〝6年、あの冬をもう一度〟

第30話

 もうすぐ、クリスマスがやってきます。そして同時に冬休みも。もうすぐ休み、そう考えるだけで少し心が軽くなります。

 昼休みの暇なとき、「夏俐ちゃんは何をお願いするの?」とクラスのよく話しかけてくれる子に訊かれました。クリスマスの話題だったので「誰に」がなくても伝わりましたが、きっと彼女もわかっているのでしょう。もう6年生ですしわたしだって薄々勘づいていますが、まだ純粋な妹がいるので黙っています。黙っているというより声が出ないので黙るしかないのですが。

 妹はサンタさんにたまご型ゲームをくださいとお願いする手紙を書いて、はしゃぎながら小さなツリーに引っ掛けていました。お母さんに「夏俐も書いたら?」と言われて、大人の階段はもう上ったわたしも一文だけ書きました。あそこで断っていたら親を困らせることになるので、幼稚だろうとお手紙は書くべきなのです。

 1日が終わり日記を書き終えたところで、軽やかな音と共に子供ケータイが光りました。誰からかは確認せずともひとりしかいない、そう姫花です。

『やっほ!そういえばなつりクリスマスなにたのむの?』

 ひとつ下のメールの日付を見ます。学校でも話してない上、5日振りの連絡でした。

『オルゴールだよ〜なんとなく』

『なつりらしい!!!』

 すぐ返ってきたメール。ここからわたしがどう返して、どう会話を繋げていくかは難しく考えることなんてなく自然に出てきます。

 でも、姫花はこの時間を使ってもっと話す相手がいるんじゃないかとか、たくさんの友だちと遊んで疲れてるから寝るのを優先するべきじゃないかとか、とにかく彼女の邪魔だけはしたくなくて、そんな思いが悶々と湧いてきてひとつも文字を打ち込めません。

 じっと考えているといつのまにか数分時が進んでいました。その間、姫花からは何も送られてきません。会話が渋滞しないよう、メールは交互に送り合うという暗黙の了解ができあがっているからです。きっとこのままわたしが何も動かなければ彼女は、会話は終わったものと判断してこれ以上メールをよこすことはないでしょう。

 姫花がどんなプレゼントを頼んだのか、知りたいけれど。

 悩んだ末、ケータイを机の隅に置くと、ランドセルに詰めた明日の教科書が合っているかをもう一度確認します。そして布団に潜り、わたしはそのまま寝てしまいました。



 願わくは。

 夕日の落ちかけた時刻、星に願いを捧げる旋律を鍵盤の上でなぞりながらふわりと浮かんできた言葉。ピアノに触れている間は心がどこか自由になって、素直な思いが泉のように湧いてきます。

 願わくは、本当は。ふと、気がつきました。

 わたしの欲しいものはオルゴールじゃない。

 お母さんに頼んでもお父さんに頼んでも、ましてや本物のサンタクロースに頼んでも、貰えるものではないから手紙に書かなかっただけだ。

 得体のしれないそれは一体何なのだろう。声、なのでしょうか。楽器としてこわれていないわたしが手に入れば、日々の風の匂いに笑えるようになるのでしょうか。

 でも。でもわたしは、素敵なものにときめいたり、なんの屈託もなく笑い転げたり、そう、風の匂いに世界丸ごと塗り替えられるような感動を覚えたりしたことが、ちゃんとあります。このこわれた楽器を通して見た世界も、そうやって不足なく美しかったはずなのです。

 じゃあ、何を。

 わたしは何を願っているの?

 何を望んでいるの?

 両手の動きが止まります。途中でぷつりと切ったわけではなく、考えている間にいつのまにか楽譜の最後までたどり着いていただけです。

 温まった指で、乾燥する役立たずの喉元に触れます。ええ、はっきりとわかる。きっと欲しいのはこれじゃない。

 でも、わからない。

 何かを願っていることは、何か架空の存在に祈ってまで欲しいものがあるのはわかるのに、それが何なのか自分でもわからないのです。

 星に願う歌の楽譜を穴が空くほど見つめても、白い空に散らばる黒の星々は何も教えてくれませんでした。願っても祈っても、自分で見つけなければ何も解決しないのでしょう。

 本当は姫花と遊びたい思いも、ピアノの話をめいいっぱいしたい思いも、あとは彼と、夕灯さんと、このまま話すこともなく終わってしまうのは嫌だっていう思いも、全部、自分で見つけなきゃわからない。見えていたとしても、霞へ向けるのと同じ視線じゃあだめだ。

 でも、やっぱりどうしていいのかわからないの。

 誰の邪魔もしたくないの!

 じわりと湧いてきた涙を必死に隠して、鍵盤の蓋を閉じると急いで2階へ駆け上がります。家族の誰もわたしを見てはいないので大丈夫だけれど、それでもひとりの安全な空間に逃げたほうが楽なのです。

 日の短い冬、いつのまにかすっかり世界は夜に染まっていました。窓から見える寒々しい空にはぴかりぴかりと細かな星が散らばっています。

 ああ、この星空に祈って何かが変わればいいのに。わたしのこの、心の沼に風が吹いて、そして草原になってくれるのなら。

 クリスマスの奇跡など信じていません。むしろ去年の地獄がフラッシュバックするのでこの時期は早く過ぎ去ってほしい。

 そういえば、わたしのせいで……大変な、ことになってしまったレナさんはどうしているのでしょうか。あの地獄のクリスマス以来、彼女を学校で見かけたことは一度もありません。ああもう本当にわたしは、夕灯さんに留まらずいろんな人に迷惑をかけて、邪魔をして。わたしなんて、こんなこわれたわたしなんて、最初からいなければよかったのに!

 暖房のついていない2階の寒さが手先から侵略してきてもリビングに降りる気にはなれず、布団を被って膝を抱えます。

 ああ、願わくは。

 わたしをこのまま消してはくれないのかな。



 〝――――――――――――――〟

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