タナガー商会のケース 5

「いつまで待たせるの」

 サーク・ラフイラふたりとの面談に戻るやいなや、ラフイラは高圧的な口調で言った。待たされていらだっているのだ。

 ジューンは下手になだめようとせず、すばやく淡々と本題に入る。


「休憩のあいだに聞いたのだがね。ラフイラさんがなぜ樹精を嫌うのかということについて」

 それを聞いてもラフイラは動揺ひとつしなかった。傲然と腕を組んでいる。

「あら、そう。それで?」


「同情に値する。個人としては樹精を嫌いぬいてもよかろう。だが、それは個人の話。商会の長として……長の妻として取るべき行動かどうか、恨みを離れていちど考えてみてはいかがか」

「きいたふうなことを言うわね」


 ジューンがメイドから聞いたラフイラの過去とは、彼女がまだ子供だったころにさかのぼる。ラフイラの両親は商人であった。商会をかまえるような大口の商売をしていたわけではない。個人単位、家族単位で細々と行商をしていたのだ。


 あるとき商売に失敗して高利貸しに金を借りた。

 その高利貸しが樹精だったのだ。


 督促は仮借かしゃくがなかったという。夜通し家のドアを叩かれるのは序の口で、外出先へもいちいちついてきて嫌がらせをする、いちどなど返事がないというので家に火をかけられたほどだ。ついに、ラフイラを置いて両親は崖から身を投げた。

 ラフイラの樹精に対する憎悪はこのときの経験がもとだろうとメイドは語った。


 両親が世を去って行くところのなくなったラフイラを雇ったのがタナガーであった。

 メイドから聞いた話に誤りがないか確認しながらジューンはラフイラの過去を語った。ラフイラはいまいましそうな顔で聞いている。訂正はしなかった。


 その話を聞いて驚いた顔をしたのはシヴァルだった。シヴァルは、メイドの話を聞いていないので今はじめて知ったのだ。しかし彼の驚きかたは、ラフイラの過去が意外だったから、というだけではなかった。


「それは……」

 なにかを言いかけたシヴァルだったが、ジューンの視線を受けて口をつぐんだ。調停の場でしゃべってはいけないという言い付けはまだ続いている。


 ラフイラを受け入れたころのタナガー商会はまだ成長前の小規模なものであった。従業員も人族ばかりだった。樹精のやりかたを取り入れて大きくなるのはそのあとのことである。


「ラフイラさんはそのころのタナガー商会に戻したいのではないか」

「そうよ。それが正しい道よ」

 とラフイラは言い張る。譲る余地などないというように。


「ご両親を追いつめた者は悪としていいかもしれないが、それで樹精という種族全体を憎むのは違うと思わないだろうか」

「思わない」

 斬って落とすような口調でラフイラは応じた。


「樹精はみんなごうつくばりよ。半分植物だからまともな血が流れていないのだわ」

 かたくなだ。それも当然だろう。今日来たばかりのよそものに説教されてすぐ心を入れ替えるのなら苦労はない。


 ジューンは話題を転じた。

「ラギ・ラギ氏がなぜタナガー氏のあとを継ごうと強く思っているのか、本人から興味深い話を聞いたのだがね」


「聞く気も起きないわね」

「まあ、そう言わずに。彼は故タナガー氏に恩があるのだ」

 それはさっき聞いたとばかりにラフイラはよそを向いた。たしかに休憩前にラギ・ラギはそう言っていたが、今回は続きがある。先ほど個別の面談で聞いた話だ。


「ラギ・ラギ氏の両親もまた商人だったが、悪い金貸しにだまされて借金を背負ってしまい、首が回らなくなって心中しようとしたそうだ」


 ラフイラがはっと打たれたようにこちらを見た。

「ラギ・ラギ氏だけが生きのびたが、親もなく、ほかの商人にこき使われながら街で悪少年の仲間みたいなことをしていたらしい。それを拾って、雇ったのがタナガー氏ということだ」


「あなた……それって……」

 あきらかにラフイラの顔色が変わっている。


 そう、ラギ・ラギの境遇はラフイラに酷似していた。シヴァルが先ほどのラフイラの話を聞いて思わず言葉を発しそうになったのはそのためだ。


「作り話でないことは確認が取れている。ああ、ちなみに……」

 ジューンは眼鏡を光らせて言った。

「ラギ・ラギ氏の両親に借金を負わせた金貸しは人族だそうだ」


 ラフイラの顔色が蒼白になり、あえぐようにぱくぱくと口を開閉させたが、言葉は出てこなかった。

「う、うそよ……作り話だわ」


 正直、ジューンも双方の話を聞いたときにはあまりにできすぎていると思ったものだが、聞けば商人が金貸しから借金して事業を広げようとするのはよくある話らしいし、その過程で失敗する者も少なくないという。


 それに、そういう子供を見つけたらなるべく拾ってこようとタナガーが心がけていたのかもしれない。それならばこれほどの類似もただの偶然とばかりはいえないだろう。


「あなたの両親に借金を負わせた樹精はごうつくばりで血も涙もない悪党だとしよう。ではラギ・ラギ氏の両親をだました人族はどうか。人族も差別されてよいのだろうか?」

「う……ぐぐ……」


 ラフイラはうなり声をあげた。理屈ではジューンの言うとおりだとしても、感情が納得しない。毒を持った目でジューンを見据えている。

 ジューンの目は沈んでいた。正論で言い負かしても差別や憎悪の心がなくなるわけではないことくらい、彼女はよく知っている。


「そう……そうよ……それはそいつの両親が樹精だったから報いが来たというだけのこと、わたしの親とは事情がちがうのよ!」

 おそらく自分でも筋道が通った言葉とは思っていないだろう。しかし胸中のどす黒い感情を口にするとそういうことになるのだ。

 ラフイラは興奮して顔を真っ赤にしている。


 そこへ、

「もう、いいだろう」


 と声をかけたのは、ジューンではなかった。沈黙しているシヴァルでもない。

 いままで黙って聞いていた彼女の夫であった。


「ラフイラ。きみは昔の商会が好きだったんだね。でももう完全に元に戻すことはできないんだ。わかるだろ。仮にこれでぼくが相続して、計画通りに拡大した部分を売ったとして、残った部分も維持できないよ。個人的な感情で商会を分割したなんてことが知れ渡っちゃったら、だれもタナガー商会を信用してくれなくなる。きみは商会をつぶしたいわけじゃないだろ」


 調停前には、分割売却も厳しい経営的判断と強弁できないことはない、という判断だった。しかし実際には、それは無理だということは明白になった。メイドにすら、ラフイラが樹精を解雇するかもしれないといううわさが流れているのだ。


 ラフイラは追いつめられた猫みたいになって周囲の者全員をにらみつけた。

 サークはため息をついて、

「もっと前に止めなかったぼくが悪かったな。正直ぼくは商会に興味がないし、きみの気がすむなら売却でもなんでもすればいいと思ったんだけどね。まじめに考えるべきだった。かえってきみを苦しめてしまったよ」


「なにを、いまさら……! もうおしまいってことでしょ!」

「ごめんよ。悪いのはきみじゃない。ぼくだ。樹精だからといってきみの仇ではない。そう言ってあげればよかった」

「遅いのよ!」

 ラフイラの悪態は泣き声に変わった。


 どういう感情なのか、ラフイラは子供のように泣きだす。

 けっきょくのところ、彼女は彼女なりに商会をよくしようと思っていたのだ。ただその方向性が、樹精に対する嫌悪にひっぱられておかしな方向へ行ってしまった。


 冷徹に事を運ぶなら、売却の計画など隠して、ラギ・ラギには甘い言葉をかける。相続はサークがするが実際の経営はラギ・ラギに最大限の権利を認めるとかなんとか言って、首尾よく相続の権利を手に入れてしまえばこっちのものだ。ラギ・ラギの権利を少しずつそいだり、売却してもおかしくないと思われるような下準備を始めればよい。それをせず、ラギ・ラギに対してむきだしの言葉をぶつけたり、時期を考慮せずに売却の話を進めたというのは、ラフイラが謀略家などではないことを意味している。


 泣く妻をなだめながら、

「でも、分割はアリだと思うんだよね」

 とサークは言った。


 濡れた顔を上げてラフイラがきょとんと夫を見た。今の彼女の顔は、きっと両親が亡くなりタナガーに拾われて間もない子供のころと同じような顔だろう。


「調停士さん。相続の形態について提案があるんだけどね。ほら……」

 サークはなにかを促すようなしぐさをした。ジューンは彼の言いたいことを正確に読み取って言葉にする。

「了解した。ラギ・ラギ氏を呼んで同席させよう」


   (@_@)


 ジューンとシヴァルが商会を辞したときには、雨は上がっていた。

 シヴァルは空を見上げた。黒雲は力をなくし、ところどころから青空が見えている。


「うまくいったな」

 というジューンの顔から緊張が抜けている。仕事がひとつ終わったときの顔だ。


 あれからラギ・ラギもまじえて、さらに話し合いが行なわれた。結果、タナガー商会の名はたもったまま経営をふたつに分割して、それぞれが相続するということになった。


 サークはディント王国との交易を主に行なう人族中心の部門を、ラギ・ラギは樹精とのかかわりが深い部門を受け継ぐことになった。ラギ・ラギが相続したそれは、ちょうどラフイラが売却しようとしていた部門にあたる。


 サークの商売勘がもどるまで、彼が受け継いだ部門は現在の大番頭が実務を取り仕切ることになるだろう。

 ただ、そのままでは本当にふたつに割れてしまいかねない。そこで資本金はあるていど共通させ、人材も相互に行き来を行なうようにし、タナガー商会としての統一を保つ。


 この体制を、極端に業績に差が出ないかぎりむこう五年続けて、そのあとで改めて統合するか、分割経営を続けるか、それともほかの方針にうつるかなどを決定する。

「先送りともいえるが、おそらく必要なのは時間なのだろう」


 従業員の行き来があるということで、少しずつ人族側にも樹精を混ぜていってラフイラの意識を変えていこうというサークの考えもあるようだった。


「サークさんがあんなに話をリードするとは思いませんでした」

 とシヴァルが言った。

「先に面談しておいてよかっただろう」

 ジューンはそうこたえた。


 そう、サークが急に場を仕切りはじめたのは唐突なことではなかったのだ。

 実はジューンは、ラフイラを呼ぶ前に、サークひとりと面談を行なっていたのだ。


 といっても、ああしろこうしろと具体的な指示を与えたわけではない。ラフイラの個人的な感情で動いていては、だれにとってもいい方向へはいくまい、どうするべきかよく考えたほうがいい、と言った。

 それだけだ。


「それできっちり話をまとめたのだから、さすが大商人の長子といったところか」

 ジューンの予想以上にサークが有能だったということだ。やる気がないだけで能力はあったということなのだろう。

「もしサークさんが傍観しっぱなしだったらどうするつもりだったんですか」


「もう少し双方にとって不愉快な時間が続いたのではないかな」

 むしろそうなる可能性のほうが高いと予想していた。運がよかった。


「分割か……うまくいきますかね」

 シヴァルは嘆息して言った。

「さてね。ただうまくいかないとなったら、彼らは話し合いの場を持つだろう。もうやりかたはわかっているのだからね。調停士がそこにいるかどうかは重要ではない。対話で問題を解決していこうという選択肢が生まれることこそが七族共栄への道だ」

 そのための種をまくのが異種間調停士なのだ、とジューンは思慮深げに言った。


 それから急に子供みたいに表情をぱっと明るくして、

「これで黄丹に胸を張って報告できるぞ」

 うきうきで一歩を踏み出した。


 水たまりがあった。思いっきり足を踏み込んだジューンは泥水を派手にはねさせてしまい、そのしぶきが前にいた男の足にかかった。

 それを見てシヴァルは青くなった。その人族の男はこわもてで、鋭い目つきに、頬に刀傷が走っている。体格もよく、全身黒のスーツに身を包んでいる。


「あ、謝ったほうがいいですよ」

「ああ、すまないな」

 ジューンは平然たるものだ。足を止めたシヴァルを置いて男のほうへ歩いていった。


 すると男は、身をかがめるようにしてジューンになにか言った。

「わかった」

 うなずいたジューンは、シヴァルのほうを振り向いて、

「どうやら事務所に戻る前に寄る場所ができた」

 と言った。


「……ど、どこへ?」

 シヴァルはすでにおじけづいている。

「スケイル地区のあたりを取り仕切っているマフィアのところへ」

「……先に事務所に帰っていてもいいですか?」


「キミも来るのだ。キミに関係のある話なのだからね」

「で、でも水はねたのぼくじゃないですよ」

「その話ではない」


 シヴァルのおびえようが面白かったのか、ジューンは笑った。

「キミの持ち物をうばった者が見つかったそうだよ」

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