タナガー商会のケース 4

 朝から勢力を増していた雲は、ついに雨のしずくを地上へと降らせはじめていた。窓の外で雷が鳴った。おそらく三本の塔のいずれかに落ちただろう。

 タナガー商会、本館、応接室。


 雨が降り出す前に着いてよかった、とジューンは思った。

 テーブルのこちら側にはジューンとシヴァルが着席しており、あちら側にはラギ・ラギの義兄であるサーク。

 と、そのとなりにもうひとり。


 サークの妻ラフイラが同席している。サークは好奇心が前面に出た表情でこちらを見ているが、ラフイラはけわしい顔をしている。

「子供に見えるのだけれど」


「おい、おまえ……」

 サークはあわてて妻の口をふさぎにかかった。わずらわしそうにそれを振り払うラフイラ。


 この手の偏見には慣れている。ここ何年かは成人である黄丹がいるので言われることは減ったが、黄丹ではなくジューンが主体として話をはじめるとぎょっとされることも多い。


「この場で最年長なのがボクだ。最年少なのが彼」

 軽く笑ってシヴァルを指す。

 ふん、と鼻を鳴らして、ラフイラはひとまず黙った。

「ではさっそくだが、経緯をお聞かせねがいたい」


 事実関係においては、だいたいラギ・ラギの言ったことと変わりなかった。しかしそれをどうとらえるかという点においてはかなりの隔たりがあった。


 たとえばタナガーがハイ・ピオンへ行ったあと商会が大きくなったのは、ラギ・ラギに言わせればすばらしい飛躍だが、サーク……というよりもラフイラが言うには、もともとの美点を捨てて商会がゆがみはじめたきっかけということになる。

「ゆがみとはどういうことを指すのかな?」


「以前のタナガー商会はわたしたち人族の商会だったわ。ほとんどディント王国だけに取引先があったし。それがハイ・ピオンに行ってから樹精の従業員を増やしたり、取引先を変えたりして、昔のいいところがどんどんなくなっていった」


 ラフイラはもともと商会で働いていたんだったな、とジューンは思い出した。昔の商会の雰囲気を身をもって知っているわけだ。


 ラギ・ラギについても、養子になるために裏金を使ったりして、かなりずる賢く立ち回ったというようなことを話した。ただそのラフイラの証言は証拠もないし、虚偽の誹謗ひぼうに近いようにジューンには感じられた。どうやら彼女は義理の弟をきらっているらしい。


「そのラギ・ラギ氏が経営権を欲している理由についてはどうお考えかな」

 という質問にも、

「強欲だからよ」

 と決めつけた。


 サークは妻にしゃべらせるばかりで自分はほとんど発言しようとしない。主導権はラフイラのほうにあるようであった。

 あくまで当事者はサークとラギ・ラギだ。できればサーク本人の思っていることを知りたいのだが、このままではすこし難しいかもしれない。


 ジューンはサークに視線をあわせて、

「サーク氏が商会の経営権を欲する理由をお聞かせねがいたい」

 と水を向けたが、サークは視線をそのまま横にずらした。その先にいるラフイラが案の定回答にまわる。

「うちの人は長男なのだから当然のことでしょう。ディントの法律でも長子が相続となっているはず」


「それはたしか故人が意思表示をしていなかった場合だ」

 黄丹がいれば、どこの法の何条かまでそらで答えられるが、ジューンはそこまで暗記していない。

「故人の遺志が優先される。タナガー氏は生前ラギ・ラギ氏に商会をまかせる旨発言していたと聞いたが」


「なによそれ! 誰が言ったの!」

 ラフイラが吹き上がった。サークも含めふたりともそんな話は聞いていないという。ラギ・ラギの話を聞いたときには、タナガーの言葉はみなが知っているものだと思っていたが、どうやらちがった。


「なるほど、樹精のやりそうなことだわ。義父の発言をでっちあげて自分を有利にしようとしたのでしょう」

 憎々しげにラフイラは言った。


「あいにくほかの誰も聞いていないのでは故人の遺志とは言いかねますわね。そうなるとやはり法が物を言うということになりません? でしょう?」 


   (@_@)


 シヴァルは弁舌をふるうラフイラを見ているうちに、耳鳴りがしてきた。

 過去の記憶が立ち上がってくる。

 シヴァルは幼児から少年へ変わる年ごろだった……。



 部屋はうすぐらい。ほんとうはもっと明るかったかもしれないが、父と対面するときはいつもうすぐらい印象が残っている。うすぐらくて、息苦しい。


 がらんとした部屋に、父とシヴァルだけだ。これもほんとうは使用人や衛兵がいたはずだが、その記憶は残っていなかった。父は座り、正面にシヴァルが立っている。このときシヴァルはなぜ父に呼び出されたのかまるで見当がついていなかった。


 父の顔はよくわからない。シヴァルには顔を上げて父親の顔を近くから見た経験がほとんどない。そんなおそろしいことはできなかった。

 見えるのは手だ。父の手がひじかけを撫でるのが見えた。

「おまえだ。シヴァル。カイザー家の世継ぎはおまえなのだ」


 それは宣言というよりも、歴史書を読むような口調だった。すでに歴史的事実として決まっていることを口にしただけという口調だ。

 父が求めているのは、シヴァルの承諾の言葉だ。「はい」と言うのを待っている。


 歴史ある家では、跡継ぎを早く決めるというのはよくあることだ。だが、シヴァルはそれが自分になるとはつゆほども思っていなかった。兄を補佐するのが自分の役割だとずっと思ってきたのだから。

「兄上は……?」


 か細い声で聞いた。「はい」以外の言葉を発するのに、そうとうな勇気がいった。父よりおそろしい人に、シヴァルは今に至るまで会ったことがない。追いはぎにおそわれたときよりも父の前に出たときのほうがこわかった。


 しかし、シヴァルが聞き返すのも無理はなかった。跡継ぎには兄がいる。能力もあり人望もあり、だれもが跡継ぎは彼だと思っていた。シヴァルも思っていたし、本人もそう感じていたにちがいない。いや、父ですら兄を跡継ぎにしようとしていたはずではなかったか。

 それが、なぜ急に? シヴァルは混乱していた。


 さいわいにも父は、シヴァルの質問に対し怒りをあらわすことはなかった。

「マイザーンはだめだ」

 父はそう言った。割れた皿を見下ろしているときのように冷淡な声であった。そして、もう一度シヴァルに対し、おまえが世継ぎだと念を押した。


 その口調にわずかな苛立ちを聞き取ったとき、シヴァルの身はすくんだ。

 これ以上父にさからってはいけない。シヴァルには、父の言葉を受諾する以外の返事ができるはずがなかった……。



 息を吐くと同時にシヴァルの意識は現在のタナガー商会にもどってきた。

 なんでその場面を思い出したのか、理由は明確だった。そのときの父の口調が、今のラフイラと同じだったからだ。


 兄マイザーンは、たしかに父と先妻とのあいだの子である。人族なのだ。だが人族は、先祖のどこかにほかの種族の血が入っている場合、成長してからその特徴があらわれることがごくまれにある。「雑ざり」といわれる現象だ。


 マイザーンには角が生えた。双角人の角だ。しかし体格は人族のままで、双角人なみに大きくなるようなことはなかった。「雑ざり」であらわれる特徴は限定的であることが多い。


 兄は角を切り、帽子をかぶった。これで外見は以前のまま、人族にしか見えないままだったが、父はゆるさなかった。外見の問題ではなく、兄の人格の問題ですらなく、人族至上主義の父にとっては「雑ざり」自体がゆるせなかったのだ。


 兄の「雑ざり」は隠蔽された。知っているのは父やシヴァルら、ごくかぎられた人数にすぎない。父は自分の子が雑ざり者であることを公表するのを嫌った。だから兄は今でも父の補佐の役職についている。卓越した能力と人格で、欠くことのできない存在になっているのだ。


 だが、継承権はない。たかが角の二本で。



 ラフイラの話は続いている。

「タナガー商会はもともと、わたしたち人族のものなのよ!」


 唐突に、シヴァルにはわかった。ラフイラはラギ・ラギのことを個人的に嫌っているのではない。

 ラギ・ラギを見るときのラフイラの目、それは、「雑ざり」となった兄を見る父の目に似ている。

 個人と個人の関係を超え、種族そのものを嫌うラフイラの感情……、


「樹精の出る幕じゃないの!」

 それは、一般に差別感情と呼ばれる。


   (@_@)


 現在、商会本館の別の部屋に、ジューンとシヴァルのふたりはいる。さっきまでいた応接室より小さく、シンプルな部屋だ。

 サークの提案でいったん休憩することになったのだ。


 あのまま続けてもいい方向にはいかないだろう。仕切りなおしたほうがいい。ジューンもそう思っていたところで、サークのほうから言ってくれて助かった。


「ごく簡単なものですけど……」

 四〇歳くらいのメイドがお菓子を運んできてくれた。ナッツのケーキだ。

 甘さひかえめでジューンはがっかりしたが、さすがにこの場で出されたものに文句を言うほど子供ではなかった。いや、好物が出なくて落胆しているさまは十分に子供だったが。


 ジューンは脚をぶらぶらさせ、口の端からナッツをぽろりとこぼしながら、

「キミはどう思うかね、今後の見通しを」

 と問うた。意見を聞かれてシヴァルは心細げに視線を動かす。


「その、穏便に収めるのは難しい……のではないかと……。お金の問題じゃないみたいだし」

「そうだな、利では双方とも動かないだろう」


 利益をもとめているだけなら、経営権以外の遺産でバランスをとるとか、経営権をゆずったほうに商会の利益のうちいくらかを毎年分与するとか、そういう提案もできた。しかしそんなものでは今回の件は解決しないだろう。


「とくにラフイラさんだ。どうも彼女は夫に継がせたいというよりラギ・ラギ氏に継がせたくないというのを優先しているふしがある。差別感情は理屈でないだけに動かすのは難しい」

「はい……」

「といって、ラギ・ラギ氏もまず引く気はないように見える」


 ラギ・ラギの名前を出したら、シヴァルの表情が変わった。どこか遠くを見る目になったのだ。どこか、たとえば自分の過去とか。

 すぐにもどってきたが、今度はなにやら思い悩む顔になっている。きのう彼がラギ・ラギを問い詰めたときを思い起こさせる。


「ラギ・ラギ氏は故タナガー氏の遺志を継ぐ決意が強いようだったな」

「……逃げればいいのに」

 ぽろり、という感じでシヴァルの口から言葉がもれた。ジューンの眉がわずかに上がる。


 シヴァルはすぐ我にかえって、

「あ、いや、でも双方ともゆずらないのなら行き止まりじゃないですか」

 失言を塗り替えようというように早口でそう言った。


 ジューンは首を振る。

「そうかんたんに道が断たれることはない。憶えておきたまえ。調停士があきらめてしまったら、異種族間の調和はどうなってしまうというのかね。七族共栄は」


 淡々と語る彼女の目には不屈の輝きが宿っているように見えた。その言葉は、長年にわたって異種間調停士を続け、なお理想を失わないスペクタクル・ジューンの強さがこもっているようであった。シヴァルは口を閉じるしかできなかった。


 ジューンはその勢いのままフォークでケーキを突き刺す。

「それに、仕事を成功させないと黄丹に怒られる。お金がもらえないから」

 急に子供みたいなことを言って、ジューンはナッツケーキを頬張った。



「ボクたちが何者かご存知かな」

 卓上を片付けているメイドにジューンはごく気さくに声をかけた。シヴァルはお手洗いにたっていて今はいない。

「はい、話し合いの先生でしょう。だんなさまの跡継ぎをどうするかという……お茶はいかがですか?」


「はちみつを入れてくれ。その、話し合いについてだがね、商会のみんなはどう思っているだろうか」

 従業員のあいだの旗色がどうなっているのか、ちょうどいい機会に聞いてみようと思ったのだ。直接商会の権力争いにかかわらない下働きに聞くのがいちばんいい。


「むろんキミから聞いたとは誰にも言わない。異種間調停士の名にかけて」

 シヴァルには格好いいことを言ったが、今のところジューンも方針を見いだしていない。新しい情報を仕入れればなにかに使えるのではないか。たとえば、従業員が全員反サーク派で、サークが跡を継いだらみんな辞めてしまうとなれば、さすがにサークも相続をあきらめるだろう。

 さすがにそこまで都合のいいことはないだろうが……。


「まあね、上の坊ちゃんには商売ができるかってみんな怪しんでますよ。商売のこと勉強してたのはもう一〇年も前のことで、今は絵ばっかり描いてるわけだし。昔は優秀だったっていってもね。使わない包丁はすぐに錆びるとも言いますでしょ」


「ということは、ラギ・ラギ氏が優勢かね」

「といっても下の坊ちゃんもねえ、あんまり若いでしょう。それに、こんなこと言っちゃ悪いけど、実の坊ちゃんじゃありませんしね」


 このメイド、もともとおしゃべりなたちらしいが、こう気軽に話すのにはジューンの風体も関係しているだろう。特に人族に顕著だが、相手が大人だということは頭でわかっていながら、どうしても子供に接するようにしてしまうということがおこる。妖精のあいだでは「人族はちょろい」などと言われるくらいだ。


 反面なめられがちだということにもなるのだが、今はジューンの小さい見た目が有利に働いてメイドの口を軽くしている。

「どっちもどっちということか。キミ自身はどうかね?」


「あたしは選べるほどひととなりを知りませんけどね。どっちかっていうなら、多少なり現役で商売していたほうがましなんじゃありませんか」

 ラギ・ラギ、ということだが、口調に熱心さは全然なかった。


「どちらでもいいような口ぶりだな」

「仮にハズレを引いて商会がかたむいたって、あたしはただの雑用婦ですからね。やることが変わるわけでもない」

 両方ハズレかもしれないし、両方アタリだってこともありえますけどね、とメイドは笑った。


「それでも、樹精の人たちは下の坊ちゃんに継いでほしいんでしょうよ。何せ上の坊ちゃんにはラフイラさんがついてるから」

「ラフイラさんがいるとどうして樹精の人たちがいやがるのかな」

 さっきラフイラ本人から聞いたことはおくびにも出さずにジューンは聞いた。


「ラフイラさんって、もとはあたしらの同僚だったんですけどね。上の坊ちゃんと仲がよろしくなって、あれよあれよで奥様ですよ。いえ、やっかんでるんじゃありませんよ。それで、メイドだったときからあのひと、樹精ぎらいで通ってたんですよ」

「ほう」


「上の坊ちゃんが継いだら樹精の人を全部解雇しちゃうつもりなんじゃないかなんてうわさまで立つほどで」

 なるほどそうつながるのか。ジューンはきのうラギ・ラギが言ったことを思い出した。彼はサークが商会を売却してしまうことを危惧していた。

 しかしサーク、というよりラフイラが考えているのは商会の全面的売却ではなく、樹精を解雇したのちに一部を分割して売るということなのではないか。


 メイドは少し声のトーンを落として、

「でもまあ、しかたないことかもしれませんね」

 とつぶやいた。

「しかたないとは?」


「だってラフイラさんは親御さんを……あらいやだ。あたしが言ったって言わないでください」

「言わないよ。異種間調停士の名にかけて」

「そのなんとかテイシっていうのがなにかは知りませんけどね、話し合いの先生。ここだけの話にしといてくださいよ……」

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