彼の上に日は陰った 1

 その部屋は小さいながら、タナガー商会の応接室よりも高価な家具が並び、それでいて華美におちいらず、洗練された雰囲気で統一されていた。


 これがマフィアの部屋……。シヴァルはこの屋敷に入ってから落ち着かない。それも当然だろう。門の前には、ジューンをむかえに来たのと似たり寄ったりな黒スーツの男が直立不動で立ち、周囲を睥睨していた。この部屋へ通される途中の廊下ですれ違う男たちもみんな、いつナイフを抜いて人を刺してもおかしくないような面構えの者ばかりだった。


「それはキミがおびえているからこわく見えるのだ。先入観という言葉を知っているかね」

 ジューンはいたってリラックスしており、椅子に座って足をぶらぶらさせている。

「そんなこと言われても……マフィアって犯罪者でしょ」


「構造上、ドラグニールは法の力が弱いのでね。残念ながら、地元に根付いた組織が治安維持にひと役買っているのは否定できない。『清流も濁流もおなじ川』という鮫人の言葉があるだろう」

「初耳ですけど……」

 鮫人の知識は本で読んだくらいのことしかない。実物を見たのはドラグニールに来てからだ。


 外の廊下にいくつもの足音がした。何人もの男を率いて、誰かがこの部屋めがけて近づいてくる音だ。

「ようやくボスがおでましのようだな」

 ジューンは足をぷらぷらさせるのをやめた。同時に部屋のドアが開く。シヴァルは息を呑んでそちらを見た。


 こわもてたちを引き連れて入ってきたのは、意外にもまったく怖そうに見えない小太りの男だった。年は五〇くらいか、頭は半ば白髪になっており、福福しい表情は、マフィアというよりそれこそ商会のあるじなどにふさわしいように思えた。杖というには短い木の棒を手に持っている。


 てっきり自分の父のような、威圧感の塊みたいな人物が登場すると思っていたシヴァルは少し拍子抜けした。むしろうしろの、種族ごちゃまぜの男たちのほうが、直接的な暴力のにおいが濃く、剣呑な感じがする。

 少なくとも第一印象ではそうだった。


 マフィアのボスは、ジューンが下座に座っているのを見て狼狽した。自分がどこへ行くべきか迷っているようだった。

「遠慮はいらない。上座に座りたまえ。ここでのボスはキミだろうライマン」

「は、それでは……」


 ジューンに言われてようやく着席した。

 それを見てシヴァルは怪訝な顔になった。ふたりの態度を見れば、まるでジューンのほうが格上みたいではないか。少なくともライマンというマフィアのボスはジューンに対して敬意を払っている。


「そちらが、被害者の坊っちゃんかい」

 細い目をきらりと光らせてライマンがシヴァルを見た。値踏みするようなまとわりつく視線だった。シヴァルはいごこち悪そうに身じろぎした。

「犯人が見つかったと聞いたが」


 ジューンにうながされてライマンはとなりの男に目配せした。男が報告をはじめる。

「スケイル地区のケチなちんぴらグループです。リーダーはラッチ。以下ベナー、ゴル、ライトハンド・ロバート、ハク・リン・バフが構成員で、やつらは主にスケイル地区西部で活動……」

 手を挙げてジューンは説明をさえぎる。


「犯人のくわしい情報が知りたいわけではない。うばわれた物を返してもらいたいだけなのだ。全部戻せとは言わない。買い戻しの交渉をしてもいい。直接会えないだろうか」

「無理です」


 報告の男はジューンの提案を切り捨てるように否定した。言葉づかいは丁寧だが、ジューンに対して敬意を持っているわけではないらしい。逆に、自らのボスに対してへりくだらない生意気な女と反感を持っているのかもしれなかった。


 ジューンは彼の感情には頓着せず、ただ言葉の内容にだけ反応する。

「それはどういうことかな?」

 せせら笑いがにじむような口調で男は答えた。

「死人と交渉はできないでしょう」


   (@_@)


 ラッチは死んだ。


 それだけではなくグループの全員が死んでいるという。しかも他殺。あきらかに異常な事態だ。


「キミがやらせたのか?」

 ジューンはライマンに視線を向けたが、ライマンは首を振った。

「まさか。センセイに頼まれて探りを入れたところ、死体にぶつかったというだけの話」


「本当か? 犯人が死んだことを隠したままここへ連れてきたのはなぜかな」

「隠したなんて人聞きの悪い。あまり道端で話すようなことでもないだろうに」


「それはそうだな」

 ひとまずジューンは追及の矛を引っ込めた。このようすでは、ほんとうにライマンが殺させたのではあるまい。


 男は報告を再開した。

「ラッチたちが持っていた金は回収してあります。そのほかの物についてはこちらに」


 さらに横の男に目配せすると、そいつは持っていた袋から物を出してテーブルの上に並べた。ナイフ、羽根ペン、蹄鉄、指輪……。すべてラッチたちの所持品だという。


「シヴァル」

 ジューンはシヴァルをうながしてそれらの物をあらためさせる。

 おそるおそる覗きこんだシヴァルは、指輪を一瞥して首を振った。

「ぼくのじゃない」


 卓上にある指輪は木製であった。真鍮製のシヴァルの指輪とは似ても似つかない。シヴァルは表情に出さないようにしていたが、やはりがっかりした思いは隠しきれていなかった。

「こ、これだけですか?」


 シヴァルが男に確認するとそっけないうなずきが返ってきた。

「死体が持っていた物は。また、ラッチはおそらくそちらから奪ったと思われるシルクの服を着てましたが、回収はしてません」


「彼の指輪は故買屋に売れるほどの価値はないという話だ。小枝や木の指輪を貯めこんでいたのを考えると、捨てたとも思えない。売っても捨ててもいないとなると……」


「落としたんじゃないですか」

 どうでもいいとばかりに男が言うのを無視して、ジューンはけわしい顔で考え込んだ。眼鏡の反射に瞳が沈む。考えられるのは殺人者が持ち去ったという可能性だ。だが、金銭的価値の低い真鍮の指輪だけをわざわざ持ち去る理由があるだろうか?


 母の形見……? シヴァルはそう言った。そこになにか意味があるのか?

「下手人についてはなにもわかっちゃいねえ。センセイには関係なく、うちの縄張りで勝手にコロシなんかされちゃたまったもんじゃねえからな。調べさせちゃいるが」

 ライマンが手に持った棒を肩に当てながら言った。


「報告は以上です」

「うん」

 ジューンはひとまず考えるのを中断してうなずく。その無造作な返事のしかたに、報告の男は眉を逆立てた。さっきからボスに気安い口を利くのが気に入らなかったらしい。


「仮にもそちらから頼みごとをしてきて『うん』はないんじゃないですか」

 瞬間、ライマンの棒が男の頭に飛んだ。

「センセイに失礼な口きくんじゃねえ。おれの大恩人だと知らねえか!」


 ひとたまりもなくうずくまる男に、ライマンはさらに棒をふりおろす。

 もう一発。さらにもう一発。打たれている男は額から血を流しているようだった。


「すいませんでした」

「それにな、こちらは腕っ節でもおめえらが束になってもかなわねえお人だ。おれの棒で済んで幸運だと思え!」

 ライマンは容赦なく棒で打ちすえる。


「すいませんでした」

 うずくまったまま男が謝罪する。ひたすらに恐縮してボスの怒りの嵐が過ぎるのを待つしかない。

 いきなり発揮された暴力性にシヴァルは息を呑み、ジューンは眉を寄せる。


「謝るのはおれにじゃなくてセンセイにだろうが」

 最後にもう一回棒を振り上げたライマンを、ジューンが止めた。

「いいかげんにやめたまえ」

 男の顔の寸前で棒が停止する。


「センセイがそう言うなら。おい、つれていけ」

 ライマンは周囲の者たちに顎で指示し、負傷した男を部屋から出させた。

「しかしセンセイは動じませんな。そちらの坊っちゃんはケンカ沙汰には慣れてないと見える」

 油断ならない視線をライマンはふたりに向けた。


「人を値踏みするために部下を殴るのは感心しないな」

 今の一幕、部下の無礼を叱るためというより、わざとショッキングな場面を見せてこちらの反応……特にシヴァルの気性をうかがうつもりだったようだ。ライマンの目を見るに、あまり高い評価はつかなかったらしい。


「そうだろう? ライマン・ザ・スティック」

 そうジューンが口にすると、ライマンはいちどに弱った顔になった。

「その名前はやめてくれねえかな」

「言われたくなければ無体むたいなことはつつしみたまえ」

「わかりましたよ」


 シヴァルから身ぐるみはぎとった者たちは殺された。犯人の情報は調査中で、今のところ何もなし。指輪のゆくえも不明。得られた情報はこれくらいだ。


「ほかには? 話は終わりかな? それでは長居もよろしくないだろうし、そろそろいとま乞いをしようか」

 シヴァルをうながしてジューンは椅子から立ち上がった。シヴァルはそそくさとしたがう。


「おう、おまえらお見送りしろ」

 ライマンは左右の男に命令した。

 ごつい男に促されてふたりが部屋を出ようというところで、

「センセイ、少しばかりいいですかい」

 ライマンに呼び止められた。


 ジューンは、不安そうなシヴァルにうなずいてみせた。

「先に外に出ていたまえ」

「だいじょうぶですか?」

「キミがボクを心配するのかね」

 シヴァル自身が怯えているというのに。ジューンは笑った。好意的な笑顔だった。彼のそういうところはあいかわらず好もしい。


 丁寧な物腰の部下たちにシヴァルが連れられて行ってしまうと、ジューンはライマンを振り返った。

「それで、なにかね?」

 座らないのは、手短に話せという意思表示だ。


「センセイ、あの坊っちゃんは何者です?」

 こちらの反応をうかがう針のような視線を向けてくる。

「さてね。ボクもよく知らない」


「ほう、よく知りもしない身元の子供を面倒見てるってわけですか。なるほどね」

 ジューンとしては本当のことを言ったまでだが、ライマンは信用しなかった。しれっとしたジューンに焦れたか、

「ありゃあ、間違いなくディントの貴族だ」


 ライマンがジューンを驚かすつもりだったのならば、それは失敗した。

「だろうな」

「やっぱり知ってたんですね?」

「推察しただけだ」


 そう、今までの行動だけでもそのくらいはわかった。大衆食堂でメニューを要求したり。言葉づかいや所作にも、隠しきれない洗練が見てとれた。

 というよりも、はじめて彼と出会ったときにすでにジューンは見当をつけていたのだ。


 会ったとき、シヴァルは全裸だった。それが理由だ。


 ふつう追いはぎといっても下着まで奪いとるやつはいない。にもかかわらずシヴァルは奪われた。ということは、下着ですら金になるような上等なものを穿いていたにちがいない。そんなものを着用できるのは、裕福な出だからだ。


「センセイ、貴族の子を抱えてるのはなにが狙いです? いや、センセイのことだ、自分の利をもとめてるわけじゃねえのはわかってる。あの坊ちゃんをどうしたいんですか」

「どうと言われてもな。双方の意思のもとで雇用関係を続けるだろう」


「貴族の子が労働なんてろくにできやしねえでしょう。センセイもお人好しだねえ」

 揶揄するような、ほんとうに感心しているような、すれすれの口調であった。


「帰る」

「まあお待ちを。いっとき保護してすぐサヨナラってんならよかったんですが、長くつきあう気でいるとなると面倒ごとがあるかもしれませんよ」

「面倒ごと? キミは彼についてなにか知っているのか?」


「直接には、なにも。それこそ、推察しただけでね」

 さっきのジューンのセリフを借りてライマンはそう言った。

「ただ、ディント王国のほうで兵が動いてるって情報がある」

「ほう」


 それは初耳だった。まだ街のうわさにもなっていないはずだ。ライマンの目や耳はドラグニールの外にも届くらしい。

「北方の平定が終わってからここんところ平和なはずのディントに何があるのか? いろいろ想像をたくましくしたくなるでしょ。内乱とか、貴族の相続争いとかね」


「相続争いは当分いいのだがな」

 さっきまでいたタナガー商会を思い起こした。


「だいたい、ディント貴族の子弟がひとりでドラグニールにいること自体おかしいと思いませんか。なにかもめごとがあるにちがいねえんだ」

「それはたしかにそうかもしれないが……」


「まあ、竜の盟約がある以上ドラグニールに軍隊が来ることはねえでしょうが」

 とライマンは言った。

「とにかくそういうこってす。あの坊っちゃんに関係があるかもしれねえし、ないかもしれねえって話」


 そう言うわりには、関係あるほうにアタリをつけていそうな口ぶりだ。

 今の段階でライマンがジューンに情報を漏らしたのは、恩を売るためだろう。もしシヴァルが貴族の息子で、相続争いがあるのなら、手助けしておけばあとで利益が上がるという計算だ。そうでなくともジューンに協力的なところを見せておけば心象もいい。


「あの坊ちゃん、ほんとうにドラグニールに長くいる気があるのか。おれはあやしいとにらんでますがね」

 なんらかのもめごとから身をかわすためにドラグニールに来ただけだとライマンは推測しているのだろう。


「なるほど、おぼえておこう」

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