009号室 ふたつの実験


「コウ! 地下に行くぞ」

「は?」


 七階のカウントダウンが【4】に変わったその日。学校から帰った紅介を待ち構えていたのは白郎の唐突なお誘いだった。

 いきなりのことで混乱する紅介。


 平日の昼下がりになぜ家にいる、とか。

 「おかえり」の一言すらないのか、とか。

 地下は封鎖しているはずだろう、とか。

 いろいろと言いたいことはあったが、とりあえず──


「邪魔」


 玄関に仁王立ちしている白郎を押しのけ、紅介は自分の部屋へ入っていった。

部屋に入ると、制服から動きやすい服へと着替え、例の紅い短剣を持って白郎のもとへ戻る。


「んで? どういう風の吹き回しだ?」

「昨日お前が言っていたことが妙に気にかかってな」

「昨日? ……ああ、俺の体力が上がった話か。でも、あれは俺の勘違いかも知れないぜ?」

「だからそれを確かめに行くんだろうが。それに……カウントダウンの日までにやれることはやっておきたいからな」


 白郎は恐らく地下に巣くうモンスターを全滅させるつもりなのだろう、と紅介は推察した。

カウントダウンの事実が住人に知れ渡ってから様々な憶測が飛び交ったが、中でも地下のモンスターが解き放たれて地上に攻めてくる、という説が有力視されている。与えられたピースをうまくつなぎ合わせた良い考察だと紅介も思う。

 しかし、紅介はそれ以上の災厄が起きるような気がしてならなかった。それは恐らく白郎も。


「分かった。地下に行くよ」


 逡巡ののちに紅介が答える。

 白郎は嬉しそうに口の端を吊り上げると、自身の部屋から二人分の防具──警察から借りパクしたやつ──を持ってきた。


「それじゃあ、コイツに着替えて出発だ!」

「おう!」


 白郎から防具を一式受け取った紅介が威勢のいい返事を返した。



 防具を装備し、武器を携帯した紅介と白郎が階段の前へ行くとそこにはすでに萩倉と東堂の姿があった。ふたりとも完全武装の状態だ。

 調査隊の顔を順に眺め、白郎が重く頷く。


「さて、これから再び地下へ潜るわけだが……今回は編成を少し変えようと思う」

「親父が先頭なのは確定だろう? 俺たち三人をどう変えても戦闘に影響しないと思うんだが……」


 白郎の言葉に紅介が首を傾げる。

 すると白郎は不敵な笑みで紅介を見つめた。


「いいや、今回俺は最後尾を務める」

「え? じゃあ誰が先頭を?」

「お前だよ。コウ」

「……はあ!?」


 父親が一瞬なにを言っているのか理解できず、紅介が一拍遅れて反応する。

 紅介がなにか反論を口にしようとすると、白郎がそれを手で制した。


「まあ、待て。これはお前の仮設を実証するための作戦だ」

「というと?」

「俺はお前の体力が向上したのはモンスターを倒したからだと推測している。つまり、お前はゴブリンを倒したことでレベルアップしたんだ」

「……親父、大丈夫か? ゴブリンに噛まれて頭悪くなったか?」

「失礼な。俺はいたって冷静だ。レベルアップって言い方が気に入らないってんなら『強化』でいい。とにかくお前が強くなったのはゴブリンを倒したからだということを証明するために戦闘はお前に任せたい。丁度いい武器も持っていることだしな」


 白郎が紅介の短剣に目を向ける。

 確かに、調査隊の中で一番殺傷力のある武器を持っているのは紅介だ。ゴブリンを倒したという実績もある。単純に考えればこれ以上の適任はいないだろう。

 だが、だからといって実の息子に命のやり取りをしろと命じるのはいかがなものだろうか。

 紅介は小言を二、三個言ってやろうかと考えたが、そうしたところで結果が変わらないことは分かりきっているため、潔く腹を決めた。大きなため息が口から零れる。


「分かったよ。俺がやればいいんだろ」

「おう、任せたぞ息子よ。危なくなったらちゃんと助けてやるからな」


 調子のいいことを言う白郎を紅介が憎らし気に睨む。彼はそれをさらりと受け流すと、意気揚々と地下への階段を下って行った。紅介たちもその後を追いかける。

 地下に下りると、空気がぴんと張り詰める。おどけた風にしていた白郎も全方位に警戒を向け、隙がない。

 一行は階段のある場所から数えてふたつ目の扉の前まで進んでいく。

 扉の前までやってくると、白郎が突然足を止める。彼は全員に集合を掛けると、懐からあるものを取り出した。


「さて、これから紅介の仮説を証明するためにひとつの実験を行う」

「実験ってもしかして体力テストか?」


 紅介が白郎の手に握られたものを見て苦笑する。

 彼の手には握力計が握られており、白郎は紅介の言葉に首肯する。


「そう、まず今の段階のコウの握力を計測する。基準となるデータの測定だ。そして次にモンスターを倒したあとのコウの握力を測定する。このときのデータと基準のデータを比べ、後者のデータが上回れば説立証というわけだ。あ、念のため俺たち三人のデータも測定する。もしかしたら面白い結果が出るかもしれないからな」

「はいはい。説明はいいからソレを貸してくれ。こんな茶番ちゃっちゃと終わらせようぜ」


 紅介は白郎の説明を適当に受け流すと、握力計を受け取り、早速測定を開始する。

 結果は学校で図った時同様五十八キロだった。

 紅介の測定が終わると、他の三人も測定をする。白郎はそれぞれの結果を手帳にメモすると、得意げに頷いた。


「よし、それじゃあコウを先頭に突入するぞ。前回偵察したときはモンスターはリビングにいた。恐らく別の場所には移動していないだろう」

「了解。ここのモンスターの種類はなんだ?」

「前回同様ゴブリンだ」

「了解。──突入します」


 紅介は必要な情報は得られたと確信すると、扉を開き部屋の中へと素早く侵入した。そのすぐ後ろを東堂、萩倉、白郎の順に追いかける。

 リビングにいるという情報は受けているが、念のためトイレとバスルームにモンスターがいないことを確認する。

 リビングの扉に耳を当てると、ひたひたと裸足で歩く音が聞こえた。

 紅介が後ろを向いて頷く。


「お前のタイミングで行っていい」

「了解」

 白郎に言われ、紅介は大きく深呼吸をした。腰に吊るした短剣の柄に手を掛ける。

「突入!」


 直後、紅介は合図とともに扉を蹴り開け、中へと攻め入った。

 リビングに入ると、部屋の中央に緑色の小鬼──ゴブリンの姿があった。前回のゴブリンと比べるとやや細身で背が僅かに大きい。ゴブリンにも個体差という事実に紅介は言いようのない嫌悪感を覚えた。


 ゴブリンは紅介たちの登場に驚くと、一歩後ずさり、警戒態勢を取る。

 紅介も短剣を引き抜き、顔の前で構える。紅い剣身が部屋に漂う僅かな光に照らされる。反射した光が紅介の瞳を紅く輝かせる。


「ギギャアア!」

「──」


 先に動いたのはゴブリンだった。奴は腰から棍棒を引き抜くと、まっすぐに紅介のほうへ突進してきた。肉薄するや否や棍棒が音を立てて振るわれる。

 しかし、紅介はその攻撃をこともなげに躱して見せた。萩倉がヒューと口笛を吹く。


 紅介は戦闘が始まる前、うるさいくらいに心臓が高鳴っていた。ひとりで戦うというのはそれほどまでに恐ろしいことだ。

 だが、ゴブリンを目の前にした瞬間、短剣を構えた瞬間、奴が突進してきた瞬間──紅介の心臓は波を安定させ、視界がぐっと開けた。

 そうして観察すると速いと思っていたゴブリンの攻撃は案外遅く、攻撃モーションを見てからでも楽々回避することが出来たのだ。


「ビビッて損したぜ」


 紅介は短剣を握る拳に力を込めると、殺意を込めてゴブリンを睨んだ。

その視線にゴブリンが怯んだような声を上げる。直後、ゴブリンが再び考えなしな突進を仕掛けてくる。


「そいつはもう見切った!」

「ギャ──」


 紅介はゴブリンの攻撃を腰を落として回避すると、その体勢からゴブリンの喉に紅の刃を通した。

 喉を潰されたゴブリンは掠れた断末魔を響かせながらその体を黒い靄へ変じて消えていった。


「へえ、モンスターってああやって消えるのか」


 モンスターが消滅する瞬間を初めて目撃した紅介はどこか感動した様子で呟いた。

 そんな紅介の頭を大きな手が乱暴に撫でまわす。


「よくやったコウ! 危なげない戦いだったぞ」

「へへ、ありがと」


 父親に褒められたのなんていつ以来だろうか。紅介はようやく自分がゴブリンを倒した実感が湧いてきて、嬉しくなった。


「とまあ、勝利の余韻に浸るのは程々にして……お楽しみ、実験の時間だ」

「ああ……そういえばそんな茶番もあったっけ」


 紅介は謎にテンションの高い父親に気圧されてひきつった笑みを浮かべる。

 白郎からしぶしぶ渡された握力計を手に持つ。


「上がらなくても怒るなよ?」

「怒らねーから早くしろ」


 父親に言質を取り、紅介は両足を肩幅に開いた。

 息を半分吐きだし、思い切り握力計を握りこむ。

 少しして、残った息を吐くと同時に拳から力を抜いた。


「結果は!?」

「……まじか」


 調査隊の全員が一斉に握力計のメータを見る。

 するとそこには六十一キロと表示されていた。

 基準値から三キロ増。これにはさすがの紅介も認めざるを得なかった。

 白郎が力強く拳を握る。


「これで、お前の言っていた説が立証されたな。すなわち、地下のモンスターを倒すと体力が向上する」

「まさか、ほんとうにそんなことがあるなんて……」


 白郎の歓喜する声に続き、東堂の驚いた声が響く。

 紅介も言葉が出ないほど驚いた。しかし、呆然としている時間はそう長くはなかった。紅介がすぐにこの意味を考えてしまったせいである。

 カウントダウンが始まるのと同時に現れた地下。そこにいるモンスターを倒すとなぜか体力が向上するという。それではまるで、カウントダウンの前に体力を上げておけとでも言われているかのような。

 言い換えれば、体力を上げておかなければ対処できないなにかが訪れるということではないだろうか。

 ──と、そこまで思考が飛躍したところで紅介は現実に着地した。紅介は頭を振って思考を一度リセットした。


「んで? 親父たちはさっきからなにをしてるんだ?」

「第二の実験だ」


 紅介が思考の世界を飛んでいる間に、白郎たち三人も握力計で握力を計っていた。

 気になって尋ねると、白郎はあっけらかんとして言う。


「第二の実験ってなんだ? 親父たちも体力上がったのか?」

「いや、今回は上がらなかったな。まあ、予想の範囲内だ」


 白郎は結果をメモ帳に書き留めると、すっくと立ちあがった。

 背を翻し、玄関へ向かう。


「親父、帰るのか?」

「帰らねーよ。つか、お前ら早く来い」

「「「?」」」


 全員が白郎の意図を図りかねて首を傾げる。

 すると、白郎が振り返っていった。


「次の部屋に行くから早く来い」

「「「はあ!?」」」


 白郎を除いた三人の声が重なった。

 まさかモンスター討伐を梯子することになるとは思わなかったからである。

 しかし、紅介はすぐに納得する。白郎はカウントダウンの日までにこの地下のモンスターを一掃するつもりでいる。そのためには一日一部屋では間に合わないのだ。少なくともどこかで複数回討伐を行わなければならない。

 つまり、それが今日というわけだ。

 納得した紅介はそれを他のふたりに共有し、白郎の後を追う。

 彼はすでに隣の部屋の前に待機していた。


「実験のため、これから少し作戦を変更する」


 全員が集まったのを見て白郎が言う。


「紅介がメインで戦うことに変わりはない。が、その前に俺、萩倉、東堂くんで一撃ずつモンスターに攻撃を当てたい」

「なんでわざわざそんなことを?」

「だから実験のためだよ。つーわけで、コウ、お前は最後尾だ」


 前に移ったり、後ろに戻されたり忙しいな、と紅介は脳内でごちる。

 彼は口では「了解」と答え、編成の最後尾についた。


「それじゃあ、行くぞ!」


 白郎が扉を開けて中に入る。

 すると、予め決めてあったのか白郎がリビングの扉に耳を当て、他のふたりがトイレとバスルームの確認を始めた。前二回の経験から安全確認を効率化している。

 トイレとバスルームにモンスターがいないことを確認したふたりが白郎の後ろに戻る。するとすぐに白郎のスリーカウントが始まった。


「突入!」


 白郎の合図で前三人が一斉に中へ押し入る。そして、中央で胡坐をかいていたゴブリンの脳天にそれぞれが一撃を喰らわした。


「コウ!」

「ああ!」


 三人の攻撃を受け、よろめきながら立ち上がるゴブリン。

 その無防備な心臓を紅介の短剣による刺突が貫いた。

 断末魔を上げる暇なくゴブリンが黒い靄となって消える。


「さあ、実験だ」


 白郎が握力計を取り出し、自身の握力を測定する。そして他のふたりにも握力を測らせた。念のため紅介も測ることになる。

 すると、ゴブリンを倒した紅介は握力が二キロ向上した。

 そして、その他の三人に関してはそれぞれ一キロずつ向上していた。


「ゴブリンを倒してないのにどうして?」

「これは俺の推測だが……恐らくモンスターを倒すと一定の経験値のようなものが落ちるんだ。そしてそれはモンスターを倒した人物が一番多く持っていくが、その戦闘に参加し人間にも一部分け与えられる仕組みなんじゃねーかな」

「なるほど……」

「確かにその可能性は高いですね」


 白郎の説明にゲームに馴染みのある紅介と東堂が反応する。萩倉はチンプンカンプンという顔をしている。

 と、そこで紅介があることを思い出して頭を捻った。


「でも親父どうしてそんなことを思いついたんだ? 親父ゲームとかやらない人間だろ?」

「まあ、俺なりにいろいろ調べてみただけだ。ゴブリンってのはゲームでよく出てくる基本的なモンスターなんだろ? だったら他にもゲーム的な要素があっても不思議じゃないと思ってな」

「へえ、親父がゲームを……」


 紅介はどこか感慨深げに呟いた。

 白郎はゲームをあまり好まない人種だった。そんな人が調査のためとはいえゲームに触れた。それが紅介にとっては少し嬉しかった。

 実験の結果、仮説が無事証明されたところで白郎がぐっと伸びをする。


「さて、そろそろいい時間だ。地上へ帰るとするか」


 リビングの壁に掛けてある時計は数字こそおかしくなっているが見た目はそのままのため、時間の確認は可能だ。それによると現時刻は午後八時。それほど長く地下にいた記憶はないが、あれこれしているうちに四時間ほど経っていたようだ。


 そういうわけで白郎の言葉に頷いた一同は地上へと戻っていった。

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