タナガー商会のケース 1
スペクタクル・ジューン異種間調停事務所におけるシヴァルの仕事がはじまった。
ジューンは深くうなずき、
「よし、ではまず……」
黄丹とシヴァルの視線が彼女に集まる。ジューンはゆっくりと部屋を横切り、階段へ向かった。いったいどんな仕事が待っているのか、シヴァルはジューンの続く言葉を待つ。
「ボクは寝る」
「え?」
「寝る」
そのまま階段をのぼっていってしまった。
「えっと……」
「つまり新人教育はわたしにまかせてくださるということですね!」
とまどうシヴァルと対照的にやる気をみなぎらせる黄丹。きりっとした単眼をシヴァルに向ける。
「あなたは今から雑用見習いです。いいですね」
「は、はい」
「まずは掃除です!」
朝、事務所を開く前に、掃除をするのが黄丹の日課だ。
「まず床をほうきで掃く」
ほうきを手渡されたシヴァルは、慣れない手つきで床を掃きはじめた。
「ああ、その掃きかただと汚れが散らばるだけです。なんでいろんな方向にむけて掃くんですか」
「慣れてないもので」
「最後に掃き出すわけですから、奥のほうから入り口に向かって掃くようにしてください……あぶな! あぶない! 花びんが落ちるところですよ! テーブルの脚にガンガンぶつけない!」
「慣れてないもので」
「次は拭き掃除です。テーブル、椅子、窓、ドアノブ、きれいにしていきます……汚れた布でそのまま次を拭かないでください!」
「慣れてないもので……」
「それ万能のセリフじゃありませんからね」
シヴァルの手際はよくない。監督している黄丹のほうが疲れていそうだった。
「まあ、とりあえずこんなところでしょう。丁寧に気をつけて掃除すること」
「ほかの部屋はいいんですか?」
「二階は先生のプライベートゾーンなのでシヴァルくんは立ち入り禁止です。先生のお部屋を掃除する栄誉はこのわたしに……いえ、なんでもありません。奥のキッチンは、もう少し掃除が上手になってからですね」
次は書類の整理だ。
「日付順に並べなおしてください。わたしは藍鉄さんに手紙を書かなければ」
しばらくは紙とペンの音だけが部屋に響く。
案件の記録に目をやっていたシヴァルだが、やがて遠慮がちに声をかけた。
「あの……」
「なんですか?」
顔を上げずに黄丹が応じる。
「調停士っていうのは、もめごとを解決する仕事なんですよね」
「ちがう、と先生なら言うでしょう。解決するのは当人同士、調停士は手助けするだけ、と。しかし……」
ここで黄丹は目をシヴァルに向けた。
「わたしの知るかぎり、先生が主導権をとっている例もけっこうある気がしています」
「はあ……」
いまいち要領を得ないシヴァルの反応に、黄丹はペンを置いて向き合った。
「そうですね、もう少しきちんと先生の仕事について知っておいてもらいましょうか」
黄丹による講義がはじまった。
「まずはドラグニールのなりたちからです。なにか知っていることは? はいシヴァルくん」
「え? えーと、ドラグニールは一〇〇〇年前に滅んだ竜族が作った都市です」
「そう、我々の祖先が竜族を打倒したのです」
竜族は、現在では失われた数々の魔法を使い、ほかの七族を奴隷として使役していた。やがて圧政に耐えかねた七族は武器をとって叛旗をひるがえした。七種族は決死の覚悟で、強大だが数は少ない竜族と戦い、多大な犠牲と引き換えについに彼らをほろぼすことに成功した。一〇〇〇年前の、いわゆる首輪戦争である。奴隷であった七族は竜族によって首輪を着けさせられていたが、それを取り去るための戦いというわけだ。
そうして自由を勝ち取った七つの種族は、それぞれ国を作った。王朝の交代や国境線の移動などはあったが、おおむねそのときの体制が今も続いている。
「ドラグニールは首輪戦争の末期に、七族の攻撃から都市を守るために魔法で封印されたと言われています」
もっとも、封印が完成したころには守るべき竜族は存続できないほど数を減らしていた。ほどなく中の住人は死に絶え、あとにはだれも入れない都市だけが残った。
そうしてドラグニールは一〇〇〇年眠りつづけた。五〇年前の地震が来るまで。
「封印が解けたあとには交通の要所になったんですよね。それで人が増えて……」
「竜の盟約によってどこの国にも属さない自由都市になったわけです。国ではなくてあくまで一都市であり、そこへ七族が集まっているわけですから、警察力もあまり強くないし、司法も統一されていないのです。とくに異種族間のもめごとにおいては。そこで、そこでです!」
「なるほど、異種間調停士がいるんですね」
「……そういうことです。さあ、書類の整理に戻ってください。手が止まってますよ……ちょっと、書類の上下をバラバラにしない! ちゃんと同じほうを向くようにしてください」
「慣れて……」
「ないんですよね! わかってます」
(@_@)
「ずいぶんにぎやかだな」
昼近くになってようやくジューンが下りてきた。
「ああ、先生……先生!?」
黄丹はその姿を見てあわてて立ち上がった。ジューンは無防備な肌着姿だった。それ自体はよくあることで、いつも黄丹が服を着せてやっているのだが、異性のシヴァルがいる状況ではよくない。
「シヴァルくんは向こうを見る! 先生はちゃんと服を着てきてください!」
「ずいぶんにぎやかだな」
なにごともなかったかのように、服を着たジューンがさっきとまったく同じセリフを言いながら階段を下ってきた。
「シヴァル、仕事はどうかね。しっかりやれているか」
「はい、やれてます」
と返事するシヴァル。しかし黄丹が異議をとなえた。
「彼の言うやれているというのは、行動しているという意味であって、成果につながっているという意味ではありませんからね」
「キミが彼を叱る声は二階まで届いていたよ。まあ、長い目で見てやりたまえ」
「が、がんばりますので」
よろしくおねがいします、と黄丹に向けて真剣な表情でシヴァルが言った。
初日であることだし、彼がふざけていたわけではないことはわかっている。黄丹はため息をひとつついてうなずいた。
「期待してます。では先生、藍鉄さんに状況を説明する手紙、書けましたので出してきますね」
「ああ、黄丹、そろそろドンクの店が開くころだろう。昨晩の報酬交渉してきてもらってもいいかな」
「わかりました。行ってきます」
黄丹が出ていくと、ジューンはシヴァルに目を向けた。
「キミにはごはんを買ってきてもらおう。できるかな?」
「が、がんばります」
お金を渡して、
「近くに屋台があるはずだ。ボクは甘いやつ。キミは好きなのを選ぶといい」
はじめてのおつかいだ。
「あ、ただし一番近い屋台はやめておきたまえ」
「どうしてですか?」
「おいしくないから」
スケイル地区の路上に立ったシヴァル。その目に映るのは、旧市街に建つ三本の塔だ。町のほとんどどこからでも見える。まさにドラグニールを象徴する建造物といえる。
ドラグニールにやってくる旅人がはじめに目にするのもこれらの塔なのだ。シヴァルもそうだった。街道を南に下ってきてみっつの塔を目にしたときは、とうとう来たのだと思ったものだ。
ほんの昨日の話だが、遠い昔のようだ。昨日の夕方には調停士という言葉も知らなかったのに、今はその調停士のための買い物に出ている。
屋台はすぐに見つかった。ラングルをまとった樹精の店主が鉄板でなにかを焼いている。樹精は髪の毛が細いツタのような枝で、葉がついているのが特徴だ。
「もし、ぼくはそこのスペクタクル・ジューン異種間調停事務所の者なのだけど」
「はいいらっしゃい!」
「先生には甘い味のもの。ぼくは……なにか一般的なものを」
「悪いね、うちに甘いものはないよ」
「えっ? じゃあ……どうしよう?」
困りはてたようすのシヴァルに、店主のほうが困惑する。
「どうって、なんでも甘いものがいいっていうなら、よその店に行くしかないでしょうよ」
「そうか、別にひとつの店で買わなくてもいいのか」
などという発見をしつつ、慣れないおつかいをして、別の屋台をさがしてようやくふたりぶんの料理を確保したときにはけっこう時間がたってしまっていた。
事務所に戻るとジューンのほかにもうひとりいた。ジューンと向かい合った席に座っていて、シヴァルからはうしろ姿が見える。葉の茂った緑の髪、樹精である。
「先生ごはんです」
「来客中だ。買ってきたものは奥の部屋に置いてきたまえ」
「はい」
誰だろう。奥へ行く途中でちらっと来客の顔を見た。シヴァルよりすこし上くらいの少年のようだった。
戻ってくるとジューンはシヴァルをみずからの隣に座らせた。
「見学だ。口を開かないように」
「は……」
返事をしかけて、シヴァルは口をつぐんでうなずいた。いまいち安心できないような表情でそれを見たジューンだが、すぐに客のほうに向きなおった。
「彼はうちの者で、気にしなくてかまわない」
「わかりました」
樹精の男はちらちら視線を動かしながらも承諾した。緊張しているようすだ。
「それではラギ・ラギ氏、状況を聞かせていただきたい」
シヴァルはようやく気づいた。
この客は調停の依頼をしにきたのだ。
ラギ・ラギと呼ばれた樹精はうなずいて話をはじめた。
「タナガー商会という商会がありまして、そこの会長であるタナガーが先日亡くなりました。それで、商会の経営権をふたりの子のどちらが継ぐかというところで合意が取れていません」
かんたんにいえば遺産相続争いだ。ジューンの眉がほんのわずか上がる。
「いちおう注意を喚起しておきたいのだが、ご存知だろうか、ボクが異種間調停士だということは」
同じ家族の中での争いは異種間にはならないのではないかと言っているのだ。
「もちろん存じています」
ちなみに、異なる種族のあいだに生まれる子は両親のどちらかの種族になり、双方の特徴があらわれる混血児になることはない。ごくまれに例外もあるが、ほとんど数えるに足らないほどの確率だ。
今回はそういう話ではない。
「つまり、ふたりの子の片方が養子なんです」
「なるほど。……あなたがどちらかな」
「わたしが弟です」
タナガーの養子というのが、要するに彼、樹精のラギ・ラギなのである。
ジューンは横目でシヴァルのようすを見た。彼の聞く姿勢に、急に熱が入ったようだった。どうやら弟がキーワードみたいだ。
シヴァルにもなにか事情があるのだろう。
「先方……お兄さんの名は?」
「サークといいます」
「サーク氏とラギ・ラギ氏のあいだの相続トラブルを調停してほしいということだな。サーク氏はこのことについて何と?」
調停においてもっともむずかしいのは、はじめる前の段階だ。双方が同意していなければそもそも調停をはじめることができない。いやがる相手を説得して調停の場に出てきてもらうのはむずかしい。
ラギ・ラギはふところから封書を取り出した。
「兄も調停をおこなうことに賛成しています。これは兄の同意書です」
「開けても?」
「どうぞ」
ジューンは文面に目を通した。たしかにサークの名において調停に応じるむね書かれている。
「それで、引き受けていただけるんでしょうか」
ジューンは、シヴァルにわずかに視線をやったあと、ラギ・ラギに向けてうなずいた。
「引き受けよう」
「ありがとうございます」
「だが、調停においては公平でなければならない。あなたから話を聞いたのちにサーク氏からも聞き取りをおこない、そのあとで両者同席のうえ調停に臨むことになると思うが、かまわないだろうか」
中には自分の言い分だけ聞いてほしいとゴネる者もいるが、ラギ・ラギはさすが商人の息子とあってそのへんの理屈は心得ている。
「もちろんです」
ラギ・ラギは説明をはじめた……。
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