はだかの少年 3

 そいつはちぢこまって階段に腰をかけている。顔を突っ伏して泣いているようだった。

 変質者か? 酔っぱらいか? 目をそらして通りすぎたいところだが、自宅の前に居座られてはそうもいかない。

 ジューンはやむをえず歩を進めた。


「春とはいえ夜はまだ冷えるのではないかな」

 相手はジューンの声に驚いてびくりと首を上げた。若い男だった。人族だとすると一〇代なかばといったところか。まだ少年だ。目の端に涙の粒が溜まっている。


 少年はおびえたように声の主を探し、ジューンの姿を認めて安堵の息を吐いた。

「なんだ、子供か……」

 子供と見るやごまかすように腕で涙を拭き取り、

「ここは危ないから早く帰りなさい。子供がこんなところに来るもんじゃない」


「危ない? なんだ、追いはぎにでもあったのかね」

 なかば冗談でそう言うと少年は黙ってしまった。どうやら図星だったらしい。


 風が吹く。少年の体にざあっと鳥肌が立ち、震えが来た。

「ひいっ」

 少年はあわてて小さく丸まった。

「ううう……」


 日が落ちて、気温は急速に下がっている。風も出てきた。自分の体を抱くようにしながら少年は震えている。

 ジューンは呼びかけた。

「キミ、これからどうするつもりかね。どこか頼るあては?」


 少年はしなびたナスみたいなしょぼくれた顔になって黙ってしまった。途方にくれる、という言葉の見事な実例だった。

 着の身着のまま、という言葉があるが、彼の場合はそれよりひどい。いくら追いはぎでも、下着まで全部取り去っていくほど徹底したやりくちというのは聞いたことがない。この少年は、よっぽどたちの悪い不運にぶつかったようだ。


 ジューンは眼鏡の位置を上げた。

「帰れと言われたが少年、ボクの家はここなのだ」

「え……そうなの?」

 少年は振り返って扉を見上げた。


「そこをどいてくれたまえ」

 話は終わりとばかりに、階段を一段上がった。

「あっ……あの……」

 少年は情けない顔になって何か言いかけたが、口を閉じておとなしく横にしりぞいた。泣きつこうとして、意地なのか遠慮なのかわからないがこらえたらしかった。


 彼をよけてジューンは小さな階段をのぼり、玄関の鍵を開けた。

 扉を半分開けたところで動きを止めた。全裸でぽつんといる少年を振り返る。捨て犬みたいに震えてこちらを見ている。

 ジューンは溜め息をひとつ。


「ボクの家には物が多くてね。おそらく、キミが着られる服もあるだろう。探してみないか」

「……入れてくれるの?」

 上目遣いでこちらを見る少年。すがるような声音だった。


「明日の朝、キミの凍死体を踏みこえて外出するはめになったらたまらないからね」

「あ、ありがとう……!」

 その声の震えは、寒さによるものか、安心して泣きそうになったからか、判然としなかった。


 ……こうして少年を招き入れたジューンであったが、これがドラグニール全体を揺るがす大事件につながっていくとは、予知の魔法など使えない彼女に見通すことはできなかったのである。


   (@_@)


 事務所の入り口を入るとすぐ部屋がある。真ん中にテーブルと椅子、奥のほうに執務用の机が置いてある。依頼人の応接や事務仕事をする部屋だ。

 左にのぼり階段。奥にはダイニングキッチンに通じる扉がある。


「待っていたまえ」

 ジューンは少年を応接室に残して自分は二階にあがった。二階は居住スペースである。

 そこは整理整頓された一階とはまるで別の世界だった。


 とにかく物が多く、ごちゃごちゃしている。なんとか床が見えるのは、見かねた黄丹がいちど乗り込んできて掃除したからにすぎない。

 ジューンは服が山と積み重なっている場所に来た。なぜかジューンサイズの服ばかりでなく、幼児の服から男物、鮫人の水着などいろんな服が混在している。どこからやってきたのかは彼女自身にもわからない。


 がばっと腕を広げて、小さな体でつかめるだけの服を、種類も問わず抱えあげる。

「よっと」

 ジューンはそのままよたよたと階段のところまで移動し、蹴り落とすようにして何着もの服を投げ下ろした。


 ジューンは階段を下りながら言った。

「ボクはスペクタクル・ジューンだ。キミは?」

「シヴァル……ぼくはシヴァル」

「そうか。ではシヴァル、好きな服を選びたまえ」


 階段下に散乱した服のなかから少年が身につけたのは、樹精の民族衣装ラングルだった。

 これはただの長い布で、体にぐるぐると巻きつけ、あちこち結んでかたちを整えるというものだ。これなら多少のサイズ違いはないのと同じである。


 ジューンも少年もラングルを扱うのははじめてだったし、ふたりとも手先が器用とは言いがたかったので、洗練されたファッションとはほど遠い仕上がりであった。だが少なくとも寒さはふせげるし、いあわせた乙女が赤面しなくてすむ状態にはなった。


 少年は縮こまっていた体をようやく少し伸ばして息をついた。

「ほんとうにありがとう。あたたかい」

 とはいうものの、まだ手足は冷えたままだ。ずっと裸だったのだ。あたたまるものが必要だろう。

 ジューンは奥の扉からキッチンへ向かった。


「茶を出してやろう」

 と言ったはいいものの、ジューンはここ何年もまともに紅茶をいれたことがなかった。できあがったのは、うっすら色のついただけのお湯であった。

「ま、まあ大丈夫だろう。味よりも温度のほうが重要なのだ」


 彼女が見ている前でシヴァルは一気に、その紅茶になりそこねたものを飲みほし、口から緊張がとけたような白い息を吐き出した。よほど体が冷え、喉がかわいていたのだろう。熱い飲み物というだけで満足そうだった。


 三杯飲んでようやく人心地がついたようだ。少年は室内を見るだけの余裕がはじめて生まれて、周囲に視線をやりはじめた。それから、

「お礼を言いたいんだけど、親御さんは……まだかな?」

 と言った。

「キミはディント王国から来たばかりだな」


 指摘するとシヴァルは警戒するように身構えた。

「ど、どうしてわかった?」

「ボクのことを人族の子だと信じて疑わないからだ。ディントは人族ばかりだから他種族のことを失念する」


 はっとして、

「妖精なのか……!」

「人族でないことはたしかだね」

 しれっとジューンは言った。

「そしてキミよりも年上だ」


 シヴァルはおどろいた顔で少しの間止まっていた。

「そ、そうだったのか。それはもうしわけない」

 シヴァルは素直に謝罪した。だがそのあとでまた、

「……本当に?」


 妖精と接しなれていないシヴァルは、まだジューンが大人だという実感がわかないようだった。

「それで、なぜボクの家の前なんぞにいたのかね」

 そこのところをまだ聞いていなかった。


 シヴァルはカップを両手で包んで、まだ残っているぬくもりをたしかめるようにしている。落ちつかなげにちらちらジューンのようすをうかがっていたが、やがて口を開いた。


「今日の午前中……昼ごろだったかな。ドラグニールに到着したんだ」

「ほんとうに来たばかりなのだな」

 ジューンがD・Dと話し合いをしていたくらいの時間帯になる。


「門の近くが混んでいて、それで、同行者とはぐれてしまった」

「同行者?」

「ああ、うん、旅の途中でいっしょになった商人」

「途中で?」


「最初はひとり旅だったから」

 旅をする場合、大勢でかたまって移動したほうが安全だ。ディント王国の治安はいいと聞くが、ひとりで旅をしようという者は少ないはずだ。まして旅慣れているようにも見えない彼がひとり旅とは。なんらかの事情をそこに感じとったジューンだが、今はそれを追及すべき時ではなさそうだった。


「その商人にドラグニールの町や宿なんかいろいろ案内してもらえるはずだったんだけど……」

 それを聞く前にはぐれた。おかげで、シヴァルはほとんど無知のままひとり放り出されてしまったのだ。


 だが、ジューンが思うにそれははぐれて正解だったかもしれない。シヴァルが旅にうといことはぱっと見でわかる。同行者とやらは、案内すると称していかがわしいところへ連れていき、金をむしり取るつもりだった可能性がある。

 それを指摘することはせずジューンは話の先をうながした。


「捜すうちに道に迷ってしまって、どうしようもなくなって夕方まで歩き回った」

 ディント王国からドラグニールに入るには、基本的に北の平和門をつかう。シヴァルもそこから入ってきたのだろう。平和門からジューンの家があるスケイル地区までは、かなりの距離がある。つまりシヴァルは、道に迷ってから、そうとう歩き回ったことになる。


 あてどもなく、ふらふらと、きっと迷子ですとすぐわかるような頼りない物腰で歩いていたにちがいない。容易に想像できた。

「で、このあたりに来たときに追いはぎが出たということか」


 シヴァルはうなずく。そのときのことを思い出しただけでぶるっと震えた。怯えがぶりかえしたのだ。

 スケイル地区裏路地は、地元民にとってはたいして危険ではないが、場違いな者が入ってきたときにはそれなりに注意が必要となる。


「すぐそこ……この家の前で、気づいたら四人か五人かに囲まれていた。彼らの手には……ナイフがあった。それで持ち物も服も全部奪われてしまった。ずっと歩いて疲れてたから、抵抗する力が残ってなかった」


 体調が万全なら結果は違っていたという可能性を言外にほのめかしながらシヴァルはそう言った。ジューンは、少年のせめてもの見栄を傷つけるようなことはせずに、黙ってうなずいてやった。

 それで途方に暮れていたところにジューンが帰ってきたというわけだ。これでなぜ彼がジューンの家の前で全裸だったのかの謎はとけた。


「それに、指輪まで……!」

 また泣きそうになりながら、シヴァルはぎゅっと体をちぢめた。

「指輪というのは?」


「宝石なんか使ってない。ただの真鍮しんちゅうでできてるやつさ。安物で、かねになるようなものじゃない。そう言ったのに、あいつらは……!」

 よほど大事なものなのだろう。ほかの荷物や金のことは口にしないのに、指輪と言ったときだけ顔がゆがんだ。


「……母が好きだったんだ、指輪作りが。ちょっとした模様を彫ったりして……素人だから見栄えはよくないけどね。……形見なんだ」

 卓上に一滴涙が落ちた。

「ほかはいい。せめて指輪だけでも戻ってきてくれれば……」


 やがて少年は泣いたことを恥じるように目元をぬぐい顔を上げなおした。さらになにか言おうと口を開いたが、声が出るよりまえに腹が鳴った。

 赤面した少年にジューンは口の端を上げる。

「近くに行きつけの店がある。夕食くらいごちそうしよう」


 ふと脳内に黄丹の渋面がよぎった。そんな余裕があるんですかと言っている顔だ。だが寄る辺ない少年にいちどの食事をおごるくらいいいだろう、とジューンは頭の中の黄丹を黙らせて、立ち上がった。

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