第19話
「ていうか先生も悪いじゃん」
「喧嘩なんてするから」
「そんな歌で祝われても嬉しくねえな」
「昨日のあのめんどいやつってさ」
「もういやだ! いやだっ!」
「どうしたらいいの? 先生に話しかけても、無視で」
「こんな地獄……」
「ちょっと来て! 早く!」
「そういえばあの子さぼり?」
「うわ、どうしよ、泣いてるけど」
「だいたいそんなに下手じゃないのに」
「……が吐きそうだって。先生、いや、4組の先生に」
「次って国語? どうせ授業してくれないし」
「帰りたい。早く帰りたい」
「いつもはすぐ収まるのに。もう3日くらい」
「給食抜きだけは勘弁して」
「そういえばあいつ……」
「……夏俐?」
「もう最悪じゃん」
「この地獄どうしたら終わるんだろ」
「我慢するしか」
「私も不登校なりたいなぁ」
「……ねぇ、大丈夫?」
「なんかすっごい息苦しい」
「早く冬休みになってほんとに」
「……夏俐!」
「夏俐!」
その声で、わたしははっと我に返りました。
目の前には、わたしの右肩をつかんで揺さぶる姫花がいます。
「夏俐、ねぇ、大丈夫……?」
今までにないほど不安げ、だけど聞き慣れていて安心する声。自然と周りの雑音が引いて楽になっていきます。
うなずいてみせるとほっとしたようですが、姫花の表情の曇りは消えません。
「顔色死んでるよ……まあ、夏俐は繊細だし無理もないけど……」
そう言う姫花だって、あの元気さがまったくありません。
でも、きっとそれは、このクラスのみんな同じこと。
座ったままクラスを見渡します。不自然に活発で暴れまわる男子や、暖をとるようにかたまってなにかを話す女子。机に突っ伏して寝ている人もいます。うずくまって動かない女の子に、駆けつけた隣のクラスの担任。ひとりで泣いている人。空席。
わたしのいるクラス、5年3組は今、戦場のような空気がただよっています。
「夏俐……」
姫花の弱々しい声で、わたしはふと視線を戻しました。
「…………!」
視界が揺らぎ、ショックの勢いで乱暴に立ち上がる音が響く。みんなの話し声が一気に頭へ戻ってきます。
「ひ、姫花さん……!」
隣の席にいた夕灯さんが気づいてくれました。
姫花が、姫花がわたしの前で倒れたのです。
「おい姫花! どうした!!」
怜歩さんの声が聞こえます。慌てた夕灯さんが呼んできたのでしょうか。
「誰か保健室の先生!」
「え、そっちも!?」
「やばいって」
みんなが助けてくれています。
わたしもしっかりしなきゃ。
姫花が倒れた。しっかり、しっかり……。
……でも、なにも……見えない。
「な、な、なつりさ……ん」
すべてがぼやけてなにも見えません。顔から何かが流れていきます。
「だ、大丈夫、だからっ……お、落ち着いて」
か細い手が肩に触れたのを感じます。
わたしは姫花みたいに強くない。
怖い。
どうしよう。
どうしたらいいの!
顔を覆ってその場にうずくまってしまい、気がついたらわたしも保健室に連れて行かれていました。
ずっと手の震えが止まりません。違和感を感じて袖をまくってみると、手首から肘のあたりにかけて蕁麻疹ができています。
保健室の先生に、何があったのかと訊かれました。
わたしは、……いや。
わたしも、なにも言えませんでした。
言えなかった真実は、ここで話しておきましょう。
まずは一昨日。先生が2度も職員室に帰ったあの日の、その次の日のことです。
朝から異常でしかありませんでした。
「だから声が小さいって言ってんだよ!!」
何にも爽やかじゃない朝の怒声、飛んでくる健康観察簿。
直撃した前方の男の子は、驚いてフリーズしたまま目の上を押さえています。
朝の挨拶を10回以上もやり直しさせた挙げ句、先生は健康観察簿をぶん投げ、そしてまた教室から出ていってしまったのです。
あまりに衝撃的な出来事に、クラスメイトたちはしばし固まっていました。どんなに怒っていても、次の日にはけろりと元通りになっているのが常なわたしたちの担任だったのに、これは一体どういうことだ。
その日は、先生に代わって保健委員さんが健康観察をしました。宿題は回収して届ける派と黙ってズルする派でしばらく揉めていましたが、後が面倒だという結論になり結局全部回収してしまいました。
みんな、心がざわついていました。不安とイライラに曇天の暗さが相まって、教室はまるで泥沼の中のように冷たくじっとりとしていました。
1時間目は、算数でした。算数の、はずでした。
教卓に置かれた大きなラジカセと、髪が乱れ病人のような雰囲気の漂う担任。
「練習、するよ。あんたたちがやらないなら先生がさせればいいんでしょ」
小学生人生、前代未聞でした。
この日の担任だけでやる授業、つまり3時間目の体育と5時間目の理科以外、すべてが独自での合唱練習に充てられたのです。
つまりそう、6ぶんの4時間、わたしは邪魔者として突っ立っていることになりました。
でもこの日ばかりはそのいたたまれなさもクラスの異様な空気に飲み込まれてさほど気になることがありませんでした。歌えない邪魔者より、歌う邪魔者のほうが攻撃されているというこの異様さに。
「どうして、どうしてできないのっ!」
ひとりの半袖の男子が突き飛ばされます。入り口の引き戸に背中を強く打って、見開いた目で先生を見上げていました。
「違うって、違うって何回も言ってるでしょ! あんた、聞いてんの!? その音は違う! 違うの!」
確かに彼があまり音程がとれていないのは事実でした。その上かなり声の大きい彼は、何度も先生に名指しで怒鳴られています。
怒鳴り声を聞くたび、肺を圧迫されるような苦しさを感じました。きっと多くのクラスメイトも同じです。
みんなの真似をするように楽譜を持って立っているわたしを、近くの人がたまにちらりと振り見ています。気づかれていないつもりなのでしょうか。彼女らがわたしを憐れんでいるのか、ずるいと思っているのかは知らないけど。
そんなわたしの隣には、伴奏の夕灯さんはいません。彼は先生の横で鍵盤ハーモニカを持ち、必要に応じて音を取る係に任命されていました。やっぱりピアノができると、こうやって役に立てる。でくのぼうじゃなくなる。
歌えないわたしは、楽譜を穴が空くほど見つめながらバレない程度に指を動かします。
……あれ?
歌の音取りくらいなら、全然弾けそう……。
「ねえ!」
びくっ、と肩を跳ね上げます。
「ほら全員、背筋伸ばして姿勢良く! もう1回最初から行くよ」
永遠に続く「もう1回」に、集中力はそろそろ限界が近づいているようでした。歌えないわたしでさえ、足がつらくなっています。
やがて限界が来てまた質が落ち、しこたま怒鳴られてまた練習、ずっとそれの繰り返しでした。
これが、1日目です。学年練習があった日を0日として、この地獄は進んでいきます。
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