楔の夢
また、昔の夢を見ている。
シヴァルが、兄が、しあわせだったときの夢だ。
シヴァルは自室で机に向かって勉学にはげんでいる。彼の前には家庭教師が鞭を手に講義を行なっている。
そしてシヴァルのとなりには兄マイザーンがいる。いっしょに講義を受けているのだ。
これは夢だが、現実にあった光景でもある。年が離れているので、受ける必要はないはずだが、シヴァルを見守るためか、それとも内容が興味深いのか、兄は頻繁に講義に来ていた。
春風のようなやわらかいほほえみをたたえて兄は着席している。ああ、このときはこんな顔を弟に見せる兄であった。
家庭教師は幼い顔立ちの少年のようである。妖精なのだ。
これも現実と同じだ。このころはまだ他種族排斥が本格化しておらず、王宮内にも幾人かの異種族がいたのだ。この家庭教師はそのひとりである。
名前は……。
シヴァルは、彼の名をずっと忘れていたことに気づいた。落し物を拾うように彼の名を思い出す。
そうだ。アレックス先生。スイートトゥース・アレックス先生だ。
アレックス先生はいつも甘いものを食べていた。すこし気取ったしゃべりかたで、授業の合間におもしろい話をいろいろとしてくれた。
たとえば、各地にのこる民話。たとえば、ドラグニールの話。
「七族共栄!」
夢の中の先生はジューンのようなことを言った。
現実の先生は七族共栄という言葉は使っていなかったが、似たような話はよく聞かされた。七種族はそれぞれ長所と短所があって、おぎない合えばより力が発揮できる、と。今にして思えばそれは、少しずつ締めつけが強くなってくるディント王国の他種族排斥をどうにかしようと、次代の王である兄弟に望みをかけていたのだろう。
いまのシヴァルに他種族への偏見が少ないとしたら、それはアレックス先生のおかげかもしれない。
だが当時は、幼かったシヴァルよりもマイザーンのほうがさらに強烈に先生の影響を受けた。兄は第一王子という身分でありながら他種族と親しくまじわり、父王の推進しようとする排斥政策の締め付けをゆるめたり遅らせたりした。ついには父に対して多種族共存の道を上申したらしい。
らしい、というのは、まだ子供のシヴァルは兄の行動を伝聞でしか知らなかったからだ。
――唐突に場面が変わる。シヴァルがいるのはピアリーハイ城、門前の広場だ。即席の玉座が高く組み立てられ、父王が堂々と座っている。その左右に侍しているのがマイザーンとシヴァルの兄弟だ。
いやだ。見たくない。シヴァルはこれがなんの場面なのか知っていた。
「見よ」
父は無情にも正面を指差し、命じた。シヴァルもマイザーンも蒼白な顔でそちらを向かざるをえない。
そこにあるのは処刑台だ。執行人が振り上げた、太陽を反射して王の眼光みたいにぎらつく斧の刃が目に焼きつく。その下に据えられているのは、いままで講義を行なっていたスイートトゥース・アレックス先生だ。
まき割りみたいに気軽に斧が振り下ろされる。アレックス先生の首がこちらへ向かって飛んでくる。うらめしげな死に顔をゆがませて、父王へ飛びかかる。
父は笑いながらそれを払いのけた。アレックス先生の首はたちまち力を失ってその場に落下する。
王は立ち上がって、マイザーンに視線を向けた。いつの間にかシヴァルはマイザーンと同じ視点になっており、父の恐るべき目を正面から受けるかたちとなる。視線だけで相手を押しつぶしてしまうような、その目。シヴァルは息をするのも忘れる。全身が心臓になったようにどくどくと脈が打つ。
父王はむしろ優しげな口調で念を押した。
「おまえをそそのかすような男はもういないな?」
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