005号室 モンスター
「コウ、大丈夫か?」
「あ、ああ」
紅介が白郎に肩を叩かれて我に返る。どうやらあまりに非現実的な光景を前に放心してしまったようだ。他のふたりもそれは同様だったが、紅介よりも早く我に返っている。
紅介の状態を確認した白郎が全員に指示を出す。
「見たところ通路に危険物はない。庭も同様だ。問題はあの扉の先がどうなっているかだが……その前に扉の周りを調べたい。よって、ここから少し手分けして調査を行う。俺は奥二つの扉を。萩倉はその手前二つ。同様に東堂くんも二つ。んで、コウは一番手前の扉を調べてくれ」
「「「了解」」」
「くれぐれも中に入ろうなんて考えるな。扉の調査が終わったらもう一度この階段前に集合だ。では、作戦再開」
白郎の合図で各自持ち場に移動する。紅介も与えられた扉の前に移動して、なにか事件解決の手掛かりに繋がりそうなものはないかと確かめる。
「なんだこれ、数字なのか?」
まず紅介が気になったのはナンバープレートだ。地上では【101】という具合に数字が割り振られているのだが、地下に出来たマンションのナンバープレートは紅介の知らない言語で書かれていた。しかし、三桁であるということは分かるので、おそらく数字なのだろう。
プレートの下には表札を掲げるスペースがあるのだが、ここにはなにもかけられていない。部屋の居住者はいないということだ。
続いてインターホンを押してみる。扉に耳を当ててみるが音は鳴っていないようだ。
次は部屋の中の様子を確かめる。扉下部にある郵便受けを持ち上げ、中を覗く。扉の内側は地上と同じような造りの部屋になっているようだ。薄暗くて玄関の付近まで見えないが変わったところは特にない。
最後に扉の確認だ。ノブにそっと手をかけ、回す。鍵は掛かっていないようだ。
ドアノブを手前に引き、ドアチェーンがかかっていないことを確認する。しかし、確認はそこまでだ。紅介は中へ踏み入りたい気持ちを押し殺し、父親の命令に従ってドアを閉じた。
階段の前まで戻り、白郎たちの確認が終わるのを大人しく待つ。
少しすると、白郎の確認が終わる。続いて東堂が戻り、最後に萩倉が合流する。
白郎が全員の点呼を取り、その確認が終わると各自調査結果の共有をする。もっとも大体の情報は紅介が得たものと同じだった。
その中で東堂がひとつ補足を加える。
「仕事柄いろいろな言語圏で使われる数字を目にするのですが、あのような数字は見たことがない。余程マイナな言語圏のものなのか、あるいはこの地球上に存在しない言語圏の数字なのか」
「おいおい、そりゃどういうことだ? この建物を宇宙人が作ったとでも?」
「さあ、そこまではなんとも。ただ、そういう可能性もあるのではと示唆したまでです」
東堂の意見に納得が出来ないのか萩倉が文句を言う。どうやら彼はオカルトの類を信じないタイプの人間のようだ。それは白郎も同じで、東堂の意見にむつかしい表情をしていた。
反対に紅介はゲームや漫画に多少触れているのでそういうオカルト設定には抵抗はない。むしろ、異世界やら別次元なんて言われもついていけるレベルだ。
「他になにか共有しておいたほうがいいと思う情報があるやつはいるか?」
と、少し話が脱線しかけたところで白郎が本筋に戻す。誰も意見するものがいないと分かると白郎は次の行動を考える。
「とりあえず、一番手前の部屋から調査をしてみよう。コウ、鍵は開いていたか?」
「ああ、ドアチェーンもかかってなかった」
「人の気配はあったか?」
「分からない。けど、見える範囲に人影はなかった」
「了解」
白郎は扉を調べた紅介から情報を受け取ると、扉に近づいた。扉を少し開け、中の様子を確かめる。情報どおり人がいないのを確認し、扉を開けたまま中に入る。合図をし、玄関に紅介たちを呼びつける。
玄関から見える範囲に扉は三つ。リビングに繋がる扉、トイレに繋がる扉、バスルームに繋がる扉の三種類。このうち白郎は手近な扉から確認していく。
初めに、トイレの扉を開け、中の安全を確かめる。トイレにはなにもなかった。もちろん部屋自体にも不思議なものはない。
次のバスルームも異常なし。
最後にリビングに繋がる扉である。白郎が扉に耳を当て、中の音を確かめる。
そのとき、白郎の拳に力が入ったのを紅介は見逃さなかった。
「親父、なにがあった?」
ほとんど口パクに近いごく微小な声量で尋ねる。すると、顔を強張らせた白郎が振り返った。彼の額から大粒の汗が流れる。
「中から足音が聞こえる」
「「「──ッ」」」
白郎の言葉は一瞬にしてその場の全員に悪寒を感じさせた。ぶるりと肩を震わせた萩倉が白郎の肩を掴む。
「おいおい、冗談はやめてくれよ」
「嘘だと思うならその耳で聞いてみろ。くれぐれも大きな音は立てないようにな」
白郎がそう促すと、萩倉、東堂、そして紅介も扉に聞き耳を立てた。
すると、扉の奥から確かにヒタヒタと裸足でフローリングを歩くような音が聞こえてくる。扉の向こう側になにかがいることを確認した三人は息を殺して扉から離れた。
「玄谷さん、どうするんだ?」
怯えた様子で萩倉が言う。白郎は彼を一瞥すると、腰に携えた警棒に手をかけた。
「まずは俺がひとりで突入する。取り押さえたらお前たちも入って来い」
「いや、それよりも全員で一気に突入するべきです」
白郎の作戦に東堂が異議を申し出る。
「足音の数はひとつだけ。話し声もなし。となれば相手はひとりの可能性が高い。ならば、ここにいる四人で取り囲み、拘束するほうが安全性が高い」
「……そのとおりだな」
東堂の作戦に白郎が納得する。彼は一度紅介のほうに目をやったが、紅介が十分に警戒し、その上でやる気を漲らせているのを見て視線を扉に移した。
「俺が扉を開けると同時に全員で突入する。タイミングはスリーカウントだ。行くぞ」
白郎がドアノブを握り、反対の指を三本立てる。それを見て、萩倉、東堂、紅介の三人は事前に用意してきた武器をそれぞれ手に取った。
二、一──。
「突入!」
白郎が叫ぶのと同時に扉を開く。それを合図に四人が一斉にリビングに押し入った。
「ギギャ!?」
「んなッ!?」
リビングにいた足音の主が押し入ってきた紅介たちに驚いた声と、紅介がその足音の主の姿を見て驚いた声を上げたのはほとんど同時だった。
他の三人もその姿に驚いたようで作戦を忘れて硬直してしまう。
「ギギギャ!!」
四人の眼前に現れたのは屈強なテロリストでも、世紀の大犯罪者でもなかった。そもそもソレは人間ですらなかったのだ。
緑色の肌をした小学生くらいの体躯の二足歩行生物。耳はピンと尖っていて、鼻も前に突き出ている。下腹がどっぷりと出ているわりに腕や足は病的に細い歪な体型。衣服の類はあまりに見つけておらず、目に見えるのは腰に巻いたぼろ布一枚。また、ぼろ布には棍棒のような気の塊が差し込まれていて、まるで蛮族のようである。
地球上ではまず目にしない不気味な生き物。しかし、紅介はその正体を知っている。
「ゴブリン……」
「ギギギャ!!」
紅介が緑色の生物の正体を呟くと、ゴブリンは正解と言わんばかりに耳障りな声で雄たけびを上げた。
直後、紅介の横からなにかが飛び出した。
「うああああああ!!」
「萩倉、落ち着け!」
得体の知れないモンスターを前に錯乱した萩倉が手にした金属バットを持って走り出した。
白郎が慌てて止めようとするが、萩倉の耳には届かない。
彼はゴブリンに限りなく近づくと、走る勢いを金属バットに乗せ、ゴブリンの頭を殴りつけた。
ドゴッと日常生活では耳にしないような生々しい鈍い音が響き渡る。
「は、はは……やった──」
手に伝わる感触からゴブリンを殺したと思った萩倉が興奮気味に頬を上気させる。
しかし──
「──ギギ?」
「……ッ!?」
金属バットの裏から覗き込むように顔を出したゴブリンと目が合い、萩倉の顔が一気に青ざめた。
「ギギャ!!」
「ぐあっ……!」
ゴブリンがひと鳴きすると、金属バットが弾かれる。握りこんだまま離さなかった萩倉の胴体が無防備に晒され、そこにゴブリンが体当たりを見舞う。
まるで自転車に轢かれたかのような重たい衝撃を受けた萩倉がうめき声を上げながら横に吹き飛ばされる。直線状にいた東堂を巻き込み、壁にぶつかった。
「おい、あんた……」
「す、すまねえ」
東堂が苛立たし気に覆いかぶさる萩倉を押しのける。萩倉は痛そうに腹部を抑えながらも、防刃ベストに守られていたおかげか命に係わるほどの怪我はしていない様子だ。
ふたりの無事を確認し、ほっと安堵の息を吐く紅介。そんな彼の耳に切迫した白郎の声が届いた。
「コウ! 避けろ!」
「え……?」
「ギギャギャ!」
白郎の声にはっとして前を向いた紅介。しかし、そのときにはすでにゴブリンは彼の懐に入っており、また、その手には太い棍棒が握られていた。
不味いと思い、咄嗟に武器として持ってきた木刀を構える。
直後、ゴブリンの棍棒が木刀を打ち、そのまま紅介を弾き飛ばした。宙を舞い、棚にぶつかった紅介ががくりと項垂れる。
「コウ!」
息子が起き上がらないのを見て激高した白郎が、今にも紅介に飛びかかろうとしているゴブリンを後ろから蹴りつける。
「ギギ……?」
背中を無遠慮に蹴られたゴブリンは怪訝そうに振り返り、白郎を見てにやりと笑う。
標的を白郎に変えたゴブリンが、白郎に襲い掛かる。白郎はそれを抑えつけながら、東堂に向けて叫んだ。
「東堂くん! コウを頼む!」
「了解!」
萩倉を押しのけ、ゴブリンに一撃を見舞うタイミングを計っていた東堂であるが白郎の指示を聞いて即座に行動する。
「紅介くん! 紅介くん!」
彼は倒れた棚の下敷きになって動かない紅介の下へ駆け寄ると、彼を棚の下から引きずり出し、声をかける。
すると、紅介はすぐに意識を回復させ、咳と共に口から血を吐き出した。
「大丈夫か?」
「え、ええ……大丈夫です。……ありがとうございます。──あ……」
「紅介くん!」
紅介はそう返事を返すと、覚束ない足で立ち上がろうとする。しかし、案の定ふらついて膝と両手を地面についた。東堂が心配そうな声で紅介の名前を叫ぶ。
「立ち上がらないほうがいい。今のキミではとても戦えない!」
「それでも、俺は……!」
紅介はぼやける視界の中手探りで木刀を探す。
幸運にも木刀はすぐに見つかったのだが、先程のゴブリンの攻撃を受け、木刀は半ばからぽっきりと折れてしまっていた。使い物にならない木刀を地面に叩きつける。
「くそッ! これじゃ親父を守れねえじゃねーか……!」
紅介が悔しそうに拳を地面に叩きつける。
すると、彼の拳にこつんとなにかがぶつかった。紅介が拳に当たったものを手に取る。
「これは……」
「ぐああああ!!」
紅介が手にしたものに気を取られていると、白郎の痛烈な叫び声が耳朶を打った。
弾かれて前を見ると、白郎がゴブリンに組み伏せられた状態で首を噛まれている姿が目に映る。
刹那、紅介のなかでぷつりと何かが切れる音がした。
「うわあああああ!!」
紅介は喉を焼き切るほど大きな声で叫ぶと、先程手にしたものを強く握りしめ、激情のままに飛び出した。
瞬く間に白郎に噛みつくゴブリンの下まで駆けると、腕を大きく振り上げる。
きらりと、紅介が手にしたものが赤く輝いた。
「うあああああああ!!」
「ギィ……? ──ギェア!?」
紅介がゴブリンの背中の中心に狙いを定め、腕を振り下ろした。
しかし、ゴブリンはすんでのところで紅介の攻撃に気が付いて、避けようとする。が、その動きを白郎が抑え込んだ。
「やれ! コウ!」
「──ああああああああ!!」
紅い軌跡が真っすぐに落ち、紅介が手にしたソレがゴブリンの背中に深々と突き刺さった。背中側から心臓まで一突きである。
「ギ、ギエエ……──」
急所を貫かれたゴブリンは断末魔の悲鳴を残すと、黒い霧となって消えていく。
それを奇妙だと眺めた白郎はその上から倒れこむ息子を慌てて支えた。
「……いろいろ言いたいことはあるが……とりあえず、お疲れさん」
「……すう……すう」
白郎がぽんと紅介の頭を撫でる。
すると、白郎に寄りかかる紅介の口から小さな寝息が聞こえてきた。
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