第17話 本当に望むものは……
知ってしまったものを無かったことにするのは難しい。
(痛い、痛い、痛い。あの日がなかったら……あの人に会わなかったら……)
仮定の話に意味はない。
それは分かっていたが、ここはボニータの夢の中だ。
願望は勝手に浮かんでは消える。
『大好きだよ、ボニータ――――』
そう言って笑う大人になったアーサーの姿が繰り返し現れる。
これが現実だったら幸せだ。
そんな光景が現れる。
痛みに一瞬だけ夢から覚めかけて、これは現実ではないと知って、別の痛みを自覚するのだ。
実際には、森に来たアーサーを見るまでの十年間、彼との思い出などない。
なのに、まるであったかのような出来事の数々を夢は見せてくる。
『可愛い、可愛いボニータ。食べてしまいたいくらいだけど、食べてしまったらなくなってしまうからね』師匠が言っていたのと同じ言葉を告げるアーサー。
『こんなところにいたのか。みんな心配してるよ? ほら、一緒に戻ろう?』厳しい行儀作法の教育に耐えかねて逃げ込んだ庭の片隅へ迎えに来るアーサー。
泣いていた時、苦しかった時、悲しかった時。
それらは実際にあったことだけど、そこにアーサーの姿はなかった。
そのことが酷く苦しい。
(あの人に会わなかったら……こんなに悲しくも、切なくも、なかったのかな……)
師匠の言いつけを守って、ずっと一人で生きていたら。
誰に騙されることもなく、森の中一人で――――
(結界が必要なことは私にとっても同じ。結界がなかったら瘴気にやられてしまうのは私も同じなんだから。ほっといてくれても国は守れたのに……)
そうであっても、国は困らなかったはずだ。
なのに、王族たちは確実を求めてボニータへ手を出した。
恨む気持ちが育っても仕方ない。
なのに、その人間らしい恨む気持ちさえ、ボニータを苦しめる。
(森で暮らしていれば知らなかった気持ちが沢山……)
恨む気持ちも、羨む気持ちも、王都に来ていなかったら知ることはなかったかもしれない。
家族で楽しげに語らう同級生の姿。
頬を赤く染めながら関係を育む婚約者たち。
ボニータには無かったものだ。
キラキラと輝く宝石も、風に揺らめくドレスも、羨ましくなどない。
欲しいのは温もりをもった、何か違う別のもの。
(知らなければ私は――――)
少し寂しいな、と思いながら。
昨日も、今日も、明日も同じように森で生きていたかもしれない。
背は低くて痩せっぽちだったけれど、森でのボニータは強者だ。
厳しい自然の中で生きていく術を彼女は心得ていた。
だが――――
(人の社会は、私には難しすぎる)
ご飯は、しっかり食べている。
なんなら森でよりも美味しいものを食べている。
風雨がしのげて、腹も満たされているのに、どうしてこんなにも心が満たされないのだろう?
痛い、痛い、痛い。
(あの日に戻れたら、同じ過ちはしないのに)
それは、本当?
ボニータの中にいる別のボニータが問いかける。
お日さまの光のように輝く彼が、春の日差しのような温かな笑顔を向けてながら、春風のように優しく語りかけてくるのを拒否できる?
(でもっ! 彼は消えた!)
ぶっちゃけ、ボニータは苦しいのが嫌いだ。
我慢してまで何かを成し遂げたい、手に入れたいとか思わない。
理由はどうあれ、彼は離れていった。
森で生きていく術は知っている。
可愛い森のお友達もいる。
(彼を好きになんてならなければ、こんな苦しみを知る必要もなかった!)
彼を知らなければ。
彼を好きにならなければ。
この、どうしようもない淋しさを抱える必要はなかった。
ボニータの中にいる、ひどく冷静な別のボニータが言う。
でもアーサーを知る前には、どうやっても戻れないのよボニータ。
彼の存在を消せる?
彼をいなかったことにできる?
彼が悪いと、心の底から思える?
それにボニータ。
アナタが心の底から望んでいる事は、アナタの記憶から彼を消したところで叶わない。
アーサーの存在をこの世界から綺麗サッパリ消してしまったところで、いずれは願う。
いずれは求める。
自分自身以外の愛しい誰か。
孤高に見えた師匠にすら居た存在。
アナタは愛を知っている。
もう知っているものを求める気持ちは、いずれにせよ止められない。
(あの時、誰かに側にいて欲しかった……それがたまたま、アーサーになっただけ)
痛い、痛い、痛い。
体も、心も、自分ではわからないどこか分からない部分も。
痛い、痛いと私に伝えてくる。
私は認めたくないけれど心の底から願う。
アーサー。
私はアナタに会いたい。
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