなかったり、金銭感覚がずれていたりと、やはり目立つ。捜そうとすれば足取りをたどるのは難しくなかった。


 どうやらシヴァルはドラグニールに向かっているようだった。兄の暗殺を逃れ、自由都市に身をひそめて、時期を見て捲土重来をはかるつもりにちがいない、とマイザーンは確信した。


 仮にそれまで弟殺しにためらいがあったとしても、その時点で消えた。マイザーンにとっては、将来の禍根を断つための予防、正当防衛という意識に近い。シヴァルはぜひとも殺さなければならない。


 だがただシヴァルを殺しただけでは、父は自分を後継者にしないかもしれない。父の異種族嫌いを考えれば、たったひとりの息子よりも、遠縁の候補者を探し出してきて玉座にすえるくらいのことはやる。

 父でも文句が言えないような功績をたてなければ。


 そこでマイザーンは一石二鳥の謀略を思いついた。

 ディント王国の王子がドラグニールで殺された、となれば国家の一大事だ。ドラグニールに対する外交問題になる。不戦の条約である竜の盟約をドラグニールがやぶったと強弁することも可能だろう。

「つまりアンタがここで死ぬことで、ドラグニールに言いがかりをつけようってわけだ」


 大義名分を手に入れれば軍を動かすことができる。五〇年前に出現した竜におそれを抱いている者はまだ多いが、こちらから盟約をやぶるのではなく、ドラグニールがやぶったことにすれば、恐怖心からくる抵抗をやわらげることができるだろう。マイザーンは五〇年前にほんとうに竜が出現したなどとは信じていなかった。


 マイザーンの目的は、父王が望んで果たせていない、ドラグニールの併合にある。世界一の自由都市を手に入れる。実現すれば空前の大功績だ。マイザーンが王位を継ぐことを、父も認めざるを得まい。


 それが、王位継承の障害であるシヴァルの死によってもたらされるのだから、まさに一石二鳥といえる。

 そう日陰は語った。非情ともいえる謀略であった。


 シヴァルには信じられなかった。幼いころ親しんだ、あの兄マイザーンは決してそんなことを思いつくような青年ではなかったはずである。もっと心やさしい、部屋に迷い込んだ虫も逃がしてやるような、そんな兄だったのだ。シヴァルは兄になでられた頭の感触をまだおぼえている。


 信じられない。信じたくない。

 だがそれを言いつのるだけの力が、シヴァルには残っていなかった。毒が回っている。彼が口にできたのはわずかに、

「……うそだ」

 だけであった。発音も不明瞭になってきている。


 日陰はシヴァルの顔を見て、快活に笑った。

「たしかに、半分くらいはおれの推測だがな。外れてないと思うね。あのお方はいつも最低限のことしか言わないが、今回は言葉が多かった、推測できるくらいにはな」

 そういう意味ではおかしいといえばおかしい、と日陰は言った。


「たぶん今回の仕事があまりにでっかいから、誰かに言わずにおれなかったんだろうよ。人は不安があると言葉が多くなりがちだからな……」


 日陰がその話を聞く役になったのは、信頼されているからではなく、むしろ人としてみなされていなかったからであろう。道具としての殺し屋、秘密を守るというよりそもそも誰かに話すという選択肢がない存在。


「ま、実際道具だからな」

 だがさすがのマイザーンも、そんな道具が、死にゆく者と話し込む奇癖があるなどとは知る由もなかったわけだ。


「ま、とにかくドラグニール併合の足がかりになるってことで、言ってみりゃアンタも王国のためになるってことになるのかな。王子として本望じゃないかな? どうだい?」



 ……ここまでの話を語るだけでシヴァルは息が切れた。想像以上に体力が落ちているらしかった。ほとんど死にかけていたのだから無理もない。


 シヴァルの額ににじんだ脂汗を、エナが濡れタオルで拭いてくれた。

「ありがとう」

 の言葉にエナは控えめな笑顔を返し、そっとうしろに戻った。


「その殺し屋の話が正しければ、風聞ではなくほんとうに軍隊がドラグニールにやってくるというわけだな」

 苦々しい顔でジューンが言った。


 シヴァル暗殺成功の報は、証拠となる指輪とともにすでに日陰本人によってマイザーンにもたらされたはずだ。その報告を聞いたから、一気に進軍を開始したのだ。


「竜の盟約を本気で破ろうとする者が出てくるとは……」

 年がたつにつれ竜のことを信じない世代が増えているのは知っていたが、臨界点はもうすこし先だと思っていた。


 ジューンは決然と宣言する。

「ドラグニールから自由を失わしめてはならない。できる限りのことはしよう」


「なにが必要ですか?」

 秘書の口調で黄丹が聞いた。

「まずは、情報だ。情報を集める」

「わかりました。準備します」

 黄丹は出ていった。


「先生……ぼくは……?」

「キミは療養だ。まだ立てもしないのだろう。ゆっくり休みたまえ」

 そう言い含めてジューンも帰っていった。


 けっきょく、ぼくは何もできないというわけか。シヴァルはベッドの上で脱力した。まあ、実際シヴァルができることは思いつかないし、ジューンもそう言っているのだから、ここで寝ているのが一番なんだろう、きっと。


 頭を動かすとエナと目が合った。

「あ、あのっ、お水……飲みますか」

 人との間合いをはかる子犬を連想させる物腰で聞いてくる。

「ありがとう。すこし飲みたい」

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