第12話

「ねぇ、なんで学校で合唱なんてすんのかなー?」

 給食中、4人班の中で唐突に声を上げたのは、わたしの右隣に座る女の子です。班を解体していつも通り座れば、わたしのひとつ前にあたる席。その子が言ったことに、わたしの正面の、つまり普段は隣の夕灯さんが不思議そうに顔を上げます。

 そういえば、昨日席替えをしました。うちのクラスは毎回、先生が事前にくじを引いて作った座席順になります。最初の席替えでは色々ありましたが、今は一応円満に行われています。児童にくじを引かせないのは、時間短縮のためと、視力や聴力に問題がある人、あと授業妨害をする人などの席を調整するためだそうです。結局くじであることに変わりはないので、正面切って文句を言う人は今のところいません。

 大体1、2ヶ月毎に行われる席替え。ですが奇妙なことに、わたしは夕灯さんとずっと隣なんです。

 でもわたしたちは目も耳も良いから、先生はくじで決める児童のはず。わたしたちのくじ運は不思議です。まあ、まったく関わったことのない他の人と隣になるくらいなら、ずっとだろうと夕灯さんのほうがよっぽど良い。

 今の班のメンバーがわたしはとても好きです。隣は夕灯さん、ひとつ前はさっきの女の子、たしかレナさんという子です。姫花とよく話すし、わたしなんかにあいさつをしてくれる人だから名前を覚えていました。そして、彼女の隣はクラスでいちばん頭が良くて誰とでも仲の良い男の子。

 そんなメンバーなので、給食中はいつもわたしと夕灯さん以外のふたりだけが喋っています。

「なんでって、なんで?」

「歌がどうしても苦手な人だっているじゃない」

「それなら、運動会も同じじゃないかな」

「運動会は、リレーとかは選抜だったりするでしょ。なんで合唱は全員強制参加なのかなぁって思って」

「ふーん」

 レナさんがコッペパンをはむっと食べると、頭の良い男の子が牛乳を置いて言いました。

「苦手な人がいるから、合唱なんじゃないの?」

「んぇ?」

「ひとりじゃ歌えなくても、100人もいればそんなに怖くないからさ」

「んー、ん〜……」

 パンを飲みこんだ彼女は、「そういうもんか」とつぶやきました。

「ぼくは結構合唱楽しいと思ってるけど。レナさんって歌苦手なの?」

「いやむしろ好きだけどさ。合唱がなくなれば、嫌な思いする人が減るんじゃないかなーって思っただけ」

「そう。よく思うけど本当に正義感強いよね」

「別に」

 ポークビーンズをすくって口に入れると、いつもの酸っぱいトマトの味がしました。

 ふたりの会話を文字通り黙って聞いていたわたしたち。夕灯さんがどうかは知らないけど、わたしは彼女の言葉について考えていました。

 合唱がなくなれば、嫌な思いする人が減る。それは、正解であり間違いです。

 仕方ないとはいえ、わたしは合唱の時間に少なからず嫌な思いをしている。でも、夕灯さんは、合唱のときに伴奏をして役に立っている。きっと彼はピアノが好き。それなら、伴奏をすることに喜びを感じているはずです。

 嫌な思いをする人は、ひとりは確実に減ります。でも楽しさを感じている人も減り、逆に嫌な思いをする人も出てくる。

 ……そんなこと考えたって、彼女に伝えることはできないか。

「夏俐ちゃん、大丈夫? あと5分しかないよ」

 はっ、しまった。完全に手が止まっていました。

 自分のお皿を見ます。まだたくさん残っている。やばい。

 夕灯さんは、とっくに食べ終えて足を軽くぶらぶらさせていました。

「どしたの、体調悪い?」

 彼女に表情で「大丈夫」を伝えて、急いでパンを口に詰め込みます。

 給食を残しても怒られるけど、時間に遅れても怒られる。だから猛スピードで食べて、ギリギリで食べ終えたわたしは急いで片付けに向かいました。

 早食いすぎてお腹が痛い。でも仕方がないです。わたしがぼーっとしていたのが悪いから。

 昼休み。図書室から帰ったあとはずっと姫花と一緒にいます。もしさっきの空耳が現実の音だったら姫花は今頃怒り狂っているでしょうが、そんなことはなくいつも通りごきげんです。やっぱり、空耳で間違いないのでしょう。

「あぁ〜、そういえば明日、大学病院行きなんだよねー。めんどくさいー!」

 大学病院。耳の経過観察です。

 ああ、明日だったなーという顔でメモにこう書きます。

〝どんまい〟

「何時間も待たせるくせに診察一瞬で終わるしさぁ。耳の調子が悪いっていったって、あたしは生活しててなんの不便も感じてないのに!」

〝ひどくなる前にみてもらったほうがいい〟

「まあそうなんだけどさぁ……学校遅刻すんのやだよ〜夏俐ぃ!」

〝じゅぎょうのことは教えてあげるから〟

「いやーん天使! 夏俐って頭良いし超頼りになるわ〜」

〝算数はひめかのほうが良いじゃん〟

「そうだっけー?」

 そうです。わたしが良いのは謎に国語と理科だけ。その他はまっぴらです。

〝何じかん目くらいに学校これるの?〟

「うーん、わかんない。下手したら給食までに行けないかもしれないけど……あ、音楽の学年練習は6時間目だったよね?」

 こくりとうなずくと、姫花は「よかったー!」と笑顔になりました。

「さすがに6時間目までには行けると思う! 危ない危ない、アコーディオンの他の子に迷惑かけるところだった」

 音楽の時間に姫花がいるなら安心です。怖くても、同じ空間に姫花がいるだけで安心感が違います。

「もう、きれいさっぱり治りましたよーもう二度と病院来ないで良いよー、とかになればいいのにっ」

 それはわたしも同感です。

 わたしは、ひとつ願いが叶うなら、自分の声よりも姫花の耳の完治を望むかもしれません。

 姫花のためももちろんあるけど、いちばんはやっぱりわたしの欲。耳の診察や治療で、姫花はしばしば学校を休んだり遅刻や早退をしたりします。その間、わたしはすごく寂しいし心細いのです。

 小学1年生のとき、姫花は手術で数ヶ月間学校を休みました。

 あのときの心に穴が空いたような感覚はよく覚えています。昼休みに姫花のクラスの前を通りかかって、中をちらっと覗いたとき。邪魔だからでしょうか、姫花の席のいすが机の上に上げられていました。

 1年生にとっては難しいので、あの重たいいすは掃除のときでも上げません。だからあれは掃除のせいでもないし、やったのは絶対に大人せんせい。きっと授業中も昼休みも放課後もずっとあのまんまだったのでしょう。

 あの、あのときの言葉にできない怖さと虚しさを、わたしは二度と経験したくないのです。

 翌日。

 姫花が言っていた通り給食には間に合わなかったけれど、昼休み中になんともない顔で登校してきたのでほっとしました。

 学年練習もなにごともなく無事に終わりました。わたしは先生からの指導を踏まえて、口をほとんど動かしませんでした。それでもなにも言われなかったので、これが正解ということで良いのでしょう。

 今年は、わたしの心がいつになく落ち着いていました。

 きっとこれを成長と言うのでしょう。去年までの焦りや、どうにかして邪魔にならないようにしなきゃ、なんでわたしは役立たずなんだ、という思いがとても薄いです。

 あ、もしかしたら、夕灯さんのことをちゃんと知って、落ち着いたのかもしれません。

 彼を前にすれば、伴奏なんて諦めるしかないですから。

 この学年の合唱という世界において、夕灯さんはいわば太陽です。

 そんな太陽を知る前は、わたしも努力でその座につけるかもしれない、いや、どうにかしてその座につかなければいけないと思っていました。その役目を負わなければわたしはただの邪魔者。こんな合唱の列に混ざっていて良い人間じゃない。その思いからくるいたたまれなさが、わたしを焦らせていたのでしょう。

 毎年必ず安定した伴奏を弾く彼。

 必ずある。存在しないなんてありえない。だからと言って派手になったり邪魔をしたりはしない。ただ、そこにいる。そこにいて世界の全てを支えている。

 そうだ、わたしが伴奏者である夕灯さんに対して嫉妬心などを一滴も抱いていないのは、彼が太陽だからなのか。

 眩しくても、暑くても、太陽に向かって「いなくなれ」とは思いません。思ったとてそれが叶う相手ではありません。

 わたしは諦めるしかない。わたしは、ただの風ですから。

 とりとめもなく吹く風。匂いもない。安定しないし、足元を据えることができない。だから何の役に立つのかもまるでわからない。いるだけでたまに草花を逆立てる、木々の葉を散らす、邪魔な風。かといって、はるか宇宙の太陽にはなんの影響もない。

 合唱をするみんなと先生は木々や草花です。音楽は関係ないけど、姫花だったら桜かな。

 そんな想像をしながら、透明なくせにたまに草木の邪魔をする風に嫌気が差しました。

 せめて、夕灯さんのピアノに吹く風みたいに綺麗な匂いがすればいいのに。

 でも、それも無駄です。そよごうが突風になろうが風は風。少しでも邪魔にならないように振る舞うのが最適でしょう。

 本番さえ終われば、今年の合唱も終わり。1年間はなにもない。今までの4年間もずっとそうだった。

 だから大丈夫。

 ……なんだか、今年はいつもより楽に終わるような気がしてきました。

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