彼の上に日は陰った 4

「待って、ぼくだってなにがなんだか……なんでぼくを狙うんだ? だれが?」

 彼の声はわずかに震えている。今になって、命を狙われたことに実感がわいてきたのだ。


「ほんとうに何も心当たりがないのか? まったく? わずかな確率でも?」

 ジューンの口調は鋭かった。その質問にシヴァルは口ごもった。

「あるようだな」


「いや、そんなことはない。ないはず。ぼくは、そういうトラブルがおきないようにドラグニールに来たんだ。それなのに……」

「はじめから説明したまえ」

 ジューンの声が、彼を落ち着かせるようにやわらかくなった。

「しずかに、ゆっくりと。大丈夫、夜は長い」


 ふたりとも空腹を忘れていた。

 シヴァルはまだ事情を話すことに抵抗があるようだったが、やがて天井をあおいだ。もはや隠し通せる状態ではなかった。思い切ったように息をもらすと、口を開く。

 もう声は震えていなかった。


「ぼくの父の名はヴュルキン。家名はカイザー」


 人族は名乗るときには基本的に個人名のみを用い、家名はあまり使われない。長年つきあっている親友の家名を知らないということもままあるのだ。

 しかし、シヴァルが口にした家名は誰でも知っている。人族のなかでもっとも有名な家名だ。


「貴族だとは思っていたが、そうか……」

 さすがにジューンも度肝を抜かれた顔になった。

「王族だったとは」


 カイザーはディントの王家の名だ。そしてヴュルキンは現国王の名前である。

 ジューンの知識の中にも、ヴュルキンの息子にシヴァルという名の者がいるという情報はあった。だが、シヴァルというのはディント王国では比較的ありふれた名前であるため、連想がおよばなかったのだ。


 だがそうなるともちろん、次の疑問が浮かんでくる。なぜディント王国の王子がドラグニールに来たのか? しかも、たったひとりで?


「ぼくには兄がいます」

「『帽子の王子』マイザーンだな」

「すばらしい人だ。弟のぼくからしても、次代の王となるのに申し分ない能力があると思う」


 そのような評価をしているのはシヴァルにかぎらず、ジューンの耳に届いた範囲でもマイザーンの悪い評判はほとんど聞かない。奇癖きへきがひとつあり、屋外でも、屋内でも、うわさでは浴場でもベッドの上でも、いつも帽子をかぶっているという。


「たしか去年、北方の反乱を平定したはずだな」

 融和を基盤におき、硬軟とりまぜた対応で、ほとんど戦火を拡大することなく事態を収めてみせた。賭けニュース屋でも当てた者がほとんどいなかったほど迅速であった。その後の占領政策も、単なる武弁ぶべんではなしえない細やかな配慮の行き届いたものであり、マイザーンの能力の高さに、ディント王国の明日は明るいと賞賛されたものだ。


 対してその弟のうわさはほとんど伝わってこなかった。完全に兄の影に隠れているかっこうであった。

 その弟というのがシヴァルなのだ。


「兄が帽子をかぶるようになったのはいつごろかわかりますか?」

 枝葉のように思える質問に、ジューンは首をかしげた。

「そうだな。四、五年前といったところだろうか」

「四年前です」


 シヴァルは次にわずかに言いよどんで、

「先生はぼくを信用したいと言った。ぼくもあなたを信用したい。今からぼくが言うことはほとんど誰も知らない事実だ。漏らさないでいてくれますか」


「わかった。キミの許可がないかぎり他言しないと約束しよう」

 調停士の経験として、相手の信頼を得るには、ここはうなずくのに一瞬でもためらってはいけないところだ。といってあまりに早い返答でも軽く思われてしまう。さすがベテランの異種間調停士、そのあたりの呼吸は心得ていた。もちろん技術だけではない。内に篭める誠意があってこその外面の技術なのだ。


 シヴァルの脳裏に、だれにも言うなという父のおそろしい顔がよぎった。父のことを思い出すだけで彼の体がこわばる。

 が、目の前の小さな女性は、不思議とそれに対抗できるほどの存在であるように感じられた。見た目はただの子供なのに。

 だから告白する気になれた。


「兄は「雑ざり」だ。四年前に判明した」

 ついに今までだれにも口外しなかった事実を、シヴァルは口に乗せた。

 ジューンはレンズの奥で目を見開いたが、それもわずかな時間のことだった。


「……髪か? 角か?」

「角」

 ジューンがたずねたのは、発現したのは樹精か、双角人かということだ。帽子をかぶって隠さねばならないとすればそのどちらかである。角であるということは、双角人の特徴が出たのだ。


「父は異種族ぎらいだ」

 有名な話だ。ディント王国が人族至上主義的になり、他種族の排斥をはじめたのは現王ヴュルキンが即位して以降のことである。

「だから「雑ざり」の兄が後継者など父にとってはありえないことだった。そのうえ、自分の子が「雑ざり」だと知られることも許せなかった」


 だからヴュルキン王は、表向きはマイザーンを重用しながら、少しずつ王権から離れていくようにし、反対にシヴァルが後継者となるよう、だれにも悟られないように工作をはじめた。


 遠い北方に遠征にやったのもそのためだったが、マイザーンは父王の見立てより優れていた。時間がかかるか、失敗するかして評価を落とすはずが、時間をかけず完璧に平定してのけたのだ。王の思惑とは逆に、マイザーンは特に軍において絶大な人気を得ることとなってしまった。


 それでもヴュルキン王はマイザーンを後継者に戻すつもりはなかった。

「ではキミが次代の王ということか。祝辞をのべようか」

「とんでもない」

 シヴァルは身震いするように言った。


「ぼくは王になどなりたくないし、なるべきじゃない。小さいころ兄の補佐をしようと決めたんです。才能にも大きな差がある。ぼくは凡人だ。兄が王になったほうがいいに決まってます」

 本気でそう思っているようだ。


「父親にそう言ったのかね」

「……子の意見を容れるような人じゃありません。勝手に口を開いただけで激怒するでしょう」

 まるでそばに父親がいて、自分のセリフを聞かれるのをおそれているかのように、シヴァルは身震いした。声も小さくなっている。


 よほどおそろしい父親のようだ。

 ジューンはディント王がなんと呼ばれているか思い出した。

 ……『斬首王』。


「そのようすだと兄ぎみと相談したわけでもなさそうだな」

「父が許しませんでした。次代の王は「雑ざり」との接触などするべきではないってことでしょう。……それでも父が翻意するよういろいろしてみました」

「いろいろとは?」


「ぼくが王として適格でないと父に思わせるんです。学問や稽古に身を入れず、できが悪いと思わせたり、わざと金を浪費して遊びほうけてみたり……。だれだってこんなバカを王にしたくないはずだと。でもだめだった。ぼくは今年、つい先日、スターバロウへの赴任が決まった。スターバロウを知ってますか」


「ディント南部の都市だろう。ドラグニールにも比較的近い」

「そこの太守に任命されたんです」

 意味するものは、ただ役職をあたえられたということではない。


 スターバロウは湖のほとりにある中型の都市で、これといった特色はないが、農業、漁業、林業、手工業、あるいは学問、芸術、軍事と、さまざまな分野でバランスの取れたというタイプの都市である。さらには人々の気風がおだやかで、とがったところのない丸い印象を与える都市であった。


 そのため、ディントの王家にはある種の伝統ができあがっている。王の後継者となるべき者は、統治の経験を積むため若いうちにスターバロウに赴任するという伝統だ。

 だからディントでは「スターバロウ太守」はときに「王太子」と同義語として用いられたりする。


「……そんなもの、受けるわけにはいかない」

 スターバロウの太守におさまってしまえば、自分が王の跡継ぎだと認めたことになってしまう。しかし父に対して辞退を申し立てるのは無理だ。シヴァルは進退きわまった。


「考えたけどほかに手が思いつかなかった。だから……」

 赴任する道中で姿をくらまし、一介の旅人に扮して、単身ドラグニールまでやってきたのだ。


 それは、シヴァルにとって一大冒険だったにちがいない。ひとり旅もはじめてなら、ドラグニールもはじめてだし、父の命令にしたがわなかったこと自体もはじめてであった。それこそ崖から飛び降りるような勇気が必要だっただろう。


「ぼくさえいなくなればきっと兄が次の王だ。ぼくがここにいるのは、王位は継承しないという意思表示なんです。本気で、ドラグニールでずっと暮らすつもりで来たんだ。だからぼくを狙っても意味がないんですよ!」


「なるほど」

 ジューンは頭痛がするみたいに額をおさえながら、短くそう応じた。


 弟の立場で紹介を継ごうと決意したラギ・ラギにしつこく絡んだ理由がようやく分明になった。シヴァルは自分と彼を重ねてしまったのだろう。


 黄丹が苦しそうにうめいた。ジューンは慣れない手つきで汗をふいて、唇に少し水を含ませてやった。

 それからあらためてシヴァルに向いた。

「キミの言いたいことはわかった」


 調停では当事者の意見を否定しないことが大事だ。といって無制限で受け入れるということではない。あなたはそう受け止めているんですね、という意味での肯定であって、あなたの言っていることが事実である、という意味ではない。


「だがやはり犯人は、キミの考えたくない者だとボクは思う。だいたいこういうものは、キミがいなくなってもっとも得をする者が犯人だと相場が決まっている。つまり……キミの兄。マイザーン王子だ」


「いや、それは違うっ……」

 反射的に抗弁しかかったシヴァルの口を、手をかざして止めると、ジューンは冷静に言葉を継ぐ。


「王位を捨てたのだと言いたいのだろう。だがキミのやり方は、辞退するといっても突飛すぎる。昨日まで王子だった者が、身分を捨てて一介の市民になると言って誰が信じる?」


 正しくは、そう言ってすらいない。行動に移しただけだ。その行動を見るかぎり、兄に暗殺されるのを恐れてドラグニールに潜伏し、後日の捲土重来けんどちょうらいをはかっている、と言われたほうがよほど納得がいく。


「急に逃げ出すくらいなら、なぜ正々堂々と王座を譲ると表明しなかったのかね」

 ジューンの語気は強かった。彼女の目の前には傷ついた黄丹がいる。そのため、シヴァルを責める調子になってしまったのだ。ジューンもまた完全に冷静ではなかった。


 それに気づき、ジューンはいちど大きく息をして落ち着きをとりもどす。

「すまなかった」

「いえ……」


 シヴァルの返答は小さかった。彼自身黄丹のケガに責任を感じないわけではなかった。それに、ジューンの指摘は理屈の上では完全に正しい。そうしておけばドラグニールに来る必要もなかった。そうできていれば……。


 沈黙がおりた。事務所の中にあるのは、黄丹の息づかいだけだ。

 ややあってジューンは笑顔をシヴァルに向けた。

「今日は休みたまえ。疲れただろう。くたびれたパンくらいしかないが食べるといい」

 シヴァルは笑顔を向け返すことができなかった。



   (@_@)


 ジューンは目を覚ました。

 眼鏡をかけたまま机に突っ伏して、すこし眠ってしまったようだ。外は暗く、まだ朝にならない。ジューンはよだれをふくと、ソファで寝ている黄丹の具合をみる。


 顔色は悪くない。寝息も規則的だ。包帯は赤くにじんでいるが今は流血していないようだ。体をもぞりと動かしたときにだけ痛みが走るらしく眠ったまま顔をしかめるが、おおむね無事といっていいだろう。よかった。


 ジューンは寝る前にしたように汗をふいて、口に水を含ませてやった。

 あのあと……シヴァルがパンを食べて床に横になったあと、ジューンは眠りに落ちてしまったのだった。前日が徹夜だったせいだろう。


 ところで、そのシヴァルはどこだ。

 腹が減ったか、喉が渇いたかでキッチンにいるのだろうか? もう茶葉くらいしかないが……。


 いなかった。


 礼儀正しい彼のこと、まさか二階に上がってジューンの服を物色したりジューンのベッドで寝たりジューンの私物を眺めたりなんてことは考えられない。でもいちおう見にいってみた。

 やはり姿がない。


 殺し屋が再訪したか……いや、それはない。眠っていても敵意ある侵入者に気づく自信はある。気づかなかったということは、来なかったということなのだ。


 一階に戻ってきたジューンは、椅子の上に書き置きを見つけた。

 その文面を読んだジューンの眉根に、みるみる険しいしわが刻まれた。

「――ばかものめ!」


 書かれていたのはたった一行だけ。

 これ以上迷惑はかけません、と。

 それだけを残して、シヴァルはスペクタクル・ジューンの事務所から姿を消した。

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