彼の上に日は陰った 2

 ――「竜の盟約」とは?


 それを理解するにはドラグニールの歴史を知る必要がある。

 ドラグニールは、魔法の力で一〇〇〇年のあいだ封印され、存在は確認されながらも誰ひとり中へ入れずにいた超古代都市だ。


 当時この地に君臨していたという竜族によって作られた都市である。五〇年前の大地震までは、荒野のなかの巨大な墓標のごとき存在だった。ところが、地震のあとでたまたま近くを通った者が、この都市の封印が解け、中に入れるようになっていることに気づいたのだ。


 さらに、地震による地形変動でそれまでの街道が使えなくなり、ドラグニール付近を通る道が通行に便利になった結果、この町に人が集まってくるようになった。調査のための学者、街道を往来する商人、お宝狙いの怪しげな連中まで。


 それまで忘れ去られていた遺跡は、魔法の封印が解けると同時に、重要なターミナル都市として歴史に浮上したのである。


 となれば当然、自国の領地としてほしがる国が出てくる。六カ国のほぼ中央だ。どの国も自国の領土にしたがるのは当然だった。なかでも有力だったのが、人族のディント王国と、人狼のマガティーア国だ。


 両国の軍隊が出動した。

 ドラグニールの北、街道沿いの平地に両軍が布陣し、ドラグニールの帰属をあらそって今にも戦いがはじまるという、その瞬間である。

 両軍の中間、戦場の真ん中に、突如として巨大な竜が出現したのだ。


 目を疑う兵士たちの頭に竜の言葉が響いた。軍をひけ、戦をやめよと。ドラグニールはどの国にも属さない都市、どの種族も受け入れる自由都市となれ、と。


 したがわなければこうなる、と、竜は巨大な口を開き、そこから目もくらむ光の束が発射された。光が収まり、視界を取り戻した両軍の兵士は、戦場の近くにあった山が、平らな丘に変貌しているのを見た。竜の光が山の上半分を消し飛ばしたのだ。


 ディント王国とマガティーア国の軍はすぐさまその場で和解し、ドラグニールはどの国の領地でもないと合意した。

 これが世にいう「竜の盟約」である。竜は、盟約を破ればふたたび現れて罰を下すと言い残して、忽然と消えた。


 のちに他の国も参加し、周囲六ヶ国すべてが認める協定となった。上部を吹き飛ばされた山は「平和山」と名づけられて今に至っている。

 しかし、この盟約には謎も多い。


 このとき登場した竜とは、いったい何ものであるか。


 本物の竜族であると当初は信じられていた。ドラグニールに封印されていた一〇〇〇年前の生き残りか、あるいは細々とどこかで血脈をつないでいた子孫か。山を吹き飛ばすほどの力は、伝説の竜族でなければありえない。


 だが、徐々に疑念を持たれるようになった。旧ドラグニール市街を見れば、竜族というのは現在の人類とほとんど変わらないサイズであったことはまちがいなく、戦場に登場したような巨大な存在とは考えられない、というのがその理由である。


 千年以上前に竜族がドラグニールの都市にしかけた魔法であった、という説も出た。竜は前触れなくあらわれまた消えた。実在の生物とは考えにくいというわけである。


 ディント王国の一部には、戦力が不利とみたマガティーアが、痛み分けにするために使用したなんらかのトリックだという見方があり、マガティーア国内では逆にディント王国のしわざという意見がある。


 さらに若い者の間には、その場にいた者たちは集団的な幻覚を見たのであって、実際に竜などあらわれていないという論まで出た。平和山が低くなったのも、本物あるいは魔法で生み出された竜が吹き飛ばしたのではなく、地震によって崩れていたのを竜のしわざと誤認させたのではないか。


 盟約の成立から時がたち、実際に竜を見た者が減っていくにつれて、疑いの目で見る人の数は増えている。


 現在のディント王は、もともとドラグニールとその周辺の土地はディント王国のものであると主張し、可能ならば併合を望んでいることを隠さないが、他国の抗議や、五〇年前の竜への畏怖がまだ残存していることなどから、実力行使にはおよんでいない。


 五〇年間ドラグニールはどこの国にも攻め込まれず、自由都市として発展を続けている。だが、それがいつまでも続くのか、平和が破れそうになったときほんとうに竜が再来するのか、自信をもって回答できる者はほぼいないであろう。



「なんの話だったんですか?」

 事務所への帰り道、口数が少なくなったジューンにシヴァルが質問した。

「ん、まあ……どうということはない」

「本当に大丈夫ですか? なにかされたとか……」


「ない、ない。それよりも残念だったな、キミの指輪が見つからなくて」

「そうですね……」

 シヴァルは無意識にか、かつて指輪をはめていたであろう左中指をなでた。

 吹っ切れてはいないけど、どうしようもない、というような顔だった。本心ではやはり取り戻したいのだろう。


 ジューンは眼鏡のレンズの奥から彼を観察していたが、おもむろに口を開いた。

「シヴァル、キミ、まだボクのところで働く気はあるのかね?」


「なんですか急に」

「仕事の感想をまだ聞いていなかったのでな。黄丹はどうだ」

「理不尽なことは言われませんし……ちょっとこわいけど……」


 ジューンの口元がかすかに曲がった。

「すぐやめてくれるなよ」

「そ、そのつもりはないです」


 シヴァル自身は長くドラグニールで暮らすつもりのように、ジューンには見える。少なくともライマンの危惧したように、ただ一時的にドラグニールにいるだけと思っている態度ではなさそうだ。

「先生?」


「ああ、できれば長く働いてくれるほうがいい……こちらの愛想が尽きないうちは、だがね」

「えっ」

 本気で不安そうな顔をしたので、思わずジューンは笑ってしまった。

「冗談だ。事務所にもどって今回の反省会といこうか」

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