003号室 警察


 集会室は【403】号室と【405】号室の間に二部屋分の大きさで存在している。部屋の隅の方に行事などで使う小物が積み上げられているが、それ以外はなにもない広い部屋。

 しかし、現在は部屋の中央に長机をロの字型に並べて作られた会議机が設置されている。机には各階の代表者と事件について情報を持つ人間が集められている。紅介と小桃も会議の席についていた。


 集会室の扉が開き、白郎が入ってくる。彼は紅介の隣に座るとその場にいる全員に聞こえる声で紅介に話す。


「今部下を何人か呼んだところだ。すぐには来れないみたいだが、一時間はかからないはずだ」

「玄谷さんの部下と言いますと警察の方でしょう? わざわざ警察沙汰にしなくても……」


 白郎の言葉を聞いて真っ先に意見したのは六階の代表の馬場誠子だ。白郎よりずっと年上のおばさんで、カルト宗教のお偉いさんなのだとか。

 紅介は馬場とはそれほど接点がないが、あまりいい印象を持っていない。


 彼女の意見に上階の住人を中心に何人かが首肯する。上階の連中は権力者が多いせいか犯罪すれすれのことをしているものが少なくない。そのせいか警察が自身のテリトリーに入ってくることを必要以上に嫌っている。その警察である白郎もまた彼女たちからは大いに嫌われていた。

 そんな馬場の意見を白郎は鋭い眼光で否定する。


「これは明らかに事件です。今は幸い死傷者が出ていませんが、これを見逃して犯行がエスカレートした場合必ず死傷者が出るでしょう。そのときになって警察を呼べば警察はなぜ最初の段階で通報しなかったのかと、我々住人を──特にそう仕向けた人間を疑うでしょう。捜査の手は事件とは無関係に思われるところまで広がります。そうなったとき自身が清らかな人間であると証明できる人が果たしているでしょうか」


 白郎が獲物を捕捉した鷹のように鋭い目で馬場を睨む。彼女は白郎の視線に恐れをなし、ぶるぶると左右に首を振る。


「いえいえ、私は警察に通報するのが悪いとは言っていませんわ。現状なにも知らない状態ですからそこまでする必要はあるのかなと質問しただけですのよ」

「えぇ、ですからそれを承知してもらうために、皆さんにも情報を共有していただきたく今回の集会を開いたのです」


 白郎はわざとらしくにこやかに笑うと、今回の事件について大体のことを説明した。

 おおよその住人は階段のことは知っているため屋上のことや七階のプレートの件で驚いていた。反対に小桃は階段の件を知らなかったようでそちらに驚いていた。

 ホワイトボードを用いた白郎の説明が終わると、住人のひとりが手を上げる。


「警察が来る前に階段の先がどうなっているのか確認したほうがいいのでは? もしテロリストとかが潜伏しているなら警察が来る前に避難するべきでしょう」

「もし地下にテロリストが潜んでいるのならなおさら警察が来るのを待つべきです。我々はなんの武装も持ち合わせていない一般人。下手に刺激をすると却って危険です。武装をした警察を待つのが賢明な判断です」


 質問に真摯に答える白郎。彼はその後も次々に飛んでくる質問の嵐に適切な回答を答えて対処した。それにより住人はある程度の不安が緩和されたようで集会が開始したころに漂っていた緊張感はほとんど薄れていた。


 集会が始まって丁度一時間が経とうというころ。集会室の扉がノックされる。白郎が返事をすると、制服を着た警察官が五名ほど室内に入ってきた。代表者が白郎の前まで来て敬礼する。


「玄谷警部、ただいま現着しました」

「忙しいところすまないな。早速で悪いが現場を見てもらいたい」

「了解です」


 白郎の部下と思われる警察官は再び敬礼をすると扉の横に立ち、白郎に道を譲る。他の警察官も同様だ。

 白郎は当たり前のようにその横を通って集会室を出ると、後ろを振り返る。


「おい、コウ! なにしてる早く付いてこい。あ、気になる方もご一緒にどうぞ」

「お、おう……」


 白郎に呼ばれた紅介は若干気後れしつつ返事する。彼は席を立ちあがると、隣の小桃を一瞥する。


「小桃も行くか?」

「うん。怖いけど、気になるから」

「んじゃ、行くか」


 小桃も席を立ち、紅介と共に集会室を出る。すると、住人たちも続々と席を立ち、その半数が階段のほうへと向かっていく。エレベータを使えば一瞬で一階につくのだが先陣を切った白郎が階段を使うものだから警察官に委縮した住人たちはアヒルの子のように後に続く。

 紅介が小桃とともに階段を下りていると、いつの間にか隣に警察官のひとりが並んでいた。先程白郎と話をしていた警察官である。


「玄谷警部のご子息の方ですよね」

「はい。玄谷紅介です。いつも親父がお世話になってます」

「いえいえ、世話をしてもらってるのは自分たちのほうで。あ、自分は佐久間さくまって言います。一応警部補です」

「佐久間さんですか。よろしくお願いします」


 気さくな警察官──佐久間に挨拶すると、彼はにこやかに紅介の顔を見た。


「紅介くんのことは警部からよく聞くよ。わんぱく息子だって言ってたけど礼儀正しいいい子だね」

「初めての人だから猫を被ってるんですよ。ベニくんってばこの間も暴力でバイトクビになったんです」

「おい、小桃!」


 佐久間の紅介への評価にくすりと笑った小桃が訂正を入れる。佐久間はそこで小桃の存在に気が付くと、小さく首を傾げた。


「えっと、キミは……?」

「ベニくん……紅介くんのクラスメイトの小花衣です。このマンションの住人でもあります」

「ああ、なるほど。小花衣さんもよろしく」

「はい、よろしくお願いします」


 小桃と佐久間が挨拶を交わす。

 それが終わると、佐久間は先程の小桃の言葉を思い出し、納得したように頷いた。


「しかしそうか……やっぱり蛙の子は蛙なんだな」

「どういうことですか?」

「いやね、警部もよく事件の犯人を殴ったりするからさ。喧嘩っ早いは遺伝するのかな?」

「おい! 佐久間! 余計な話してねーでさっさと降りてこい!」

「うげ……地獄耳」


 どうやら佐久間と紅介の会話が聞こえていたようで、白郎の怒鳴り声が階段を駆け上がる。

 叱られた佐久間は小さく白郎の陰口を言うが、それも聞こえていたようで再び怒鳴り声が飛んでくる。

 それを聞き、佐久間は慌てた様子で階段を下っていく。紅介と小桃もまた佐久間の後を追うように駆けて行く。

 一階に到着するとすでに白郎は地下への階段の前に陣取っており、その横には佐久間が立っていた。


「さて、それじゃあ突入の前に装備の確認をしておこう。防具は言ったとおり一式持ってきてるな?」

「え、ええ。準備できていますけど……」

「なんだ歯切れ悪い言い方して。またなにか失敗したのか?」

「そんな、俺がいつも失敗してるみたいないい方はやめてくださいよ」


 佐久間は茶化されたことに笑って講義しつつ、しかしすぐに真面目な表情を見せる。

 そのとき、後続の住人たちが続々と階段を下りてきてにわかに騒がしくなる。

 しかし、その喧噪も佐久間の放った一言によってぴしゃりと静かになった。


「佐久間……お前今なんていった?」

「ですから──我々はどこに突入すればいいのですか?」


 不思議な顔をして首を傾げる佐久間。

 対称に白郎を含むマンション住人の顔は強張っていた。


「どこって……地下に決まってるだろ。電話でもそう伝えなかったか?」

「はい、そう聞いていましたけど……その地下はいったいどこにあるんです?」


 佐久間はいたって真剣な表情で受け答えをする。ふざけているわけでも、茶化しているわけでもない。しかし、マンション住人は全員彼の言葉が冗談であれと願わずにはいられなかった。それは佐久間の上司である白郎とて同じこと。

 白郎は眉間にしわを寄せると、佐久間の胸倉を強引に掴んだ。


「バカいってんじゃねえぞ佐久間! 今がどれだけの非常事態か分かってんのか?」

「ちょ、警部、なんですかいきなり!? 俺、なにか悪いことしましたか?」

「ふざけてないで真面目に仕事しろって言ってんだ!」

「なにいってるか分かんないですよ! 警部こそ俺たちのこと冷やかしてるんじゃないですか?」

「ざけんなッ! 俺はちゃんとお前たちを現場に案内したんだ。この地下へと続く階段の前に!」

「地下へと続く階段……?」


 互いに激高して冷静さを失っていた白郎と佐久間だが、白郎の言葉を聞いて佐久間がきょとんとした顔を見せる。その顔を見て、紅介はようやくこの事件が普通の事件ではないことを理解した。

 佐久間が地下へ続く階段のある場所──正確にはそこより僅かに上の場所に焦点を当てる。


「階段なんてどこにもないですよ。ここにはただ壁があるだけじゃないですか」

「お前まだ──」

「やめろ親父! 佐久間さんは本当のことを言っている!」


 いよいよ殴り掛かりそうになる白郎を紅介が後ろから羽交い絞めにして取り押さえる。その後も少し暴れる白郎であったが紅介の言葉を聞いて冷静になる。

 落ち着いた父親を地面に座らせ、紅介は佐久間を見やる。


「佐久間さん、もう一度確認しますけどそのには何がありますか?」


 紅介が地下へ続く階段を指さしながら尋ねる。


「なにもないよ。強いて言うなら壁がある」

「そうですか……。他の警察の方も同じですか?」


 佐久間の答えを聞いて深く頷いた紅介が佐久間と共に来た警察官にも尋ねる。全員逡巡の迷いなく首肯する。

 警察官たちの返事を聞いて神妙な顔を覗かせる紅介。頭に疑問符を浮かべた小桃が紅介に耳打ちする。


「ねえ、ベニくん。どういうこと?」

「あぁ、つまり彼らにはこの階段は認識できないということだ。いや、彼らだけじゃない世界中の全員がこの階段の存在には気づけない。──このマンションの住人を除いてな」

「そんなことあるわけ……」


 あるわけないと口に出そうとした小桃であるが現に部外者である警察官たちには階段が認識できていないことを思い出し、口を噤む。

 そんな彼女を一瞥した紅介は立ち上がり、マンションの住人達へ呼びかける。


「皆さんお話があるので一度集会室に戻りましょう。警察の方は申し訳ないですが、しばらくここで待っていてもらっていいですか?」

「いや、そういわれても……」

「──佐久間、すまんが待っていてくれ」

「……了解」


 紅介の待機指示に従いかねる態度を示した佐久間であるが上司の命令とあらば従わざるを得ない。彼は不服そうに返事を返すと煙草を取り出して口に咥えた。

 それを横目に紅介たちマンション住人は四階の集会室へ向けて階段を上って行った。

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