「太郎さん、いや健太郎さんちゃんとお家に帰れてよかったよね」

見送った後の帰り道に、咲笑にそういうと、ふぅとため息をついた。

「今回はたまたま良かっただけ。もしかしたら借金で苦労していたかもしれない、奥さんが浮気していたかもしれない、そんな辛い状況から逃げていたのかもしれないもの」

「確かにね。でも千鶴さんに過去が自分を作ってるって言われて少しだけ考え方変わったんだよね。辛い過去も、悲しい過去も、これから変えることはできない。それなら今いっぱい笑って過ごしたら、未来の自分は笑顔で過ごせてるのかなぁって」

「・・・単純」

「うるさいなー」

「・・・お姉ちゃんには、辛い過去があるんでしょう?忘れたくならない?」

私には、辛い過去がある。

中学生の時の私は、成績は学年トップだったが、自分に自信がなくどちらかというと陰気なタイプだった。中3の時に、クラスのいじめっ子に目をつけられて、仲間外れにされたり、悪口言われたりと、いじわるされることが増えた。そんな時はいつも幼馴染の佐和がやってきて守ってくれた。佐和は明るくて友達も多いタイプで、気も強いので、佐和が間に入るといじめっ子も去っていく。

佐和はいつもそばにいて、“もっと自信をもちなよ。笑ったらもっとかわいいよ”と言ってくれた。助けてもらって申し訳ないというと“佐和の佐の漢字には人を助けるって意味があるんだよ、だから私がしたくてしてるだけ”と言って笑顔で話してくれた。

あの日も同じように私がいじめっ子に暴言を吐かれて、それでも黙っていると、いつものように佐和がやってきた。いつものように佐和が間に入って終わるはずだった。

でもその日は違った。

いじめっ子が佐和に掴みかかった。佐和はその手を振りほどこうと抵抗した。

その内に二人は取っ組み合いのようになり、いじめっ子が思いっきり佐和を突き飛ばした瞬間、机の角に佐和の頭がぶつかった。

すごい音とともに、倒れた佐和の頭から血が流れる。

女子たちの悲鳴と「誰か救急車―!!」と叫ぶ声、私は佐和のそばで、「佐和、佐和」と呼び続け、気づいたら意識を失っていた。

佐和は一命をとりとめた。

でも、昔のように笑ってくれなくなった。

脳がダメージを受けてしまい、屈託のないあの笑顔は失われ、目は宙を見ていて焦点が合わない。

初めて佐和に会った時は、ショックで倒れそうだった。

でもいつか佐和が笑ってくれるかもしれないと私は毎日病院へ通った。

勉強することをやめ、積極的に人と関わるようにして、佐和が笑ってくれそうな面白い話をたくさん考えた。そんな生活が3年経ち、高3になった時に、佐和は遠くの環境のいい自然

「こうなってしまったのは、あなたのせいじゃない。これからは、佐和の分まで、あなたのために、あなたの人生を生きてほしい」

佐和の母親はそう言って、ぎゅっと手を握ってくれた。

温かくて優しい手だった。

その日から、自分のために生きることを考えていたが、結局何が正解かわからず、3年が経ってしまったのだった。


「忘れたくなるよ、でも大事な思い出も忘れちゃうことになるし。それに」

佐和の笑顔が記憶の中で蘇る。

“もっと自信持ちなよ”

「過去も含めて自分だから」

「・・・かっこつけててダサい」

「咲笑、本当にあんた口悪いよ!」そういってほっぺをふざけてつねろうとすると、するりと腕を抜けて、咲笑が走っていく。

「待ちなさいよー!」

そう言って追いかけると、咲笑の笑っている顔が見えた。


それからも島での穏やかな日々が続いた。

すっかり私も咲笑も島に馴染んでいて、このままここに住んでしまうような気がしていたが、もうすぐで咲笑の夏休みが終わる。

「咲笑、来週には帰らなきゃね。学校始まるでしょ?」

「・・・うん」

咲笑は浮かない顔をしながら、縁側でラムネを飲んでいる。

「元気出しなさいよ。また連れてきてあげるしさ」

私も隣に座ってラムネを飲む。ラムネはやっぱり瓶が一番うまい。

「・・・一人で来るからいい」

「相変わらず可愛げないね、この子は」

そう言ってふざけて肘でつつくと、ふんといって部屋に入っていった。

「笑った方がかわいいのにな」

この前の健太郎たちを見送った帰り道での咲笑の笑顔を思い出す。

話し方も内容も大人びているが、笑った顔は年相応で可愛らしい笑顔をしていた。

(咲笑を笑顔にしたいな)


私は美濃商店にでかけた。

「お、千鶴さんところの姉ちゃん。またお使いかい?」

「いや、ちょっと相談があって」

咲笑があまり笑わないことと笑わせるにはどういったことをしたらいいかを相談した。

「おじさんには子供がいるから何したら喜ぶかわかるかなーって思って」

「もううちのは20歳超えてるけどね。そうだなぁ、母ちゃん、子供の時何して喜んでたっけか」

「そりゃあ夏だし、子供と言ったらあれしかないでしょ」

奥さんがにこりと笑った。


「肝試し大会?」

「そう!明後日やるんだって。参加するでしょ?」

「私はいいや」

咲笑は寝転びながら、将棋の打つ手を考えている。

「将棋より楽しいよ。それに夏らしいことしてないじゃない?」

「将棋は頭にいいし、勝ち筋を考えるのはすごく楽しいけど」

「いいから、参加するの。もう行くって返事しちゃってるから」と半ば強引に約束を取り付けた。

(肝試し大会なんかでこの子喜ぶのかな)

「勝手に参加すること決めるなんて」と咲笑がぐちぐちいっている。

美濃のおばさん曰く、子供はみんな肝試しが好きだし、肝を冷やす経験をすれば逆に笑顔も増えるという。北風と太陽理論だと言っていたが、なんだか違う気もする。

とはいえ、ここまできたらやるしかない。

そこからはやはり島の団結力はすごいというべきか、美濃夫妻の声掛けで一気に肝試し大会の協力者がたくさん現れ、着々と準備が整っていた。意外だったのは、あのお寺の住職が会場として寺を貸してくれたことだった。

「物さえ壊さなければ好きにしてよい」と快く貸してくれたのだ。

島にいる子供たちにも参加の案内が配られ、あっという間に肝試し大会の日の夜になった。

「咲笑、私は運営のお手伝いがあるから先にいくけど、ちゃんと来てよね」

「・・・わかった」

気のない返事だったが、咲笑は真面目なので約束したら必ず来るはずだ。

千鶴さんにも家から送り出すようにお願いして会場に向かった。

まだお昼間なので明るいが、それでも驚いてしまうほど、島の人々の変装は気合が入っている。ろくろ首に一つ目小僧、河童に、番町皿屋敷のお岩さんもいる。

「すごいですね・・・これ」

「でしょ?うちらが本気出したらこんなもんよ」

貞子の恰好をした美濃の奥さんはノリノリだ。

「さ、あなたも着替えて化粧しなきゃね」

そういって寺の奥へ案内される。寺の中も暗くなるように暗幕が張られている。

かなり本格的だ。

「遊びこそ本気でやらなきゃ面白くないもの。さ、お化けメイクは任せてね」

目をつぶって数十分、奥さんに言われて目を開けると、口から血を垂らした、顔色の悪い女のお化けが鏡に映っていた。

「どう?これで白い着物きたら結構怖いと思うわよ~」

そうこうしているうちに、日が傾き、すっかりと暗くなっている。

島の子供たちも続々と集まり始めていた。

(咲笑はどこにいるんだろ?)

こっそりと寺の扉の隙間から探すが見つからない。

そもそも咲笑が来なければこの企画の意味がないので、千鶴さんに電話することにした。

「千鶴さん、咲笑は家出ました?」

「いや、それが・・・」


「咲笑ちゃんが家出!?」

「そうなんです。さっき千鶴さんに電話したら、咲笑がいなくなってて荷物もなくなってるって言ってて」

「船の最終日はとっくに過ぎてるし、まだ島の中にはいるはずよ。山の中に万が一でも入っていたら危険だから、すぐにでも探しましょう」

美濃商店の奥さんの掛け声で、みんなで咲笑を探すこととなった。

思い返せば、最近の咲笑は元気がいつも以上になかった気がする。

出会った時からあの子が何かあるのはわかっていたし、過去を思い出すことに抵抗があることもわかっていた。咲笑があんな大人びた雰囲気になったのは、子供らしくいれる環境じゃなかったからかもしれない。

小さな体で色々考え、きっと悩んでいたのだ。

(もっと声をかけてやればよかった)

島中をみんなで探すもなかなか見つからない。大人だけじゃなく、子供たちも公園や学校周辺を探してくれている。

時計をみると22時を指している。

(あと探していないところは・・・)


「さすがにしばらく運動していない体には堪えるんだけど」

咲笑が寺のイチョウの木の下にうずくまっている。

「あんた何してるの?」

咲笑は下を向いて動かない。

「みんな心配して探してるよ、咲笑のこと」

咲笑は「・・・ごめんなさい」と消え入るような声でいった。

「一体どうしたの?」

「・・・ない」

「え?」

「・・・帰りたくない」

「帰りたくないからってこんなことしても仕方ないでしょう?」

「違う、・・・違うの。帰りたくないって思いたくないから、みんなに迷惑かけて嫌われたら帰れる気がして」

「咲笑、そんな」

「いつだってそうしてきたの。友達ができて仲良くなっても親があの子とは遊ぶなって言われたらもう遊べない。好きな絵も音楽も辞めさせられて・・・。いつだって楽しいって思ったものは私の前からなくなっちゃうんだもの。失って傷つくなら、始めから楽しまきゃいい、好きにならなきゃいい、そう思って・・・」

咲笑の瞳からぽろぽろ涙がこぼれてくる。

「そっか。それは辛かったね」

咲笑をぎゅっと抱きしめた。咲笑の涙で肩がじんわりと温かくなる。

「大丈夫。私も、この島の人たちも咲笑を嫌いにならないし、いなくなったりしないよ」

「咲笑ちゃん!いたよーーーー!」

美濃のおばさんの大声で島の人たちが集まってくる。

「どこに行ってたのかと思ったよ。無事でよかった」

みんな口々によかった、よかったと言っている。

やがて雲が隠していた月が出てきて、辺りが少し明るくなる。

「・・・ふふふ、あははは」

咲笑がこちらをみて笑っている。

「変な顔!」

涙でメイクが剥げて黒い涙を流している上に、衣装に着替える前だったのでジャージを着ている。

「ちょっとこの状況でそれいう?」

「いやでもあんた本当に変な顔に格好だよ」とおばさんも大笑いしている。

みんなで大声で笑っている真ん中で、咲笑もくしゃくしゃの満面の笑みを浮かべている。


「なんだか寂しいね」

今日はとうとう島から地元に帰る日だ。

咲笑はすっかり笑顔と元気を取り戻し、最後の日は地元の子供たちと川遊びまでしていた。

「千鶴さん、本当にお世話になりました。また必ず来ます」

「待ってるよ」

咲笑は千鶴さんに抱きついて、うっすら涙を浮かべている。

「さ、船がでるよ」

千鶴さんに促されて船に乗ると、島の人たちがたくさんやってくる。

「また来いよー!」

「次こそ肝試し大会するからねー!」

口々に声をかけてくれる。

船がゆっくり動き出し、島の人たちが小さくなっている。

たった一ヶ月だったとは思えないほどにたくさんの思い出がある。

(佐和に胸をはって会えるように頑張らなきゃな)

咲笑は、子供たちにもらった貝殻のネックレスを嬉しそうに眺めている。

「咲笑は、やっぱり笑顔の方がいいよ。笑顔が咲く、で咲笑なんだからさ」

「お姉ちゃんの名前って、あけみって言うんでしょ?」

「そう。明るい未来で、明未だよ」

「じゃあ私とコンビ組んだら、笑顔咲く明るい未来で最高のコンビじゃん」

そう言って咲笑は得意気に笑っている。


辛いことも、悲しいことも、生きていれば必ず訪れる。

でも、同じように楽しいことも、嬉しいこともやってくる。

どんな瞬間も笑顔が咲く、明るい未来を信じていたい

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世界はあなたに笑いかけている 月丘翠 @mochikawa_22

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