第10話

 今年も、なんてことないわたしの夏休みが終わりました。

 ピアノがあっただけ今までより彩り豊かな約1ヶ月でしたが、やっぱり基本的にはいつも通りでした。

 宿題のほとんどは前半でちゃっちゃと終わらせて、特に面白みもない自由研究を完成させて、お盆には隣の県に住んでいる祖父母の家に帰省する。その後は絵日記とかをやって、たいてい行く先で夫婦喧嘩が始まる、毎年恒例1泊2日の家族旅行へ出かけて。

 その他は本当に読書かピアノを弾いているかでした。あとは、何回かだけ姫花と遊んだっけ。

 休み、となればいつでも遊んでくれそうな姫花ですが、実際はそうにもいかないのです。彼女はわたしと違って友だちが多いので。

 それに、夏休みはダンスの習い事の本番があって忙しいみたいだし。あと、そういえば怜歩さん家と家族ぐるみでキャンプに行かされるとか言ってたなぁ。

 行かされる、と言っていたのは照れ隠しみたいなものでしょう。姫花と怜歩さんは家族どうしも本当に仲が良いみたいですし、内心は絶対楽しみにしてたはずです。行かされる、というのは、本来は我が家の家族旅行みたいなもののことを言うのです。

 そうだ、今日学校でそのキャンプのことを訊いてみよう。

「そういえば、あのキャンプのことなんだけどさぁ」

「……!」

「あのね、まっじで地獄だったのっ! あのチョコレイトやろうが虫を手づかみで目の前に見せつけてくるしさ、大体もう5年生なんだし、あいつと同じテントで寝るのやだよっ! きょうだいでもないのにっ」

 尋ねようと思っていた矢先、自分からすごい勢いでまくしたてた姫花。ぶーっと唇をとがらせた彼女を見て、わたしはおかしくて思わず笑ってしまいます。

 わたしは知っています。姫花は、本当に嫌なことを話すときはすっごく口数が減るのです。それに、嫌なことを自分から口にしたりなんて絶対にしない。

 へえぇ、楽しかったんだなぁ、と思いながらにやにやしていると、

 「次に虫見せてきたら絶対チョコチップにしてやる!」

 と、姫花は教室のあっち側にいる怜歩さんを睨んで言い放っていました。

 姫花はひとりっ子ですし、怜歩さんには現在高校生のお兄さんがいるけど、中学生のときから遠くの学校の寮に入っているので家にはいません。

 そして親どうしも仲良しであるふたりは、まさしくきょうだいのように育ってきたのでしょう。

「ほんとにさー、勘弁してほしいと夏俐も思わない? 別にあんなチョコと仲良くしたくもないのに」

 わたしは今も適当にソウダネーという顔をしていますが、心の中ではいつもこんな感じです。

 そっかぁ、もうきょうだいみたいに仲良いとか言われるのが嫌なお年頃なんだろうなぁ。友だちとか親友っていう関係じゃ嫌なんだろうなぁ。きっと。

 姫花の想いなんてわりと見え見えです。怜歩さんのほうは……確実とは言えないけれど。

 それでも、隣の家に住む幼なじみどうしなんて、すごく良いじゃないですか。

 この手の物語はたくさん読んできましたが、わたしはどれも大好きです。それをリアルでこんなにも間近で観察できるだなんて。

 情報を全部好きな作家さんに渡して物語にしてもらいたい、とも思いますが、親友のプライバシーのためにそれはやめておきます。

「あれ? 怜歩のやつどこ行った?」

 姫花の声でさっき彼がいたほうを見ましたが、そこには他の子しかいません。

 どうしたんだろう、と思いつつも、わたしにはなんとなくこの後の展開を想像できてしまいました。

 案の定と言いますか、背後から男子の声で「夏俐さーん」と呼びかけられます。

 わたしに用がある男子なんて、隣の席の夕灯さん以外にはこの人しか――。

「姫花と何話してたの?」

「はあっ、ちょっと、あたしの夏俐に話しかけないでよ!」

「うっさいなーこのゴリラ、おれは夏俐さんと話してんだけどっ」

「こっの、そっちこそうるさいわチョコレイト!」

 話しかけてきたのは、予想通りの怜歩さん。実は夏休みが始まるちょっと前くらいから、なにかと彼に絡まれることが増えたのです。

 姫花のご近所さんで幼なじみの人、と、姫花と出会った頃からずっと怜歩さんを知ってはいました。しかし彼は今までずっと姫花と同じクラス、つまりわたしとは一度も一緒になったことがありません。当然、関わることはありませんでした。

 でも、怜歩さんもわたしと同じく、姫花の親友としてわたしのことを知ってはいたでしょう。わたしと彼は、姫花をはさんでそういう関係でした。

 そんなわたしと同じクラスになったことで、興味がわいたのでしょうか。

 ……ん、いや、違うなこれは。

 「夏俐さん、この姫花ゴリラの被害者同盟組もうよ」

 これはきっと、わたしに絡んだときの姫花の反応を面白がっているんだ。

「はあー!? ゴリラじゃないし夏俐は被害者なんかじゃないし!」

 姫花のこと大好き同盟なら組むよーと心の中で思いながら、別にそれを伝えることはなくニコニコとその場を見ています。

 伝えない理由は単純です。わたしなんかがこの可愛いふたりの関係を変えちゃったら面白くないから。

「キャンプのときでっかい岩蹴ってぶっ飛ばしてたじゃん、ゴリラ女め。あの怪力で抱きつかれる夏俐さんがかわいそうで仕方ねーわ〜」

「はああああっ!?」

「夏俐さん信じられる? こいつ虫ごときを怖がるゴリラなんだぜ?」

「……いい加減にしなさいよ……」

 苦笑いしながら見ると、顔を真っ赤にした姫花の眉がピクピク動いています。

 あー、これはまずい。カッコ笑。

「夏俐さんはか弱いんだから、いつか骨折でもさせて泣かせんなよ〜」

「はあっ、そんなに馬鹿力じゃないし! っていうか、夏俐を馬鹿にすんな!!」

 姫花の飛ばしたこぶしを怜歩さんはひらりとかわして、「やっべ」と笑いながら小走りで逃げ始めます。

 姫花のげんこつの威力は子猫の猫パンチくらいでしょうか。本気で殴ったりなんてしないし、ゴリラだなんて失礼の極みです。

 あ、でも、全力で殴ったらあるいは。

「このー!! 待ちなさい!」

 姫花も教室内を突っ走って追いかけます。周りにいた子たちは、幼なじみコンビが繰り広げる茶番にケラケラと笑っていました。

 みんながおかしそうに笑っているのも、ふたりが愛されているからです。

 席の間をヒョイヒョイと逃げ回る怜歩さんを捕まえるのはなかなか難しいことです。ニヤニヤしながら目で追っていると、彼は突然わたしがいる近くに戻ってきて、ある席の陰にさっと隠れました。

 今までぼーっとしていた席の主は、びくっと驚いて怜歩さんを見下ろします。

「夕灯、しーっ! あいつが来るから!」

「……え、ええ?」

 困惑した夕灯さん、悪い笑みを浮かべる怜歩さん、その少し離れた横で、困ったまま立っているわたし。

 そういえば、怜歩さんって夕灯さんと仲良いのかな。呼び捨てで呼んでたけど。

 姫花はというと、素早い動きの怜歩さんを見失って、教室の向こうでキョロキョロしています。

「あっ、いた!」

 そう言って、姫花はすごい剣幕でこちらに駆け寄りました。

「おのれ、チョコチップにしてやる!」

「できるもんならやってみろ〜」

 と言いつつも、怜歩さんはこれ以上逃げようとはしません。夕灯さんを盾にしています。

「はは……」

「またそんなことして、夕灯さんを巻き込まないでよねっ」

「おまえが追いかけ始めたのが悪いんだろー」

「あんたがあんなこと言うからでしょっ!」

 怜歩さんも悪い人です。単純な姫花をわざとキレさせて、逃げるのを楽しんだあげく最後は捕まる。

 まったく、姫花にたくさんかまってもらう方法を、ケンカすること以外に知らないのでしょうか。幼なじみのくせに。

 ま、面白いからいいか。

 これからは姫花の報復が始まるなー、と思っていたけれど、今回は違いました。

 姫花はむーっと頬をふくらませると小さく息をはいて、何も言わず、腰に当てていた両手をすとんと下ろしてしまったのです。

 あれ、どうしたんだろう。

「もう黙っててよねっ」

「………………」

 ……あーあ、怜歩さんは言いすぎたな。本気ですねちゃった。

 さすがにあんなにゴリラを連呼するのはまずかったですね。いくら怜歩さんでも、いや、怜歩さんだからこそ。

 焦り顔の怜歩さんとむすっとした姫花の顔を、夕灯さんがオロオロと交互に見つめています。何度かこの状況に遭遇したことのあるわたしは、彼がわたしを見たときにちょっとだけ笑いかけました。ほっとけばなんとかなる、の意味を込めて。

 こういう場合、怜歩さんは無理やりにでも姫花の機嫌を良くしようと動きます。変顔したり、面白いエピソードを話したり。

 姫花のことを褒めれば一発で効くのになぁ、ともどかしくはなるけど伝えません。いつか怜歩さんが自分で気づいてほしいので。

 一生気づかないことはないでしょう、多分。……多分。

 わたしは気まずそうな夕灯さんのそばに寄って、肩に触れて気を引きます。そして笑顔で『ごめんね』と口パクすると、彼は苦笑いを返してくれました。代わりに謝ったのは、あのふたりは謝るのを忘れるだろうなと思ったから。

 最近は夕灯さんにも口パクで通用することが増えてきたので嬉しいです。今まで、姫花以外の人にはどんな短い言葉でも書かないと伝わらなかったので。

 夕灯さんは自分から話すことはほとんどありません。それでも、筆談ならよく会話してくれます。5歳のときからピアノを習っていることや、実はエビを食べられないこと。その他どうでもいいことまで、色々と知ってきました。

 ふと、視線を感じてそちらを向きます。

 姫花の機嫌とりに忙しいはずの怜歩さんが、まっすぐわたしを、というか、わたしと夕灯さんを見ていました。

「………………………………」

 な、何か嫌な予感がする……。

 すると、怜歩さんがニヤリと笑います。思わず夕灯さんと顔を見合わせると、彼はこっちを向いて話しはじめました。

「いやぁ、夕灯もかわいそうだよな。夏俐さんをいっつも姫花に取られるし。どんまーい」

「……え、え?」

 こ、この人、姫花にまだ油を注ぐ気なのか!?

「は? なにがどんまいなの?」

「姫花気づいてないのか? 最近、夕灯と夏俐さんって仲良いじゃん。それなのにおまえが常にくっついてるから進展しねーんだよ」

 仲良い。進展。

 ……進展?

 …………は、は、はい!?

 いや、落ち着け。冷静になろう。そうさ、文字だけ見ればいい。わたしの書いた言葉のように単なる文字であれば、これはそう、友だちになりかけているのに姫花という親友がいつもいるから進展しない、ということだ。

 いやいやでも、でも。怜歩さんのあの目、あのニヤつき、あの声。

「…………え?」

 ぽかんとした姫花が、怜歩さんの服の裾を引っ張ってすすすっと壁に寄ります。

「ちょい待ってちょい待って! あたしなんも聞いてないんだけど、そーゆーことなの!?」

「いや本人に聞いたわけじゃねーけど、だって見ろよあのふたり! もうそーゆーことでいんじゃね?」

「きゃ――!」

 ちょい待てはこっちのセリフだ。まあ言えないんだけどっ。

 ていうか思いっきり聞こえてるし!

 もう一度夕灯さんと顔を見合わせます。お互いちょっとだけ赤くなってて、すぐに目をそらしてしまいました。

 まったく怜歩さんめ……。

 第一、わたしと夕灯さんの間にそーゆー矢印は存在しません。友だちと呼べる人がひとりしかいないようなわたしに、好きな人なんでできるはずもありませんし。

 夕灯さんだって、そーゆーことに興味があるようには見えません。わたしも興味はありませんっ。あのふたりじゃないんだし。

 姫花たちのごたごたがなんとこっちに飛び火してしまいました。どうしてくれるんだ。

 さっきまでむすっと不機嫌だった姫花は、怜歩さんの隣で跳びはねながら笑っています。

 ……まあ、姫花の機嫌をなおしたい怜歩さんの作戦は、大成功だな。

 キャッキャと盛り上がる幼なじみコンビを横目に、ちょっとだけ気まずいこの空気にたたずむ夕灯さんをもう一度つつきます。

 今度こそ渾身の『ごめんね』口パクをすると、さっきよりも苦みの増した苦笑いを返してくれました。

 でも、そーゆー感情を抱いていないというのは、お互いにわかりきっていたみたいです。

 気まずさが持続しなくて助かりました。実は、その後は今までより余計仲良くなれたんです。あ、もちろん、そーゆー意味は一切ない仲の良さです!

 それから、夕灯さんと怜歩さんも最近はとても仲が良いみたいで、昼休みに一緒に外で遊んでいるところも見かけました。夏休み前までは、夕灯さんはひとりで教室にいることが多かったのに。

 夕灯さんが姫花の幼なじみである怜歩さんと仲良くなったことにより、わたしたちの間に姫花と怜歩さんあのふたり被害者同盟的な繋がりを感じて、心の壁が薄くなったような気がしました。

 あ、いえ、決して自分が被害者だとは思っていないんですよ! むしろ姫花たちにはお世話になってばっかりです。でも、まあ、言い返したりしないわたしたちは賑やかなあのふたりにああいう飛び火をくらうこともあるので、そういうことです。

 そうだ。加えて、あのふたり見守り隊的な結束を感じているのもある。

 思わず笑っちゃって、新学期に初めて希望を抱いた4月を思い出しました。希望は今も続いています。2学期早々楽しいこと続きです。

 このままずっと楽しい学校生活が続けばいい。

 そう願ったわたしですが、あることを思い出してしまって、無意識にちょっとだけ表情が翳りました。

 


 〝でもきっと大丈夫。大丈夫。……自信は、ないけれど。〟

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