第4話
まさか連日驚かされることになろうとは。
この日、僕は仕事が休みだったので、一日中部屋でゴロゴロしながらネットで買い物をしたり本を読んだりして過ごしていたけれど、何をしていても没入することはできず、高校時代の袴田の顔が浮かんでは消え、何だかモヤモヤした気持ちを抱えながら翌日の仕事を憂鬱に思い、ふと時計を見遣ると深夜一時四二分だった。もう殆ど寝れないな。まあ明日はギリギリまで寝てていいか。明日というかもう今日だけど。
一度ベッドに入った僕は、日課となりつつある行動を一つだけ忘れていたことに気付き、一度電源を落としたPCを再度起動させる。
ブックマークされている袴田のチャンネルは一番最初の方にあるのですぐに見つかりクリック。
「……ん?」
いつもと違う違和感を覚えたのは、動画が上がっていなかったことではなくて、ライブ配信が始まっていたからだ。
いつのまにライブ配信のやり方なんて覚えたんだというツッコミは無粋というか、今はそんなことどうでもよくて、え、ライブってことは今袴田は埼玉県内のどこかしらの墓地でこれを配信してるの?
慌ててトリプルクリックをしてしまった僕は、とにかく落ち着くようにと自分を律し、再生されたライブ動画を一番最初まで戻して、始めから観る。
動画の中の袴田は、ややテンションが高い様子だった。
「えー、実は今日、初めてライブにしています」
薄ら笑いを浮かべながら、緊張しているわけではないのだろうけれど、どこかソワソワしているように見えた。
「今日は、えー、なんで、今日こうやって、えー、ライブにしたかと言うとですね」
台本がないアドリブだからなのか、実にぎこちない話し方だった。
「今日でこのチャンネルの動画は最後の更新になるからです」
おおーーーーー! という声を上げてしまいそうになった。やっとわかってくれたか。そうそう、こんなの撮影してても良いことなんて一つもないんだから、さっさとやめてしまいなさい。
ここで僕は画面の右側に目を移すと、リアルタイムでチャットが流れている。
こんな時間に観ている人間がいるのか。そういえば、前回までの動画の再生数はどうなっているんだろう。千回は超えたのだろうかだなんてマウスのホイールをクリクリ回してみると、彼の過去動画がおすすめの関連動画としてずらりと並んでいた。
「……全部一万回超えてるんだけど」
あり得るのか? たった二日前までは数百だったのに。ざっと見で一番多いのは九万回再生されている。
チャットに目を戻すと「すげー」「マジでやってんの?」「俺も今から行くから場所教えろ」とか、ズラズラと新しい書き込みが現れる。
二倍速再生をして漸くリアルタイムに追いついた僕は、まだ動画が始まって四分くらいしか経っていないことに安堵する。
四分か。いつもならこの辺で終わっているはずだけど、今日は違う。
むしろ、ここから始まりと言ってもいいぐらいだ。
なぜなら彼は、一つの墓石の前で立ち尽くし、目を細めつつ口を半開きにしたままうんうんと頷いていて、それが何かの儀式が始まる準備みたいに見えたのは僕だけじゃなかったみたいだ。
「今日も派手に頼みまっせー」という書き込みは当然袴田の目には届かなくて、多分袴田は視聴者がいようといまいと関係ないのだから、どんな内容が書かれても無視して自分がやりたいことをやるだろう。
オーディエンスは無責任に煽り、「ぶっ壊せ」系の書き込みが十数個出揃ったところで袴田は墓の前で
当然みんな困惑する。僕もそうだ。今までなら何の躊躇いもなくボコボコにしていた墓石に向かって、両膝を着いたと思ったら今度は額と両手も地面につける。
まさかの土下座をしながらの謝罪を口にする袴田に「日和過ぎ」とか「今更幽霊にごめんなさいしても遅くね?」とか、期待外れ感をそれぞれが
僕は、彼の意図がやはり図れない。なぜ今更。いや、本当だよ。なんでここで謝るんだ。
……そういえば、彼が攻撃していた墓に刻まれていた名前は何だったっけ。何故かそんなことが不意に頭を過った。そして、僕はすぐに思い出す。
最初の墓地も、次の墓地も、そして今のこの墓石にも、同じ名前が刻まれているのだ。たしか――
木野。
そう書かれていた。
彼は木野某さんのお墓を探して夜な夜な墓を渡り歩いては罰当たりな行為に耽っていたのだろうか。
しかし、同じ名前なら理由は必ずあるはずだ。
彼は木野さんに恨みがあるのだろうか。だから、死して尚、どうしても木野さんが許せずに、こうして墓石を破壊して回ることで気を晴らしているということなのだろうか。
そう考えると納得はできる
納得はできるけれど――腑には落ちない。
なんだか、そういうことでもない気がする。
土下座をしながら彼は地面から顔を上げることなく何かを言っている。
謝罪の言葉なのだろう。
コメントは「つまんねー」だの「だせー」だの批判一色で、当然ながら誰も彼を理解しようともしていないし、恐らくほぼ全員が袴田に蛮行を望んでいたのだろうから、これでは肩透かしも良いところだろう。
でも僕は何だか分からない胸騒ぎに胸を掻き回されてる気がして気持ち悪くなってきてしまう。
そして、僕は知らぬ間にPCの脇に置いていたスマホを握りしめている。
滑り落としてしまいそうなほどに手汗が滲んでいて、僕は自分が何をしたら良いのか頭ではわかっているんだけど、行動に移せない。
袴田に電話しよう。撮影中だって構うものか。
でも、何だかそれも気持ち悪いのだ。気持ち悪いというか、なんか、見えない何かが僕の身体に纏わりついて、僕の行動を抑制しているかのような、そんな感じなのだ。
袴田はずっと何かをブツブツ言ってる。「あの時は」「お前はいつも」そんなワードが途切れ途切れに聞こえてくるが、絵代わりのない退屈な動画に視聴者は痺れを切らし、去っていく者もいれば変わらず煽り続ける者もいて、僕は前者の彼らと同じ行動を取りたくなるのだけれど、それもどうやらさせてもらえないらしい。
いや、別に金縛りにあってるわけでもないから、動こうと思えばいくらでも動けるけど、でも僕はそれをしない。できないし、しない。
とにかく、見届けるんだ。この動画で全ての答えが出る――そんな確信が僕にはあったからだ。
袴田の――友人の行動を見守ろう。僕はそう決意する。
一瞬だった。
そして、無音だった。
僕は状況を理解するのに十秒以上を要した。なぜなら、動画の中の袴田が動かなくなってしまったから。
動かないというか、動けないというか。
上半身を地面スレスレに固定しながら謝罪を続けていた袴田の頭を、突然倒れた墓石が潰してしまったから。
風が強く吹いていたわけでもないし、周囲に人がいる気配だってもちろんない。そもそも彼は一人でこの企画を始めていて、協力者といえば精々僕くらいのものだろう。彼にだってもしかしたら友人はいたのかもしれないけど、まさかこんな意味の分からないことに連日連夜付き合ってくれるお人好しなんているわけもない。
少しずつ冷静さを取り戻した僕の目には、心無いコメントが飛び込んでくる。
「ざまぁ」「だせぇ」「逝ったー!」「つまんね」「やらせ?」「自業自得」
そんな言葉がずらりと並ぶ。
まあ、恐らく誰も本物だとは思わないだろう。かくいう僕も、未だドッキリだと思ってる。というか、嘘だと言われたら怒ることもなく笑って許すだろう。
百歩譲って、これが偽物の映像だったとしよう。登録者や視聴数が増えてきたタイミングを見計らってライブ配信を行い、観てる人達をびっくりさせてやろうというエンターテイメント性が彼の中にあったとしよう。
その仮説は、一見ありそうだけど、まずあり得ない。
彼は昔から、誰かを楽しませようとしたことなんてなかったからだ。
誰かと遊んでいても、何よりもまず自分が楽しむ。その楽しさを共有しようなんて気も更々ないし、自分が満足できればそれで良いという人間だった。
時間が経って変わったのではと思わなくもないが、なかなか根本的な部分はそう大きな変化はしないだろう。そもそも、労力とメリットが全然釣り合ってない。毎晩墓地を彷徨い歩いて壊し回るなんて、リスクだけしかないだろう。
そう、だからこれは本当だ。彼は今、どこかの墓地で死んでいる。
ライブ配信は続く。当然止める者がいないのだから、カメラは映像を映し続けるだろう。
コメントは次第に「これヤバくね?」「流石に通報した方がいいんじゃ」みたいな方向に流れていくけれど、僕はもうそんなことどうでもよくて、ブラウザを閉じ、シャットダウンを見届けることなくノートPCを折りたたんでしまう。
そして、目を閉じる。
もう僕にできることは何もない。
元から何もしていないようなものだったけど、彼の死を見届けることが僕に課せられた最大かつ唯一の役割だったんだ。
それを全うした今、僕はもう面目躍如でいいはずだ。
なるべく何も考えないようにと心を無にしながら、寝間着に着替えることもなく眠りについた。
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