006号室 正義の心
目を覚ますと見知った天井がそこにはあった。
「ん、んう……──痛ッッ!!」
紅介が眠気眼をこすり、体を起こそうとする。全身にぐっと力を入れた瞬間、内側から弾けるような激痛が全身を駆け抜けた。
うめき声を上げた紅介が再びベッドに倒れこむ。
「ベニくん!」
紅介がベッドで悶絶していると、部屋の扉が開き、小桃が入って来る。彼女は心配そうに紅介に駆け寄ると、彼の手を握り落ち着くのを待った。
「わ、悪い……ありがとな」
「ううん。それより無茶しないで。怪我してるんだから動いちゃダメだよ」
「怪我?」
小桃の言葉に首を傾げた紅介は辛うじて動かせる手で頭を触った。すると、そこには包帯が巻き付けてあった。他にも胸や腕、足にも包帯が巻いてある。
「なんで俺、怪我してんだ?」
「え? 覚えてないの? もしかして記憶喪失!?」
紅介の怪我を受けて敏感になっている小桃があらぬ妄想を展開する。
そんな小桃の珍しい姿を見て、紅介は苦笑を漏らした。
「そんな大げさなものじゃないって。自分のこともお前のこともちゃんと覚えてるよ」
「そっか……。じゃあ、一番新しい記憶は?」
「それは昨日お前を見送って寝た記憶……いや、マンションに異変が起きたんだよな。んで、親父部下が来て……あれ? そのあとどうなったんだっけ?」
辛うじてそこまで思い出した紅介は、しかしそこから先が思い出せず頭を抱えた。
そのとき、紅介の部屋の扉が豪快に開かれる。扉の前に立っていたのは白郎だ。彼は紅介が目覚めているのを見て、表情を明るくする。
「お! やっと起きたかコウ。丸一日も寝込みやがってこの寝坊助が」
「丸一日? なにいってんだ親父……って、どうした親父!? 怪我してるぞ!」
「んあ? なに言ってんだお前」
丸一日も寝込んでいたと知らされ胡乱な目で白郎を睨む紅介。しかし、白郎の首元に赤くなった包帯が巻かれているのを見て顔を青くさせた。
その反応に白郎はきょとんとした顔を見せる。
「あの、ベニくんちょっとした記憶障害みたいで、地下に行った記憶がないみたいです」
「ああ、なるほどね……」
小桃の説明を受け、ようやく状況を理解した白郎がポンと手を打つ。
彼は一度部屋を抜け出すと、折れた木刀を持って紅介の下へ戻ってきた。
「ほれ、これに見覚えはないか?」
「あ! それ俺が中学の修学旅行で買ってきたお土産じゃねーか。なに勝手に折ってんだよ!」
「ダメか……。それじゃあ──!」
ゴブリン戦で使用していた木刀を見ても記憶が戻らない紅介。
白郎は少し思案すると、にやりと笑って、拳を握った。
直後、寝てる紅介の腹部に重たい一撃が見舞われる。
「うがああああ!!」
「ちょっと、おじさん!?」
怪我の上から受けた攻撃に全身に雷が走ったような衝撃を受ける紅介。彼はこれ以上ない絶叫をし、それを聞いた小桃が心配そうに紅介に駆け寄る。
「まあ、ブラウン管は叩いたら治る! みたいな……」
「……人を旧型のテレビに例えてんじゃねーぞ、クソ親父……っ!」
「んで? 記憶は戻ったか?」
「んなもん──」
戻るわけない──と叫ぼうとした紅介の脳裏を先程の激痛が横切った。それを皮切りに様々な記憶がよみがえる。
木刀、棍棒、金属バット、階段、数字、扉、足音、緑、ゴブリン──。
「……」
「思い出したか?」
「……ああ、お・か・げ・さ・ま・で!」
記憶を思い出せてくれたことには感謝が絶えないが、方法としてやったりという顔が気に入らず、紅介の口調が荒くなる。
それを笑って受け流した白郎は、しかしすぐに真面目な表情を顔に張り付けた。
「まあ、お前の記憶も戻ったということで……ここからは説教の時間だ」
「説教?」
「ああ」
紅介が首を傾げると、白郎が神妙に頷く。そこでようやくこれは茶番じゃないと気づいた紅介は痛む体に鞭を打ち、体を起き上がらせた。心配する小桃を宥めて、父親の目をまっすぐ見返す。
「いろいろ言いたいことはあるが……まあ病み上がりのやつにガミガミ言うのも忍びない。だから大切なことをひとつお前に言っておく。いいか。正義の心とはいついかなる時も冷静でなくてはならない。悲しい時も怒れるときも理性で感情を制御し、冷静な心で力を振るわなければならない。……お前が最後にゴブリンに襲い掛かった時。あの時お前は冷静だったか?」
「……いいや、完全に我を失っていた」
「そうだ。激情に駆られて振るう拳は偽善の拳だ。正義の味方を貫こうと決めたならいついかなるときも正義の心をわすれちゃいけねえ。わかったか?」
「ああ。分かったよ」
紅介はそっと自分の胸に手を当てた。じんわりと温かいなにかが心に溶けていくのが分かる。まだ芽吹いたばかりの正義の心が確かにそこに感じられる。紅介はそれを大事にしようと心に決めた。
「さて、んじゃあ次は──」
「一個だけって言っといてまだなにかあるのかよ」
「そえは説教だろ。次は──処罰についての話だ」
「は?」
言葉の意味がわからずぽかんとする紅介。
そんな彼を置いてけぼりに白郎は紅介の膝の上にあるものを載せた。
刃渡り二十センチ程度の短剣。血のように紅い刃が特徴的で、意匠の類はないシンプルな造形。しかし、どことなく禍々しい気配が漂っている。
紅介は自身の上に置かれたその凶器に見覚えを感じた。手に取って、確信に変わる。これはゴブリンを殺すときに使ったものだ。
共に死線を潜り抜けたからだろうか、紅介は手に落ちる短剣の重さにどことない安心感を覚えていた。
そんな紅介の顔に白郎の鋭い視線が刺さる。
「そのナイフ。包丁と言って誤魔化すにはちーっと無理があるように見えるんだがなあ」
「ベニくん……」
「ちょいちょいちょい! 俺を犯罪者を見るような目で見るのはやめろ!」
白郎は取り調べをする刑事のように、小桃は知人が罪を犯したときのように悲し気に紅介を見る。
身に覚えのない罪で勝手に犯罪者扱いされた紅介は必死に弁明を試みる。
「これはあの部屋で拾ったものだ! 断じて俺のものではない!」
「あの部屋で……? それは妙だな」
「妙ってのは?」
紅介の弁明を聞いて神妙な面持ちで顎を撫でる白郎。彼は紅介の質問に静かに答える。
「お前が気絶したあと俺たちは三人であの部屋を調査したんだ。そこでわかったことがいくつかあるんだが、これもそのうちのひとつで、あの部屋のものは地上へは持ち出せないってことがわかった」
「ちなみに持ち出そうとしたらどうなるんだ?」
「階段を上って踊り場を過ぎたくらいで黒い靄になって消えちまった」
「じゃあ、なんでこの短剣は消えなかったんだ……?」
紅介は手に握った紅い短剣を怪訝そうに見つめる。しかし、短剣が答えをくれるわけもなく紅介は直に考えるのを放棄した。
白郎がにかっと朗らかに笑う。
「まあ、なんにせよお前が銃刀法を違反していないようで安心したぞ。──それで、その短剣についてだが……面倒だからお前が管理しろ」
「いいのか?」
「地下から持ってきたものならどうせ部外者には見えないだろう。だからといってくれぐれもおかしなことには使うなよ。せいぜい決めポーズを考えるときの小道具に使え」
「んなことするか」
父親のボケにツッコむ紅介。彼が突っ込みを入れると、白郎はついでに拾ってきたといって短剣の鞘と思われるものを投げて寄こす。紅介はそれを起用に受け取って、短剣を鞘に仕舞いこんだ。
「そういえば、地下をいろいろ調べたんだろ? 俺にも情報を教えてくれよ」
「あー……まあ、それに関してはこの後やる会議で教えてやる。お前も参加しろよ」
「ああ」
白郎はそういうと、手をひらひらと振って紅介の部屋から出て行った。
それを見送って、紅介は再びベッドに倒れこむ。
「ベニくん!?」
「小桃、悪い……もう一回寝るから会議の前に起こしてくれ……」
そういって紅介がうつらうつらと船を漕ぐ。
「……」
「いでッ」
紅介が倒れたと心配した小桃は空回った気恥ずかしさと、紅介への腹立たしさから彼の額にチョップを打ち込んだ。
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