第16話 土地神様のお友達 その三



「あんま人に向けて使うなって前言ったでしょうが」

「はい……」

「オレだったからまだよかったけど……アンタは制御できないんだから」

「はいぃ……」



 キリさんの捕縛から数分後。

 僕らは当初の目的だった今日の掃除……社の裏にある倉庫を綺麗にする前準備として中の物を外に運び出している。

 その傍らで、正座したキリさんがマトイさんに説教を受けていた。


 説教の内容は至極真っ当なもので、挨拶の前に逃げるな、とか危険時を除いて人に向けて神通力を使うな、といった具合だ。

 マトイさん、見た目は完全に悪人とかのソレなのに言ってることがめちゃくちゃまともである。お母さんみたい。


「あ、あの……立っていいかね?」

「逃げないんならな。足、痛かったならゴメン」

「いやそうじゃなくて。マトイの上着を下敷きにしとるんが心苦しいっていうか」

「女性を地べたに座らすわけにはいかんだろォが」


 キリさんの言う通り、現在彼女と地面の間にはマトイさんの着ていた上着がシートのように敷かれている。

 どうやら口調が崩れていても僕らに見せた紳士さは素のようだ。


「……なんかマトイさんってアレよね。ちょっとセキに似てる気がするわ」

「ア、なんかワカル」

「妙なとこで優しいとこなー。コイツの場合若干キモイ時あるけど」

「最後だけ余計だよ」


 僕のことは上げて落とさないと気が済まないのかコラ。

 作業を続けながらコソコソと話をしていると、マトイさんの布まみれの顔がこちらを向いた……気がした。

 いやどこが前だか分からない頭してんだもんこの人。


「申し訳ありません。少し騒がしかったでしょうか?」

「あー、いえ。すいません僕らもチラチラ見ちゃって」

「マトチャン、オセッキョその辺にしたら?」

「最後に一個だけ訊いたら終わりにしますよ。……キリ、なんで逃げたの?」

「……言わんにゃ駄目、かね?」


 マトイさんによる最後の質問に、キリさんはビクッと一瞬肩を揺らしてから困り顔で上目遣いをした。

 めちゃくちゃ可愛い。


「めちゃくちゃ可愛い」

「テメーは黙ってろ」


 僕と同じ感想を口にしたフキはイザに脇腹をどつかれた。

 心の中に留めておいてよかった。


「……まァ絶対言いたくないってなら無理には訊かないけどさ」

「あ、いや……そういうわけじゃないんよ。えっと………………嫌われたくなくて……」


 キリさんは蚊の鳴くような声で理由を話した。

 小さな声だったが耳のいいマトイさんにはちゃんと聞こえたらしく、首を傾げた。


「は? なんで?」

「い、いやだって……私今、こんな格好で似合っとらんか不安じゃし、でもマトイが来とるのに会わないのも変じゃし、でも何話せばいいか分からんし……へ、変な事言ったら嫌われると思って……」


 言いにくそうにぽつぽつと理由を並べていく彼女の顔はどんどん俯いていく。


 ……きっと彼女は久しぶりに知り合いに会うのが不安で仕方なかったんだろう。

 不安で、不安で、どうしようもなくて。

 必死に身だしなみを整えてみたりしても落ち着かなくて、最終的には自分でもわけがわからなくなって逃げてしまったのだろう。


「……ワタシ、キリちゃんの気持ちチョットわかるカモ」

「……そっか」


 そういえば初めてサラと会った時、ここに逃げてきてたんだっけ。

 状況は違っても不安に駆られる気持ちは理解できるのかもしれない。


「……ごめんねマトイ。自分でも最低なことしたと思う」

「ハァ、まァ反省してンならあまり言うことはない……が」


 申し訳なさからか膝を抱えてしゃがみこんで謝罪するキリさんに対して、マトイさんは溜息混じりに近づいた。

 そして、



「えい」


(スパァ―――ンッ!)



「あ痛ァ――ッ!?」



 彼女の脳天目掛けてハリセンを振り下ろした。

 うむ、小気味いい音だ。

 ところでどこから出てきたんですかその昭和的アイテム。


「とりあえずはコレで手打ちだ阿呆神」

「ぐおおぅ……」

「つーか話す内容なんざ適当でいいんだよ適当で。ねェ相引さん?」

「え? ああそうです……ね?」


 マトイさんは出処不明の紙製アイテムを懐に仕舞いながら僕に同意を求めてきた。

 急に話しかけられて中途半端な返事しかできなかったけど、まあ概ね正しい気がするし同意しておいて間違いはないだろう。


 ただその……土地神様が地面に突っ伏してるんですけど。

 そのハリセン何でできてんの?


「て、適当って何……?」

「あ? ンなモン最近あったことでもなんでもいいんだって。例えば……柊崎さん!」

「ん? なんすか?」

「最近……いや今朝とかでもいいんですけど、良いことか悪いことありました?」

「今朝は快便だったぞ」

「なるほど健康的。……つまり会話ってのは最低限この程度でもいいんだよ」

「最低限っていうか最低値だよ」


 久々に会った知り合いとの最初の話題が今朝の排便状況とか嫌だわ。

 そんな僕のツッコミは華麗にスルーして、マトイさんは膝をついてキリさんに目線を合わせて続けた。


「ちゃんと服も似合ってるし、もっと自信持ちな。……嫌いになんてならないから」

「むぐ。……うん」


 マトイさんはまたどこからかハンドタオルを取り出して、キリさんの顔に押し付けた。

 そしてそのままマトイさんが悪役みたいな笑い声を出しながらキリさんの頭を撫でまわしたり、つられてキリさんも笑いだしたり……なんだか楽しそうにしている。



 そんな二人の様子を見て、僕らもふっと笑みが零れた。

 ……どうなることかと思ったけど、久々の再会が悪い形にならなくてよかった。




 と、ちょっといい雰囲気になっていたのも束の間の話で。

 気を取り直して作業を再開しようとしたところで事件は起きた。


「よっしゃ説教終わり! ンじゃオレらも相引さん達手伝いますかねェ」

「う、うん! 皆ごめんね、気を遣わせて」

「ダイジョブダイジョブ! ……あ、そーいえばコレってキリチャンの本だよネ?」


 そう言ってサラが取り出したるは例の本……いや待て。なんでここにあんの!?

 

「キリさんが拾ったっつー本かそれ?」

「ウン。倉庫に入ってスグのトコあったヨ。ハイドーゾ」

「あ、ありがとうございます……!」

「中身は秘密って言ってたわよね。気になるんだけど」


 ヤバイ。

 このままでは中身が露見してしまう。

 いや、この場の面子はちゃんと説明すれば納得してくれそうな気もするけど……色々と不安は拭えない。

 特に今日初めて会ったばかりのマトイさんに見られるのは流石にマズイ気がする。下手をすれば今後の関係性に響きそうだ。


「き、キリさん。分かってると思いますけど……」

「あ、はい。別に見せたりはせんけど……マトイも気になる?」

「気になりはするけど秘密ってンなら詮索しないよ」

「ま、マトイにならいいかなー……なんて」


 良くねえよ?

 せっかく覆面紳士が引き下がったのになんで巻き返しちゃったんですか神様?


「ちょ、ちょっと待ってくださ……」

「マァ待てよセッチャン」

「せっかく良い雰囲気なんだから水を差すのは無粋ってモンだぞ」


 いや水を差すっていうかむしろその雰囲気を壊さないために止めたいんだけど。

 水どころか劇物でしかないんだよあの本。


 マトイさんについてまだ会ったばかりでどういう人なのかは掴み切れていない部分は大いにある。しかし確かな事として、どういう原理かは分からないが神の力を弾き飛ばすことのできる謎存在であるということだけは分かっている。

 そんな人に旧知の人間が変な本を読まされて妙な方向に趣味が曲がったと知れたら……。


 ……どうなるか、考えたくないな。


「じゃァ遠慮なく拝謁致す」

「あっ」


 結局、僕の静止は叶わず、マトイさんはぺらりと表紙を捲った。



「………………………………ほォーん」



 一ページ目を見た瞬間、一瞬だけ動きを止めて声を漏らし、吟味するようにそのまま読み進めていく。

 煌めく視線で隣から覗き込んでいるキリさんに気を遣いながらなのか、そのペースはゆっくりとだがパラパラと丁寧に読んでいるようだった。


 ……明らかに中身を見た瞬間、マトイさんの雰囲気が変わったんですけど。

 なんかこう、黒いオーラというかそんなものが幻視できる。

 端的に言うと、めちゃくちゃ怖い。


 そんな雰囲気を読み取ったのか、サライザフキの三人が僕を盾にするかのように位置取りを変えた。

 ……お前らとの関係性を少し見直したくなったよ。


 そうこうしているうちにマトイさんが本を閉じた。


「……ありがと。コレは返すよ」

「う、うん」

「キリはこの本、好きなの?」

「うん!」

「そっか。……この本渡したの誰?」


 やべえ。マトイさんの声が低い。

 身体中から冷汗が止まらないぜ。


 ど、どうにかして切り抜けねば。

 そう思って周りの頼れる友人たちに助けを求め


「「「コイツです」」」


「お前らふざけんなよマジで」


 ……助けを求める暇もなく、全員が距離を取って僕を指さした。

 切り捨ての判断が早い。なんて奴らだ。


「なるほど。ンじゃちょっと相引さん借りますねー」


 軽い調子でそう言われ、一瞬で距離を詰められた僕は為す術なく腕を掴まれた。

『誰か助けてください』と視線で助けを求めるも、状況をよく分かっていないキリさん以外の全員がサムズアップで見送ってくれた。

 アイツらいつか絶対シバく。





 春の陽気に包まれた木陰に、心地のいい風が吹いている。

 ちょうどいい気温に爽やかな風。

 なんて快適な場所だろうか。


「……」

「……」


 ミイラみたいな見た目をした人間が真横に居ることを除けば。


 マトイさんに神木の下まで連れて来られた僕は今、何故かその根元で横並びに座っていた。


 なんだこの状況。


「……」

「……」


 無言の空間が続く。

 ちらりと様子を伺ってみると、マトイさんは腕を組んでどこか遠くを見つめているかのような素振りだ。まあ目元が見えないから分からないけど。


 ……それにしてもこの人、あらためて近くで見ても身体の線が細い。

 それにかろうじて露出している腕や首元の肌。とんでもなく色が白いのが気になるけど、ハリ的に若い気がする。案外僕らと歳はそこまで離れていなかったりするのかな。


 ふむ、そう考えるとちょっと親近感が湧いて――


「ン? 何か?」

「あ、いえ……」


 ――いや、やっぱ怖いわこの怪人X。

 マミーみたいな首が動くと完全にホラーだわ。


 現実逃避がてら観察したりとかしていたけど、あらためて考えると何なんだこの状況は。


 いや、僕がやらかしたことを思えば何か言われるのだろうというのは想像がつく。

 そのために連れてこられたんだろうし、一応その心構えもしている。いつでも土下座の準備はできていますとも。


 だが、肝心のマトイさんが何やら考え込んでいるみたいで喋らない。


 しかもなんか無駄に落ち着いた雰囲気なのが余計に怖い。

 ここまで連れてきたのはマトイさんなわけだし、せめて何か喋ってほしいんですが。


「……あの」

「――ありがとうございました」



「……え?」



 耐え切れなくなってきて口を開こうとした矢先、マトイさんは急に頭を下げてきた。

 予想外の言葉と行動に僕が困惑して呆けた声を出していると、マトイさんはそのまま話を続けた。


「元々、キリは趣味とかそういうものは無くて。前はもっと物静かで、どんなものにも興味を持たないひとだったんですよ。まァ私もそこまで彼女について詳しいわけじゃないンですが、知っている限りでは仕事を真っ当にこなす代わり、それ以外に何ら興味を持たないっていうクソ真面目な神様でして……」


 ……そういえばあの本に関すること以外でキリさんから趣味に纏わることを聞いた覚えがないな。

 この前連れ出した時もお役目がどうとか言ってたし、そもそもこの神社から出るという発想すらなかったような口ぶりだった。

 マトイさんの言葉通り仕事にしか……いや、それ以外に関心すら抱かない性格だったのだろう。



「ああやって楽しそうにはしゃいでるのを見るのは新鮮で……なんか嬉しいんです。だから―――ありがとうございます。



 あらためてお礼を言うマトイさん。

 その表情は相変わらず読めない。


 ただ、その声色は優しく思えるもので。

 なんとなく、布の隙間から僅かに覗く左目も嬉しそうに笑って見えた。



「えっと……」



 そんなマトイさんに対して僕はどう返事をしていいのか分からなかった。

 いや、まさかお礼を言われるとは思ってなかったから……。


 僕が戸惑っていると、マトイさんは立ち上がった。


「まァ私が言いたかったのは基本的にそれだけです。戻りましょうか……あ、そうだ。あともう一個だけいいでしょうか」

「は、はぁ。なんでしょうか?」

「いえ、大したことではないんですが」


 マトイさんは「うーん」と唸りつつなんだか言いにくそうに布だらけの顎に手を当てている。


 なんだろう。何か言い辛いことでも…………あっ。



「その、ああいった内容の本を他の人に……というか知り合いに見せるのは個人的に苦言を呈する他ないといいますかね。いえ、個人の趣味嗜好について否定する気はないんですけど、モノがモノですから」


「グハァッ!!!」


 優しくたしなめるような口調の忠告に血反吐が出そうになった。


 そりゃ普通に考えて僕の本って認識ならそう考えるよね!

 なまじ優しい分怒られるよりもキツいんですけど!


「い、いやあのですねマトイさん」

「安心してください相引さん。陶器に対して性的興奮を覚えるという知り合いの告白にも動じなかった私にはこの程度では驚きもありません」

「どうなってんだアンタの精神力。あ、いやそうじゃなくてですね!?」


 ……その後、なんとか事の次第を話して誤解は解けたけど、物凄く疲れた。

 キリさんに同類と思われた時の方が多少マシだったかもしれない。



 あとであの三人にも事情を話しておくことにしよう。

 こんな誤解、流石に三度目は御免蒙りたい……。



 心の中でそう決めて、マトイさんと一緒にまた社の裏手へ歩き出したのだった――。




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