Scene 5:彼の意外な素顔

 

 その後、喫茶店に着いた私たちはにこやかに出迎えてくれた藤代ふじしろくんの伯父おじさん夫妻からカウンター席に案内され、隣り合って座ることになった。ご丁寧にもその二席には『予約席』と書かれたプレートが置かれていて恐縮してしまう。


 もちろん、その際に私はおふたりに対して『流山ながれやま涼華りょうかです』と自己紹介をして深々と頭を下げた。


 ちなみに店内はたくさんのお客さんで賑わっていて、空席はわずかしかない。


 あちこちから楽しげな会話が聞こえてくる。カウンターの奥にはコーヒー豆の入った瓶や紅茶の缶などが所狭しと並べられ、ランプの温かな光が店内を優しく包み込んでいる。


 私は氷の入ったお冷のグラスを手に取り、それを軽くすすった。氷とグラスの奏でるカランという音が響き、それをテーブルの上に置いてから右側の席に座っている藤代ふじしろくんに声をかける。


「雰囲気の良いお店だね。それにコーヒーの良い匂いが漂っていて、なんだか落ち着くなぁ」


「そう言ってもらえると、俺も身内として嬉しい。で、流山ながれやまさん、飲み物はどうする? メニューはそこにあるから」


「……じゃ、アイスコーヒーにしようかな」


「アイスコーヒーね。食事は?」


「サンドイッチセット……かな……」


「了解っ! ――マスター、アイスコーヒーとサンドイッチセットをふたつお願いしまーす!」


 その声に対して、藤代ふじしろくんの伯父おじさんはこちらへ顔を向けながら小さく返事をする。


 そして注文が通ったことを確認した藤代ふじしろくんは私の耳元でささやく。


「一応、お店では伯父おじさんのことを『マスター』って呼ばないと叱られるんだ。伯母おばさんは『ママさん』ね。お店ではあくまでも店員と客ということで、公私混同しない主義らしい。俺もそのつもりでいる」


「でもそう言っても、食事はタダでご馳走になるんでしょ?」


「それはそれ、これはこれ」


「ぷっ……なにそれぇ?」


「まっ、細かいことは良いじゃん」


 藤代ふじしろくんは屈託くったくなくケタケタと笑った。まるで無垢むくな少年のようで、いつものりんとしてカッコイイ彼とは違った魅力を感じる。


「なんか藤代ふじしろくんって思ってた以上に気さくだね。もちろん、普段も話しやすいんだけど、このお店に来てからは子どもみたいにはしゃいじゃってるというか」


「そう? ……あ、ここは自分の家みたいなものだから、自宅に友達を招待したみたいな感じで知らず知らずのうちに浮かれてるのかもなぁ」


「きっとそうだよ」


「あっ、この店のことは土支田どしださんとか、ほかの連中には言わないでね。ここに押しかけて、俺の過去をマスターたちに根掘り葉掘り聞かれるのも色々と困るし」


「うーん、どうしよっかなぁ……?」


「う……なにその意地悪な言い方。そこは迷わず同意してよ……」


「ふふっ、分かってるっ。みんなには内緒にしておくよ」


 私は彼の肩を軽くポンポンと叩いた。ちょっと馴れ馴れしかったかもしれないけど、自然に出てしまった行動だし、彼も気にしていないみたいだから良しとしよう。


 ま、そもそも私はこのお店のことを誰かに話すつもりなんて最初からなかったけどね。だってこのお店も今回の出来事も、せっかくの彼と私だけの秘密だもん。


 ――と、そんな感じでその後はお互いに夏休み中の話をしながら時間を過ごしていると、やがて飲み物と料理が目の前に運ばれてくる。


「「いただきます!」」


 私たちの声は阿吽あうんの呼吸であるかのように、意図せずに揃った。


 そして私はまずアイスコーヒーの入った縦長のグラスにガムシロップとミルクを注ぎ、それをストローでかき混ぜてからすする。口の中には冷たさと芳醇ほうじゅんな香り、まろやかな甘さと苦味が広がっていく。


「アイスコーヒー、冷たくて美味しい」


「ずっと蒸し暑い中を歩いてきたから、なおさらかもね。ガムシロップの甘さも体に染みるよ」


「だねー! じゃ、次はサンドイッチをご馳走になるね」


 私はお皿に重ねられた一口サイズのサンドイッチをひとつ手に取り、それを口に運んだ。


 その瞬間、心地良い歯ごたえとパリッというレタスの音が響き渡る。続けてマスタードの程よい辛さやソースの旨味、パンの香り、トマトなどの味が見事なハーモニーを奏でていく。


 そしてゆっくりと咀嚼そしゃくし、口の中のものを飲み込んでから興奮気味に声を上げる。


「レタスがシャキシャキ! トマトも瑞々しくて美味しい! パンは表面が少しカリッとしてるんだけど内側はしっとりとしてて、全体のバランスが絶妙だよ!」


「それは良かった。こっちのタマゴサンドも美味しいよ。――そうだ、俺が食べさせてあげようか?」


「なっ!? そ、そんなの恥ずかしいよ……。それにそういうのは普通、女子から男子にするものでしょ」


「そうなの? 俺は別に男子から女子にしてあげたって良いと思うんだけどなぁ」


「やっぱり藤代ふじしろくん、浮かれすぎだよ……」


「あはははっ、かもね。でもなんかこんなにも楽しいのは記憶になくて、どうしても気持ちが高揚しちゃうんだよなぁ」


 実際、彼は実に楽しそうな顔をしていた。サンドイッチもモリモリと口に運んでいる。こんなに弾けている様子、学校では見たことがない。もしかしたら、現時点ではクラスメイトの中で私だけが知っている彼の素顔なのかも。




 …………。


 こんなプライベートな姿を見せてくれるなんて、少しは期待しちゃってもいいのかな。思い切って……ちょっと冒険しちゃおうかな……。


 私の心臓はドキドキと高鳴ってくる。それを必死に抑えながら意を決し、何食わぬ顔で彼にボソッと問いかけてみる。


「……ねぇ、私が藤代ふじしろくんにサンドイッチを食べさせてあげよっか?」


「っ!? えっ? えぇっ!」


「ウ、ウソウソっ! 冗談だよっ! 真に受けないでよ!」


「そ、そうだよね……あはは……そっか……」


「そうだよ、うんっ!」


 私は焦りすぎて、額から汗が滝のようにき出しているような錯覚がした。



 あぁ、なんでこんな無謀な言動をしちゃったのだろう……。



 自惚うぬぼれていないはずだったのに、勘違いなんかしないって決めてたはずなのに、それでもやらかしてしまった。まさか雰囲気に流されるなんて、我ながら恐ろしい。


 ただ、藤代ふじしろくんがちょっと残念がっているように見えたのは私の思い違いだろうか?



 …………。


 お、思い違いに決まってる! あるわけない! 私、全然反省してないじゃん!



(つづく……)

 

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