ダマンジョン 〜ダンジョン化が始まったマンションを『スキル』と『魔道具』と『正義の心』で攻略する〜

ハルマサ

001号室 始まりの夢

 チャイムの音が校舎を駆け巡る。それを合図に学生は放課を迎える。

 赤みがかった黒い短髪に漆黒の瞳の少年──玄谷紅介は颯爽と席を立つと昇降口までまっすぐ向かう。下駄箱から外靴を取り出し、上履きと履き替える。


「あ、ベニくん!」


 紅介が靴を履き終えると、背中に声がかけられる。

 声のほうに振り返ると、そこにはひとりの少女が立っていた。

 艶のある黒い長髪は腰に届くほど長い。前髪は眉が隠れる程度のところで切りそろえられている。黒く丸い瞳は長い睫毛に囲まれて、はっきりとしている。平均的な身長をしているが数字よりいくらか大きく見えるのは彼女のほっそりとした体型のせいだろう。胸はないに等しいが、それがまた奥ゆかしさに拍車をかけ、男子高生の注目を集めている。


「ベニくん。今帰り? 一緒に帰ろ」

「おう、いいぞ」

「やった」


 少女──小花衣小桃は紅介の返事を聞くと小さくガッツポーズして自身の下駄箱に近づいた。

 彼女と紅介は同じマンションに住んでいる。だからたまにこうして一緒に帰ることがあるのだ。

 紅介が昇降口で待っているとすぐに靴を履き替えた小桃がやってくる。紅介が小桃から鞄を受け取り、ふたりそろって校門を出る。


「ベニくん、今日バイトは?」

「バイトは……クビになった」

「また? 今度はなにしたの? 横領? 恐喝?」

「人聞きの悪いこというな!」


 さも当然のように人を悪人に仕立て上げようとする小桃にツッコむと彼女は悪戯っぽく舌を見せる。

 鼻をつまんでやりたくなる顔から目を逸らし、紅介は右の頬を指で掻いた。昨日貼った絆創膏が指にかかる。


「ちょっと客と揉めて、ぶっとばしてやったら店長に『お客様を殴るとはなにごとか』ってキレられてクビにされた」

「ベニくんは正義感強い上に喧嘩っ早いところあるからね。確か前のバイトもそれでクビになったんじゃなかったっけ?」

「違う。あれはナンパ野郎から女助けたらそのナンパがヤクザで、そいつらから逃げてたらシフトすっぽかしたみたいになってクビにされたんだ」

「同じだよ」


 紅介のバイトクビ遍歴を聞いてクスクスと笑う小桃。

 彼女は指を組んでぐっと伸びをするとまたからかうように紅介の顔を覗き込む。


「正義の味方やるのはいいけどさ、その調子だといつかおじさんに逮捕されちゃうよ」

「うっせ」


 紅介の父親──玄谷白郎は警察だ。朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくるため紅介はあまり父親と話をする機会がない。

 しかし、仲が悪いというわけではなく、むしろ仲は良好といえる。白郎は息子を溺愛しているし、紅介は父親を尊敬している。

 空回ってはいるが、紅介の正義感は父親への尊敬の表れの象徴といえるだろう。


「そういえば、私の隣に誰か引っ越してくるみたいだよ」


 紅介が黙ったのを怒っていると勘違いしたのか、小桃が露骨に話を変える。

 紅介は勘違いを訂正しようか考えたが、めんどくさいと思い、彼女の話に乗ることにする。


「しばらく空室だったもんな。今度はどんな嫌味なやつなのやら」

「知らない人を悪く言っちゃダメだよ」

「仕方ないだろ。七階の連中はどいつもこいつも下の階の奴らを馬鹿にする嫌味なやつばっかなんだから」


 紅介と小桃が住むマンションにはある暗黙の了解がある。

 それは、上階には権力者やお金持ちが下の階には庶民や貧乏人が住むというものだ。

 このことから上階の住人は下階の住人を見下しがちなのだ。

 とりわけ七階の住人は最上階ということもあり、マンションを我が城とでも勘違いしているような横柄な態度をとっている。

 これが一階に住まう紅介の鼻にとまるのだ。


「んで? 今度の住人はどんな人なんだ?」

「分かんない」

「分からない? 会ってないのか? じゃあどうやって引っ越してくるってわかったんだ?」

「部屋の前に表札がかかってたんだよ」

「あぁ、なるほど」


 小桃の説明に納得する紅介。しかしすぐに顔をしかめる。


「でもほら、やっぱりそいつも変わり者じゃねーか」

「なんで?」

「普通引っ越す前から表札はつけないだろ? それじゃあまるでこの部屋は自分のものだって自慢してるみたいだ」

「ひねくれてるなあ」


 ふたりの目の前で信号が赤に変わる。横断歩道の手前で二人並んで止まると、小桃が思い出したように声を上げる。


「あ、でも名前はちょっと変わってたかも」

「へえ、どんな?」

「『温泉川おんせんがわ』さん。オンセンガワって変わった響き」

「ああ、それはたぶん温泉川ゆのかわだろうな」

「あれ、ユノカワって読むんだ」

「まあ、どのみち変わった名前ってことには違いないけどな」

「そうだね。温泉って名前に入ってるし……」


 信号が青になる。紅介が歩き始めて、少しして振り返る。小桃が横断歩道の手前で固まったままであることに気づいたのだ。

 紅介が首を傾げると、小桃がはっとして顔を上げる。


「ああ! 入浴剤切らしてたんだった!」

「はあ?」

「ベニくん! ちょっとお買い物つきあって!」

「はあ!?」


 突然とんちきなことを言い出した小桃に戸惑う紅介。そんな紅介の内心などおかまいなしと小桃は彼の手を引っ張って走り出した。

 こうなった小桃は誰にも止められないことわ紅介は知っている。彼は潔く諦めると、小桃のペースに合わせて走り出した。



 太陽が完全に沈み、暗い空に月が浮かぶ。

 紅介は両脇に袋を抱えながらマンションの前へとたどり着いた。


「ごめんねベニくん。こんな遅くまで」


 小さな袋を片手に持った小桃が両手を合わせて謝罪する。それに紅介は「まったくだ」とぶっきらぼうに返した。

 紅介が持つ荷物は全て小桃のものである。入浴剤を買いたいと言って買い物に出た小桃であるが、服やら化粧品やらアクセサリやらと寄り道をし、結局普通のショッピングとなった。おかげで荷物持ちとして付き合わされた紅介はへとへとだ。


「まあ、お前の自分勝手は今に始まったことじゃないからな」

「ひどい!」


 ぷくっと頬を膨らませて抗議してくる小桃。彼女の顔を見て紅介は屈託なく笑うと、マンションの中へと入った。

 マンションは入ってすぐのところに階段がある。だが、これはほとんど三階より下の住人専用の階段になっている。

 上階の住人は入り口から見て左にある通路を進む。この通路は右手に一階の部屋が並んでいるのだが、突き当りにエレベータがある。これは階段とは反対に上階の住人専用だ。2や3のボタンが押されたのは何年前の話だろうか。

 紅介と小桃は並んで通路を歩くと、【103】とプレートのかけられた部屋の前で止まる。プレートの下には『玄谷』と書かれた表札がかけられている。

 自分の家の前まで来た紅介は鞄から鍵を取り出しつつ小桃に問いかける。


「そういえばお前、晩飯のあてはあるのか?」

「うーん。このあとコンビニにでも行こうかなって思ってるよ」

「こんな遅い時間にひとりで外出るのは危ねーだろ。俺の料理でよければご馳走するぜ」

「いや、いいよ。こんな遅くまで付き合わせちゃったのは私なんだから自分のご飯くらい自分で──」


 そこまでいったとき、小桃のお腹からくるるると可愛らしい音が鳴った。紅介がからかうように笑う。


「食ってけよ」

「……ありがとう」


 顔を真っ赤にした小桃がお腹を抑えながら小さく頷く。

 それを一瞥しつつ鍵を取り出した紅介が鍵穴に差し込んで首を傾げる。


「あれ? 開いてる……?」


 怪訝そうにドアノブを捻るとドアはあっさりと開いた。一瞬泥棒でも入ったかと邪推するが、家の玄関を見てすぐにその思考は消える。玄関には大きな革靴が乱暴に脱ぎ捨てられていたのだ。


「親父! いるのか?」

「おう! 待ちくたびれたぞコウ! お、小桃ちゃん。いらっしゃい」

「お邪魔します」


 玄関から呼びかけるとリビングのドアが開いてガタイのいいおっさんが顔を見せる。赤黒い髪に漆黒の瞳。口元に髭が生えてるが総合的には紅介を老けさせたらこうなるだろうという感じの外見だ。

 紅介の父親──玄谷白郎は出迎えるなり紅介に文句をいうと、その隣に立つ小桃に気づき快く歓迎する。

 小桃は礼儀正しく挨拶を返したが、気遣うような目で紅介を見る。


「おじさん帰ってたんだね。私お邪魔かな? やっぱり帰ったほうがいい?」

「いや、気にしなくていいよ。親父が勝手に帰ってきただけだからな」

「それじゃあ遠慮なく……」


 小桃は若干気まずそうにしながらも靴を脱いで上がり込む。紅介は小桃をリビングのソファに座らせると、一度自室で着替えを済ませる。リビングに戻ると、時計を一瞥し、早速キッチンへと向かう。


「小桃、なにか食べたいものあるか?」

「ハンバーグ!」

「子供かよ」

「誰が子供か! いいじゃんハンバーグ。美味しいじゃんハンバーグ!」

「そうだそうだ!」

「親父は黙ってろ!」


 小桃の抗議に面白半分で参戦する白郎。紅介は冷蔵庫からハンバーグの具材を取り出しながらビール片手にテレビを眺める父親を見やる。


「親父今日は早かったんだな」

「おう、連絡しなくて悪かったな。時間がかかると思ってた事件があっさり片付いてな、雑務も部下が全部やっちまって仕事がなかったから帰ってきたわけよ」

「息子は仕事以下ってことかよ」

「お、なんだ? 拗ねてんのか?」

「うっせ」


 父親のからかいをさらりと受け流す紅介。ふたりの会話を聞いていた小桃はなにが面白いのかくすくすと笑っていた。彼女の温かい視線から逃げるように晩御飯づくりに集中する。

 少しして、ご飯が炊きあがると紅介も料理を終える。皿に盛り付け、食卓に運ぶ。

 テーブルの前には今か今かとヨダレを垂らして待つ犬が二匹。小桃が柴犬で、白郎はドーベルマンといったところだ。


「ほらよ、玄谷家特製ハンバーグ。熱いうちに食ってくれ」

「おお、これこれ! いただきます」

「美味しそう……いただきます」


 白郎が嬉々として箸をとり、小桃はおずおずとハンバーグに箸をいれる。

 ふたりは同時にハンバーグを口に含み、頬をとろけさせた。


「うまい!」

「美味しい! お店のより美味しいよコレ!」

「そりゃどーも」


 ふたりが美味しそうに食べるのを見ながら紅介も箸をとる。

 それからしばらく食事は進み、白郎と小桃はハンバーグをおかわりした。


「やっぱり手料理っていいよね。なんだか温かい」

「そういえば小桃ちゃんは一人暮らしだっけか」

「はい」


 白郎の質問に小桃は少し寂し気に答える。

 小桃は中学生のときに両親を事故で亡くしている。両親の死後は叔母に引き取られ彼女の家で生活していたが、高校に上がると同時に一人暮らしのためにこのマンションに引っ越してきたのだ。


「コウの料理が気に入ったんなら毎日でも食べに来ていいぞ。なんならうちに暮らしてもいい」

「親父!」

「ふふ。そう言ってもらえるだけで嬉しいです。でも、男の子と同居してるなんて叔母様にいったら怒られちゃう」

「そうか。ま、気が向いたらいつでも来な。小桃ちゃんなら大歓迎だ」

「ありがとうございます!」


 そんなおかしな会話が終わるころ、丁度皆の食器が空になる。

 ごちそうさまと言ってそれぞれの食器をキッチンに移すと、白郎が代表して皿洗いをする。小桃が手伝いを申し出たが白郎が頑なに却下した。

 紅介と小桃はリビングでテレビを見ながらたわいもない雑談に花を咲かせた。

 そうしてゆるりと寛いでいると時間はあっという間に過ぎていくもので気が付けば時刻は十時を僅かに過ぎていた。


「そろそろ私帰るね」

「ああ、荷物ひとりで持てるか?」

「大丈夫。ご飯ご馳走様でした。美味しかったよ」

「またいつでも食いに来ていいからな」

「うん。じゃあ、おやすみなさい」


 玄関を出てすぐのところで小桃と別れると紅介は彼女がエレベータに乗るのを見送ってから家に戻る。リビングに顔を出すと、大きなあくびを披露する。


「親父、俺もう寝るわ」

「早いな。具合でも悪いのか?」

「いや、ちょっと疲れてるだけ」

「そうか、ゆっくり休めよ。──ああ、俺明日休みだから久しぶりにどこかいかねーか?」

「おう、任せる」


 適当に返事を返し、もう一度大きくあくびをすると紅介は自分の部屋へと向かった。

 ベッドに倒れこむようにして横になると、数秒もしないうちに夢の世界へダイブした。



 その夜。紅介は不思議な夢を見た。


 黒い光と紅い光が激しくぶつかり合う。

 ふたつの光は星となり、遥かな空を駆けていく。

 星はやがて世界を渡る。

 光は徐々に力を失い、それでも世界を渡り続ける。

 そして、最後の世界で星は地上へ向けて落ちていく。

 黒い星と紅い星が落ちたのは七階建ての建物の上──。



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本日5話連続更新

1時間に1本上がる予定です。

お付き合いください。

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