⑤
「僕の記憶をですか?」
「えぇ、取り戻すお手伝いをしたいと思いまして」
男には、記憶がないので名前は仮に太郎さんとつけられている。もう少しひねった名前にしたらどうかと思うが、住職がわかりやすいのが一番良いとつけたらしい。
太郎さんは、困惑しながらも、記憶を取り戻したい気持ちはあるらしく、「お願いします」と頭を下げた。
「この子は咲笑っていうんですけど、子供の割に結構頭はいいので、連れてきました」
「ねぇ、太郎さんは本当に思い出したいの?辛いことがあったから記憶を失ったのかもしれないよ」
「ちょっと、咲笑」
咲笑は真剣な顔で太郎さんを見ている。
「・・・そうですね。確かにそうかもしれません。でも思い出さないのも怖いんですよ。今の僕はぽっかり穴が開いていて、本当の自分じゃない気がするんです。いちいち考えちゃうんです。本当の僕はこれを面白いと感じるのだろうか、辛いと感じるのだろうか、本当の自分ってどんな人だったんだって。・・・暗闇の中を一人で歩いているみたいで不安でたまらなくなります」
太郎さんは座り直すと、再び頭を下げた。
「どんな辛い過去でも受け止めます。自分をちゃんと取り戻したいんです。協力してください」
「そんな、頭を上げてください。もちろん、協力させていただきます。その為に来たんですから。まずは、覚えていることを話してもらえませんか」
「あまり覚えてないんですけど・・・」と言いながら、太郎さんは覚えている範囲のことを話し始めた。
そこでわかったことは2点だ。
① 意識が戻った時には、この島の海岸にいた
② この島の風景には見覚えがある
紙に書きながら、「これだけか・・」思わず私がそうつぶやくと、「すいません」と太郎さんが申し訳なさそうに言った。
頭を悩ましていると、「太郎、太郎」と住職が太郎さんを呼ぶ声がする。
「住職、ここです」太郎さんが障子を開けて、「すいません」と席を外した。
「ヒントが少なすぎるね」
「そもそもこの島で記憶を失ったわけじゃなくて、おそらく別のところで記憶を失ってふらふらここへ来たって感じだからどこから来たかもわからない」
「確かに。この島で事故なんてもう10年はないらしいよ」
「人もいないし、車もいないから事故なんて起きようがないものね」
相変わらず咲笑は厳しい。
しばらくして、太郎さんが帰ってきた。少し浮かない顔をしている。
「どうしました?」
「いや、住職に昨日箒を修理するように頼まれてたのですが、なぜか修理せずに片付けてしまっていて、住職にちゃんと話を聞くように少し怒られてしまいました」
「記憶も失ってるわけですし、上手くいかないにいかないのも仕方ないですよ」
太郎さんは「ありがとう」と言いつつ、素直に反省しているようだった。
「太郎さんは関西の人なんじゃないかな」
咲笑がはっきりそう言った。
「多分箒をなおしてって言われたんじゃない?」
「なおして?」
「そう、関東では直して、つまり箒を修理してという意味になるけど、関西は箒をなおしては片付けてという意味になる。だから、片付けちゃったのかなと」
「でも関西のイントネーションじゃないよね」
「そう考えると、子供の頃は関西で育って、どこかのタイミングで関東に引っ越したってところかな」
「でも関西のイントネーションって関東に来てもなかなか変わらないっていうけどなぁ」
とはいえ、関西に関りがあることは間違いなさそうだ。
③ 関西に関係がある
と紙に追加した。
「じゃあ、次行こう」咲笑が立ち上がる。
「どこに?」
「この島じゃない人がこの島の記憶があるなら、旅行できたと考えるのが普通でしょ。民宿を回って聞いたら何かわかるかもしれない」
咲笑にそう言われて、民宿を回ったが、結局どこの宿にも「見たことがない」「記憶にない」と言われてしまって、なんの情報も得られなかった。
「すいません、こんな暑い中・・」
太郎さんが申し訳なさそうに頭をさげて小さくなっている。
「・・・戻さない方がいい記憶ということなのかもしれません。記憶を取り戻したいって思ってたんですけど、よくよく考えたらこんな知らない島に逃げるように来たなんて、きっとロクでもない人生を歩んできたんでしょうね・・・」
「私は、そんなことないと思います。だって太郎さん、私がしんどそうにしてた時『大丈夫ですか?』って声かけてくれて、私が大丈夫ってわかった時もすごいほっとした表情してくれて・・・その時すごくいい人なんだなって私思ったんです」
「そんなこと・・・」
「過去が今の自分を作っているのなら、きっと本能的に人に優しくできる太郎さんの過去が悪いわけないです」
「・・・ありがとう」
「どこの宿にも泊ってない・・・それなら」
そういって咲笑の案内でたどり着いたのは、千鶴さんの家だった。
「あら、もう帰ってきたのかい?」
「千鶴さん、この人見たことある?」
咲笑が尋ねると、千鶴さんはしばらく太郎さんの顔を見た後、「小倉さんじゃないか」と言って、奥の部屋に去っていった。
玄関でしばらく待っていると、画用紙に書かれた絵を持ってきた。
「これ、正人君にもらった絵だよ。大事にとってたんだよ。元気にしてるかい?」
「ま・・正人?」
「あんたの息子や!」
突然後ろから声がして、振り返ると女の人と6歳くらいの男の子が立っている。
「どこに行ってたんよ!めちゃめちゃ探したんやから」
男の子が走って、太郎さんに飛びつく。
「ぱぱぁぁ」
その瞬間、太郎さんは男の子を力強く抱きしめた。
千鶴さんの家に上がってもらうと、奥さんに事情を説明してもらった。
太郎さんの本当の名前は小倉健太郎さんで、奥さんの麻友さんと息子の正人くんの3人で暮らしていた。
健太郎さんは先週交通事故に遭ったそうだ。車同士の事故だったが、奇跡的にお互いに大きなけがはなく、意識もあったため、事故の相手が少し離れて救急車を呼んだりして目を離している間にふらふらと消えてしまったらしい。たまたま事故が起きた場所が山沿いの人の少ないところだったために、誰にも気づかれずなかったようだ。
「去年の夏にこの島に遊びに来たんですけど、帰りの船の時間を間違えてしまって、泊まろうにも宿がなくて困っているところを千鶴さんに助けられたんです。それで、この子もまた千鶴さんに会いたいっていうし、私らも御礼したいなって思ってましたから、次の連休に3人でこの島に行こうって話してたんです。そしたら事故にあって、この人がいなくなってしもて」
健太郎さんは隣の部屋で正人くんと何やら話している。
「まさか記憶をなくしてるなんて思いませんでした」
「それにしてもどうしてここに?」
「それが・・・正人が言い出したんです」
事故から3日くらい経ったころに、健太郎さんが事故に遭った場所にいってパパを探すということを聞かない正人くんを連れて、現場にいったそうだ。
山沿いの少し高い場所で、ガードレールの向こうには遠くに海がきらきらと輝いていて、その先に星成島が見えたらしい。そこから正人くんは“パパは星成島にいるんだ”というようになり、距離的にそんなはずはないとどれだけ説得しても納得しないので、今回島に来てみたのだった。
「まさか本当にあの人がいるやなんて思いませんでした」
「きっと事故に遭う前に星成島に行くことを考えてたんでしょうね、正人くんと麻友さんと3人で。だから意識がぼんやりする中でこの島を目指した」
私がそういうと、「本当にバカな人やわ。私らのこと忘れて、遊びに行く場所覚えてるなんて」そういって奥さんはにじんだ涙を拭きとった。
「でも奥さんのこと忘れてなかったよ。奥さん、関西出身でしょ?」
「えぇ。私は大阪出身よ」
「関西弁覚えてたみたいだから」
「そんなことだけ覚えてて、本当にバカな人・・」
健太郎さんは二人と再会しても記憶は戻らなかったが、二人が大事な人だということはわかると言っていた。頭をぶつけた可能性もあるので、本土に戻って病院で検査してもらうことになり、三人で船に乗って帰っていた。
満面の笑みの正人くんを二人で挟んで親子三人の後ろ姿がなんだか眩しかった。
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