幕間 井の中の櫻、友人と逢う
アタシは人との関わりをできるだけ避けるような、気弱な中学生だった。
まだまだ未熟な存在であり、知らないこともたくさんあるという自覚はあった。そして、多くのことを知るには人と深く関わらざるを得ないということも理解していた。
しかし、周囲の人と関わって物事を知ることなんて怖くてできない、臆病な性分でもあった。
『井の中の蛙大海を知らず』なんて世間知らずを表す諺があるけど、小さな頃の自分はまさにそんな蛙だった。
大海を知るということは前提条件として他の人との関わりを持たなければならない。アタシにはその前提すら満たすことが出来ずにいた。
スマホを持つようになり、インターネットが身近になった頃には井の中から飛び出さずとも大海を知る術が増えて嬉しく思ったものだ。
画面越しの大海。実際に体験なんてできないけれど、むしろそれでいい。
アタシは大海を知っている。
……とんだ傲慢蛙だ。
だがそうやって知る術はあれど、そこへ飛び出す勇気はない。
必要に駆られたなら大海に向かうかもしれないが、自主的に
今じゃない、今じゃないと言い訳がましく井の中に閉じこもり、大海へと踏み出さない。
それが中学生の頃の、アタシという蛙だった。
〇〇〇
「―――神様?」
「ウン、昨日セッチャンと一緒に会ってきたノヨ」
昼休憩を目の前にした体育の授業。その片付けの真っ只中に、アタシの友人であるアメリカ育ちのハーフガール、サラが妙なことを言ってきた。
最初は『何言ってんだコイツ』と思った。
それをそのまま口に出して言うと、彼女は興奮したような、嬉しそうな様子で揚々と話し始めた。
「なんかゼンタイテキに白くて~ほわほわしててサ」
「YUKATA……じゃなくてKIMONO! キレイだタ!」
「それに可愛かったナー。イザも会おうヨ」
うん。何言ってんだコイツ。
海外育ちで日本語がたどたどしいのはまだ分かる。だがそれを考慮した上でも説明が壊滅的に下手くそすぎる。
とりあえず確定して分かったのは、彼女ともう一人……友人であるセキの両名が神を名乗る者に出会ったということだった。
(いや、怪しすぎるでしょ)
アタシが内心そう切って捨てているとは知らず、サラは説明を続けた。……うん、やっぱり分からない。
元々癖のある子だとは思っていたけど、こんなあっさり騙されるような子だっただろうか。
とりあえず、セキが来たら詳しい話を訊いてみよう。
「それでセッチャンがふわふわしてサ。カミサマはほわほわしてたのダワ」
「その後僕が下行って五点接地よ」
「イイRollingだったヨ。その後はカミサマが―――」
「なるほどなぁ」
(全くと言っていいほど分からん……)
アタシとサラ、セキ、そして腐れ縁のフキの四人で昼食を取りながら説明を受けたが、理解できる部分がほとんどなかった。
どうやらフキは理解できているようだが、残念ながらアタシには理解が及ばない異次元の会話にしか聞こえない。
基本的にセキはまともな人間なのだが、サラとフキというアホの子二人に挟まれるとそっちのノリに染められやすいタイプである。要するに周りに引っ張られてアホになるのだ。いや、元々アホだったかもしれない。
どうやら今回もそのパターンらしく、補足説明が輪をかけて雑になっている。
結局何も分からないまま時間が過ぎていくこととなり、アタシはお手上げと言わんばかりにため息を吐いた。
「いやゴメン、分からんわ……」
「だろうね。ほとんどサラのノリに合わせたから僕自身も何言ったか分からないし」
自覚あったのかよ。
普通に腹が立ったので頭を叩いておいた。
○○〇
「……で、結局どんな人なのよ、その神様とやらは」
数日経って土曜登校日の放課後。
四人で件の自称神様に会いに行くことになり、その道すがらセキに対して改めて質問した。
今度はサラとフキに邪魔されないように、二人の後ろでこっそりとだ。
「面白い
「それは散々聞かされてるっての。せめてちゃんと説明しなさい」
「会ってみれば分かる。悪い神じゃないし、多分イザも仲良くなれるんじゃないかな」
説明になっていない。というか、する必要がないとでも言うように軽く笑って流された。
何度も説明を求めているのは、何も二人のことを信用していないわけじゃない。
サラは去年からずっと仲の良い親友だし、セキだって…………その、大切だ。
そんな二人がもし騙されているのだとしたら、見過ごすことはできない。
というかそもそも、神社の前で神様を名乗るっていうのは罰当たりがすぎるんじゃないだろうか。どれだけ不遜な人物ならそんな大言壮語を吹けるのだろう。
これは多少文句を言ってやるべきだと、そう思っていた。
その後、苦労して神社に辿り着き、件の神様……キリさんと対面して話したわけだけれど……。
結論から言おう。
彼女は本物の神様だった。
いや、神様と断言するには少し早い気もするが……少なくとも超人の類であることは確かだった。他に呼称も思いつかないので、神様としておこう。
そして性格は……なんというか、予想していた人物像とは違っていた。
神を名乗っている人物(本物っぽいけど)なのだからもっと偉そうにしているものだと思っていたのだが……むしろ申し訳なさそうにしていて、怯える小動物のような性格をしていた。
なんだか昔の自分を客観的に見ているようで、懐かしいような面白いような……でも不思議と嫌悪感はない。変な感じだ。
それに何より、すごく優しい人……いや、すごく普通な神様だと分かった。
からかえば慌てるし、くしゃみだってする。
そんな人間臭さが彼女を神として扱っていいのか分からなくさせたけれど……どこか気を遣っているような彼女の雰囲気があの時のアイツに似ている気がして、あっさりと折れてしまった。
アタシに取り入るためのパフォーマンスの一種だったかもしれない……なんて考えるのは流石に捻くれすぎだろうか。
仮にそうだったとしても、こちらを見つめる彼女の瞳はまるでアタシの中まで見透かしているようにも感じられて……。
もしかしたら、土地神様がそうしたのはそんなアタシの思い出を見透かした上での行動だったのかな、なんて一瞬思ったりもした。
でもまあ、それを抜きにしても少し話しただけで受け入れてしまうアタシも大概単純だな。
自虐気味に笑いつつ、神様……キリさんとあらためて挨拶をして、その日は解散となった。
正直、今回の出来事はまだキチンと飲み込めていないし混乱もしてるけれど、今日あった変化として確実に言えることが二つある。
一つは大海に出てしばらく経って多少は知識がついてきたものだと思っていたアタシがまだまだ
もう一つは……ちょっと不思議な友人が増えた、ということだ。
「―――どうした、変な顔して」
四人での帰り道、アタシを背負っているセキが話しかけてきた。
「……いや、顔見えないでしょ」
「中学からの付き合いだぞ。なんとなく分かるよ。なんかしんみりしてるでしょ?」
「フキもアンタもどうなってんのよ……。なんというか、さ。キリさんって、アンタと似てると思って」
「えっ…………どこが?」
心外だ、とでも言いたそうなセキの声に思わず吹き出してしまった。
まあアンタはあそこまでビビりじゃないし、そう思うかもね。
中身の減ったペットボトルを振って見せると、何のことだか分からない、といった風に首を傾げていた。
……コイツ覚えてないな。仕方ないけど。
ちょっと腹立たしかったので、アホの首を少し締めて先に待っているサラとフキの元に急がせた。
背中で揺られながら、あらためてペットボトルに目を落とす。
……あの時とラベルは違うけれど、意識すると思い出してしまう。
初めてコイツと出会った、話しかけられた日のことを。
『―――まあ、一旦これでも飲んで落ち着きなって』
『―――落ち着いたなら見ず知らずの僕にでも吐き出してみない?』
アタシがキリさんのことをあっさり受け入れた本当の理由は、多分昔のことが重なって思えたからかもしれない。
そうやって思い出していると、なんだか勝手に口角が上がってしまう。
それを隠すように、アタシを背負う男に「走れ走れ」と笑いながら叱咤激励を飛ばした。
ねえ知ってた?
井の中から顔すら出せなかったアタシに、最初に大海を教えてくれたのは。
連れ出してくれたのは――
―――セキ、アンタだったのよ?
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