004号室 調査隊結成
集会室に集まった住人は皆沈痛な面持ちであった。
先程の階段前でのやりとりを見ていたものはもちろんのこと、後から呼ばれて合流した住人も白郎からことの顛末を聞かされて顔を俯かせた。
当然だ。マンションの住人にしか見えない階段の存在など不気味以外のなにものでもない。明らかに科学では説明できない超常的な現象だ。だというのに部外者に助けを求めることは出来ないという。つまりマンションの住人だけで解決しなければならない問題ということだ。
「……いっそあれはそういうものだと割り切ってしまうのはどうだろう。私たちも警察や他の人たちのように階段をないものとして生活するというのは……」
住人のひとりがおずおずと意見する。
皆、まだ物事を考える段階にまでメンタルが回復していないのか、あるいは今の意見を検討しているのか少しの間静寂が場に流れた。
それを打ち切ったのはオーナーの蕪城である。
「階段以外にも屋上や七階のプレートの件もある」
「ですからそれら全部まとめてなかったことに──」
「地下ならまだしも得体のしれないものが七階に手を出しているのだ! 黙って見過ごせるはずがないだろう!」
意見者は蕪城の一喝に怯み、口を噤む。七階に住む蕪城とそうじゃない意見者では圧倒的に蕪城に分があった。しかしだからと言って事件解決の妙案があるわけではない。蕪城は再び押し黙る。
すると住人のうちのひとりが堂々と挙手をした。スーツをピシッと着こなし、眼鏡をかけた精悍な青年。その姿を見て紅介は堅物という言葉が脳裏に浮かんだ。
青年が起立し意見を述べる。
「【706】の東堂です。危険性を承知の上で提案させてもらいますが、ひとつ前の会議で出た意見──即ち、我々が地下へ下りその正体を調査することが必要ではないでしょうか」
青年──東堂の意見に住人がざわめく。かくいう紅介も僅かながら動揺していた。まさか地下階段の不気味さが増したこの段階でなおも地下へ行こうと意見する人間がいるとは思えなかったからだ。
全員が大なり小なり驚く中で東堂の意見に反感を示したのは六階の代表者である馬場だった。
「若者がなに言ってるの! その意見は危険だから却下だと前の会議で決まったでしょう」
「前の会議では危険への対応を熟知している警察が対処に当たることを大前提とし、我々一般人が素人の浅知恵で調査を行うのは却って危険であるという理由で棄却されたはずです。ですがその大前提は崩れ、対応に当たれるのはマンション住人だけときた。現状この案がもっとも妥当であると判断しますが……玄谷警部殿、いかがですか?」
東堂に水を向けられた白郎は、しかし先程から腕を組んで瞑目し、眉ひとつ動かさずにいた。
「親父」
紅介が肩を軽く揺らすと、白郎はゆっくりと目を開く。その後、白郎の眼光が東堂を射抜く。じっと睨みつけるように白郎と東堂が視線を交わす。
と、そのとき集会室の扉が外から叩かれた。一拍して扉が開き、隙間から佐久間が顔を覗かせる。
「あの、警部……そろそろ仕事に戻らないといけないのですが」
「佐久間、準備してきた防具は全部で何人分だ?」
「え? えっと……確か四人です」
「それじゃあ、その装備を置いてお前たちは戻っていいぞ」
「え、いや、それは……」
「責任は全部俺が負う。いいからお前たちは署に戻れ。いいな?」
「了解」
佐久間はわけがわからずといった様子で扉の外へ帰っていく。
佐久間が集会室から出て行ったのを確認し、紅介が白郎の顔を見る。
「親父、まさか……」
「これより俺を含めた四名で地下の調査を行います。さしあたっては協力者をあと三名募集したい」
「バカな!」
白郎の決断に蕪城が椅子を倒して立ち上がる。彼は白郎の下へ歩み寄ると彼の胸倉をつかんで引き寄せた。
「住人を危険に晒すようなことは断じて許可できない! 調査をするなら警察であるキミひとりで行くべきだ」
「危険な場所にいくんですよ。ひとりよりふたり、ふたりより三人のほうが安全性は高くなる。協力者は多いほうがいいですが、今は装備に限りがある。それに俺は調査を手伝えと強制しているわけじゃない。もし協力者がいなければ俺ひとりで行きますよ」
白郎が死ぬ覚悟を決めたような目で蕪城を睨む。すると、蕪城はその眼光に怯んだようで一方城に後ずさる。それでも掴んだ胸倉は離さない。オーナーとしての責任が彼をあと一歩のところで押しとどめていた。
そんな蕪城の手を第三者の手が掴んで白郎から引き離す。
「言い出したのは俺です。もちろん俺も同行します」
そういいながら東堂が白郎の横に並ぶ。東堂の姿を見て蕪城は苦虫を嚙み潰したような表情を見せた。
それもそのはず。一階の白郎へならいざ知らず、同じ七階に住む東堂へはオーナーといえど意見するのは慎重になる。なにせ、七階に住む彼らはその下の階の住人よりも遥かに多くの家賃を支払っているのだ。言ってしまえば彼らのおかげでこのマンションは成り立っているともいえる。故に蕪城は七階の住人には横柄な態度がとれないのだ。
「まあよい。事件のことに関しては玄谷くんに任せるとしよう。なるべく早く穏便に事件を解決してくれよ」
「善処します」
東堂の登場で分が悪くなった蕪城が最後にそう言い残し、いそいそと集会室から撤退する。
それを見て、何人かの住人も集会室を後にした。誰しも面倒ごとには関わり合いになりたくないものだ。
集会室に残った住人もまた茫然自失といった様子でとても調査に協力したいがために残っているというわけではなさそうだった。
しばらく待って協力者に名乗り出るものがいないと分かると、白郎はおもむろに席を立つ。彼はちらりとぽけーとして天井を眺める野武士面の男を一瞥する。
「萩倉。お前も来い」
「え! オレ!? いやいやあんたさっき強制はしないっていってたじゃんか!」
「お前は別だ。ここで地下の謎を明かせば住人からの心証もいくらか回復するだろうよ」
「でも、危ねーことは……」
「つべこべ言わずに来い」
うじうじと椅子から立ち上がらない萩倉の首根っこを掴み、白郎は無理やり調査隊に彼を加える。集会室の入り口付近に調査隊が集合する。白郎が調査隊の面々を見回す。
「結局集まったのは三人か。まあ、三人いるだけマシか──」
「──親父!」
白郎が自嘲気味に笑うと、紅介が声を上げて呼び止める。
紅介は白郎の前までやってくると、覚悟の灯った瞳で父親を見上げた。
「親父、俺も連れて行ってくれ」
「ダメだ。危ねえ」
「危ねーことは十分わかってる。でもだからってここで大人しく指くわえて親父たちの帰りを待つのなんてまっぴらごめんだ。俺も俺の力で誰かの役に立ちたいんだ。頼む、親父。俺も調査隊に加えてくれ!」
一度断られても諦めずに懇願する紅介。しかし、白郎は黙ったまま首を縦には振らなかった。
父親の頑固さは息子である紅介が一番よく知っている。彼が頑なに反対するのも紅介を想ってのことであることも分かっている。
それでも──
「俺は賛成です。人員は多い方がいい」
膠着した盤面に一石を投じたのは東堂だった。彼は紅介の隣に立つと、彼の肩を持つと宣言した。白郎の眉がぴくりと動く。
「人員とはいうが、子供だぞ」
「高校生でしょう。身体能力的には大人とそう変わらない。思考力こそ大人に劣るかもしれませんが、これから行く場所は我々も未知の世界。条件は対等だと思いますよ」
「……」
東堂の言い訳を聞いて、白郎は少し考える。それから紅介に目を向けると、彼の目の中をじっと見つめた。熱く燃ゆる覚悟の炎が轟轟と猛っている。白郎が小さく首肯する。
「分かった。調査隊は俺、萩倉、東堂くん、そしてコウの四人でいく」
「いよしッ!」
調査隊に加えられてガッツポーズをする紅介。そんな彼の頭にゲンコツが降る。
「いってええ──!!」
「調子に乗るな。ここから先は下手をしたら死ぬかもしれないと考え慎重に行動しろ。くれぐれも俺たち大人よりも前には出るなよ。いいな?」
「おう!」
白郎の忠告に元気よく返事を返す紅介。
それを見て白郎は満足気に頷くと、善は急げとばかりに調査隊の面々を連れて一階へと向かった。
▼
マンション一階、地下階段前に調査隊の四人が集まっている。彼らは警察が残していった防具──ヘルメット、防刃ベスト、プロテクタ、ブーツ──を着用しており、傍から見るとなにかの特殊訓練のようである。
完全武装した紅介に小桃が心配そうに声をかける。
「ねえ、ほんとに大丈夫なの? 危なくない?」
「それを確かめるために俺たちが行くんだろ。まあ、安心しろ。大丈夫、危ねーことはしないからよ」
「絶対だよ。ちゃんとおじさんの言うこと聞いて、ちゃんと帰ってきてね」
「おう!」
紅介と小桃が拳を合わせて約束する。
ふたりのやりとりが終わったのを確認して白郎が声を上げる。
「いいか、まず俺が先行し安全を確認する。合図を出したら俺のところまで来い。合図があるまでそこを動くな。そして俺が叫んだら撤退だ。自分が生還することだけを考えて逃げるんだ。いいな?」
「「「了解」」」
「よし、じゃあ作戦開始だ」
事前に取り決めた合図を確認し、白郎がまず階段を下る。その手には懐中電灯が握られており、階段が照らされる。
階段は一階から二階に上がるときのように中間地点に踊り場がある。まずそこまで下りた白郎が合図を出す。萩倉、東堂、紅介の順に階段を下りる。
全員が下りたのを確認し、白郎が残り半分を下る。と、そこで白郎の動きがぴたりと止まる。彼はなにかを見つめたまま硬直してしまった。
「玄谷さん」
「……!」
東堂が小さく声をかけるとはっとした様子で白郎が周囲の安全を確認する。遅れて合図。
白郎の妙な行動を受け、後続の三人は訝しみながら階段を下りる。
そして先程白郎が目撃した光景を目の当たりにし、この事件が超常的なものであることを改めて痛感した。
「なんだよ、これ……」
萩倉が思わず声を漏らす。東堂と紅介も同じ気持ちで固唾を呑んだ。
彼らの眼前にあったのはマンションの一階と同じつくりをした建物だった。階段を下りて右手に通路が伸び、通路の右手に七つの扉が等間隔で設置してある。手すりを越えた先には広い庭が見え、通路の突き当りにはエレベータの扉が見える。まるで設計段階から地下階が存在していたかのように自然にそれはそこにあった。
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