はだかの少年 4

 ふたりは食堂に到着した。あるじの名を取って簡単に『ドンクの店』と言われている。


 店内の明かりと喧噪が、店の外にまで漏れ出していた。ジューンはシヴァルを先導して店内に入る。このあたりでいちばん大きい店だ。いくつかの視線が向けられたが、すぐに散った。ラングルを身につけた人族はめったに見られないが、いろいろな種族のいるこの店では酔客の気を引くほどではなかった。


 逆にシヴァルのほうは店内をキョロキョロ見回している。その目にははじめて来る場所に対する不安や警戒の色があった。さんざんな目にあったことを考えれば当然だろう。だがそれだけではなく、少年らしい無邪気な好奇心の光も閃いていた。人心地ついて精神的にも立ち直ってきているようだ。


 ジューンは空いているテーブルを見つけた。

「こっちに来たまえ」

「すごい、双角人がいるぞ。はじめて見た」

 向こうの席を指差して、興奮したように伝えてくる。


 ジューンは彼の顔を見上げた。

「キミにとって、人族ならぬ種族は目を楽しませてくれる存在のようだな」

 言葉の内容よりも、ジューンの辛辣な口調と表情で、シヴァルは何を言われているのか悟ったようだった。


「いや……ぼくにとって珍しかったというか……見世物あつかいしたわけじゃ……もうしわけない」

 すぐに恥じ入るだけの分別はあるらしい。食事をおごる相手が愚者でなくてよかったとジューンは表情をやわらげた。

「ここは七族の都なのだよ、ディントから来た少年」

「ああ、肝に銘じるよ」


 若くてかっぷくのいいウエイトレスが注文を取りにきた。ジューンとシヴァルの顔を交互に見て、

「お連れさんがいるなんて珍しいですねセンセイ。しかも若い男の子ときた。え? もしかして……?」

 好奇心がおさえきれない顔だ。


「ちがうよ」

「あら、あら、そう……じゃあオトモダチってわけですか」

「友人でもないな、今のところ。それよりキミの仕事をしたまえよ」

「はぁい。センセイはいつものでいいのね? 甘いやつ。そちらは?」


 ウエイトレスはシヴァルに視線を向けた。シヴァルは周囲の席を見回してから、

「メニューはあるかな?」

 妙な顔になったウエイトレスがなにか言う前に、すぐさまジューンが口を挟んだ。

「人族用の、腹にたまる品をてきとうに頼む」


「わかりました。お酒は?」

「なし」

 うなずいてウエイトレスは歩いていった。


 シヴァルはきょとんとしている。

「ないのか、メニュー」

「ここの店は庶民向けなのだよ」


 字が読めない客も少なくないため、メニューは用意されていないのだ。説明されて得心がいったようで、シヴァルはうなずいた。

「なるほど。それにしても、服と食事をいただけるなんて、ありがとう」

 店内の暖かさで、あらためて身にしみたのか、シヴァルはジューンに向かってもう一度礼を言った。


 料理はすぐに運ばれてきた。シヴァルには豆と野菜と豚肉のシチューに、硬くなったパン。ジューンは骨つき茹で鶏肉のはちみつソースがけだ。

 目を輝かせるシヴァルだが、がっつくのはこらえて、行儀よくジューンが先に口をつけるのを待っている。


「では、食べるとしよう。キミも遠慮なく腹を満たすといい」

 ふたりは食べはじめた。シヴァルは涙を浮かべて、あたたかいシチューを胃の腑に落としていく。


 と、遠くの席で、まるでテーブルをひっくり返したような、ひときわ大きな音がした。


   (@_@)


 騒然と立ち上がった周囲の客たち。もめごとか?


 ざわついているのは音がした席の一帯だけで、反対側の席では何も気にせず食事や酒を口に運び、おしゃべりしている者も多い。

 パニックが起きたりしていないところを見ると、店全体にかかわる一大事というわけではなさそうだ。ジューンは食事に戻ろうとしたが、そこへさっきのウエイトレスが助けを求める表情でやってきた。


「センセイ、おねがいします」

「異種族間のもめごとなのか?」

「そうです」

 では調停士の仕事だ。店からの依頼というかたちになる。酒が絡むと調停が面倒になりがちで、いつもなら避けたい事案だが、今は依頼料が入るだけでもありがたい。


「ケンカになれば店が壊れちゃいます」

 嘆くウエイトレスにうなずいて、承諾の意志を伝える。

「キミは食事を続けていてかまわないよ」

 シヴァルに言い置いて、ジューンは椅子からぴょんと飛びおりた。

「だ、大丈夫なのか……?」


 歩いていくジューンのうしろ姿を心配そうに見る。さすがにひとりで食べている気にならず、シヴァルは彼女に続いた。

 ジューンが人の輪を抜けて現場にたどりついたとたん、巨漢が吹っ飛んできた。彼女の脇のテーブルにぶつかって料理をまきちらし、大の字に伸びてしまう。人族の男だ。


 それを追って登場したのは双角人であった。髪の生え際から二本の角が斜め上を指して伸びている。


 倒れた男が人族としては大きいとしても、今やってきた双角人とくらべてしまってはかすんでしまう。双角人はしばしば野牛にたとえられるだけあって、ジューンを縦にふたりぶん重ねたほどの身長があり、幅も厚みもそれに応じて太い。これでも双角人としては標準的な体格なのだ。


 この、双角人の男が人族の男を殴り飛ばしたのだ。そしてさらに倒れた相手に近づいていく。剣呑けんのんな雰囲気が双角人から立ちのぼっているようであった。

「待ちたまえ」

 ジューンがその前に立ちはだかった。相対するふたりの体格差に周囲がざわつく。


 双角人はハンマーのような拳を見せつけながら、

「どいてくれ」

 と言った。

「何があったのかね?」

 ジューンはそこを動かない。

「どけ!」


 双角人はその拳を振りかぶり、ジューンに向けて放った。大きな男すら吹き飛ばしたパンチだ。店の反対側まで吹き飛ぶジューンを予想して、見物人のあいだから悲鳴があがる。人ごみをかき分けながら、シヴァルも目をおおった。


 拳はジューンぎりぎりで停止した。起こった風が彼女の顔を撫でていく。さすがに無抵抗の小さな相手を殴り飛ばすことには躊躇したらしい。

 ジューンは微動だにせず、目を閉じることすらなく立っている。よけようとする素振りもなかった。

「あんたは、なんだ?」


 双角人はジューンの顔を、若干の畏敬いけいを含んだ怪訝けげんそうな視線で見た。

「ボクは異種間調停士だ。名はスペクタクル・ジューンという。どうかね、少し話をしないか」

 ジューンはにこりと笑った。警戒を外すための意図的な笑顔だ。


「おれは悪くない」

 双角人の声はかたくなだ。

「調停士は善悪の判断を下すものではないよ。そうだな、まずキミの名前は?」


 柔らかい声音でたずねた。それにつられるように双角人はおとなしく名乗った。

「おれは、赤の羊のイグ」

「西の湖畔出身の一族だね」

 そう言うと彼は驚きで目を丸くした。


「知っているのか」

「もちろんだとも。では赤の羊のイグ。何があったのか教えてもらえるだろうか」


 酔漢のほうはまだうしろで大の字になっているが、周囲の客がひっぱるようにして起こそうとしている。ジューンはそちらを気にせずに、赤の羊のイグの話を聞こうとする姿勢を見せる。


「おれは、食事をした。酒は飲んでいない。今日は酒を飲まない日だ。食い終わって帰ろうとした。その男が椅子をかたむけた。ぶつかった。おれはどちらが悪いわけではないと思った。でもその男はおれに謝れと言った」


 酒場でよくあるトラブルという気がした。これなら双方頭を冷やせば解決するか……と思ったが、赤の羊のイグの話はまだ途中だった。


「おれは謝らなかった。その男はおれをののしった。いろいろ言った。そしておれを臆病者だと言った」

「ああ……」

 なんてことを。


 ジューンの唇から思わず吐息が漏れた。額に手を当てて頭痛をおさえるようなポーズをとる。

 双角人は体は大きいが基本的に温厚だ。人狼ほど威圧的でもないし、鮫人ほど排他的でもない。付き合いやすいほうだろう。


 ただし双角人は勇気を重んじる。勇気がないと見なされたらおしまいだ。ことあるごとに、自分が勇気の持ち主であることを証明しようとする。

 そんな相手に面と向かって臆病者と言うのは最大の侮辱だ。


 こういう場合に双角人がどうするか、ジューンはいくつかの実例とともに知っている。二度と臆病者と言えないようにしてしまうのだ。つまり侮辱は死をもってあがなわれる。


 赤の羊のイグは、感情にまかせて怒り狂っているのではない。当然守るべき自己の尊厳を守ろうとしている、といった表情だ。そのようすを見るかぎり赤の羊のイグはドラグニールに来てまだ間もないのだろう。考えかたに双角人社会の流儀を色濃く残している。ドラグニールで生まれ育った双角人はもう少し柔軟な対応をとるはずだ。


「だからスペクタクル・ジューン、どいてほしい」

 立ち上がった赤の羊のイグの手が拳を作っている。削り出した岩のようなそれを、相手の男の顔面にめりこませるつもりなのは疑う余地がない。

 ジューンは正面に立ったままだ。


「たしかに、そう、彼は死に値することを言った。だがそれは双角人の社会においてだ。彼は人族で、おまけにひどい酔いようだ。双角人に対して勇気を否定することがどれほどの侮辱なのかわかっていないのかもしれない」

「なぜその男をかばう? 同じ人族だからか」


「ボクは人族ではないし、かばっているわけでもない。ここが双角人の国で、双角人どうしのもめごとだったらボクが口を出すことではない」

 だが、とジューンは赤の羊のイグから視線を外し、ぐるりと周囲を見回した。


「見よ、ここはドラグニール、『七族の都』だ。見た目がちがう、食べるものがちがう、考え方がちがう、そんな連中が混ざり合って暮らしている」

 ジューンの言葉をうらづけるようないろいろな顔が取り巻いている。ひとつの料理をちがう種族で分けあっているテーブルさえあった。


 視線をまっすぐ目の前の双角人にもどしたジューンは、

「ボクはそんなドラグニールが好きだ。壁のないドラグニールがな」

 柔らかい口調で訴えかけるように言う。周囲の客たちがジューンの言葉にうなずいている。

「そうだそうだ」「ドラグニールばんざい!」という、酔ったあまりの賛同の声さえ聞こえてきた。


 ジューンはちらりとそちらを一瞥し、また赤の羊のイグに目を戻す。

「ただ、そのためには各種族の相互理解と譲り合いが必要だと思っている。どの種族だろうが、自分たちのやり方だけを押し通すようなまねはしてほしくないのだよ。わかってもらえるだろうか」

「ゆるせ、と言うのか?」


 赤の羊のイグの拳はゆるみはじめたようだが、まだほどけてはいない。彼の心を完全に動かすには、さらなる言葉が必要だ。

 ジューンは首を振った。


「いいやそれでは、赤の羊のイグ、あなたのほうが譲歩しすぎだろう。どんな理由であれ侮辱されたのは確かなのだから、ただゆるせとは言わない」

 今のところ被害者は赤の羊のイグなのだ。被害者にまず譲れというのでは、黄丹の言葉ではないが道理が通らない。


「彼の酔いが覚めるまで待ってもらいたいのだ。そのうえで彼に事情を話す。あなたへの侮辱を撤回し全面的に謝罪するならば、そのときはゆるしてもらえるだろうか」

 赤の羊のイグの反応を見ながら言葉を継ぐ。


「不足というならば、そうだな、今回の経緯を文章にしてこの店の壁に貼ってもらう。赤の羊のイグが疑問の余地なく臆病者などではないことが多くの者に知られることになるだろう」

「覚めても撤回しないかもしれない」


「そのときはボクも止めないよ。あらためて正式な決闘を提案しよう。立会人は人族でも双角人でもない者がよかろう。ボクが立ち会ってもよい」

「それまで待て、というのか……」


 赤の羊のイグの口調から不満そうな色は消えていない。ジューンの言葉に心動かされたようではあったが、それでもまだ考えを改めるには至らないようだ。

「ボクはこういう言葉を聞いたことがある。時間で勇気は目減りしない、と」

 ジューンがそう言うと、赤の羊のイグははっとした表情になった。


「その言葉は……! 赤の羊の部族に伝わる言葉だ」

「赤の羊のオゥが言っていた」

 赤の羊のイグはさらに驚きを深めた。

「父だ。あなたは父を知っているのか」


「同じパイプをふかしたことがある」

 それは双角人において、友と同義だ。

「どうだ? 弱い者のために猶予を与えてやれないだろうか?」


 赤の羊のイグはついに、握っていた拳をほどいた。

「わかった――」

 体からも戦いの緊張感が抜けていく。それが伝わって、見物人たちの間にも安堵の空気が流れた。

 次の瞬間、意外なことが起こった。


 意識を取り戻した酔漢が、背を向けているジューンに襲いかかったのだ。まだ頭がはっきりしないまま、近くにいる邪魔者と認識したのかもしれない。弱い者と言われて腹がたったのかもしれない。誰にも予想できない動きだった。


 巨漢のパンチに、小さなジューンはひとたまりもないように思えた。

 しかし、その間に割り込んできた者があったのだ。

「あぶない!」

 シヴァルだった。


 彼はジューンをかばいつつ相手の攻撃を避けるつもりだったのだろう。

 だがシヴァルは直前につまずいた。そのおかげで彼は、酔漢の拳をきれいに顔面で受けることになった。


 双角人に及びもつかないとはいえ、人族の標準では巨漢のパンチだ。視界全体に火花が散る。痛みというより後頭部まで突き抜けるような衝撃が彼を襲った。


 ジューンが驚きの表情でこちらを見ているのが、スローモーションのように視界に入った。

 シヴァルは吹っ飛ぶように床を滑り、そのまま意識を失った……。

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