タナガー商会のケース 2

 タナガー商会はドラグニールを本拠として、周囲六国のうち三ヶ国に支店を持つ大きな商会だ。取り引きする品物は食物、織物、装飾品など多岐にわたる。


 一介の旅商人からはじめて大商会を一代で築きあげたのが、先日亡くなったタナガーだ。彼には実子サークと養子ラギ・ラギのふたりの息子がいる。


 サークは二八歳。十代のころまでは父について商売をしており、優秀だったが、その後商売の道から離れて、売れない画家としてなかば穀潰しのように暮らしている。従業員からの評判はかならずしもよくない。彼の妻はタナガー商会で働いていたメイドである。


 ラギ・ラギは年一八で、商会に入ったのが五年前、養子になったのは二年前だ。


 五年前、それまでディント王国との取り引きを主に行なっていたタナガーは、新たな商路を広げるためにハイ・ピオンに行った。ハイ・ピオン二重国家は、ドラグニールの周囲六ヶ国のうち、唯一ふたつの種族が主になっている国だ。鮫人と、樹精である。だから二重国家といわれている。それぞれの種族の居住範囲がまったく異なっているために、ひとつの国をふたつの種族で分け合うことができている。


「人族の商人五人で、樹精の商人ひとり」そんな言葉があるくらい、樹精は商売に長けた種族だと見なされている。

 そんな樹精の国へタナガーは行って、そこで樹精の商売法に感銘を受けた。タナガー商会がぐんぐん大きくなるのはその後からである。


 その、ハイ・ピオンに滞在中に、両親のないラギ・ラギをひょんなことから拾い、そのまま雇い入れたのだという。ラギ・ラギの話しぶりからも、タナガーに対して重い恩義を感じていることは明らかだった。


 今回の争点はひとつだ。商会の主が逝去したあと、タナガー商会の経営はどちらが引き継ぐのか。


「ここまでの話では、サーク氏が経営権をほしがる理由がなさそうだが……」

 父の死を契機に商道に戻ってくる気になった、とかだろうか。

 その疑問についてはラギ・ラギが彼の視点から回答する。

「おそらく、熱心なのはお義兄さんよりお義姉さんのほうではないかと」


「サーク氏の妻君の意向というわけか」

 そういうことであればサークだけではなく妻の思惑も考慮に入れなくてはなるまい。

「では妻君はなぜ経営権がほしいのだろう」


「そこまでは……でも大きな権利ですしほしがるのは普通では?」

「まあ、そうかもしれないな」

 ラギ・ラギに聞いても答えは出てこないだろう。サークと面談するときにあらためて聞くべきことがらである。


「法的には長子で実子であるサーク氏のほうに分がありそうだが」

「義父は……、亡くなる前に言ったんです。病床で、わたしの手を取って……商会はおまえにまかせた、と」


 それを聞いて、今までおとなしく聞いていたシヴァルが大きくはっと息を呑んだ。その過敏とも思える反応に、ジューンも、ラギ・ラギもいちど口をつぐんで彼を見やった。


 シヴァルはラギ・ラギに、まるで睨むかのように強い視線を向ける。

「それを聞いたとき……いやだとは思わなかったのか?」

 禁をやぶってそう質問した。

「兄弟で争うことになるのは予想できたはず。そうなるくらいなら自分から身を引こうとは思わなかったのか」


「シヴァル!」

 ジューンは叱責したが、ラギ・ラギがそれを押しとどめた。

「いえ、いいんです。お答えします。思いませんでしたね」

「どうして。自分が継ぐほうがうまくできると思っているからか?」


「たしかにお義兄さんは現在商売にはかかわっていませんが、若いころは将来を嘱望された優秀な人だったと聞きます。わたしのほうがうまくできるかどうかはわかりません」


「ならなんでっ……!」

「いいかげんにしたまえ」

 ジューンがピシャリと、ヒートアップしかかっていたシヴァルをとめた。


「どうしたのだ。ラギ・ラギ氏が困っているだろう」

 ジューンはラギ・ラギに顔を向けた。

「もうしわけない」


「大丈夫です。なぜわたしが身を引かないか、それは義父に恩があるからです。親もなく、家もなく、木の根に張りついたコケみたいにろくでもない暮らしをしていたわたしを、まともな道に戻してくれた。子供にすらしてくれた。そんな恩人の頼みを、きかずにいれますか? それに……」


 ここでラギ・ラギは言いよどんだ。なにか口外しづらい理由がありそうだ。

「それに?」

「いえ、確証があることではないので……」


「これは裁判でも取り調べでもない。事実でなくてもいいのだ。ボクが知りたいのは、あなたがどう思っているか、主観的なところを聞いておきたいのだ。むろん聞かされたことを裏づけなしで鵜呑みにすることはないし、もう一方の当事者の考えも聞くがね。ボクが情報を漏らすことはない。そこは信用してもらいたい。彼が不安ならば下げさせてもいい」


 シヴァルを退席させる用意があることを明言した。

「そこまでは……。わかりました。これはうわさなのですが……、お義兄さんとお義姉さんはタナガー商会を売却してしまうつもりなのではないかという懸念があるんです」


「なるほど、それを防ぎたいと」

「はい」

 彼にしてみれば大恩人の遺したものだ。売却などとうてい容認できまい。理由としては納得がいく。


 と、ここで事務所の扉が開いた。黄丹が戻ってきたのだ。ひと目で状況を把握した彼女は、丁寧にラギ・ラギに挨拶し、半ば放心しているシヴァルを引っ立てて奥の部屋に入っていった。すばやく紅茶の用意をしながら、

「来客があったら飲み物を出す! 次からは忘れないように」


「はい、でも……」

「なんですか?」

「紅茶ってどうやっていれるんですか?」

「……。最悪、水でもいいです」


 いっぽう、ジューンとラギ・ラギはふたりで話を続けている。

「他に言いたいことはあるだろうか」

「特には」


「そうか、では最後にひとつ質問しよう。法的には、この場合人族の相続だからディント王国の法が適用されると思うが、長子で実子であるサーク氏のほうが有利だと思われる。つまり裁判に持ち込めば勝つ公算が高い。にもかかわらずサーク氏は調停に同意した。裁判ではなく。それはなぜだろう?」


 ラギ・ラギは考え込む表情になった。

「これも確証はありませんが……」

「どうぞ」


「従業員の評判を気にしたんじゃないでしょうか。調停でわたしが譲ったというほうが裁判で勝ち取るより反感を買いにくいということではないかと」

 つまり従業員の支持はサークにはない、ということか。長子といっても、いちど商会から離れた人間であることだし、そうなってもおかしくはない。


 黄丹とシヴァルが奥から戻ってきた。シヴァルは盆にカップをふたつ載せている。

「お出しするのが遅れて申し訳ありませんが、どうぞ」

 黄丹に指示されてシヴァルは紅茶を二人の前に置いた。

「ありがとう。もうそろそろ帰るところですけど、一杯はいただいていきましょう」


   (@_@)


 ラギ・ラギは礼節を保って去っていった。

 ようやく昼食が取れる。ジューンとシヴァルは冷えた料理を食べた。

「黄丹、キミは?」


「出先でいただいてきましたよ。先生、またほっぺたについてます」

 愛おしそうにジューンの世話をする黄丹。

「もうしわけないが黄丹、もうひとつ頼めるだろうか」

「なんなりと」


「さっきの件についてだ。タナガー商会に行って、サーク氏との面談の段取りをつけてほしい。報告は明日で、今日はそのまま帰っていいから」

「わかりました。行ってきます」

 黄丹はすばやく出ていこうとした。


 その背後で、ジューンがシヴァルに言う。

「晩ごはんは、今日もドンクの店でかまわないだろう?」

「はい。どこでも」

 その会話を聞いて黄丹の足が急停止し、きびすを返して戻ってきた。


「そういえば、先生!」

「どうしたのかね」

 黄丹はシヴァルを指して、

「彼の生活拠点はどこになりますか?」


 どこで寝泊まりするのか、ということである。ジューンはこともなげに答えた。

「新たに部屋を借りる余裕もないし、当分はここに泊まってもらうことになるだろう」


 黄丹は絶望したような乾いた吐息を出して、ショックを受けた表情のまま固まってしまった。彼女のようすに気づかずジューンはシヴァルに確認を取る。

「キミもそれでいいだろう。眠るのはソファになると思うが……」


「そんな……男女がひとつ屋根の下……!」

 黄丹がしぼりだすようにそう言った。それからきっとなって、

「昨晩は緊急避難的にやむをえないとしても、男性と女性がふたりでいっしょに住むなんて、道徳的によくないと思います」


「単眼人は考えすぎだと思うぞ。寝るのは一階と二階で離れている。同衾どうきんするわけでもあるまいし」

「ど、同衾っ……」

 頬を染めて絶句する黄丹。


「それとも、キミも事務所で寝泊まりするかね。それなら安心だろう」

 ジューンの提案に黄丹は懊悩の表情を見せた。ほんとうにそうしようか迷ったのだ。だが結局、単身で暮らすべしという単眼人の文化を脱することはできなかった。彼女がしたのは、おもにシヴァルに向けて口うるさく身をつつしむように釘を刺すことであった。


 まだ言い足りないようすではあったが、タナガー商会に行くのが遅くなってしまうということで、黄丹は未練がましく何度も振り返りながらも、事務所をあとにしたのだった。


 ふたりだけになると、ジューンはじろりとシヴァルを見た。

「さっきのあれはなにかね、キミ」

 叱責の口調だった。

「ボクは口を開くなと言ったはずだが」


「すみません」

 声音をやわらげて聞く。

「どうしてあんなことを?」


 シヴァルは言いよどんだが、ジューンは彼が口を開くまでしずかに待った。

「すこし思いだしただけです。……ぼくにも兄がいるので」

 それだけ言ってシヴァルは口を閉じた。そこになんらかの事情が存在することはあきらかだったが、ジューンはそれ以上詮索しなかった。今の時点では。


 卓上に残ったカップを指で弾いて澄んだ音をさせる。

「これをかたづけるのもキミの仕事だろう。洗ってくれたまえ」

「はい。……どう洗えばいいですか?」

「それはだな……ええと、あとで黄丹に聞こう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る