002号室 地下への階段
朝。紅介は外から聞こえてくる喧騒によって目を覚ました。最悪の目覚めだったせいか、昨晩見た不思議な夢の内容はすっかりと忘れてしまった。ただ変な夢を見たなという程度の認識だけがしこりのように残るだけ。
すっかりと目が冴えてしまった紅介は着替えをしてリビングに出る。時間的には早いわけではない。この時間帯ならば白郎も目を覚ましているだろうと予想していたのだが、リビングに父親の姿は見られなかった。
自分より起きるのが遅い父親をからかってやろうと白郎の寝室へ向かうが、そこにも彼の姿はなかった。
おかしいなと思う紅介の耳に再び外の喧騒が聞こえてきた。先程よりも大きな声だ。人の数も増えているような気がする。
「なんか起きたのか……!?」
直感的にそう感じた紅介は外へ出られる格好に着替えると、スニーカを履いて玄関の戸を開けた。すると、目の前を男がふたり駆けて行った。どちらも上階に住む住人で顔だけは見たことがある。男たちはそのまま通路を駆けていくと【101】号室の前にできた人だかりの一部となった。
紅介もまた訝し気にその人だかりに近づく。
「蕪城さん、落ち着いてください」
すると、集団の中心から白郎の声が聞こえてきた。びっくりすると同時に納得した紅介は人だかりをかき分けて集団の先頭に顔を出す。するとそこには白郎がふたりの男の喧嘩を仲裁している現場があった。
「親父!」
「コウ! 悪いが手伝ってくれ。萩倉を落ち着かせてほしい」
「わかった」
白郎は紅介に気が付くとそんな無茶ぶりを投げてきた。しかし、紅介は即座に頷くと【101】号室の扉の前に立つ野武士面の男を抑え込んだ。
紅介の助力により腕が片方開いた白郎が通路の手すり側に立つ狸顔な初老の男を取り押さえる。
ふたりを引き離すように移動させると、暴れていた野武士面の男から力抜けていき、少しだけ様子が落ち着いた。
同じように初老の男を引き離して落ち着かせた白郎が紅介のもとにやってくる。
「親父、いったいなにがあったんだ?」
「そうだな……とりあえず見てからのほうが説明が楽かな」
「?」
白郎の言葉の意味がわからず首を傾げる紅介。白郎は疲れた様子でため息をはくと、紅介を階段へと案内した。
「これは……!?」
階段へと連れていかれた紅介は即座に異常事態であると気が付いた。
階段が地下へ伸びていた。このマンションには地下施設は存在しない。故に地下へ向かう階段なんてものはない。だが、昨日までなかったはずの新しい階段がさも元からそうであったかのように伸びている。正に異常事態である。
「おかしなことになってるのは分かったよ。でもどうして
「あぁ、それはな……」
少し言いにくそうにしながら白郎はことの経緯を説明した。
まず初めに住人のひとりが地下へ続く階段に気づきマンションのオーナーである蕪城──狸顔の初老の男──に報告した。蕪城は不思議な階段を自分の目で確かめると、憤慨し怒鳴り声を上げた。その声に反応し萩倉──野武士面の男──が部屋から顔を出した。すると蕪城は事件の犯人を萩倉だと決めつけ殴り掛かったのだ。
「いくらなんでも冤罪だろ。萩倉のおっちゃんが建築士だからって一日でこんな大工事出来っこないって」
「ま、それはそうなんだけどな。コイツの日ごろの行いにも非はあると俺は思うがな」
「あー……」
萩倉は一級建築士の資格を持っているが仕事を取って来る才能に著しく欠けており、常に金欠の状態で生きている。当然家賃は数か月分滞納している。さらに彼は一階であることを良いことにマンションの正面にある広い庭でいろいろと作業をしているのだが、これが度々騒音トラブルになるのだ。マンションのオーナーたる蕪城からすると厄介な住人なのだ。
「それに関しちゃオレも悪いと思ってるんだぜ。けどよ、いくらなんでも今回は大濡れ衣だろう!」
いつの間にか紅介たちの隣にやってきた萩倉が文句をいう。視野狭窄になるほど興奮していた先ほどに比べると落ち着いているがまだやや興奮気味である。尤も、この状態が萩倉にとってノーマルな状態と言える。
「なにが濡れ衣か! こんなバカげた悪戯、お前さん以外に誰がやる!?」
今度は蕪城が紅介たちの近くまで来て声を荒げた。顔を真っ赤にして萩倉を睨みつける様子はまだ随分興奮しているようである。
睨みあうふたりの間に辟易した様子でため息をはいた白郎が割り込む。
「まあまあふたりとも落ち着いて。蕪城さん、よく考えてください。一日で既存の建物に階段を取り付けるなんて大企業でも無理なことです。それを萩倉ひとりで出来ると思いますか?」
「む……確かにそのとおりだ」
「萩倉も、普段の行いが悪いからこういうときに真っ先に疑われるんだ。疑われて怒るくらいなら普段の態度を改め、疑われない人間になれ。いいな?」
「わ、わかったぜ……」
白郎の言葉に納得するふたり。互いに謝罪を口にして和解をすると周囲の人だかりがにわかにはけていった。
「ベニくん!」
いざこざも無事解決しひと段落かと思ったそのとき、人だかりの合間から慌てた様子の小桃が現れた。彼女は紅介の腕に抱きつくとそのままエレベータのほうへ彼を引っ張った。
「なんか変なの! 来て!」
「急になんだよ小桃。いったん落ち着いて説明してくれ」
「う、うん……。そうだよね、ごめん」
紅介が立ち止まって小桃を宥めると彼女は深呼吸をしたのち少し冷静になる。
そうしている間に白郎や蕪城たちが周りに集まり、小桃の話を耳を傾ける。彼女は拙い言葉で状況を説明した。
「私、みんなが慌てて下へ行くのを見て私もすぐに行こうとしたの。でもみんなエレベータを使ってて下まで行くのに時間がかかると思ったから階段で行こうとしたの。そのときなんか、よくわかんないけど屋上が気になって……」
「屋上? なんで?」
「わかんない。でも、気になって見に行ったの。そしたら屋上開かなくて。それになんか変な鍵がかかってて」
「屋上が開かないだと!?」
小桃の話を聞いて一番に反応したのは蕪城だった。マンションのオーナーとして立て続けに起こる不審な出来事に過敏になっている様子だった。
今にも駆けだしそうな蕪城を白郎が落ち着かせる。
「小桃ちゃん。変なことってそれだけ?」
「いえ。それ以外にもうひとつ。部屋のプレートがおかしいんです」
「プレート?」
小桃の言葉に反応し、全員が一番近くにあるプレートを見る。萩倉の部屋のプレートである。【101】。変わったところはなにもない。
しかし、そのプレートを見て小桃は目を丸くしていた。
「ここは普通なんだ……」
「それはどういうことだい?」
「あの、これは説明するより見てもらったほうが早いかと」
「そうだね」
小桃の言葉に白郎が頷く。紅介や蕪城、萩倉も賛同し、一同はエレベータで七階へと向かった。屋上の確認もしたかったがエレベータでは屋上まではいけないため七階の異変から調べることにする。
エレベータが七階につき、蕪城がさきに降りる。彼は一目散に自分の部屋へと戻っていく。屋上の鍵を取りに行ったのだろう。
残された小桃、紅介、白郎、萩倉は小桃が言っていたプレートの異変について調べることにする。しかし、調べるまでもなく異変は一目瞭然であった。
「なるほど、これは確かに異変だな」
「いったい誰がこんなことを……」
「オレに濡れ衣着せようとした奴だ。ゆるせねえ」
一同が口々に感想を述べる。彼らの眼前には本来【707】のプレートがあるはずだった。だが、今目の前にあるのは【777】のプレートである。他の部屋も真ん中の0が7に変えられており、不気味である。
「うお!? なんだこれは!」
屋上の鍵をとって戻ってきた蕪城がそこで初めてプレートを見て驚いた声を上げる。白郎は今にも頭からマグマを吹き出しそうな蕪城を落ち着かせて彼の手元の鍵を一瞥した。
「プレートの異変も確認できました。今は屋上の確認を優先しましょう」
「うむ、そうだな。まったく腹立たしい」
蕪城は怒りを床にあてるように力強い足取りで屋上までの階段を上った。紅介たちはその後ろを静かについていく。
「やっぱり開きませんね」
屋上の扉の前まで来て蕪城がドアノブに鍵を差し込んで左右に回す。だが、扉は押しても引いても開かなかった。
原因は分かり切っている。ドアノブにくっつくように掌大の南京錠が掛かっているのである。だが、ドアノブに南京錠を掛けても無意味な気がするのだが、現にドアが開かないのだから不思議な話だ。
「萩倉、開けられそうか?」
「んー……詳しく調べないことにはなんとも言えないが……こりゃ多分無理だな。開け方も外し方もチンプンカンプンよ」
建築士の萩倉でもお手上げとなるとマンションにこの南京錠を外せる人間はいない。外せないことと設置できないことは必ずしもイコールではないが、紅介は内部犯の可能性は限りなく低いと予想していた。
「くそッ! いったい誰がこんなことを!」
「大丈夫ですよ、蕪城さん。ここは警察の俺がなんとしてでも犯人を見つけ出し、白黒はっきりさせてやりますよ」
憤る蕪城に白郎が言う。
その言葉を聞いて紅介は期待に胸がいっぱいになった。白郎が白黒はっきりつけると宣言した事件はこれまでいくつかあったが、その全てが彼の手で解決された。今回もそうなると紅介は予想したのである。
そうしてマンション内で起きている不思議を一通り確認し終えた一同は蕪城の提案で、集会室にて作戦会議を行うこととなった。
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